気の向くままに

KLOの風の吹くまま気の向くままの日常雑記 

宇宙からの落とし物

2014-01-04 02:03:36 | 


東京新宿、玉川上水の暗渠公園に設置された子供用遊戯具。
その形状から、それほど古い物とは想えないが、
素材はおそらくリサイクル不可能なFRPだろう。

夕闇迫る無人の敷地に佇む物体は、
まるで地球という惑星に落下した、
宇宙からの落とし物のようでもあった。

クリスト出現

2013-12-19 00:42:58 | 



クリストという芸術家がいる。
巨大なビルや構造物をなんでも布でくるんでしまうアート。
市ヶ谷を歩いていたら、
忽然とクリストを彷彿とさせる「包み」があった。
クリストのように流麗なドレープこそないものの、
平凡な街並にちょっとした驚きを与える効果は充分で、
ちょっとした無意識のアートかな。

それにしても東京って、
なんて無彩色なんだろう。。。

ブレードランナーの夜景

2013-12-14 16:45:27 | 



大都会東京には、
もちろん夜景スポットと呼ばれる場所が沢山ある。
勿論全部行ったわけではないが、どこもイマイチのところが多い。
例えば新宿西口の高層ビルの展望ビューは、
確かに昼は気持ちいいが、
夜景となると林立するビルが見えるだけで、
どのビルから見ても同じものに見える。
そんな中、
ビルの低さというマイナスをプラスに変えた場所、
それがワシントンホテル最上階の
バーレストラン『マンハッタン・テーブル』だと想う。
特に都庁通りを一望出来る窓際席からの夜景は絶品。
中空に巨大ビジョンを搭載した飛行船が飛んでいれば、
もうそこは『ブレード・ランナー』の世界。
西新宿へお出向きの際は是非行かれては。



中の島@隅田川

2012-12-16 19:14:32 | 
東京下町エリアの象徴の一つ、隅田川。
浅草流域の春の花見や夏の花火などで知られる川だが、
その河口付近に、河川唯一の水上公園である<中の島公園>がある。



中の島は、東京湾の中でも古来の埋立地である、
月島と越中島を結ぶ相生橋のたもとにある。
鉄骨トラスが美しいこの橋の歴史は、
明治36年(1903)、中の島を中継地点に、
佃島(月島の最北端)側に相生大橋、越中島側に相生小橋
という二つの木造の橋がかけられことに始まる。
両橋は関東大震災で焼失したが、
その後昭和2年(1927)に再建された時に、
中の島も水上公園として整備されたという。







島の中央を、相生橋を通る清澄通りが貫通し、
島はほぼ上下(南北)に分断されている。
まずは島の北側から。
月島方面から相生橋を渡りきると、
島へ降りる緩やかなスロープがあり、北部へと降り立てる。
島へおりるとまず目につくのは、様々な石造りの遺構。

テーブルと椅子の構造とも、砲弾の土台とも、
はたまた噴水跡とも、ストーンサークルとも、
様々な解釈ができそうな石の遺構だが、
周囲になんの説明板もないので、
果たしてこれがなんの目的で作られたかはわからない。







その他にも、古墳内部の石造りの遺構とも、
また単に、道路工事の際の古い石堤の残骸を並べただけとも見える、
やはり何の為に置かれているのか分からない石が沢山ある。







画像は島の北部から越中島方面を見た様子。
中の島は川の中央より東寄りに位置するため、
ご覧のように中の島と越中島の間はそれほど距離がなく、
かつて相生小橋が掛かっていた場所は、
現在は完全に塞き止められ、
その上は相生橋から続く清澄通りとなっている。







島の北部から月島方面を見ると、
相生橋の下を通って中の島の南側へ抜けられる道が作られている。
道といっても平坦なアスファルトではなく、
円柱状のコンクリートが飛び石の様に作られた道で、
奇妙な印象を受ける。







島の南側へ抜けると、
石で囲まれた池や、隅田川の航行の為の小さな燈台、
そして高台には展望台が設置される等、
こちらは公園らしく整備された雰囲気だ。
底に僅かに水が残る池は「感潮池」というもので、
潮の満ち引きにあわせて池にも潮が出入りする池だそうだ。
この付近は東京湾がすぐ近くなので、
川といえど、干満の影響を受けるのだろう。
先ほど通過して来た飛び石の通路も感潮池の一部らしく、
潮が満とると、飛び石の効果が発揮されるようだ。







再び相生橋へ戻り、橋のたもとから南部を見た光景。
昭和の初期に、水上公園として整備された時は、
その珍しさから大変な賑わいだったという。
当時は、月島と越中島が最も海に近い埋立地だったので、
中の島の南からは東京湾が一望できただろうが、
現在では晴海、豊洲、お台場と、
その先に幾つもの埋立地が並び、
とても当時の光景を追体験することは出来ない。







