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清渓寮について

2008年07月07日 20時05分56秒 | Weblog
ちょっと気になって清渓寮のことがネットに出ているかどうか見て驚きました。いまでも青少年施設として現役のようです。手元にあったハンドブックを見ていましたらちょうど、1973年度版まで出ていて翌年度は空欄になっていて、3506という番号が欠番になっていましたので、その年にyhとしては止めたのでしょう。どんな事情があったのか知りませんが、当時は増えに増えてはいましたが、その分止めるところも多かったのでしょう。協会とのトラブルでやめざるを得なかったところの話も当時聞いたことがありました。
当時世話になったお寺のyhなどは寺としては今でも残っているのでしょうから、いつか訪ねてみたいですね。静岡の富士宮にあった遠照寺などというところのペアレントには本当に世話になりました。

ユースホステルとのなれそめは

2008年07月07日 19時40分28秒 | Weblog
私の場合は、高校生の一年のときにサイクリングで旅行を始めときに最初は野宿で、2回目のときに私と一緒に行く予定であった友人が予約してくれていたのがユースホステルでした。その旅行は結局、私一人で行くことになり、一人旅とユースホステルが同時に始まったような具合でした。
当時の会員証を見ますと、昭和41年12月29日がその第一歩です。山中湖清渓寮というところでした。なにせ寒くて路面が凍てついていたことが記憶に残っています。それでも一人で自由にどこにでも行けるのだ、という開放感でいっぱいでした。
中学生のころはバスケットに熱中はしていましたが、学校のなかではあまり親しい友人もいなく、日曜日ごとに神田の古本屋街をひとりぶらぶらする変な中学生であったのですが、高校生になった途端、一人旅でユースホステルのような未知の人とすぐに知り合えるような環境に感動したことをよく覚えています。高校を卒業するまでの間に20箇所ほどのyhに世話になりました。
なんだか当時のことを思い出すと、なんとも甘酸っぱい思い出でいっぱいになります。

厳戒体制

2008年07月07日 06時59分04秒 | Weblog
いよいよサミットも始まるということで東京はあちこちで厳戒体制です。
昨日、横田基地の前を通ったら、日本人従業員の警備隊員が首からM16らしきライフルを下げて立っていました。いつもは腰に拳銃ぶら下げているだけですから、そのものものしさは初めて見るものでした。