24歳の若さで結婚し、その1か月後にこの世を去った、悲運の花嫁-。
別の本を買い求めに本屋に行った私は、そのほんの題名が目に留まり、
最初はただパラパラ読んでみるはずが、気づいたらその場で読み終わっていました。
彼女は1982年10月生まれ。
なので私の1コ上です。
イベントのコンパニオンのバイトをしながら東京で独り暮らしをする、
ごく普通のいまどきの女の子だった。。
23歳の時に乳がんが見つかるまでは。
23歳で乳がんになる人いるの!?
と最初は驚きました。
この若さで癌になることはないと思い込んでいたので、衝撃でした。
胸のしこりに気づいたものの、まさか自分が乳がんだとは思わず、
しばらく放っておいたそうです。
そうしたら、そのしこりはみるみるうちに大きくなっていった…
怖くなって病院に行ったら、「乳がん」と通告された。
丁度その頃、彼女は運命の男性と出会います。
2006年のiEXPO(アイエキスポ)。
東京ビッグサイトで開催される、日本の情報通信事業大手が、
時代の先進ソリューション、技術、製品を紹介する国内最大級の総合イベントで、
確か私が勤めていた会社も出展していたと思います。
彼女はそこに、イベントコンパニンとして登場。
情報通信大手に勤める彼と出会いました。
彼の方が彼女に一目惚れ♪
でも内気な彼は彼女に話しかけることすらできず…
仲間が気を利かせて彼女と話す機会を作ってあげたことから2人の仲が始まります。
彼は、メアドはGETしたものの、クリスマスと年末のデートは断られます。
しかし、年明けに彼女から思いがけず遊びの誘いがあり、
いそいそと車を出してお台場にデートへ。
その時から意気投合したそうです。
本にはその時のデートの様子の写真が載っていましたが、
私達のカップル時代と同じようなデートコースを辿り、
同じようにはしゃいでいる幸せそうな姿。
共感は増すばかりです。
そして彼が思い切って告白した時、彼女は既に乳がんを告知されていました。
彼に告白されて涙を流しながら付き合えない理由を話す彼女。
しかし、治ると確信していた彼は「一緒に戦おう!」と彼女を励ましました。
間もなく彼は彼女のマンションに一緒に住み始めます。
彼女は癌との戦いを決意。
胸の切除だけはどうしても避けたいと、抗がん剤治療に挑みます。
副作用との戦い。
毎日襲う吐き気。
抜けていく髪の毛…
最初にゴッソリ髪の毛が抜け落ちた時、彼女はお風呂で思わず悲鳴を上げたそうです。
それでも彼女は立ち直り、109でオシャレなカツラをいくつか買い込み、
毎日違う髪型を楽しんだということです。
その精神力がすごいなって思います。
丸坊主になるなんて考えられない。
私ならきっと、それだけで生きる希望を失くしてしまいます。
だって、カツラは寝る時は取るんでしょう?
彼の前で丸坊主を曝すということでしょう?
私には、きっととても耐えられない…
抗がん剤治療は利かず、彼女はついに胸の切断を余儀なくされました。
「胸のない彼女なんかでいいの!?」
と彼に尋ねた彼女のこのセリフが痛々しいです。
美人さんだった彼女の左胸は無くなり、その場所には深い傷跡が残りました。
胸の開いた服が好きだったのに、タートルネックのニットばかりを着なくてはいけなくなりました。
それでも乳がんは無くなり、彼女は一気に元気を取り戻します。
そして、厳しい研修を乗り越えた者だけがシステムエンジニアとして入社できるという、
厳しい会社に応募し、脱落者が多々発生する中、
2か月間、土日も返上して勉強した結果、彼女は見事システムエンジニアとして入社します。
この頑張り様がすごいと思います。
例え左胸が無くなってしまっても、前向きに生きようとする彼女の強い意志が、
今までいい加減に生きてきた私にはとても痛い。
しかし、そんな頑張り屋の彼女に、またもや不幸が襲いかかります。
いつからか、彼女は慢性的に咳をするようになった。
最初は風邪かと思いきや、咳は段々ひどくなっていき、
ついには仕事が手に付かなくなるくらい咳き込み、
仕事中に時間をもらい、彼女は病院に行きました。
肺癌。
彼女に次に告げられた病名です。
しかも、これが原因で彼女の胸部には2ℓもの水が溜まっていたとか。
いよいよ絶望に打ちひしがれる彼女。
彼は必死に頑張れと支えます。
「今度は肺癌だって。ごめんね太郎。」
彼宛に送ったメールも載っていました。
今時の文面。
私に近い女の子だったんだと、実感させられます。
「今日は水を抜きます><怖いよ~!
