イサカ(Ithaca)de新婚生活!!

08年9月~09年5月までの9か月間を過ごしたNY州の田舎町、Ithacaで過ごした日々を綴ったブログです。

運命の再会!加賀野井家の末裔

2008年08月17日 01時40分03秒 | 日々のつぶやき♪
私の旧姓は「加賀野井」と申しますが。。

時は戦国時代。
私の先祖(当時は加賀井氏)は織田信長と信雄に仕えていた武士で、
岐阜県に「加賀野井城」を築城しましたが、
小牧・長久手の戦いで徳川家康側に付いたため、豊臣秀吉軍に包囲され、
火を放たれて落城した、とのことです。

加賀野井城は尾張国西部の要衝であったため、
その落城によって徳川・豊臣の直接対決が幕を開けたということです。

岐阜県羽島市下中町加賀野井には、今ではその城壁のみが残されているらしいです。

その後、加賀井重宗の息子、重宗が秀吉側に寝返って8000石の知行を受けたものの
(この時に「加賀野井」に改名?)、関ヶ原の戦い後、除籍されました。


その後は歴史書には登場していませんが、土佐藩の武家の教師として細々と食い長らえていた…と聞いています。

↑昨年、祖父が亡くなった後に家の取り壊しの際に見つかった、大量の江戸時代の教科書


私の曾祖父か、さらにその前の世代…ですから、明治か大正の頃の話になります。
この前にも分家をしていたのかは分かりませんが、
私の直系の先祖は長野県の篠ノ井という地に住んでいました。
その時の加賀野井家には息子が二人おり、
兄は今でいう不良で両親から愛されず、弟に墓を相続させました。
怒った兄はその隣にもっと立派な墓石を立てたそうです。

その弟の子孫が私の祖父であり、父であり、私だということです。
先日、蓼科に行った帰りにも篠ノ井のお墓に行きましたが、
いつ見ても不思議なことに、うちの「先祖代々之墓」の墓石の横に
「加賀野井家之墓」という墓石があり、同じ敷地に二つの墓石があるのです。
私は、前からこのもう一つの「加賀野井家」に会いたいと思っていました。。。


そして時は1990年。
私は小学校1年生の時、父の仕事の関係で1年間だけイギリスのロンドンに
住んでいた時期がありました。
私はアメリカンスクールに。4つ上の兄は日本人学校に通っていました。

ある日、兄が母に「みんなに『弟がいるだろ!?』って言われる」と言いました。
何と、同じ日本人学校の1年生に「加賀野井」がいるというのです。
日本に住んでいて一度も同じ名字の人に会ったことがないのに、
よりによってイギリスで会うなんて…!

驚いているうちに、向こうの「加賀野井」さんから、うちの母宛に手紙が届きました。
そして、母は「加賀野井」さんの家に招待されたのです。

その後の交流が続くかと思いきや、日本への引っ越しの際のゴタゴタで、
母が「加賀野井」さんの住所を書いたメモを紛失してしまい、
日本の連絡先を伝えることができず、
「加賀野井」さんとは二度と連絡できなくなってしまいました。

イギリスの「加賀野井さん」は、しばしば我が家の話題に上りました。


イギリスでの驚きの出会いの17年後、私はとある大手情報通信会社の
人事部で新卒採用担当をしていました。
そこで企画した内定者懇親会で、とある内定者の学生と出会います。

彼女は聡明で、話していて楽しく、学歴も申し分ないことから、
私が心の中で密かに『絶対辞退させたくない学生リスト』に追加していたところ、
「私、大学の友達に『加賀野井さん』がいるんですよ!」と言われて驚きました。

しかし、その場ではただの新卒採用担当と内定者。
その「加賀野井さん」に会わせてもらうのは難しそうだな。と諦めました。

幸い彼女は内定を承諾してくれ、
また、彼女とは不思議と気が合い、「加賀野井」の一件に関係なく
100名近い内定者の中で一番私の興味を惹きました。

そして、その年の11月、さらに次の年の就活生を確保するため、
私たちは年明けの「企業説明会」に先駆けて「オープンセミナー」を開催しました。
そこに内定者代表を何人か呼ぼう、ということになり、私は真っ先に彼女を推薦し、
彼女も快く引き受けてくれたため、再び再開することができました。

セミナー当日。
食堂で一緒に昼食を取っている時に、ひょんな私の失言から彼女の恋愛話を聞き出してしまうこととなり、
意気投合した私達は年末に飲みに行くことになりました。

それからちょくちょく個人的にメールをする仲になり、
先月、インディージョーンズを見に行きました。
帰りに大戸屋でごはんを食べている時に、ふと「加賀野井」さんのことを思い出し、
イギリスにいた私と同い年の「加賀野井」くんのことも思い出し、
彼女に質問をしてみました。

「前に話していた、お友達の加賀野井さんには、もしかして2コ上のお兄ちゃんが
いたりしない?」

大して期待せずに聞いてみました。

すると…

「います!」

意外な答え。
私は少し興奮気味に

「じゃあ、イギリスに行ってたことがあったりしない!?」

と聞いてみると、

「行ってました!6年間!」

え~!?

「それって、いつ頃!?」

「わかりませんけど、小さい頃って言ってました!」

…こんな偶然があっていいのでしょうか?

そして、早速彼女に連絡を取ってもらい、向こうの加賀野井兄妹と、
うちの兄妹で「加賀野井パーティー」をすることになったのです。

こんなことってあっていいのでしょうか?
だって、
もし、うちがイギリスに行かなかったら?
もし、私があの会社に入らなかったら?
もし、私が採用担当じゃなかったら?
もし、私が内定者懇親会で彼女に話しかけなかったら?

あまりの偶然の重なりに、これはご先祖さまのお導きではないかと思ってしまいます。

そして、今日会った加賀野井家の二人は、不思議なことに、全く他人と思えなかった。
きっと、ほんの僅かに血が繋がっているのは確かなのでしょう。
会った時から、従兄妹のような、不思議な感覚に捉われました。

妹さんの方は私の2つ年下で、今時のキャッピキャピの女の子。
私にはない、女の子らしい可愛い面が沢山あって羨ましくなりました。
でも、危なっかしくて目が離せない(笑)。
とても人懐こいので、妹ができたような気分でした♪

そして、私と同い年の、兄と同じ日本人学校に通っていたお兄さん。
これまた偶然なことに、私が第一志望だった某国立大学経済学部を、
なんとあの日、彼も受験していたそうです!
あの時にニアミスしていたなんて…!!

そして、前から気になっていた3つ目の加賀野井家である中央大学の加賀野井教授。
彼の話では、彼らのご近所にお住いだそう。
さらに、私と同い年の男の子と、そのお姉さんがいるそうです。
是非会ってみたい…!

日本に6家族いると言われている加賀野井家。
うちと、曾祖父の父の兄の家系と、彼らの家系、加賀野井教授。
残るはあと2家族。

もしかしたら、亡くなった祖父が試みていた「加賀野井家の家系図」が
完成する日が近いのかもしれません!

残念ながら、彼らのご先祖様のお墓は福井県にあるようで、
私の曾祖父の父?が決別した兄の子孫ではないようです。
でも、2人とも、他人とは思えないので、携帯のアドレスは「家族・親戚」グループに
入れてしまいました(笑)。


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