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日記的雑記

馬バカな日々

2013年を振り返って

2013年12月28日 17時36分21秒 | 競馬

 今年もステイゴールド産駒が活躍してくれ、ここ数年間その輝きに陰りを見せていた豊さんがダービーを制して再び輝きを取り戻したり、ややフライングな発言ですがロードカナロアが久しぶりに短距離馬の年度代表馬誕生にふさわしい記録と記憶を残したりと、競馬場を舞台とした記憶では喜ばしいことがとにかく多かった年に思えます。

 その反面、馬産地から届く訃報には耳を覆い、眼を瞑りたくなるようななじみ深い面々がこぞって旅立ってしまった辛い年になりました。

トウカイテイオーを筆頭に、やっと今年再会を果たしたタンホイザ、今夏は諸事情から会えなかったイソノルーブル、ミスタートウジン、わずかな時間ながら最後にその顔を見れたのが救いとなったダイユウサク、ここでも取り上げたオレハマッテルゼ、イーベルツェーン。

4月にも大勢名馬が旅立ちました。

最後の先生とも言えたブライアンズタイムとの突然の別れに始まり、私の中で歴代好きな牝馬ランキングで殿堂入りしているエアグルーヴ、シンザンの記録を視野に入れていたハギノカムイオー、ドバイWCを勝った馬とは思えないほど愛らしい性格だったキャプテンスティーヴも世を去りました。

3月にはシンザン系の忘れ形見マイシンザン、アフリート初期の傑出馬ゴールデンジャック、そして七夕にはデュランダルが逝ってしまいました。

現役馬でもその復活を願ってやまなかったジョワドヴィーヴル、今年の活躍を期待されていたフィフスペトルと才能豊かな2頭をはじめ、やはりつらい別れを経験した年ではありましたが、とにかく引退馬の訃報が多かった気がします。

 そして来年もきっと多くの出会いと別れを経験することになるでしょう。

だからこそ『一期一会』という言葉に表されているような気持ちをもって、今を共に生きている存在との出会いをこれまで以上に大切にし、去って行った大事な存在との記憶を守っていきたいと思います。

この記事を読んでくれた貴方にとって、来年も良いお年であるようにお祈りして、本年最後の記事を書き終えようと思います。

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忘れてはいけない覚え書き

2013年11月11日 17時17分38秒 | 競馬

 オレハマッテルゼの死の原因となった腰萎症(よういしょう)またはセタリア症が、なかなかない死因だったので調べてみたことを書き残しておこうと思います。

 腰萎症は通称では腰フラと呼ばれ、脊柱管の狭窄、腰部の打撲、ウイルスなどの微生物や原虫、線虫の迷入などによる、頚、腰部の異常状態を総称したものです。

だから厳密に言えば死因として扱う場合、腰萎症という単語は病名ではないので適切な使い方ではないようですね。

ちなみにwikiではページ自体がなかったので、さらに探した結果、こちらのサイトを参考にしましたので、興味をお持ちの方はご覧になってみて下さい。

http://column.keibalab.jp/kaitai/422.html (びっくり競馬研究ラボ)

確定診断法はなく、解剖してみないと本当に原因は分からないそうで、おそらく発症した症状から腰萎症と判断されたのでしょうが、重度の腰痿症状の場合、犬座姿勢や起立不能となり、強迫運動、間代性痙攣、眼球振盪などの脳症状を示し斃死することもあるそうです。

