
阿修羅の仲間の八部衆の中で、一番の童顔をした沙羯羅(サカラ)の頭上には、首をもたげた蛇が頭を1周して左肩から胸を伝って腰まで下りています。後ろから見るとより写実的で立体感があり禍々しいはずですが、甲冑に残る金色のかがやき、あどけない姿態に乗せられたふっくらした頬で愛らしくさえあります。
私のお気に入りの迦楼羅(カルラ)にもまた会うことができました。インド神話では龍を常食する巨鳥ですが、興福寺の一体は横を向いています。
、同じ迦楼羅でも、東大寺の伎楽面のような険しさはなく、この異形の像ですら体つきから、どこか優しげで、嘴の横に垂れた肉垂もユーモラスなものさえ感じます。彼の履くブーツの菱形に切った中の文様もモダンで、甲冑全体にも華やかに細かく模様が入っています。
緊那羅の額際にちょこんと生えた小さな1本の角。額の、縦に刻まれた第三の目、彼の右腕は失われていて、心木が痛ましく覗き、乾漆の技法を教えています。一番険しい顔つきでした。
興福寺の乾闥婆は目をつぶって頭の獅子のフードとは不似合いの悲しげな顔つきです。
十大弟子像は須菩提、舎利弗、目犍連、富楼那の4体が展示されていました。
舎利弗は般若心経に登場するので広く知られています。心経では釈迦の説法の相手をしていて、経の中に繰り返し「舎利弗」と呼びかけられています。「智慧第一」といわれた人です。いかにも聡明そうな気迫のこもったまなざしです。衣の襞も柔らかく表現されていました。
目連は地獄で苦しむ母親を救ったとされる人で、盂蘭盆会の元となった方です。
高弟の十大弟子はかなりな年配者と思われるのですが、事実、富楼那の肌の露出部は肋骨が浮き出た老相ですが、顔はふっくらとしています。後ろから見ると衣の朱の文様が1300年の時を超えて鮮やかです。
これらの像を作製した将軍万福を中心とする工人達が、丈六の本尊を取り巻く八部衆や十大弟子にさえ、こうした成人ではない顔を与えたのは何故なのかと考えてしまいます。願主である光明皇后の好みが反映されているのか、そういえば橘夫人の念持仏のお顔も童顔だったなどと、拝観の主題から外れたことへ想像がゆくのも会場が空いていたからでしょう。
九国博の特色といえる漫画による脱活乾漆の技法の解説は、製作過程が分かりやすく簡明に描かれていて、見学者をひきつけていました。
そのほか、中金堂基壇から出土した多数の鎮壇具に見られる精巧な装飾に、遠い天平の工人たちのすぐれた技術は驚きでした。鎌倉期の四天王像や、釈迦如来頭部、光背の飛天なども展示されていましたが、飛天は時代が下った平等院のものに一歩譲るようでした。
心満たされて、豊かな気分で会場を後にしました。九国博の粋な計らいの余慶を頂きただただ感謝です。

