シリーズでアップしている奈良旅。
今回は藤原京跡へ。
藤原京の最寄り駅、畝傍御陵前駅。
畝傍御陵(うねびごりょう)…
この名前を聞いただけでも、やられてしまう。
関東にも、お江戸以降の面白い歴史はあるが、
それよりも千年以上も歴史のある関西は、
東京生まれの自分にとっては高値の花だ。
駅越しに見える畝傍山。
天香具山、耳成山とともに大和三山の1つで、
大和三山で唯一の男山。(一節には女山とも)
途中、旧薬師寺跡を見ながら藤原京へ。
ほぼ枯れ川状態の飛鳥川。
しかしその周辺の雰囲気は、
かつて奈良の写真家、入江泰吉が愛して止まなかった、
古の香りを漂わせるものだった。
飛鳥川を渡ってほどなくいくと、
藤原京から南に伸びるメインロード、
朱雀大路跡がある。
今ではその一部が残るばかりだが、
道を掘り割り状に造る当時の名残が見てとれる。
上画像の位置から藤原京の中心部を眺めると、
残念ながら朱雀大路は繋がっておらず、
一面田んぼがひろがっている。
それも悠久の時の流れか。
畦道伝いに大極殿跡の方角へ進む。
途中、趣のある苫屋がポツンと佇んでいた。
どうやら田んぼへ送り出す井戸のポンプ小屋らしい。
大極殿へ進む間中、前方(北)に見えている山は、
大和三山の1つである耳成山。
横から見てもきれいな三角形で、
地図で見ても円形をしている、
非の打ち所のない山は、なるほど神の山だ。
ちなみに画像に写る赤い列柱は、
南大門や大極殿の南門などの柱の位置に造られている。
また、赤い列柱の奥、耳成山より手前の、
小高く盛り上がり木々が茂る場所が、
かつ大極殿があった場所だ。
視線を右(東)に向けると、
耳成山よりだらだらとした傾斜の天香具山が見える。
これも大和三山の1つ。
耳成山よりもはっきりとした形はしていないものの、
百人一首にも収録されている持統天皇の歌で読まれるくらい、
その存在は大きい。
「天香具山(あまのかぐやま)」は、
「畝傍御陵」に負けず劣らず、
決して関東にはない単語だ。
大極殿の更に北には、
「持統天皇文武天皇藤原京址」と彫られた、
大正4年建立の石碑が建っていた。
しかし、石碑の前面には大きな木が茂り、
もはや石碑の役には立っていない。
平城京に移る直前の都、藤原京。
白鳳文化を花開かせた都の址だったが、
猛暑のため気もそぞろで、
しっかりと感じることが出来なかったのが残念だ。
今回は藤原京跡へ。
藤原京の最寄り駅、畝傍御陵前駅。
畝傍御陵(うねびごりょう)…
この名前を聞いただけでも、やられてしまう。
関東にも、お江戸以降の面白い歴史はあるが、
それよりも千年以上も歴史のある関西は、
東京生まれの自分にとっては高値の花だ。
駅越しに見える畝傍山。
天香具山、耳成山とともに大和三山の1つで、
大和三山で唯一の男山。(一節には女山とも)
途中、旧薬師寺跡を見ながら藤原京へ。
ほぼ枯れ川状態の飛鳥川。
しかしその周辺の雰囲気は、
かつて奈良の写真家、入江泰吉が愛して止まなかった、
古の香りを漂わせるものだった。
飛鳥川を渡ってほどなくいくと、
藤原京から南に伸びるメインロード、
朱雀大路跡がある。
今ではその一部が残るばかりだが、
道を掘り割り状に造る当時の名残が見てとれる。
上画像の位置から藤原京の中心部を眺めると、
残念ながら朱雀大路は繋がっておらず、
一面田んぼがひろがっている。
それも悠久の時の流れか。
畦道伝いに大極殿跡の方角へ進む。
途中、趣のある苫屋がポツンと佇んでいた。
どうやら田んぼへ送り出す井戸のポンプ小屋らしい。
大極殿へ進む間中、前方(北)に見えている山は、
大和三山の1つである耳成山。
横から見てもきれいな三角形で、
地図で見ても円形をしている、
非の打ち所のない山は、なるほど神の山だ。
ちなみに画像に写る赤い列柱は、
南大門や大極殿の南門などの柱の位置に造られている。
また、赤い列柱の奥、耳成山より手前の、
小高く盛り上がり木々が茂る場所が、
かつ大極殿があった場所だ。
視線を右(東)に向けると、
耳成山よりだらだらとした傾斜の天香具山が見える。
これも大和三山の1つ。
耳成山よりもはっきりとした形はしていないものの、
百人一首にも収録されている持統天皇の歌で読まれるくらい、
その存在は大きい。
「天香具山(あまのかぐやま)」は、
「畝傍御陵」に負けず劣らず、
決して関東にはない単語だ。
大極殿の更に北には、
「持統天皇文武天皇藤原京址」と彫られた、
大正4年建立の石碑が建っていた。
しかし、石碑の前面には大きな木が茂り、
もはや石碑の役には立っていない。
平城京に移る直前の都、藤原京。
白鳳文化を花開かせた都の址だったが、
猛暑のため気もそぞろで、
しっかりと感じることが出来なかったのが残念だ。
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