気の向くままに

KLOの風の吹くまま気の向くままの日常雑記 

中の島@隅田川

2012-12-16 19:14:32 | 
東京下町エリアの象徴の一つ、隅田川。
浅草流域の春の花見や夏の花火などで知られる川だが、
その河口付近に、河川唯一の水上公園である<中の島公園>がある。



中の島は、東京湾の中でも古来の埋立地である、
月島と越中島を結ぶ相生橋のたもとにある。
鉄骨トラスが美しいこの橋の歴史は、
明治36年(1903)、中の島を中継地点に、
佃島(月島の最北端)側に相生大橋、越中島側に相生小橋
という二つの木造の橋がかけられことに始まる。
両橋は関東大震災で焼失したが、
その後昭和2年(1927)に再建された時に、
中の島も水上公園として整備されたという。







島の中央を、相生橋を通る清澄通りが貫通し、
島はほぼ上下(南北)に分断されている。
まずは島の北側から。
月島方面から相生橋を渡りきると、
島へ降りる緩やかなスロープがあり、北部へと降り立てる。
島へおりるとまず目につくのは、様々な石造りの遺構。

テーブルと椅子の構造とも、砲弾の土台とも、
はたまた噴水跡とも、ストーンサークルとも、
様々な解釈ができそうな石の遺構だが、
周囲になんの説明板もないので、
果たしてこれがなんの目的で作られたかはわからない。







その他にも、古墳内部の石造りの遺構とも、
また単に、道路工事の際の古い石堤の残骸を並べただけとも見える、
やはり何の為に置かれているのか分からない石が沢山ある。







画像は島の北部から越中島方面を見た様子。
中の島は川の中央より東寄りに位置するため、
ご覧のように中の島と越中島の間はそれほど距離がなく、
かつて相生小橋が掛かっていた場所は、
現在は完全に塞き止められ、
その上は相生橋から続く清澄通りとなっている。







島の北部から月島方面を見ると、
相生橋の下を通って中の島の南側へ抜けられる道が作られている。
道といっても平坦なアスファルトではなく、
円柱状のコンクリートが飛び石の様に作られた道で、
奇妙な印象を受ける。







島の南側へ抜けると、
石で囲まれた池や、隅田川の航行の為の小さな燈台、
そして高台には展望台が設置される等、
こちらは公園らしく整備された雰囲気だ。
底に僅かに水が残る池は「感潮池」というもので、
潮の満ち引きにあわせて池にも潮が出入りする池だそうだ。
この付近は東京湾がすぐ近くなので、
川といえど、干満の影響を受けるのだろう。
先ほど通過して来た飛び石の通路も感潮池の一部らしく、
潮が満とると、飛び石の効果が発揮されるようだ。







再び相生橋へ戻り、橋のたもとから南部を見た光景。
昭和の初期に、水上公園として整備された時は、
その珍しさから大変な賑わいだったという。
当時は、月島と越中島が最も海に近い埋立地だったので、
中の島の南からは東京湾が一望できただろうが、
現在では晴海、豊洲、お台場と、
その先に幾つもの埋立地が並び、
とても当時の光景を追体験することは出来ない。







相生橋を再び月島方面へ向かって渡り、
橋のたもとからほどないところにある、
『ひさご屋阿部』に立ち寄って、
レバーフライを一枚頂く。
下町の子供たちのおやつとして、
メディアなどでもよく紹介される店。
ハムカツの中身がレバーになったようなものだが、
レバーの臭みがなく、ジューシーでとても美味。







最新の画像もっと見る

post a comment