たろうも仕事頑張ってね。」
「痛かったよ~!やっと終わった~!」
などなど。
日頃私が送るのと同じような文面で、自分の癌治療の様子を彼に送る彼女。
このコが本当に死ぬの?と思ってしまいます。
私の年齢で、死と向かい合うのは難しい。
ついに彼女は全身の激痛に苦しみ始め、
いよいよ医師から余命のカウントダウンが告げられます。
ショックを隠せない2人。
かねてから夢だった花嫁姿を、何とか生きているうちに実現したい!
彼女のそんな願いに周りが応え、急遽、結婚式の準備が始まります。
そして、2007年春。結婚式が実現します。
当日は、とても癌に蝕まれているとは思えないほど美しく輝く彼女の花嫁姿に、
彼は思わず目頭が熱くなったそうです。
お父さんと歩くバージンロード。
私は、大きな不安を抱えつつも、これから先の、絶対楽しいであろう幸せな生活に向かって歩きました。
でも、彼女は…?
その先に未来はないバージンロード。
旦那と二人きりの日々、やがて子供を産んで、みんなで山や海にでかけて…
そんな当たり前のような未来さえ期待できないバージンロード。
彼女は一体、何に向かって歩いていたの…?
幸せそうに笑う美しい彼女の花嫁姿の写真を見て、
この人がこの数週間後に死ぬなんていうことはとても信じられませんでした。
こんなに可哀想な花嫁がいていいのでしょうか?
彼女は彼に、「やだよぉ、私、まだ死にたくない!」と盛んに訴えていました。
メールでも、「まだ生きていたい」と…
彼女はそれから数日後、激痛に襲われてモルヒネを打たれ、言葉を失いました。
そして、数週間後の2007年4月、息を引き取ったそうです。
私の結婚の1年前の出来事です。
年齢も、結婚した時期も近い彼女に共感し、この本を本屋で読み終えてしまいました。
23歳という若さでも乳がんになってしまうショック。
幸せになれない花嫁がいたことへのショック。
私は幸せなんだと改めて実感します。
健康であること。これに勝る幸せは無いんです。
彼女が実現できなかった結婚後の幸せ。
健康であることがどんなに幸せか?
私は、彼女の存在を胸に秘め、いつでも自分にそう言い聞かせて、
これからの毎日を大切に過ごしていきたいと思います。
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別の本を買い求めに本屋に行った私は、そのほんの題名が目に留まり、
最初はただパラパラ読んでみるはずが、気づいたらその場で読み終わっていました。
彼女は1982年10月生まれ。
なので私の1コ上です。
イベントのコンパニオンのバイトをしながら東京で独り暮らしをする、
ごく普通のいまどきの女の子だった。。
23歳の時に乳がんが見つかるまでは。
23歳で乳がんになる人いるの!?
と最初は驚きました。
この若さで癌になることはないと思い込んでいたので、衝撃でした。
胸のしこりに気づいたものの、まさか自分が乳がんだとは思わず、
しばらく放っておいたそうです。
そうしたら、そのしこりはみるみるうちに大きくなっていった…
怖くなって病院に行ったら、「乳がん」と通告された。
丁度その頃、彼女は運命の男性と出会います。
2006年のiEXPO(アイエキスポ)。
東京ビッグサイトで開催される、日本の情報通信事業大手が、
時代の先進ソリューション、技術、製品を紹介する国内最大級の総合イベントで、
確か私が勤めていた会社も出展していたと思います。
彼女はそこに、イベントコンパニンとして登場。
情報通信大手に勤める彼と出会いました。
彼の方が彼女に一目惚れ♪
でも内気な彼は彼女に話しかけることすらできず…
仲間が気を利かせて彼女と話す機会を作ってあげたことから2人の仲が始まります。
彼は、メアドはGETしたものの、クリスマスと年末のデートは断られます。
しかし、年明けに彼女から思いがけず遊びの誘いがあり、
いそいそと車を出してお台場にデートへ。
その時から意気投合したそうです。
本にはその時のデートの様子の写真が載っていましたが、
私達のカップル時代と同じようなデートコースを辿り、
同じようにはしゃいでいる幸せそうな姿。
共感は増すばかりです。
そして彼が思い切って告白した時、彼女は既に乳がんを告知されていました。
彼に告白されて涙を流しながら付き合えない理由を話す彼女。
しかし、治ると確信していた彼は「一緒に戦おう!」と彼女を励ましました。
間もなく彼は彼女のマンションに一緒に住み始めます。
彼女は癌との戦いを決意。
胸の切除だけはどうしても避けたいと、抗がん剤治療に挑みます。
副作用との戦い。
毎日襲う吐き気。
抜けていく髪の毛…
最初にゴッソリ髪の毛が抜け落ちた時、彼女はお風呂で思わず悲鳴を上げたそうです。
それでも彼女は立ち直り、109でオシャレなカツラをいくつか買い込み、
毎日違う髪型を楽しんだということです。
その精神力がすごいなって思います。
丸坊主になるなんて考えられない。
私ならきっと、それだけで生きる希望を失くしてしまいます。
だって、カツラは寝る時は取るんでしょう?
