気の向くままに

KLOの風の吹くまま気の向くままの日常雑記 

奈良:燈花会

2013-11-18 02:19:52 | 
シリーズでアップしている奈良旅。
最後は燈花会(とうかえ)。



1999年から行なわれている、
夏の10日間だけ市内のいたるところに蝋燭がともされる祭り。
京都のそれがLED電球で行なわれているのに比べ、
ならのものは本当の蝋燭が使われていて、
古の都に相応しい雰囲気を盛り上げてくれる。







灯りは市内の街角の他、
有名な観光スポットにも並べられる。
宿泊した奈良ホテルの人に最も奇麗なスポットと聞いた、
浮見堂へ行ってみた。
おそらくお堂の近くへ行けばもっと奇麗だったのだろうが、
大仏殿の灯りを見てみたかったので、
遠巻きにみるに留めた。







大仏殿への道すがら通りかかった奈良公園の灯りも、
満天の星のようでまた素晴らしい。







大仏殿への参道は、昼にも増して、
多くの人出で賑わっていた。





  

初めて見る夜の運慶快慶。
効果的なライトアップとあいまって、
まさに東大寺の顔。







そして大仏殿の灯明。

この日は8月の14日だったのだが、
翌日の15日は万灯供養会の日でもあった。
万灯供養会とは境内の約2500基の灯籠に各4本づつ蝋燭をともし、
1万の灯りでお盆供養をする日。
この人正月だけ、大仏殿正面の観相窓が開き、
ちょうど大仏のお顔を外からも見ることができる。

来年は是非、万灯供養会にあわせて訪れてみたいものだ。



最後は興福寺境内の燈花会。



今回の旅は、
大阪で行なわれたイベントへの参加のついでに計画したものだった。
ほんの短いあいだではあったが、
修学旅行以来久しぶりに見た奈良は、
悠久の時を刻む都市だった。
灯りは人の気持ちを柔らかくもさせ、
また懐かしさを感じさせ、
そして素直にさせる効果がある。

旅の最後に灯りに包まれながら帰途につけたのは、
とても幸運なことだったと思う。

奈良:東大寺大仏殿

2013-11-17 04:30:29 | 
シリーズでアップしている奈良旅。
今回は東大寺の大仏殿へ。



大仏の境内の前には鹿公園が広がり、
境内の中にも沢山の鹿が居るのはあまりにも有名だ。
鹿せんべいをあげると、
そんなに腹が減っているのかと思うくらい、
勢い良くよって来てはあっというまに食べ尽くしてしまう。
普段、鹿等見る機会は殆どないが、
修学旅行いらい久しぶりに見る鹿は、
とっても可愛かった。







いざ、大仏殿へ!
でかい、あまりにもでかい!!







人の大きさと比べると、そのでかさがよくわかる。







上手いのか下手なのかわからない、
大仏殿の入口の看板。







そして入口を入ると、正面に大仏が!
でかい、やはりでかい!
そして、やわらかい表情で出迎えてくれている。
いまでこそでかい建造物は数多あるが、
当時、この大仏を見た人は、
その圧倒的なでかさに言葉を失い、
そしてひれふしたことだろう。
バチカンのサンピエトロ寺院に入った時と、
似た様な感覚を味わう。







台座の睡蓮に泊まる蝶ですらかなりでかい。







金堂の中には大仏以外に幾つかの像があるが、
中でも大迫力なのは多聞天と広目天。
画像の広目天は江戸時代の作というが、
なんの迷いもなく彫られたであろうと感じる彫り込みは、
尋常ではない。







金堂の入口には、
その赤ずきんが表情の怖さをいっそう引き立てる、
賓頭盧尊者像(びんずるそんじゃぞう)が。
神通力の達人だが、酒断ちができずに、
こうして金堂の内陣にはいれずにいるとか。



東大寺大仏殿に、
繊細な風情をもったものはひとつもない。
すべて豪快であり大きい。
これもまた衆生を救うひとつの形だと教えてくれる。

奈良:玄

2013-11-15 00:46:20 | 
シリーズでアップしている奈良旅。
今回は蕎麦屋さんの『玄』へ。



奈良一の蕎麦とうたわれる手打ち蕎麦の『玄』
食べログでも3.98という驚異的な評価を得ている蕎麦とはどんなものか、
一度食べてみようと思い、訪れた。







小民家の風情をそのまま生かした落ち着いた店内。
席から見えるつぼ庭もまたいい感じだ。
ちなみに昼はせいろ40枚の限定生産で、
要予約となっている。
サイト・クルージングでは量がかなり少なそうなので、
とりあえずせいろを2枚、注文しておくことにした。







