気ままな遍路人

人生いろいろ…徒然な日記

寿命を生きる。

2008-02-06 22:37:15 | 日記

「余生をゆったり暮らしたい。」という人がいますが、誠に勝手ながら個人的な考えを言わせて頂くと、人の命に神様は「余生」というものを与えてくれているとは私は思いません。

「おぎゃ~。」と生まれてから、寿命尽きるまで人は一生懸命に生きなければいけないと思うのです。生まれることが出来なかった命・生まれて短時間で召される命・10代、20代と若い世代で召される命・年代を問わず自ら絶つ命・平均寿命が80歳を越えている現在余りにも早すぎる命が多い中、「余った命を持つこと自体おこがましい。」と思うのです。

私は輪廻転生を信じる人間なので、命を頂いただけでも有難いことであって、自分に与えられた苦難や出来事を日々考え、どんなに苦しくても乗り越えることが、自分に与えられた使命だと理解し、「その内、年老いたらゆったりと暮らせる日が来るだろうから、その日を楽しみにして若い内は頑張ろう。」などと考えることは私の頭の中にはありません。

100歳で亡くなると天寿を全うしたと讃えられることが多いですが、私は若い年代で亡くなる人も天寿を全うしたと讃えられることが正解ではないかと思うのです。確かに若い人が亡くなると残された家族の悲しさ・苦しさは最もなことですが、輪廻転生の考え方からすると、その人が生まれてきた尊い命の使命がそこで果たされたと私は思うのです。

ただ、自ら絶つ命は別物だと思うのです。神様から頂いた命を無駄にしたのですから、しばらくの間は輪廻転生の周期から外されることと思うのです。でも、また時が経ち必ずこの世に命を頂いて過去の自分の犯した過ちを正すべく使命を与えられるものだと思うのです。過ちを繰り返すことなく与えられた寿命を精一杯生きることが出来るまで、何度でも繰り返されると思うのです。だから、いつの時代もその使命を頂いて生まれてきた人の周囲の人間(家族)は、この人の魂が間違いに気づくまで苦しむこととなるのです。

良く「何のために生まれてきたの?」・「人は何故生きなければならないの?」と問う人がいますが、そんなこと誰に聞いても解らないと思います。聞かれた人は説き伏せようとして必死に考えると思いますが、逆に解る人がいてその疑問に答えることが出来たら、自ら命を絶つ人が減ると思いますか?そんな質問をする人は「さぁ、なんて答えるの?答えられないくせに・・・。」と人を試すような心の持ち主に多い傾向があると思います。その言動が先程述べた「間違いに気づいていない」という状態だと思います。

そんな質問は、まず与えられた寿命を一生懸命生きて、いつかそれこそ天寿をまっとうして、天国へ行ったとき、神様に直接聞くのが一番良いのではないかと思うのです。貴女が嫌になるほど時間をかけて説明してくれることでしょう。