2014年12月4日、ミホシンザンが世を去りました。
引退名馬 より
https://meiba.jp/news/view/1787
「父のシンザンが種牡馬を引退した翌年から谷川牧場で種牡馬生活をスタートさせた馬で、思い出に残る一頭です。
最近足腰が弱ってきており、広い放牧地から厩舎そばの放牧地に移動しておりましたが、今朝眠るように息を引き取りました。
父シンザンに肩を並べるくらいまで長生きして欲しかったのですが、残念でなりません。
応援してくださった方々に、この場を借りてお礼申し上げます。」
私はオグリ世代から競馬を意識して見るようになった人間ですので、彼の現役生活を見ていませんでした。
高校生の時、競馬をこの先も好きでいられるのに足る存在なのかを確かめたいと、始めて生で馬を見るために日高を訪ねて出会ったのが彼の父であるシンザンでした。
その初対面は私的には運命的と表現するに相応しい出会いであり、以後の人生を大きく変えた出会いでありました。
今の私を築く大きな意味を持つ記憶が生まれたのが、谷川牧場さんという場所であり、そこにいた人と馬なんです。
当時シンザンはすでに30歳を超える年齢であり、まだ馬に詳しくなかった私ですら、もう次は会えないかもしれない。
そんな覚悟をして見学に通ったものです。
しかしシンザンは私のそんな不安を吹き飛ばすように、サラブレッドの国内最長寿記録を打ち立てるほどの長生きをしてくれました。
担当者であった斎藤さんに『シンザンが亡くなったら必ず駆けつける』と言った私。
本当に亡くなった当日に北斗星に飛び乗り、翌日には谷川牧場さんに飛んでいった当時の自分を今でも褒めたい。
本当に…本当に…多くのものを私に遺してくれました。
そんな大切な思い出が今日まで薄れることなく今も胸にあるのは、ミホシンザンと先に父の元に逝ったミナガワマンナ。
シンザンが残した二人の息子たちのおかげしょう。
シンザンを見学していた頃から変わらずに谷川牧場さんへ見学にお邪魔し、シンザン像、タケホホープの墓に手を合わせ、二人の元気な顔を見る。
20年近く変わることなく繰り返してきた事です。
とはいえ今年の旅行記では敢えて詳しく書きませんでしたが、馬体を見た瞬間、今年はこうした事態を覚悟せざるをえないと思ったのも事実でした。
長生きして欲しい
それはもう願いではなく、祈りと表現するしかないほど年を重ねた馬体。
そう危惧させられたのは、腰からお尻にかけての筋肉の落ち具合。
特に左の後ろ脚の上部の落ち方には、一緒に見学した人に今年は覚悟するしかないかもと口に出してしまったほどでした。
しかし現実にその時が訪れてしまえば、私がしたつもりになっていた覚悟なんてものが役に立つはずもなく、ただただシンザンから始まってこれまで繋がり続けてきた大事な記憶の最後の拠り所であり、そんな事情が全部なくても、その穏やかな性格に惹かれて今と同じくらい好きになっていたであろうミホシンザンの死が辛かった。
目を閉じると浮かんでくる彼の顔はいつもこうした表情

人に噛みつく姿なんて思い付けもしない。
重賞馬が出るくらいの種馬は凶暴なくらい負けん気が強い方がいいというし、自分もそういうものだと思ってる。
きっとシンザンの血脈は優しすぎたのだ。
頭が良いからレースの意味を理解して勝つ者が出る時もあるが、自分が見てきたシンザンの子や孫はみな性格が穏やかだった。
だから四世代目の後継馬を残せなかった。
シンザンの血が途絶えた時、そんなことを考えた。
ただ…種馬として直系の血はなくなっても、シンザンやミホシンザンの血が血統表から姿を消したわけでない。
そしてなにより偉大な存在は、語るものがいなくなった時に初めてその存在が死に至るものだと思う自分にとって、彼らは今もこの胸に生き続けている。
来年の夏も谷川さんにお邪魔して、皆に手を合わせ、そして始めて会った頃の自分と向き合う。
そうして初心を取り戻す限り、彼らも本当にいなくなる日は来ない。
この2日間悲しむだけ悲しんだので、この別れにも自分はお疲れ様とありがとうの感謝を込めて送り出す。
今までほんとうにありがとう。
