雀の手箱

折々の記録と墨彩画

平戸への旅 

2010年02月28日 | 雀の足跡
 昔の仕事仲間の企画した平戸への1泊2日の旅に参加しました。
 旅行社のツアーとは一味違った、大げさに言えば、「歴史とロマンを求めて」の、誘い文句の、テーマに基づいた散策です。



 中心に据えられていたのは1日目が、天下人秀吉の、朝鮮出兵のための基地となった佐賀県呼子の“名護屋城博物館”2日目が長崎県平戸の“松浦史料博物館“の見学です。松浦史料館は長い石段を登ることができるか少し心配でしたが、何とかたどり着けました。四十数年前と殆ど変わっていませんでした。










 この二つの見学に、1日目はおまけで、平戸への道筋にあたる、元寇ゆかりの島、鷹島と、玄海原子力発電所がくっついていました。
 2日目のおまけは、太平洋戦争の遺跡、”無窮洞”の見学が企画されていました。
 鷹島と無窮洞は、はじめての見学で驚きの連続でした。

 先ずは、名護屋城博物館の記録をUPします。この佐賀県立名護屋城博物館は駐車場も入場料も無料です。館内も禁止マークの付いている展示以外の撮影は許可というサービスです。 ただストロボは禁止ですから、私のくたびれたコンデジでは無理でした。展示物の画像は、2部の案内のパンフレットからお借りしました。



 博物館では企画展「通信使海道」展が開催中で、珍しい資料も見ることができました。
 博物館の案内パンフレット表紙は国の特別史跡「名護屋城跡並びに陣跡」の在りし日を描いた「肥前名護屋城図屏風」からとられています。

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<つわものどもの夢のあと>

画像はクリックで5枚です。詳細をご覧になりたい場合は佐賀県のホームページに鮮明な写真と説明があります。

付録
  鷹島と玄海原子力発電所
 鷹島は元寇の折、蒙古兵の上陸により大きな被害を被った島です。島の沖合いには、暴風によって沈んだ船をはじめとした元軍のものとみられる遺物が700年余の歳月を経てねむっており、水中考古学の海底遺跡の宝庫として注目されている島です。松浦市立鷹島歴史民族資料館があります。いかり石、船の一部、青銅印など海中から揚がったものを中心にした展示があります。
 鷹島は、昨年09年4月開通したばかりの美しい斜張橋「鷹島肥前大橋」で長崎県松浦市と佐賀県唐津市が結ばれました。この橋は通行料無料です。
 橋のたもとの道の駅「鷹ら島」には、トラ河豚養殖が盛んなところから、島で産出する阿翁石で細工した河豚の石灯篭画並んでお出迎えでした。
 鷹島のあとは、唐津方面に少し引き返し、玄海原子力発電所に向いました。ここは駈足の見学です。以前は車で中を見学できたのですが、治安上の問題から、今回はよく整備された玄海エネルギーパークで、実物大の模型を前にガイドの説明を聞き、展望所から望遠しました。原子炉の燃料や構造など、原子力発電のしくみが解説されました。
 空模様が怪しくなる中、一路平戸を目指しました。今宵の宿はホテル旗松亭です。

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1クリックとWクリックで3枚です。

哀愁の梅林

2010年02月22日 | 塵界茫々
 窯にまた火を入れるというので、窯詰中の弟のところへ出かけて、絵付けの邪魔をしてきました。
 話が今年は梅の開花が早かったことが話題になり、知人の持ち山の梅林が、年老いて手入れができなくなり荒れているという話になりました。200メートルくらいしか離れていな場所なので、一休みの気分転換のつもりで山を覗いてみました。梅の実の収穫も落ちるに任せているという状態のようです。
 花の盛りは過ぎていますが、何種類かの梅の木が、山の斜面を埋め尽くしています。今は紅梅が盛りの時を迎えていました。木の下では、猫柳が銀色の綿帽子を見せて春を謳歌している姿も見受けられました。夏の夜、白いレースを広げて咲く烏瓜も今は橙色の鮮やかな卵形で竹やぶにアクセントを点しています。