相生橋を再び月島方面へ向かって渡り、
橋のたもとからほどないところにある、
『ひさご屋阿部』に立ち寄って、
レバーフライを一枚頂く。
下町の子供たちのおやつとして、
メディアなどでもよく紹介される店。
ハムカツの中身がレバーになったようなものだが、
レバーの臭みがなく、ジューシーでとても美味。






寿人遊星

2012-12-13 02:21:01 | 
九段下を歩いていたら、何やら奇妙な彫刻を発見。



銘板には『寿人遊星』
説明によると、1986年のハレー彗星地球接近を記念して、
人々の清福を祈願して、星と縁の深い寿老人を模して制作されたそうだ。
寿老人は中国の道教に登場する、南極星の化身とも言われる架空の神。
本来の寿老人が連れている鹿はボディー背面に彫り込まれ、
長い頭のてっぺんには彗星の彫り込みもある。
この角度だとお顔が拝見出来ないので、
少し前へ回り込んで、







南極星はシリウスの次に明るい恒星。
確かに長寿の願いをかけるには適材な星かもしれないが、
ほぼ氷のような彗星に願う長寿は、いささか寒そうだ。
よく見るとヒゲも彫り込まれているが、あまり判別できず、
ぱっと見には老人というより赤子の表情にもみえる。

SF映画の名作『2001年宇宙の旅』の最後は、
宇宙旅行の果てに胎児に戻る話で終わるが、
この寿老人ももしかしたら、宇宙旅行の果てに辿り着く、
赤子を表してるのかもしれない。

ともあれ、ただの寿老人の像があるよりは、
こういった彫像の方が、いろいろ想像をかき立てられて、
楽しいことには違いない。

神田明神

2012-01-12 04:45:23 | 
昨年の暮、父親が東京医科歯科大学病院に入院し、
その流れでお茶の水へ足繁く通うこととなった。
面会時間はすぐ終わってしまうので、
せっかくだから、滅多に来ないお茶の水を散策。
既に父親は退院したが、アップしていなかったネタを、
昨年に引き続き少し。

御茶ノ水と言えばやはり神田明神。



ニコライ堂や湯島聖堂とともにその名前は知っていたものの、
訪れるのはやはり今回が初めて。
神田、日本橋、丸の内、築地魚市場などの108町会の総氏神であり、
創建も700年頃というから凄い。
東京にそんな歴史があったのかと驚く。







しかしひとたび境内に足を踏み入れると、
早速獅子舞のおみくじが出迎えてくれる等、
その雰囲気は極めて観光寄り。
そこがまた下町の親しみを感じさせてくれる。







拝殿横にある石獅子は、
千代田区内に残る数少ない江戸時代の石像物らしい。
千代田区でもそんなに江戸の石像物は残ってないのか、
とこれまた驚きを隠せない。
関東大震災で獅子山と子獅子は崩壊したものの、
この夫婦獅子はかろうじて助かったらしい。







江戸時代の狛犬などは、
都内各所の神社に残っているので、
それほど珍しくはないが、
この夫婦獅子は、周囲や獅子山の造りのせいか、
とても貴重なものの様に錯覚させられる。








屋根の裾には黄金の水鳥。
火事が多かった江戸の街を守るための屋根飾りは、
まるっこく、とても愛嬌がある。







大時化のような荒波の上で、
平然としたお顔でサーフィンをなさる恵比寿様。
亀や鯛など、みんなビックリ。







隣接地には昭和初期に内神田に建てられた、
遠藤家の旧店舗と住宅主屋が移築公開展示されている。
江戸時代の伝統的な建築を受け継いでいる点等から、
千代田区の指定有形文化財になっているそうだ。

夕暮れ時に訪れたため、
それほどゆっくり参拝出来なかったが、
奇麗に整備された境内は遊びに満ちあふれ、
面白いディテールを探すだけでも楽しめる。

B級スポットとの狭間を行ったり来たりする神田明神。
改めてゆっくり遊びに来たいものだ。

湯島聖堂

2011-12-18 03:45:17 | 
父親が東京医科歯科大学病院に入院し、
その流れでお茶の水へ足繁く通うこととなった。
面会時間はすぐ終わってしまうので、
せっかくだから、滅多に来ないお茶の水を散策。
既に父親は退院したが、アップしていなかったネタを少し。

お茶の水の駅前にある湯島聖堂。
駅の東側に掛かる「聖橋」の名の由来にもなっている有名な場所だが、
「聖堂」というからにはキリスト教関連の施設だろう、位に思って、
前回アップしたニコライ堂同様、
やはり一度も行った事がなかった。

元々は徳川綱吉が開設した儒学の学問所であり、
後に昌平坂学問所として栄え、
明治期には文部省ほか、
国立博物館や筑波大学の前身が置かれる等、
近代教育発祥の地として国の指定史跡となっている。
つまり、キリスト教とはなんら関係ない施設だった。