せいろのバリエーションはいくつかあるが、
予約が必要なのはせいろの枚数で、
どのせいろにするかは、店で決める事ができる。
品書きに『梅たたきの水蕎麦』とあったので、
興味をひかれて注文した。

出て来た蕎麦猪口にはなんと水が!
しかも、まずは水だけ付けて食べて欲しいという。
言われて通り水に浸して食べてみると、
なんと、これまで一度も食べたことのない蕎麦の味。
水は喉越しを手助けする役割をにない、
蕎麦そのものの味わいが口に広がる。
水以外には岩塩と梅だれ。
塩は普段から蕎麦に付けてよく食べるが、
これもまた両者が引き立て合って美味。







次に、
店に入ってから追加で注文したそばがきが来た。
おうおうにしてずっしりとした食感のものが多いが、
この店のそばがきは軽やかでかつふわふわ。
これもまた山葵と岩塩がよく合う。







最後に出て来たのはいなか蕎麦。
つけだれと塩で食べる。
これはこれで美味しいが、
これまで食べたラインナップと比べると、
一番普通のそばだった。

なんといってもこの店を印象づけたのは、
梅たたきの水蕎麦だった。

また、そばの味はとてもいいが、
つるつると流し込む喉越しを蕎麦にお求めの方には、
お薦め出来ない。



奈良:今井町

2013-11-14 01:42:15 | 
シリーズでアップしている奈良旅。
今回は奈良に残る江戸の街、今井町へ。



古代の面影が色濃く残る奈良の街。
しかし前回アップした橿原神宮および神武天皇陵の近くには、
江戸の街並も残っていて、
関西の歴史的時間の奥深さを感じる。

関東には小江戸と呼ばれる川越等、
江戸情緒のある街があり、
それらを訪れると古の旅の感覚が味わえるが、
千何百年もの歴史を今に残す奈良で江戸の街を見ると、
全く古さを感じないのが不思議だ。







そんなに古い物ではないと思うが、
こういった道しるべもまた風情がある。













もともと、どこまで残っていたのかは知らないが、
近年、街ぐるみで大規模な開発が行なわれたのだろう。
江戸時代から残る街並に併せて、
歯科医の外観も、消化器の箱も、郵便ポストも、
すべて街並にあわせて造られている。

国内で、こういった街造りは、
観光地では良く見かけるが、
一般の住宅街ではなかなか見られない。
是非、一般の街もこういった精神を反映して欲しいものだ。







前情報無しで訪れた今井町は思いのほか規模が大きく、
ぎっしりと並んだ江戸の街並は圧巻。







この建物は造り酒屋だが、
全ての建物が商店というわけではなく、
どちらかというと、
一般の民家として使われているものの方が多い。







一通り一周ぐるっと見て回ったが、
画像の様に剝落した壁面や劣化した木部を持つ建物は、
ごく一部に過ぎず、
殆どの家屋は、壁が真っ白で、
木部にも殆ど痛みが見られなかった。

定期的にメンテナンスされているのか、
あるいは冒頭で書いた様に、
近年、大規模な修復が行なわれたのかはわからないが、
いずれにせよ、ちょっと造り込まれすぎた印象をうけた。

もうすこし時間の積み重ねを感じる街であって欲しくもあった。

奈良:神武天皇陵と橿原神社

2013-11-10 04:17:39 | 
シリーズでアップしている奈良旅。
今回は神武天皇陵へ。
神武天皇陵は、
言わずと知れた日本初代の天皇の陵。
初めて訪れる天皇陵に期待も膨らむ。



天皇陵は、御陵を守る橿原神宮の裏にあるので、
まずは橿原神宮のお参りを。
神宮へ行く道すがら趣のある建築に出会う。
元々「中和農業共済組合」用の建物だったのかは知らないが、
その作りからして昭和の初期から戦前にかけてのものだろう。
エントランス・ホールの造りが、特に気になる。







中和農共を過ぎると、埴輪の店が。
この一帯は、古墳時代の遺跡が多い土地であることも、
改めて認識する。







そして橿原神宮へ。
鳥居は木造なものの、その雰囲気は、
東京九段の靖国神社などに通ずる、
凛とした印象をうける。







橿原神宮は、神武天皇を祀るために、
明治時代に建立された神社なため、
それほど歴史はない。
門柱の横に掲げられた、
「皇紀二千六百七十三年」の板が、
天皇家所縁の神社であることを、
強烈に物語っている。