 こうして手入れをされなくなった梅林の花の季節は、花の香と彩が鮮やかなだけに一抹の哀愁を湛えて、思いのままに込み合った枝に咲く花もどこか寂しげです。
 他人事ではない自らの身のまわりの始末を突きつけられているような気がして、うららかな陽射も何かまぶしく、早々に山を下りました。

梅林のうつろい
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山の斜面を覆いつくす梅の木
紅梅は今を盛りと咲き誇って
込み合った枝に咲く花
猫やなぎは銀色の綿をかざして春を告げる
勢いを増した竹やぶに烏瓜の赤い実が下がっていました
<</MARQUEE>
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「伝説の花 戸畑あやめ」

2010年02月16日 | すずめの百踊り
 15日の朝日新聞夕刊に署名記事で「戸畑あやめ」の記事が出ていました。

 かつて北九州戸畑に自生し、他の地域ではみられないアヤメについて、新種であることが国立科学博物館によって確認され、戸畑にちなんだ学名がつけられたことを報じていました。その名もトバタエンシスと命名されたそうです。

 新聞からの引用ですが、西日本に分布するエヒメアヤメに似ているが花の形状が異なり、中国や韓国の文献にも見当たらないことが判明したので、「戸畑のアヤメの変種」という意味の「イリス・サンギニア・バラエティー・トバタエンシス」と名づけ、和名を「トバタアヤメ」とした。と記されています。
 このアヤメはわが家の玄関脇に地植えしています。保存活動をしている知人にいただいたものです。もう、数年になりますが余り増えないようですが、枯れもせず寒さにも強いようです。記事をきっかけに覗いてみましたら、今は1センチほどの細い芽を出していました。
小さなアヤメです。草丈は15センチくらい、上品な小型の花は紫で葉の影に隠れるように低い位置に咲きます。寒あやめの咲き方に似ています。

 エヒメアヤメは「誰故草」という優雅な名前をもっている草丈の低いアヤメですが、こちらは葉脈がくっきりと3本筋を通していて、咲くのが4月です。戸畑あやめのほうは葉脈は見わけにくく、花も5月です。
 「誰故草」のような名前がないのを惜しんでいましたら、友人が昔は「小沢見野の小杜若」と呼んだのだと教えてくれました。明治の終わりごろには自生を見かけなくなり、絶滅したものと思われ、伝説の幻の花とされていたのが、ある農園で見つかり、熱心な保護活動をなさる常守和明さんの努力で今では地元の公園や学校でも栽培され、鑑賞会なども開催されています。
 今は花の季節ではないので、北九州市のホームページから写真をお借りしました。

窯開き

2010年02月10日 | 日々好日

 今年になってから、もう何度目かの窯が開きました。

 まだ手探り状態ながら、それでも皿に描いた絵がどう仕上がるか、わくわくして待っています。以前の窯の半分の大きさに縮小した分、頻繁に窯詰めが行なわれています。私にとってはこの上ないさいわいです。

 邪魔にならないよう、気を使いながら、絵付けを楽しんでいます。素焼きで1回、釉薬を掛け、乾いたところで上絵を描いて上薬を掛け、2回目の火が入りました。

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 前回は上釉の加減がわからず濃度が足りないで、窯の温度も高かったので、全部色が飛んでしまいました。手の故障の記念に「握り仏」を拵えていたのだけが残りました。今回は色の濃淡をつけていたのは炎に無視されたものの、どうにか形が定着していました。
 私の蟹は、憧れの魯山人には程遠く、描き手のメタボを反映して「よく身が詰まっている」とからかわれています。
 備前や、信楽、樂の土、上釉も透明や織部と種々雑多で、温度も今回はやや低めで試し焼きが続いています。記念にUPしておきます。