彼の前で丸坊主を曝すということでしょう?
私には、きっととても耐えられない…
抗がん剤治療は利かず、彼女はついに胸の切断を余儀なくされました。
「胸のない彼女なんかでいいの!?」
と彼に尋ねた彼女のこのセリフが痛々しいです。
美人さんだった彼女の左胸は無くなり、その場所には深い傷跡が残りました。
胸の開いた服が好きだったのに、タートルネックのニットばかりを着なくてはいけなくなりました。
それでも乳がんは無くなり、彼女は一気に元気を取り戻します。
そして、厳しい研修を乗り越えた者だけがシステムエンジニアとして入社できるという、
厳しい会社に応募し、脱落者が多々発生する中、
2か月間、土日も返上して勉強した結果、彼女は見事システムエンジニアとして入社します。
この頑張り様がすごいと思います。
例え左胸が無くなってしまっても、前向きに生きようとする彼女の強い意志が、
今までいい加減に生きてきた私にはとても痛い。
しかし、そんな頑張り屋の彼女に、またもや不幸が襲いかかります。
いつからか、彼女は慢性的に咳をするようになった。
最初は風邪かと思いきや、咳は段々ひどくなっていき、
ついには仕事が手に付かなくなるくらい咳き込み、
仕事中に時間をもらい、彼女は病院に行きました。
肺癌。
彼女に次に告げられた病名です。
しかも、これが原因で彼女の胸部には2ℓもの水が溜まっていたとか。
いよいよ絶望に打ちひしがれる彼女。
彼は必死に頑張れと支えます。
「今度は肺癌だって。ごめんね太郎。」
彼宛に送ったメールも載っていました。
今時の文面。
私に近い女の子だったんだと、実感させられます。
「今日は水を抜きます><怖いよ~!
たろうも仕事頑張ってね。」
「痛かったよ~!やっと終わった~!」
などなど。
日頃私が送るのと同じような文面で、自分の癌治療の様子を彼に送る彼女。
このコが本当に死ぬの?と思ってしまいます。
私の年齢で、死と向かい合うのは難しい。
ついに彼女は全身の激痛に苦しみ始め、
いよいよ医師から余命のカウントダウンが告げられます。
ショックを隠せない2人。
かねてから夢だった花嫁姿を、何とか生きているうちに実現したい!
彼女のそんな願いに周りが応え、急遽、結婚式の準備が始まります。
そして、2007年春。結婚式が実現します。
当日は、とても癌に蝕まれているとは思えないほど美しく輝く彼女の花嫁姿に、
彼は思わず目頭が熱くなったそうです。
お父さんと歩くバージンロード。
私は、大きな不安を抱えつつも、これから先の、絶対楽しいであろう幸せな生活に向かって歩きました。
でも、彼女は…?
その先に未来はないバージンロード。
旦那と二人きりの日々、やがて子供を産んで、みんなで山や海にでかけて…
そんな当たり前のような未来さえ期待できないバージンロード。
彼女は一体、何に向かって歩いていたの…?
幸せそうに笑う美しい彼女の花嫁姿の写真を見て、
この人がこの数週間後に死ぬなんていうことはとても信じられませんでした。
こんなに可哀想な花嫁がいていいのでしょうか?
彼女は彼に、「やだよぉ、私、まだ死にたくない!」と盛んに訴えていました。
メールでも、「まだ生きていたい」と…
彼女はそれから数日後、激痛に襲われてモルヒネを打たれ、言葉を失いました。
そして、数週間後の2007年4月、息を引き取ったそうです。
私の結婚の1年前の出来事です。
年齢も、結婚した時期も近い彼女に共感し、この本を本屋で読み終えてしまいました。
23歳という若さでも乳がんになってしまうショック。
幸せになれない花嫁がいたことへのショック。
私は幸せなんだと改めて実感します。
健康であること。これに勝る幸せは無いんです。
彼女が実現できなかった結婚後の幸せ。
健康であることがどんなに幸せか?
私は、彼女の存在を胸に秘め、いつでも自分にそう言い聞かせて、
これからの毎日を大切に過ごしていきたいと思います。
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