私を知る

自覚を中心に悟りのヒントを書いています。自覚とは「私」に意識を向け、一切は「私」の考えであることを自覚していくことです。

明け渡し体験について(1)

2013年07月05日 09時10分46秒 | 私の体験
今日は、私に明け渡しが生じたときのことについて書きます。

明け渡しは、2012年12月20日の午後11時に訪れました。
私はブログを書くのが好きでして、その日の夜もブログのお友達に教えてもらいながら、ニーチェについて考えていました。

ニーチェは、青春時代から少し気になっていて、高校時代に一度図書館で借りてそのまま読まずに返したことがありました。
でもその後、なぜか理由は分かりませんが、ニーチェに対して嫌悪感を感じるようになり、
お友達のブログでニーチェの名前を目にするまで、ニーチェのことはずっと記憶の彼方に忘れてしまっていました。

それがお友達のブログ記事にニーチェのことが書かれているのを見て、ニーチェに対する興味が呼び起こされたのです。
そして、お友達のブログのコメント欄に質問を書いて教えてもらったり、ネットで調べたりしながら、ニーチェやその思想について考えていました。

するとなぜか、ニーチェの思想が感じるようにして分かり出し、ニーチェに対して不思議と親近感が湧いてきて、ニーチェが自分ととても近しく感じられるようになってきたのです。
それとともに、それまで仏教のことなど考えたこともなっかたのですが、ニーチェの現実主義的な思想が仏教の思想と近しいことも分かってきたのです。
さらには、仏教が自分と近しいものとして感じ始めたのです。
そのとき、なぜか仏教という思想というか存在が、無神論者である私も包み込んでくれるようなそんな感じがしていました。

いま思うと、このとき既に私の意識の変容が少しずつ始まっていたんだと思います。
そのときの感覚は、言葉にうまく表現でいないとても不思議なものでして、
後から考えると、私とニーチェが時空を超えてシンクロしているようなそんな感覚じでした。

そうしてニーチェや仏教について考えている一方で、夜8時ころだったでしょうか、私が書いているブログに、別のブログ友達からコメントの書き込みがあったのです。
いまから思えば何気ない普通のコメントだったと思うのですが、そのときの私には、そのコメントがなぜか理不尽に感じられて少しカチンと来たのです。
そのコメントをくれたお友達は、普段とても優しい方なのに、今日に限ってどうしてそんな理不尽なコメントを書くのだろうと思いながら、そのコメントに対して取りあえずの返事コメントを返したのです。

でも、ニーチェのことをネットで調べたり考えたりしながらも、そのコメントのことが気になるのです。
そのお友達はどうしてあんなコメントを書いたのかと気になるのです。
そうやって2、3時間が経過しました。

そして、そのコメントのことがどうしても気になり、あのコメントには何か意味があって、自分に何か大切なことを伝えようとしているのではないかと考えているときでした。

そのとき、私はハッと気が付いたのです。

私に対するすべての働き掛けは、みな意味があって大切なのであり、有り難いんだということが分かったのです。

その瞬間、私はこの世のすべての存在を受け入れたのでした。

明け渡しが生じた瞬間は、
大きな愛に包まれているような、何か大きな存在と繋がっているような感じがして、
言葉では到底表現できない至福が訪れ、ただただ有り難くて、
2時間くらいずっと泣いてました。

このような至福のときは、明け渡しから3、4週間続きました。
特に、最初の1週間は、何とも言いようのない有り難さと感謝の気持ちが何度も何度もこみ上げてきて、始終泣いておりました。

続きは来週月曜日にでも書かせていただきます。

コメント大歓迎です。気軽にお書きください。
読んで頂いてありがとうございました。

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