  今回の作品から


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<銹絵 蟹>



 陶三望主の作陶に、私が絵付けしたものです。樂茶碗は夫の苦心作。織部は陶三望主の試作品です。

唐三彩

2010年02月05日 | 雀の足跡
 表装のための買い物があって、小倉の材料店まで出かけたついでに、門司の出光美術館で開催中の「唐三彩」を見に行ってきました。


館内は平日の3時過ぎとあって、人影は全くなく、死者とともに副葬された由来を思うと、むしろ薄気味わるいくらいのひっそりでした。


 唐三彩といえば、馬か駱駝、それに陶俑の婦人立像くらいに思っていましたが、多種多様の陶製品は、素朴な中に、あるいはおおらかに、また力強く、躍動感に満ちて並んでいました

 5~6世紀に作られた陶俑は、動物、家屋、家具調度、什器や家畜の模型まで、中には生前可愛がっていたと思われる愛犬まで、中国の人々の死後の世界への考え方を示してユニークです。
 シルクロードを通した交流の面影を見せて、彫りの深い顔立ちの俑も見られました。
 今では色も飛んでいますが、楽器を手に佇む女性の灰陶加彩の6人の楽人俑は気品さえ感じさせました。
 お馴染みの白、緑、褐色の釉薬を掛けた三彩のほか、深い藍色のみの官人立像や、脚で顔を掻く愛らしい獅子、鋸歯文の切れの鋭いモダンな万年壺など目にとまりました。

 画像はチラシや、絵葉書からです。クリックで縦画像3枚、横画像2枚です。


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 首を長く表現して、飼い主を見上げる犬。後漢時代。褐釉 

 2枚目は官人。どこか百済観音を思わせる八頭身は高さが70cmもある。北魏時代の加彩 
 3枚目はチラシの駱駝に乗る商人の顔をUPしたもの。
このように焼いたあと、着彩するのが灰陶加彩とよばれる技法。


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灰陶加彩騎馬人物 前漢時代 素朴で力強い。
 2枚目楽人俑 唐時代 6人の女人はそれぞれ手に楽器をもっている。





河豚

2010年02月02日 | すずめの百踊り
 この季節は、こよなく執心する河豚好きの夫のために、白子のある河豚が手に入ったからと、調理済みの河豚を弟が用意してくれました。

 私の財布の許す範囲では、料亭でふぐ料理を注文しても、白子は、せいぜい「白子豆腐」と称して、かすかに白子の味が残るものと、てっちりに小さなのが一切れか二切れ申し訳で添えられているくらいです。
 いただいた白子は切ってない丸ごと二つ並んだものです。「みがき」も、私の包丁捌きでは、菊の花びらが透けて皿の色合いがわかるとはいかず、分厚さが却って味わいが濃く、たっぷりとふぐ刺しを満足しました。
 さて、白子ですが、刺身でいただくのが一番とは言うものの、やはり相手が河豚では二の足をふんで、先ずは焼き白子でいただきました。みりん醤油をたらして、耐熱容器に入れ、オーブントースターで表面がかすかに色づくほどに焼きます。これが一番の好みです。残りの白子は鍋でおたまに浮かして茹で、紅葉おろしと刻み葱で。どうしてもお酒の量がすすみます。
 皮は次回までの楽しみで冷凍で眠っています。
 お礼に先ずは河豚の絵を贈ることにしました。



白銀を飛ぶ

2010年02月01日 | 日々好日
 今年最初の鳥便りは信州は白馬村の雪の山中を飛びかける鳥たちの美しい姿でした。
 そのなかから2枚、アカゲラと、アオゲラの姿をお福分けします。

 2メートルの積雪の中、零下6度~11度という厳しい気温の中での撮影だそうです。雪の積む枝から枝に楽しげに飛び移る鳥たちにしばし見とれる撮影者を髣髴しています。

 南北に長く湾曲する日本列島は、山地が多くまだ雪に埋もれる地方もあります。今日は首都圏にも雪が積もり、交通機関にも遅れが発生している報道が流れています。ここ南の九州では春の息吹が次々です。
 寒い雪の映像の後は一足早い春満開の花でお楽しみください。

アカゲラ



アオゲラ