境内に入って最初に目につくのは、
大成殿とよばれる孔子廟。
江戸の大火で4度も焼失、
更に関東大震災でも壊滅した建物は、
昭和初期のものながら、
その重厚な荘厳さは一見の価値あり。







孔子廟を背にして階段の下にある入徳門が、
幾多の火災を逃れて唯一当時の姿を留める門だとか。
1704年(宝永元年)のものなので、約300年前。
次々と更新されて行く東京では、
極めて珍しい古い建造物のひとつだろう。







敷地の中央には高さ約5m、1.5tの、
世界最大の孔子様。







そんな異空間の中でも特に気になったのが、
聖堂内で一番気になったのが屋根の上に乗っている鯱のようなもの。
鬼頭 (きぎんとう) と呼ばれる、
竜頭魚尾、二脚双頭の想像上の神魚で、
高く上がっているのは頭から吹いた潮。
建物を火災から守るものだそうだ。
想像上の神だからしょうがないが、
何処から見ても形がよく分からない。







鬼頭 (きぎんとう) は棟の両端に付けられているが、
瓦屋根の四隅には鬼龍子 (きりゅうし) と呼ばれる、
有鱗蛇腹の猫のような顔をした、
これまた想像上の霊獣が設置されている。
鬼瓦は別として、
屋根瓦の上に立体の魔除けを乗せるのは、
沖縄のシーサーが有名だが、
関東地方では殆ど見る事がなく、とても珍し。







最期は聖堂内にあった講堂と呼ばれる建物の屋根の上。
このグリフィンにも似たものは、
やはり想像上の獣神だろうが、
なんら資料がないのでわからず。

この獣神を含めて鬼頭や鬼龍子はとても興味深い。

ニコライ堂 (東京復活大聖堂)

2011-11-12 13:30:10 | 
父親が東京医科歯科大学病院に入院し、
そのおかげでお茶の水へ足繁く通うこととなった。
面会時間はすぐ終わってしまうので、
せっかくだから、滅多に来ないお茶の水を散策。

子供の頃からその名前は知っていても、
一度も訪れる事のなかったニコライ堂。→official site
ニコライというのでロシア正教の関連教会堂と思っていたが、
実はロシアに限定したものではなく、
正式な名称は東京復活大聖堂。
東方教会と呼ばれる、最も正統的なキリスト正教会の、
日本の総本山だった。

正教会は、
カトリックのようなマリアの無原罪懐胎や、
プロテスタントの聖書のみに真実があるなどの、
後々付け加えられた教義を一切認めず、
可能な限り古代キリスト教を継承する教会。



入口アーチの上に掲げられた
正教会の八端十字。
一般的な十字架の上下に1本ずつ横棒があり、
下の棒が斜めになっている。

堂内は撮影禁止だが、
様々なイコンがかけられ厳かな空気に満たされた内部は、
なかなか東京の教会堂では味わえない雰囲気。
映画マトリックスのような法衣を来た敬虔な信者が、
何度もイコンに手を合わせ、
跪いて床に口づけをしていた。







正教の教会堂なのに何故ニコライかというと、
日本に正教会の教えを伝えた、
ロシア正教の大司教ニコライが創建したことに由来するらしい。







訪れた日はバザーをやっていたので、
ボルシチを頂いた。
あまり食べた事はないので、基準もあるわけではないが、
これまで食べたボルシチより、
かなりサラサラで酸っぱい味のものだった。







夜のニコライ堂。
おそらくかつてはライトアップしていたんではないだろうか。
入口のアーチにかかげられたロシア語は、
「最高の神に栄光あれ」という意味だそうだ。
ニコライ堂という俗称や入口のロシア語を見れば、
ロシアの教会堂だと思うのも無理はない。

お茶の水のお茶の水

2011-11-09 06:58:09 | 
父親が東京医科歯科大学病院に入院し、
そのおかげでお茶の水へ足繁く通うこととなった。
面会時間はすぐ終わってしまうので、
せっかくだから、滅多に来ないお茶の水を散策。



思えば子供の頃から慣れ親しんで来たお茶の水。
しかしよくよく考えると「お茶」の「水」とは、
変な地名とも思える。

お茶の水の由来は、
駅西口をでて横断歩道を渡った交番の横に、
石碑として伝えられている。

現在の順天堂病院のあるあたりにあった、
高林寺という大きな寺に徳川二代将軍秀忠が立寄り、
出されたお茶がとても美味しかったことから、
お茶の水高林寺呼ばれる様になり、
その「お茶の水」が付近の地名になったとか。

現在、寺は文京区の向山に移転し、
今は駅横の小さなスペースに箱庭が造られ、
水道水が流れるばかり。