痛みに関しては記述が見つからなかったので私にはわかりませんが、上記の症状を見る限りかなりの難病ですね。

時期は分かりませんが重度の症状に移行してからは、かなり負担が大きな生活を送っていたのではないかと思います。

その様子を想像するだけでも気持ちが沈みますが、繋養先のイーストスタッドの方々の人柄から精いっぱいの看病をしてくれたことは間違いないかと。

『お疲れ様でした』としか、馬にも人にもかける言葉が見つかりません。

悔しいです。


陽だまりの馬

2013年11月11日 17時06分38秒 | 競馬

 仕事の都合などで出遅れてしまいましたが、今日はオレハマッテルゼのお話をしようと思います。

netkeibaより

オレハマッテルゼが死亡

オレハマッテルゼ急死に音無師は「まだ若いし、走る馬も出てきていたので…」

 放牧地での彼はカメラマンの私にとっては本当に相性の良い被写体でもありました。

愛らしい顔つきと性格に加えて、あのルックス。

とにかく画になる良い男。

タイキシャトルは真夏の太陽を連想させますが、彼のまわりがほわっとつつまれるように輝くような毛艶は、その性格と相まってまさに陽だまりの様な名馬でした。

 しかし今年はとある事情から会いに行けず、今夏の見学が出来なかった事も彼の死後に知る有様。

しかも2011年、2012年と曇天の中での撮影であったことから、出来ることなら来年…4年越しとなる晴天の下での彼の写真が撮りたかった。

曇り空の下でも損なわれない彼の綺麗な馬体がより栄える写真を残したかった。

ハナズゴール達と後に続く産駒の活躍を見届けて欲しかった。
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やはり若くして亡くなった時は悔いが残りますね。


私なりの名馬の墓碑に対する考え方

2013年10月25日 17時23分11秒 | 競馬

 トウカイテイオーのお墓が一般見学可能な場所に建てられたことに対して、「これではテイオーが静かに眠れない」という意見を見かけましたが、それ以降、ちょっと私の中でその意見が引っかかっていたので記事にしてみました。

私はテイオーの様な名馬のお墓はなるべく多くの人が接することのできる場所に建てられた方が良いと思う人間なので、今回の記事がそういう人たちにとってこんな考え方もあると思ってくれればいいくらいの気持ちで書くので、テーマがテーマですがあまり重く受けとめずに気楽に読んでください。

 では始めますが、理由は至ってシンプルで、名馬の墓碑が一部の限られた人たちにしか触れない存在になってしまったら、その名馬が忘れられてしまうのが早まるからです。

自分が競馬を始めたころの馬たちがもう何頭もこの世を去っています。

始めのころは事故や病気という突然の別れが多く、なにもなければ続いていくはずだった名馬との時間が奪われたことを嘆き悲しむしかありませんでした。

 しかしとうとう死因に老衰という必然の別れが避けられなくなった今、去って行った名馬たちへ向き合う私の姿勢が自然と一つの考えにまとまっていました。

死別した馬たちに私が出来ることはただ一つ、『忘れず語り継ぐこと』

特に直に対面してきた私は、私なりの解釈を通してではありますが、皆がどういう性格だったか、どれほど偉大だったか、どれほど愛らしかったか、どれほど生意気だったか、生きた情報として話すことが出来ます。

例え肉体が滅びても、そうして語る人がいる限り、その存在は生き続けるのではないか。

大人になるとそうした考え方もあると自然に受け入れられるようになりました。

 だから私はお墓参りは出来る限りしています。

そうして年に一度でも亡くなった名馬との対面をしていると、その名馬たちとの思い出が鮮やかに蘇り、私の中でまだしっかりと息づいているのを実感します。

本当の死とは、生きている誰からも忘れられてしまうことではないのでしょうか?

そうした考え方から私はテイオーの墓がこの先もずっとそこを訪れる人たちと会える場所に出来たことを非常に喜ばしく思いました。

競馬をある程度の期間愛した人たちには、誰しも忘れがたい存在になった名馬がいるでしょう。

そんな人たちにとって手を合わせ、心で話しかけられる場所があるというのは、とても大事なことではないでしょうか。

特にテイオーはそうした存在である人の多い名馬でしょうしね。

あれほど多くの人たちに愛された名馬が、一人ひっそりとした場所に眠っているなんて寂しくありませんか?

あと生前のテイオーから考えると、私はうるさいと思うどころか、人なんて気にせずお気に入りの場所でお昼寝してそうに思えます(笑)

だって私、生涯ただの一度も慌てたり、イライラしてるテイオーを見たことがなかったのですから。

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