◇私識苦◇
昨晩、夜中に目が覚めて眠れないので、悟りのことを考えていました。
考えていたのは、解脱の悟り要素を完結に凝縮させるとすると、何と言うべきかということでした。
仏教に無常、無我、苦というものがありますが、今一つしっくりと来ず、私は不満なのです。
苦はいいのですが、無常は余りに当たり前で浅いし、無我は素直に読むと私が無いと読めてしまい、言葉が良くない上、実体が無いというその主眼となる概念のポイントも、少しずれているというか、足りないのです。
解脱の必要要素には、実体の有無以上に重要な要素として、非有非無(一切について有るとも無いとも言えない)があるのですが、無我ではこの要素が抜け落ちてしまうのです。
解脱の要素についての私の結論は、
「私識苦」
です。
「私」とは、普通に捉えた私であり、自分自身のことです。
「識」とは、意識あるいは連鎖的に展開する識のことです。
「苦」とは、その字の如く苦です。
解脱とは、この三要素を悟ることなのです。
言い換えれば、「私=識=苦」を悟ることなのです。
なお、私が識であることを悟れば、無常も、無実(無我)も、無根(一切に根拠が無い)も、非有非無も、自ずと悟ります。
これが大悟です。
さらに苦を悟ることで、解脱となります。
◇「私」に意識を向ける自覚についてのご紹介は、例えばこの文章をお読みください(「自覚を始められる方へ」)。
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読んで頂いてありがとうございました。
識の連鎖の中に私という考えがあり、その私という考えがさらに考えを連鎖してるなと自覚します。
そう縁起の視点で自覚し、考え上で問題を複雑にしてるんだなと自覚するとかなり楽になります。
まだ苦について深く考察できていませんが、ここに来てまた前進しているように感じます。
いつもありがとうございます。
どういう言葉でお返ししたらいいのか、よい言葉が出て来ません。
そういうところをわかる方がおられるということに、素直に嬉しさを感じます。
こちらこそ、いつもありがとうございます。
つい先日はっきりその連鎖の様子を自覚したところです。
今までもわかっていたはずだったのですが、今回の縁起の自覚はやけに納得できた感あります。
多分YouTubeでのお話の影響もあると思います。
今日こちらのブログを読んだら染み入るように理解できたのでコメントしました。
慧空さんにはいつも大きなヒントをいただいていて感謝いたします。
次のYouTubeも楽しみにしております。
ありがたい気持ちになりました。