境内はひたすらなにもなく、
玉砂利が枯山水の模様に整備されているだけだ。
勿論社殿のそこかしこに垂れ下がる幕には、
全て菊の紋章が染め抜かれている。







拝殿や回廊の雰囲気は、
靖国神社というよりはどちらかというと明治神宮に近い。
ただし明治神宮は、拝殿に向かって右側に、
現在ではドコモタワーが聳えているが、
橿原神宮の本殿は、同じ位置に畝傍山が見える。
神宮越しにケータイ会社の巨大ビルが見えるのも、
それはそれでいいが、
大和三山を背にした神宮は、
やはり荘厳な印象をうける。







そして神武天皇陵へ。
森が深く濃い。







ほどなく玉砂利の道を進むと、
深い木々の裂け目の先に、
鳥居が見えてくる。







これが神武天皇陵だ。
素木の鳥居が三重に造られ、
その奥は見えそうで見えなず、
暗がりへ消えて行く印象に造られている。



もともとこの地はほんの小さな塚だったが、
幕末の頃に神武天皇陵と定めて整備し、
現在の形になったという。
そして戦後、
神武天皇は架空の天皇になってしまった。
そう考えると、神武天皇の果たした役割は、
幕末から昭和の戦争時代を牽引する象徴として、
祭り上げられた天皇だったのかもしれない。

気持ち的には、神武天皇には、
実在していて欲しいのではあるが。

奈良:藤原京址

2013-11-06 01:42:37 | 
シリーズでアップしている奈良旅。
今回は藤原京跡へ。



藤原京の最寄り駅、畝傍御陵前駅。
畝傍御陵(うねびごりょう)…
この名前を聞いただけでも、やられてしまう。
関東にも、お江戸以降の面白い歴史はあるが、
それよりも千年以上も歴史のある関西は、
東京生まれの自分にとっては高値の花だ。







駅越しに見える畝傍山。
天香具山、耳成山とともに大和三山の1つで、
大和三山で唯一の男山。(一節には女山とも)









途中、旧薬師寺跡を見ながら藤原京へ。







ほぼ枯れ川状態の飛鳥川。
しかしその周辺の雰囲気は、
かつて奈良の写真家、入江泰吉が愛して止まなかった、
古の香りを漂わせるものだった。







飛鳥川を渡ってほどなくいくと、
藤原京から南に伸びるメインロード、
朱雀大路跡がある。
今ではその一部が残るばかりだが、
道を掘り割り状に造る当時の名残が見てとれる。







上画像の位置から藤原京の中心部を眺めると、
残念ながら朱雀大路は繋がっておらず、
一面田んぼがひろがっている。
それも悠久の時の流れか。







畦道伝いに大極殿跡の方角へ進む。
途中、趣のある苫屋がポツンと佇んでいた。
どうやら田んぼへ送り出す井戸のポンプ小屋らしい。







大極殿へ進む間中、前方(北)に見えている山は、
大和三山の1つである耳成山。
横から見てもきれいな三角形で、
地図で見ても円形をしている、
非の打ち所のない山は、なるほど神の山だ。

ちなみに画像に写る赤い列柱は、
南大門や大極殿の南門などの柱の位置に造られている。
また、赤い列柱の奥、耳成山より手前の、
小高く盛り上がり木々が茂る場所が、
かつ大極殿があった場所だ。







視線を右(東)に向けると、
耳成山よりだらだらとした傾斜の天香具山が見える。
これも大和三山の1つ。
耳成山よりもはっきりとした形はしていないものの、
百人一首にも収録されている持統天皇の歌で読まれるくらい、
その存在は大きい。
「天香具山(あまのかぐやま)」は、
「畝傍御陵」に負けず劣らず、
決して関東にはない単語だ。







大極殿の更に北には、
「持統天皇文武天皇藤原京址」と彫られた、
大正4年建立の石碑が建っていた。
しかし、石碑の前面には大きな木が茂り、
もはや石碑の役には立っていない。

平城京に移る直前の都、藤原京。
白鳳文化を花開かせた都の址だったが、
猛暑のため気もそぞろで、
しっかりと感じることが出来なかったのが残念だ。