私を知る

自覚を中心に悟りのヒントを書いています。自覚とは「私」に意識を向け、一切は「私」の考えであることを自覚していくことです。

私の体験談(見性後から大悟まで)(4)

2014年11月24日 21時02分58秒 | 私の体験
◇私の体験談(見性後から大悟まで)(4)◇

今回の記事では、大悟があった10月19日のことや、大悟に伴って生じた私の意識の変化等について書きます。

前回の記事に書いたように、大悟が起きる直前の2、3週間の間は、ハートの自覚ワークを毎日やっていました。
大悟が起きた2013年10月19日の前日の夜もハートの自覚ワークをやってから床に入りました。

翌19日の朝は、いつものように普通に目が覚めました。
そして、職場に出勤する準備をして家を出ました。
それで、最寄り駅のホームを歩いているとき、自分のハートに私という感覚のコアが無くなっていることに気がつきました。
なお、19日の朝は、目が覚めてから駅のホームでハートのコアの消失に気がつくまで特に変わったことは無かったので、私の場合、夜寝ている間に大悟が起きてしまったようです。

ハートのコアの消失に気づいたとき、自分の意識に何か大きな変化が起きたことは直ぐに分かりました。
しかし、その変化がどういう意味を持っているのか等は何も分かりませんでした。
何か大きな変化が起きたことがただ嬉しくて面白くて、自分の意識を無邪気に観察しながら職場に向かいました。

職場に着き、パソコンの電源を入れ、椅子に座り、パソコンの画面と向き合ったとき、パソコン画面を見る自分の意識の感覚が昨日まのでの感覚と違うことに気がつきました。
パソコン画面と向き合い、それに意識を向けると、私という自我の感覚が欠落し、私の意識がパソコン画面そのものになっているかのような感覚になることに気づいたのです。
それに気づいた私は、これはきっと凄いことが起きたんだと思い、有頂天になりながら、夢中で自分の意識を観察しました。

自分の意識をパソコン画面から他の対象に向けると、私の意識がパソコン画面からその対象に移り変わり、その対象そのものが私の意識になりました。
窓の外の景色を見ると、私の意識がその景色そのものになりました。
また、自分の意識を内面に向け、内面に起こってきた考えに意識を向けると、その考えそのものが私の意識になりました。

そして、私は直ぐに、連鎖的に起こってくる考えそのものが私という自我なんだということを理解しました。

4月9日になぜか自分に起こってきた「私自身が考えである」という確信的理解は、まさにそれで合っていたのです。

それが分かった私は、嬉しくて嬉しくて、何かお祝いをしようと思いました。
それでお祝いに、自宅近くの寿司屋でお寿司を買って帰り、それを家族と一緒に食べました。
家族(特に家内)には、そのことを話しても分かってもらえないと思ったので、今日は仕事でとってもいいことがあったから、みんなでお祝いしたくなったんだと言いました。

なお、当時の私は、大悟がどういう悟りかということを全く知らず、自分の意識の変化が何なのかは全く分かりませんでした。
そのとき分かっていたのは、相当大きな変化が起きたということと、悟りの道のりとしては大分いいところまで来たこと、でもまだもやもやっとして晴れない何かがあり、これが最後の悟りではなさそうだということだけでした。
自分のその意識の変化がいわゆる大悟なんだということを知ったのは、翌2014年の1月に入ってから、犬山さんと仰る方に、私が言っていること、つまり「私という自我は、連鎖的に起こってくる考えそのものである」と同じことを言っている人がいると言って、クリシュナムルティさんのことを教えてもらってからのことでした。


次回からは、大悟後から解脱の悟りまでのことを書きたいと思います。

続きます。


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読んで頂いてありがとうございました。

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