雀の手箱

折々の記録と墨彩画

雨の日の愉しみ

2015年02月21日 | すずめの百踊り

 今日もまた朝から雨です。暦の二十四節気の「雨水」は、今年は19日でしたが、氷が溶けて水となる季節を意味し、空から降ってくるものが、雪から雨に変わるころと聞いています。
 でも、まだ春を実感できるには程遠く、寒さに首を竦めたり、雪に見舞われたりもします。暦に忠実に、このところ雨の日が続いています。
 雨の日は、道具を広げて好きな墨彩画を愉しむことにしています。
 今日は収穫した蕗の薹と白菜が画題になりました。
 蕗の薹は、なまじ身近な存在だけに、忠実すぎて面白みに欠けているようです。すべて同じ形がなく、ふっくらと丸い蕾は、夢を包んで伸びようとする姿を思わせます。
 線の整理が足りないので、もう少し簡略化して描き直さねばと思っています。

 白菜は、最近は精々半分か四つ割りにしたものしか買い求めませんので、目の前にないだけに思い切って描けます。誰も描かない白菜が誕生しました。 今は、自分で削った竹ペンをさまざまな握り方で線を引く実験中で、白菜はいい勉強になりました。



















リオのカーニバル

2015年02月15日 | できごと
 今年はサンパウロのカーニバルに、日本から参加したねぶたの山車が話題になっていますが、、こちらは、毎年送られてくるリオのカーニバルの写真です。祭り好きの私のために送ってくれますが、体力の衰えで、膨大な数の写真を整理できずにいます。

 今はまだカーニバル最中です。3枚だけUPしますのでリアルタイムの画像をお楽しみください。













2013年のリオ・カーニバル


2012年のカーニバル


 この時期には次々に友人たちからカーニバルを愉しむ写真が送られてきます。パレード会場とは別に、人々は各自のクラブで仮装して愉しみます。今日はその中から3枚をUPしました。(19日)












春の気配

2015年02月13日 | 日々好日

 久しぶりの好天に、庭に出てみました。
 そこここから梅の便りが届くこの頃、家の3本の老木はまだ蕾ですが、数年前に、杖立温泉の帰途立ち寄った大山梅林で買い求めた苗木の南高梅が大きくなり、さすが若木、もう花を開いていました。
 昨年初めて収穫した実を梅干しに漬けてみたのですが、甕から取り出してみると、美しく、具合よく漬かっていて、腹具合の芳しくないあるじもおいしいと食が進みました。実離れも上々で、ふんわりとさすが南高梅と納得できる味でした。
 今年もきっと沢山の実をつけることでしょう。

 蕗の薹はなんだか質、量ともに今一つといったところです。画題にして、スケッチするとします。今は天ぷらでは食べられない連れ合いには吸い物に少しだけ浮かすことにします。

 椿谷は、賑やかに小鳥たちが藪椿で戯れています。

 遠くには出かけられないので、家の周囲で見つけた春の気配です。










寒い一日

2015年02月09日 | すずめの百踊り
 朝、新聞を取りに出てみると、蹲に氷が張り、竹からの細い水が小指ほどの氷柱になっていて、そこだけ水が揺れていました。
 水をためている所には、すべて5ミリほどの氷が張っていて、柄杓も閉じ込められていました。雪にならずに、氷が張ることは滅多にないので、家の周りを回ってみました。谷の椿も寒そうでしたが、馬酔木も慌てて咲くのを延期したようです。
 暖房を入れてない部屋は気温も6度しかありません。

 こんな日は、老人は家から出ないのが一番とばかり、テレビや読書で、飽きると気晴らしに先日の椿を書き直したり、侘助をスケッチしたりで日を過ごしました。












鬼とお化け

2015年02月03日 | 日々好日
 今日は節分、ほうぼうの家で打ち豆に追われた逃げ惑う鬼と、お化けとどちらが怖いかと思案しました。
 説話に登場する鬼はどこかユーモラスで間が抜けたところがあり、むしろ愛すべき存在です。
 狂言の「節分」の鬼も、恋心を抱いた蓬莱島の鬼が、節分の夜に留守居をする人の女房にまんまとたぶらかされて、隠れ蓑から打ち出の小槌まで取り上げられて、揚句は鬼うち豆で追い払われてしまいます。あの筋立てはその後がどうなったのかと気がかりでした。

 江戸のころから、花街でこの日人間の「節分お化け」が登場して以来の「お化け」の方が薄気味悪い存在です。節分お化けは、そうでなくとも怖い存在をますます怖いものにするようで、昔も今もこちらの方が数等恐ろしいもののようです。私も豆に追われないよう気をつけます。

 画像は昨年奈良の妹が、眼の手術後を心配して東大寺は二月堂の節分会にお詣りして、厄除け招福の豆を拾って送ってくれたものです。一年大事に神棚に上げていました。お陰様で眼の方は何とか回復したようで、日常生活にほぼ不自由はありません。
 イワシの頭を挿したヒイラギの小枝が、般若寺から奈良坂を登る道沿いの家々の戸口にさしてあるのを見て、奈良という町の歴史の奥深さをしみじみ実感したことを思い出します。





明日は節分

2015年02月02日 | 塵界茫々
 早いもので、もう二月と月も改まってしまいました。風邪のような、疲労のようなけだるい状態で、パソコンも開かない日が続いていました。
 明日、3日は節分です。
 節分は、季節の分かれ目を意味するからには、春夏秋冬の節分があるはずで、平安時代の文学作品にも秋の節分の日の方違えの事が出ていた記憶があります。
 昔、興味を持って節分の行事を調べたことがありますが、宮中行事の追儺(追儺・鬼やらいの行事で、大晦日の夜)まで入れると、かなり遡りますが、節分に豆撒きをして、「福は内、鬼は外」とはやし立てるのは南北朝のころから行われたようです。ただ民衆に、今のように、いり豆をまいて厄払いをし、福を呼ぶ節分行事が定着したのはどうやら、江戸時代に入ってのようです。
 ある時期、春の節分を以て1年の境としたこともあり、春の節分が盛んになっていったと思われます。旧暦を用いる易断では、今でもこの日を以て年齢を区切っています。
 旧暦といえば、今年の立春の3日はまだ12月16日で19日が元日です。ですから、古今和歌集冒頭に置かれた在原元方の歌のように、「年の内に春は来にけりひととせを去年とやいはん今年とや言はん」となるわけです。

 幼い日から親しんだ豆撒き行事ですが、最近では、「恵方巻き」なるものが流行り、奇異な感を抱いています。関西発信とされるこの行事は、海苔組合と寿司業者の陰謀で、今や全国版へと拡大し定着したようです。同じ商業ベースの仕掛けでも、バレンタインデーのチョコレートはまだしも愛らしさがありますが、丸かじりという行儀の悪さにはどうも馴染めないでいます。
 明日は盛大に厄払いの打ち豆をして、心と体にどっしりと腰を下ろし巣食っている鬼を追い出したいものです。




1月7日に太宰府天満宮で行われる鷽替え神事の木ウソ。鷽替え神事の後,鬼ふすべとなります。