雀の手箱

折々の記録と墨彩画

手術

2014年01月31日 | できごと
 50年以上、自分が入院することは一度もなくて過ごしてきた身には、病室で過ごす心細さは、丘の上のあばら家で独りで過ごす時間とは違って格別のものがありました。おまけに急患のための最上階9階の4人部屋には一人きりで、隻眼で黒崎の街の夜景と工場群の夜の灯りの風景を眺めていました。

 7日朝からの手術は医師が二人、お一人は部長と呼ばれておいででしたから、眼科の責任者の方だろうと思います。執刀の中心は急患で受信した40歳くらいの気鋭で、応対の穏やかな先生でした。局部麻酔ですから手術中の会話も、「早く」とか、「もっと削って」とかいうのもすべて聞こえています。
 しかも強制的に開かれている眼には、奇妙な四角形の像が映るだけです。「おでこの方を見て」とか、「下を見てください」と言われて、自覚のないままに眼球を動かしていました。

 最初に説明があった通りに、手術は1時間余りで終了し、「無事終わりました。1か月もすればだいぶ見えるようになりますよ。対応が早くてよかったですね。」といわれ、お二人に感謝の言葉を述べ、病室へ車椅子で戻りました。
 弟夫婦が説明を受けていて、「よかったね。もう大丈夫だから。」と言ってくれました。
 病名は「水晶体融解緑内障」と記してありました。

 1週間の入院中、何が辛いと言っても、活字から隔離されて、テレビも音だけ。もっぱらラジオを聞いていました。
 幸い手術後も処方された痛み止めも全く必要なく、4時間おきの点眼だけが仕事の毎日でした。目が悪いだけなので娘が差し入れしてくれる珍しいお菓子や、内緒の病院食以外の食事が何よりの楽しみでした。
 予約をキャンセルしたので手術を知った絵の仲間が次々にお見舞いに来てくれました。おかげで退屈する暇もなく、毎日朝夕、「順調です。眼圧も10をキープしています。」と明るい声でおっしゃる先生と冗談がいえるほどでした。

「雀の手箱」を訪問してくださる方は、親族も含めて中高年の方が多いようですから、齢を重ねるとはどんなものなのか、あえて病気の様子をご参考までにと記しました。
 1日1時間ならパソコンも新聞も大丈夫と許可が出ましたので小間切れで目をいたわりながらの投稿です。
 削られた黒目の傷は回復しているそうですが、まだ右目は視力0,2で、どこに行くにもタクシーの世話になっています。
 年賀のご挨拶以来のお休みでご心配をおかけしました。



今度は私

2014年01月31日 | できごと
 
年明け早々から、珍しく私には食欲がなく、「おせち」もほとんど手付かずでした。
 右側の偏頭痛を介護の疲れと睡眠不足のためだろうと思っていました。四日土曜日の夜中から吐き気が続いて我慢できなくなり、ホームドクターの携帯に電話して指示を仰ぎました。

 母方の家系が例外なしの脳血管障害ですから、とうとう来たかという思いでした。早朝受診して、麻痺もなく条件が揃っていないから、多分問題ないと思うが一応、念のためMRI検査をと言われ、近くの総合病院へ回されました。工事現場のような騒音のする中に入れられての検査結果は全く病変はないので、眼科を受診するようにと言われました。
 この時になって頭痛と吐き気の連続に気をとられていて気づかずにいた右目の視力が全くないのに気が付きました。

 処方された痛み止めと吐き気を抑える薬が効いていて、なんともないので、のんびりと月曜日6日に眼科に出かけました。
 診察の医師の顔に緊張が走り、ここでは緊急手術に対応ができないので、九州厚生年金病院に連絡を取りますからお待ちくださいといわれ、びっくりしました。手配されたタクシーで直行です。
 すぐ検査が始まり、細菌による感染症ではないこと。水晶体が何らかの理由により融解して、その濁った水が眼球を覆っているため、眼圧が40を超えているから、水を抜きます。と説明があり、眼球に何本かの針が刺されました。
 すぐ入院の手続きをと言われても一人で来ているので、どうすることもできず、弟を呼びました。検査結果次第では今日にも手術になるかもしれませんのでご家族を呼んでくださいといわれ、夫に電話で状況を説明するのですが、今朝眼科に行ってきますと言って家を出たままで、途中の経過を詳しくは連絡できずにいたため、よく呑み込めないようなので、入院手続きを終え一旦急患用の病室に入り、1時間半の外出許可をもらって隻眼の眼帯で帰宅、呼んでいたケアマネージャーとあわただしく打ち合わせをして、夫にはショートステイに行ってもらうことにし、二人分の荷物を用意して病院へと弟の運転で引き返しました。

 夕刻7時を回っていて、娘は東京からでは明日9時、朝一番の手術には間に合わないので、明日の手術にも、弟に立ち会ってもらうことにしました。
 娘は年の暮に帰宅してまだ2週間だし、明後日8日には連れ合いがドイツに出発するので、それを送り出してから来てほしいといっていたのですが、手術が終わった11時ごろ駆けつけてきました。

新しい年

2014年01月02日 | 塵界茫々

明けましておめでとうございます

皆様にとって、佳きことの多い年でありますように。






  去年今年貫く棒のごときもの  虚子の句が身に沁みます。

 老々介護で日が過ぎて、やっと新しい年が明けました。今年一年がどんな年になりますか。何とか平穏の日々であることを切に祈念しています。

 ブログは、せめて週1回は近況報告で続けたいものと念願しています。どうぞよろしくお願い申 し上げます。