気ままな遍路人

人生いろいろ…徒然な日記

死後の審判。

2008-01-24 16:23:04 | 日記

私は子供の頃、祖母から「人間は悪いことをしたら、地獄に落ち閻魔様に舌を抜かれるんだよ。」と聞かされた記憶があります。皆さんは言われたことがありませんか?

大人になって、改めてその意味を調べたところ、一般的に昔から死者の生前の善悪を記した「閻魔帳」をもとに、死後の裁判を行う閻魔大王がいて輪廻転生の行き先を決められるという伝えがあることが解りました。

これは、死後の世界には閻魔大王など7人の裁判官がいて、死んだ者を七日ごとに裁き、最終判決を七の七倍の四十九日目に言い渡すということです。

因みに、その裁判官は初七日(しょなのか)に秦広王(しんこうおう)または不動明王二七日(ふたなのか)に初江王(しょこうおう)または釈迦如来三七日(みなのか)に宋帝王(そうていおう)または文殊菩薩四七日(よなのか)に五官王(ごかんおう)または普賢菩薩五七日(いつなのか)に閻魔大王(えんまだいおう)または地蔵菩薩六七日(むなのか)に変生王(へんじょうおう)または弥勒菩薩七七日(なななのか)に泰山王(たいせんおう)または薬師如来となります。

人間は生きている間の評価ばかり気にしていることが多いですが、仏教的観念からすると死後の評価が生きているときの評価と一致するかは別物ではないかと思います。

この世の評価は人間の本質を見抜くことが出来ないまま、要領の良い人間だけが評価されがちですが、死後の評価は人間の本質をつく誤魔化しのきかないものです。

あの時、祖母が私に伝えたかったことは、「人間は素直・正直に生きなければならない。人を非難してはならない。人を騙してはいけない。」という深い意味があったんだと思います。

皆さんは、この死後の審判を胸を張って受けることができますか?


胡蝶蘭。

2008-01-23 22:02:39 | 園芸・植物

P1230588 最近、お花の紹介に傾倒していますが、私の趣味でもあるので我慢してお付き合い下さい。写真は、実家の母(85歳)が大切に育てている胡蝶蘭です。2回目の開花となり大変喜んでいます。


この他にも、株分けした胡蝶蘭の鉢が6鉢あり、すべてに花芽がつき開花しようとしています。室内の条件(温度・湿度・日差し)があうのか成長が早く、株分け後すぐに花芽が葉の間からニョキニョキと出てきます。

P1230589 圧巻なのが、この写真のミニ胡蝶蘭で、もう3年ほど経つのですが季節に関係なく花が咲きます。初めは1株でしたが、気が付くと2株目が出ていて、しかも親株(奥)には花芽が1本つき、子株(手前)には2本ついています。

洋ランの育て方なる本の内容(説明)を見事に無視した咲きっぷりです。


チューリップ。

2008-01-22 22:48:47 | 園芸・植物

P1220585_2 今日は知り合いの方からチューリップの切花を頂きました。早速、我流ながら花瓶に活けてみました。花を見ていると心が和みますよね。


普段から自宅用に切花を買ってきて、色々な器に活けるのが好きな私です。
時期になると、部屋のあちらこちらに観賞用の花を活けて楽しんでいます。


今日のチューリップを見て、最近ご無沙汰気味の植物画をまた始めようかなと思っています。


オリヅルラン。

2008-01-20 17:20:38 | 園芸・植物

P1140574 オリヅルランの花が次々と咲いています。白い可憐な花が心を癒してくれます。話しかけると一生懸命に咲いてくれます。


オリヅルランには中斑オリヅルランと外斑オリヅルランがあります。緑の葉と中の白い模様のコントラストが綺麗な観葉植物です。我が家のは品種改良された葉がカールした”ボニー”という種類のオリヅルランです。


オリヅルランの増やし方は株分けをするか、ランナーに子株が発生するので、それを挿すと簡単に増やすことができます。我が家では子株を切り離し、ガラスコップに入れ水栽培の形で観賞しています。親株は昨年、花ふれんどさん(0154-21-5668)で株分けしてもらいました。

オリヅルランは一部の種を除いて耐寒性があるので、日当たりが良い場所で室内温度5℃以上であれば簡単に管理できます。(私の経験上ですが・・・。)

オリヅルランの花言葉は”集う幸福・守り抜く愛”なので、あなたのお家にも一鉢置かれてみてはどうですか?


悪の連鎖。

2008-01-19 21:42:14 | 日記

物で溢れている現代は、親も子も我慢することを知りません。欲しいものを手に入れるためには手段を選ばない考え方の人間がいたり、自分の考えが通らないときには、暴力を振るってでも相手に納得させる人間がいたり、とにかく自己中心的な人間が世の中に溢れています。

単に持って生まれてきた性格だからしょうがないと言い訳する人もいますが、そんな風に割り切ってしまっていいものかと思います。そんな人がやがて親になり子を育てます。子は親の背中を見て育つものです。子供は、そんな親の言動があたりまえと思い大きくなります。

私の勝手気ままな論理ですが、気づくことがなければ悪の連鎖は決して止まることなく永遠と続くものです。例えば、お金を手に入れる手段で説明しますが、
      初代.  親に駄々をこねてお金をもらう。

      2代目. 親の財布から黙ってお金を抜く。

      3代目. 親に暴力を振るってお金を奪う。

      4代目. 他人のお金を盗む。

      5代目. 他人に暴力を振るってお金を奪う。

      6代目. 他人を傷つけてでもお金を奪う。

      7代目. 他人を殺してでもお金を奪う。

なんとも恐ろしい連鎖でしょう。恐ろしいのは悪の度合いが増していくことです。どこかの世代でこの連鎖を止めなければなりません。

どこかの世代でこの事に気づくことが大切なのです。

人間は「オギャー。」と生まれてきた瞬間は、清らかな心を持って生まれてきているはずです。その心を悪の連鎖に巻き込まないことが大切なのです。