ミホシンザン
引退名馬 より
https://meiba.jp/news/view/1787
「父のシンザンが種牡馬を引退した翌年から谷川牧場で種牡馬生活をスタートさせた馬で、思い出に残る一頭です。
最近足腰が弱ってきており、広い放牧地から厩舎そばの放牧地に移動しておりましたが、今朝眠るように息を引き取りました。
父シンザンに肩を並べるくらいまで長生きして欲しかったのですが、残念でなりません。
応援してくださった方々に、この場を借りてお礼申し上げます。」
私はオグリ世代から競馬を意識して見るようになった人間ですので、彼の現役生活を見ていませんでした。
高校生の時、競馬をこの先も好きでいられるのに足る存在なのかを確かめたいと、始めて生で馬を見るために日高を訪ねて出会ったのが彼の父であるシンザンでした。
その初対面は私的には運命的と表現するに相応しい出会いであり、以後の人生を大きく変えた出会いでありました。
今の私を築く大きな意味を持つ記憶が生まれたのが、谷川牧場さんという場所であり、そこにいた人と馬なんです。
当時シンザンはすでに30歳を超える年齢であり、まだ馬に詳しくなかった私ですら、もう次は会えないかもしれない。
そんな覚悟をして見学に通ったものです。
しかしシンザンは私のそんな不安を吹き飛ばすように、サラブレッドの国内最長寿記録を打ち立てるほどの長生きをしてくれました。
担当者であった斎藤さんに『シンザンが亡くなったら必ず駆けつける』と言った私。
本当に亡くなった当日に北斗星に飛び乗り、翌日には谷川牧場さんに飛んでいった当時の自分を今でも褒めたい。
本当に…本当に…多くのものを私に遺してくれました。
そんな大切な思い出が今日まで薄れることなく今も胸にあるのは、ミホシンザンと先に父の元に逝ったミナガワマンナ。
シンザンが残した二人の息子たちのおかげしょう。
シンザンを見学していた頃から変わらずに谷川牧場さんへ見学にお邪魔し、シンザン像、タケホホープの墓に手を合わせ、二人の元気な顔を見る。
20年近く変わることなく繰り返してきた事です。
とはいえ今年の旅行記では敢えて詳しく書きませんでしたが、馬体を見た瞬間、今年はこうした事態を覚悟せざるをえないと思ったのも事実でした。
長生きして欲しい
それはもう願いではなく、祈りと表現するしかないほど年を重ねた馬体。
そう危惧させられたのは、腰からお尻にかけての筋肉の落ち具合。
特に左の後ろ脚の上部の落ち方には、一緒に見学した人に今年は覚悟するしかないかもと口に出してしまったほどでした。
しかし現実にその時が訪れてしまえば、私がしたつもりになっていた覚悟なんてものが役に立つはずもなく、ただただシンザンから始まってこれまで繋がり続けてきた大事な記憶の最後の拠り所であり、そんな事情が全部なくても、その穏やかな性格に惹かれて今と同じくらい好きになっていたであろうミホシンザンの死が辛かった。
目を閉じると浮かんでくる彼の顔はいつもこうした表情

人に噛みつく姿なんて思い付けもしない。
重賞馬が出るくらいの種馬は凶暴なくらい負けん気が強い方がいいというし、自分もそういうものだと思ってる。
きっとシンザンの血脈は優しすぎたのだ。
頭が良いからレースの意味を理解して勝つ者が出る時もあるが、自分が見てきたシンザンの子や孫はみな性格が穏やかだった。
だから四世代目の後継馬を残せなかった。
シンザンの血が途絶えた時、そんなことを考えた。
ただ…種馬として直系の血はなくなっても、シンザンやミホシンザンの血が血統表から姿を消したわけでない。
そしてなにより偉大な存在は、語るものがいなくなった時に初めてその存在が死に至るものだと思う自分にとって、彼らは今もこの胸に生き続けている。
来年の夏も谷川さんにお邪魔して、皆に手を合わせ、そして始めて会った頃の自分と向き合う。
そうして初心を取り戻す限り、彼らも本当にいなくなる日は来ない。
この2日間悲しむだけ悲しんだので、この別れにも自分はお疲れ様とありがとうの感謝を込めて送り出す。
今までほんとうにありがとう。
ミホシンザン