私を知る

自覚を中心に悟りのヒントを書いています。自覚とは「私」に意識を向け、一切は「私」の考えであることを自覚していくことです。

大悟と解脱の悟りの間にあるもの

2014年08月01日 13時47分44秒 | 悟り
◇大悟と解脱の悟りの間にあるもの◇

ここ数ヶ月の間、大悟(真我の完全覚醒)と解脱の悟りとを隔てるものについて延々と考えていました。

最初は、過去記事「大悟と解脱の悟り」等に書いたように、「在る」や「真我」やそれらに関連した事柄への執着の有無に過ぎないのだろうと思っていました。

それを信じておられる方々には大変失礼な言い方で恐れ入るのですが、私には「在る」という理解がとてもちっぽけなものに感じ、彼らがどうしてそれに拘るのかが理解できませんでした。

それで、過去記事「無我の体験と解脱について」にも書きましたように、彼らが「在る」に囚われてしまうのは、完全な無我の体験がまだ無いからなのかも知れないと考えたりもしました。

しかし、どうもスッキリとはしなかったのです。

そうしているうち、つい先日、ある方からバーナーデット・ロバーツという方のことを教えて頂きました。
彼女は大悟された方なのですが、完全な無我の経験を繰り返し繰り返し経験されているのです。
でも彼女は、「在る」を握りしめ、大悟に止まっているのです。

私は、彼女が「在る」に止まっていることに対し、完全な無我を知っているはずなのに、どうして「在る」を握りしめ、そこから抜け出せないのかが本当に理解できず、なぜなんだと考え込んでしまいました。

すると、間もなく理解が訪れました。

「在る」に止まる存在と、解脱の悟りに到達する存在との間にある決定的な違いが理解できたのです。

それは、存在を続けること、すなわち在り続けることに対する執着の有無だったのです。

私の場合、大悟した時点で既に、在り続けることへの執着を手放していたため、それに気がつかなかったのです。


以下、余談です。

今後、解脱の悟りをどう伝えていけばいいのか思案中です。
また何らかの配慮も必要なのだと考えています。
在り続けたいと思っている人に対して、その執着を捨ててくださいとと言うのは余りにも無茶なことであり、無神経なことですから。
伝え方のニュアンスとしては、解脱の悟りを求めているのにもかかわらず、途中で躓いておられる方々に向けてお伝えしていくことになるのだろうと思っています。

もう一つ余談として。
在り続けることに対する執着について、私の場合のことを少し書いておきます。
私の場合は、この現実世界に生まれてくる時点で既にその執着が無かったか、2012年12月に経験した明け渡しのときに、その執着も一緒に手放したかのどちらかだと思います。
おそらくは、後者の方だろうと思っています。


<追記(2014年8月29日)>
上の余談の部分で、私は、2012年12月に経験した明け渡しのときに、在り続ける執着を一緒に手放したんじゃないかと書きましたが、思い返してみますにどうも違うようです。
私は、この現実世界に生まれてきた時点で既にその執着が無かったように思います。


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読んで頂いてありがとうございました。

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6 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (ゆう)
2014-08-01 19:17:45
手放すと悩みはなくなるのですか?

私は今仕事でトラブルがあり八方塞がり状態です
これを突破するには恩を仇で返す情を経ちきらないといけません

私は日々浄化しながら手放ししてます。
それでも人間ですからトラブルがあります。それは私のカルマなのかもしれませんが…



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Re: (慧空)
2014-08-01 20:21:36
>ゆうさんへ
コメントありがとうございます。

>手放すと悩みはなくなるのですか?

はい、無くなります。
未来に対する不安や心配も、過去に対する後悔も無くなります。

ゆうさんはいま、大変な状況におありなのですね。
そんなゆうさんにこんなことを申し上げるのは酷かも知れませんが、敢えて書かせていただきますね。

無理に手放そうとしても、なかなか難しいです。
それよりも、現在直面されている困難、そして今後訪れるかも知れない困難すべてについて、それらに対しすべて受けて立つ覚悟で、困難と向き合って頂きたいと思います。
刃折れ、命尽きるまで困難と向き合い、取り組む覚悟を持って頂きたいと思います。

その覚悟ができたとき、カルマの解消や手放しが自然と起こります。
明け渡しも起こるかも知れません。

すみません、こんな言い方しかできませんで。
何分、根っからのハードボイルドワンダーランド派なものでして。(^^)
応援しております。
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Unknown (ゆう)
2014-08-02 03:00:57
アドバイスありがとうございます(^^)

今の困難を受け止め悩み苦しみもがきます♪
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Unknown (トントン)
2014-08-02 21:49:34
思考が止まった状態の時、自分という感覚(意識?)を感じます。それは、いつも日常で感じる、当たり前の意識です。これは、自我なのでしょうか?真我というものでしょうか?
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Re: (慧空)
2014-08-02 22:21:56
>トントンさんへ
コメントありがとうございます。

>思考が止まった状態の時、自分という感覚(意識?)を感じます。いつも日常で感じる、当たり前の意識です。

トントンさんは、確かに思考が止まった状態を体験しておられるようですね。(^^)
「いつも日常で感じる、当たり前の意識です。」
と書いておられるように、まさにその状態を捉えておられるようです。

その意識は、自我です。
一部で真我であると誤解している人がおられるようですが、それは大きな誤解です。
真我には意識(認識力、感覚知覚、自意識、意志等)がありませんので。
その証拠に真我の中に完全に没入すると、意識が完全に落ち、気絶状態になります。(^^)
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Unknown (トントン)
2014-08-03 06:49:00
色々な悟りの情報があり、分からなくなっていました。納得できました、ありがとうございます。
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