国葬には、法的根拠なし
1926年(大正15年)に制定された国葬令は、日本国憲法施行の際現に効力を有する命令の規定の効力等に関する法律第1条の規定により、1947年12月31日をもって失効した。
ところで、この国葬令では、天皇一族だけではなく、民間人も対象とされていた。その第3条第1項は、「國家ニ偉功アル者薨去又ハ死亡シタルトキハ特旨ニ依リ國葬ヲ賜フコトアルヘシ」と規定し、国家に特別に立派な業績があった者を国葬にすることもあるとしていた。
ここでの要件である「偉功アル者」という用語は、爵位の基準を定めていた華族叙爵内規で、最高の爵位である公爵について「公爵ハ親王諸王ヨリ臣位に列セラルル者 旧摂家 徳川宗家 国家二偉功アル者」と定められ、その他の侯爵、伯爵、子爵及び男爵に叙せられる民間人については「国家二勲功アル者」とされていた。
ここからも明らかなように、国家に特別な業績があった者を国葬の対象としていたのである。
1947年12月31日に執行するまでの間に、国葬の対象とされた者は、次のとおりである。
1987年(昭和2年)2月7日 大正天皇
1934年(昭和9年)6月5日 東郷平八郎 元帥 海軍大将
1940年(昭和15年)12月5日 西園寺公望 公爵 内閣総理大臣
1943年(昭和18年)6月5日 山本五十六 元帥 海軍大将 連合艦隊司令長官
1945年(昭和20年)6月18日 戴仁親王 元帥 陸軍大将 参謀総長
このうち、民間人は、統合、西園寺、山本の三人である。彼らがなぜ「国家二偉功アル者」とされたのかについては不明であるが、西園寺についてはすでに公爵に列せられ、「国家二偉功アル者」とされていたからであろうか。東郷と山本はともに海軍大臣の経験者であり、元帥であったが、何が「国家二偉功アル者」に該当したかについては全く分からない。
この国葬令は、「日本国憲法施行の際現に効力を有する命令の規定の効力等に関する法律」(昭和22年法律第72号、公布・1947年(昭和22年)4月18日、施行・同年5月3日)第1条の規定により、1947年12月3日に失効した。
その第1条は、次のように規定している。
旧憲法下で命令として帝国議会の審議を経ずに制定されたもののうち、新憲法施行の時点で現に有効なもので、かつ新憲法下の法体系では法律で制定すべきレベルに相当するものは、新憲法下にあっては原則として1947年12月31日まで法律としての効力を有する。
これは、新憲法施行後もその年末までは暫定的に(勅令などの名義のまま)法律としての効力を認めておき、必要であれば早期に新たな法律として立案することで国会のチェックを経た立法とすべきことを促すものであった。
ところが、政府は、何の対策も取らず、12月31日を迎え、失効することになった。
これは、政府が、国民主権となった日本では、もはや国葬は必要がないと判断したからではないだろうか。
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