私を知る

自覚を中心に悟りのヒントを書いています。自覚とは「私」に意識を向け、一切は「私」の考えであることを自覚していくことです。

明け渡し体験について(2)

2013年07月08日 08時38分12秒 | 私の体験
私の明け渡し体験の続きです。

そのような至福のときのなか、私の頭の中では明け渡しの瞬間から、ダイナミックな変化が起きていました。
私の哲学や宗教に関連する拙い知識や概念がダイナミックに繋がり出したのです。

その繋がり合った概念は、ある一つの概念に繋がっていました。

その一つの概念を言葉で表現するとすると、
それはこの世の調和であり、この世のすべてであり、この世そのそのものでした。

そして、私は、この世のすべてのものは一つであることを理解したのでした。

それに伴って、この世に存在するすべての事象は、役割が異なるだけでみな等しいんだというともを理解しました。

そのとき、私の頭の中に、
この世を構成するすべての事象が、この世の調和のもと、個々の役割を持って互いに関係し合い、遷ろっているイメージが現れたのでした。

明け渡しが起きてからその夜床に付くまでは、明け渡しの瞬間、2つ、3つの概念が繋がり、続いて複数の概念が連鎖的に繋がったのだと思っていたのですが、
朝起きたときには、哲学等に関連する概念だけでなく、幼児のころの遠い記憶まで含めて、無数の知識や概念が明け渡しの瞬間に連鎖的に繋がっていたことが分かりました。

例えば、明け渡しのあった翌朝、目が覚めた瞬間に、私はうっすらと前世の記憶があることが分かりました。
私は、今生と同じ人生を何度か経験していると思ったのです(なお、私が本当に同じ人生を何度も経験しているのかどうか、本当のところは分かりません)。

それまで私は輪廻転生を信じてませんでしたので、少し戸惑いながらも、そうかそうだったのかと強く納得しながら、私は何度も生まれ変わってきて、またこの人生を経験するだと思ったのでした。
そして、それでも構わない、この人生に何度でも取り組んでやると思ったのでした。

しかし次の瞬間、次の人生はもうないことが分かったのでした。
理由はありません。感じるようにして分かったのです。

そして、もう次がないと分かった私は、この現実世界に対して言い様のない切なさを感じ、暫くの間泣いておりました。

なおこのとき、私以外の家族は既に神奈川に引っ越してまして、関西の自宅には私だけの一人暮らしでした。
職場も従業員はおらず、私一人きりの個人事業です。
このため、自分や周りを見つめて悟りを得る環境としては整っていたのだと思います。

また、私は既に書きました通り、スピリチュアルな世界のことは殆ど何も知らない状態で明け渡しを経験しましたので、明け渡しが生じた瞬間は、自分に何が起きたのかよく分かりませんでした。
そのときは、何となくこれは気づきの一種なのではないかと思っただけでした。

その体験が悟りだとある程度分かったのは、体験の3週間後でした。
また、それが悟りだと確信できたのは、マスターゲット氏から見性印可を頂き、明け渡しから約5ヶ月が過ぎたころでした。

続きは今週水曜日にでも書かせていただきます。

コメント大歓迎です。気軽にお書きください。
読んで頂いてありがとうございました。

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3 コメント

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Unknown ()
2022-05-08 20:40:57
率直なコメントをありがとうございました。お話が聞けてほんとによかったです。
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あさんへ (慧空)
2022-05-07 22:25:23
>現在のすいくうさんの到達された階層において生まれ変わりについて、またはその記憶について明らかに言えるとこらをまとめるとどのようになるのでしょうか?

まずハッキリと言えることは、一切についてもそうなのですが、輪廻や生まれ変わりについて断定的に言えることは何もありません。
でもそれで済ませてしまうのは、味気ない感じもします。
私はいろんなことを総合的に評価すると、輪廻や生まれ変わりはあると考えた方が妥当なのだろうと考えています。
そう考える主な理由の一つは、私自身の幼いときの出来事に基づくものです。
小学校生の低学年の頃だったでしょうか、近所の人が急に悟ってしまったようで、もう普通の生活はできないと言って、奥さんや家族を捨てて出家してしまったということがあり、父と母がそのことについて話をしているのを聞いて、「悟り」、「出家」という言葉にとても強く反応し、父に「悟りってなに?」、「出家ってなに?」と何度も聞いたことがありました(父母は私の問いかけに応じてくれませんでしたが)。
私はそれらの言葉を聞いたのは、そのときが初めてだったはずなのです。
なのに、それらの言葉にとても強く反応したのはどうしてなのか。
前世からの記憶等の何らかの影響があった可能性を感じざるを得ません。

もう一つ理由を挙げるとしますと、生まれ変わりの事例に関するネット等の情報です。
そのような事例の中には、生まれ変わりの推定するのが妥当であるようなものがあると思います。
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Unknown ()
2022-05-07 21:01:27
すいくうさんは悟りには段階があることを常々書かれておられます。この記事もすいくうさんの到達された現在の最終段階からご覧になられていろいろ誤解と言いますか本当のことと違いがあるのではないかと推察する記事でした。

悟りの過程を進めずにいる凡夫は常々それぞれの段階の覚者によって確定的に語られる悟りの話に右往左往してしまいます。

生まれ変わりについては、ちゃんとした科学研究があります。ただし、自分はなになにも生まれ変わりであると自称する人の心理研究、世界的な規模での統計研究です。いつ亡くなられた人の生まれ変わりか、とか統計データがまとめられています。

これも私はとても興味があるのですがそれ以上の展開はないようです。

現在のすいくうさんの到達された階層において生まれ変わりについて、またはその記憶について明らかに言えるとこらをまとめるとどのようになるのでしょうか?
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