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時は昭和49年にタイムスリップする。今から36~7年も前の夏の始まる頃。大分舞鶴高校だったか?大分商業高校だったか?いずれかの体育館だった。
体育館では、この年のインターハイ県予選(団体の部)が開催されていた。当時はトーナメント戦で一発勝負。こちら(杵築高校)は順当に勝ち上がり、向こう側のやぐらはやはり安岐高校が上がってきた。(安岐高校はこの大会にしっかり照準を合わせて来た。)
秋の新人戦や先月の別杵支部の予選(別府・速見・杵築・東国東地区の高校で本大会予選を行っていた。当時はどこの高校にも剣道部があった。)などこれまで一度も安岐高校には負けていないし、現在のところ県下には負ける相手はいない=今回は必ず悲願のインターハイ出場だ!と思っていた。
遂に悲願達成のその時が到来したと皆が確信し、宿敵安岐高校との決勝戦を迎えた。
先鋒戦、試合開始と同時にそれまで鮮やかに決めてきたのに中々決まらない、時の経過が早く感じる。確か引き分けだった気がする。精魂込めて戦う先輩達、応援団は固唾を呑みながら一体となって応援する。次鋒、中堅、副将戦とこちら側が優勢のまま、いよいよ大将戦を迎えた。勝てば優勝するが何と言っても相手はあの「徳丸選手」。
腰まわり、腕まわり、首まわり、当時の徳丸選手を見れば大方の人は圧倒されるだろう筋肉隆々の体躯。連続技を繰り出し、体当たりして相手を弾き飛ばす。相手から打ち込まれても微動だにしない。ひとたび鍔競り合いになり、タイミングよく腰を捻られると相手はよろけてしまう、そこをすかさず決める。そんな試合運び。正に「超高校級」だった。
大将戦を終えた段階で大星、小星同数!?代表戦となった。
応援する我々の目の前で、我が愛すべき先輩達は精魂尽き果てるが如く死闘を繰広げている。
春の九州遠征、鹿児島実業高校から八代東高校へ、そこから佐賀龍谷高校。また時期を変え、福岡大濠高校から小倉南高校へ・・・車の無い時代の九州遠征。遠征先では本州の有名校、伝統校も交えての練習試合を重ねた。
今思うに、あの時代に九州遠征したのは、選手が揃ったこの年代に特に期待が込められていた気がする。
さて、いよいよ代表戦。母校と地元の期待を一身に受け、こちらは不屈のポイントゲッター中堅「荷宮選手」、あちらはやはり大将「徳丸選手」が代表戦に立った。
一本勝負。試合の内容を詳しく覚えていないが緊張感も最高潮に達した中、徳丸選手の技が決まり夢果てた。
礼のあと、弾幕を囲み肩組んで勝利の歌を謳う安岐高校の選手達。
その姿とは対象的に我が杵築高校は体育館の端でうな垂れ嗚咽する選手、応援団。
母校関係者誰もが悲願達成を信じて疑わなかった今さっきまで・・・。
自分も大勢の応援団に混じっての体験だったが、夏の始まりのあの日のことは決して忘れない。
死力を尽くし敗れた先輩は正に天晴れ。
敵ながらこの大会で伝統死守した宿敵安岐高選手達も天晴れ。
大将戦、代表戦と連勝した敵将「徳丸選手」も天晴れ。
続く個人戦も徳丸選手が制した。正に「絶対王者」と皆の目にはそう映った。
母校杵築高校は、その後何度も宿敵安岐高校と雌雄決戦を交え、この年から8年後に悲願達成した。
約40年も昔の話。50会(ご・まるかい)の方々はこんな時代の皆さん方。
青春の限りを剣道に捧げた皆さんだからこそ今も尚、固い絆で結ばれているのでしょう。
今回は少々長くなってしまいましたが、徳丸さん(現在の日比先生)は他校の我々にとっても強烈なインパクトを与えてくれた方です。
その後大学、愛知県警と剣道一筋に歩まれ、全日本選手権にも何度も出場され、数々の功績を積み上げられたと他の方から伺いました。
先般より郷里の武蔵町にお住まいで、酔剣会にも時々稽古に来ていただけるとのことでした。また楽しみが増えました。
○(時間の経過により記憶違いもあろうかと存じます。)
記述に誤謬や誤解がありましたらご指摘ください。修正いたします。
体育館では、この年のインターハイ県予選(団体の部)が開催されていた。当時はトーナメント戦で一発勝負。こちら(杵築高校)は順当に勝ち上がり、向こう側のやぐらはやはり安岐高校が上がってきた。(安岐高校はこの大会にしっかり照準を合わせて来た。)
秋の新人戦や先月の別杵支部の予選(別府・速見・杵築・東国東地区の高校で本大会予選を行っていた。当時はどこの高校にも剣道部があった。)などこれまで一度も安岐高校には負けていないし、現在のところ県下には負ける相手はいない=今回は必ず悲願のインターハイ出場だ!と思っていた。
遂に悲願達成のその時が到来したと皆が確信し、宿敵安岐高校との決勝戦を迎えた。
先鋒戦、試合開始と同時にそれまで鮮やかに決めてきたのに中々決まらない、時の経過が早く感じる。確か引き分けだった気がする。精魂込めて戦う先輩達、応援団は固唾を呑みながら一体となって応援する。次鋒、中堅、副将戦とこちら側が優勢のまま、いよいよ大将戦を迎えた。勝てば優勝するが何と言っても相手はあの「徳丸選手」。
腰まわり、腕まわり、首まわり、当時の徳丸選手を見れば大方の人は圧倒されるだろう筋肉隆々の体躯。連続技を繰り出し、体当たりして相手を弾き飛ばす。相手から打ち込まれても微動だにしない。ひとたび鍔競り合いになり、タイミングよく腰を捻られると相手はよろけてしまう、そこをすかさず決める。そんな試合運び。正に「超高校級」だった。
大将戦を終えた段階で大星、小星同数!?代表戦となった。
応援する我々の目の前で、我が愛すべき先輩達は精魂尽き果てるが如く死闘を繰広げている。
春の九州遠征、鹿児島実業高校から八代東高校へ、そこから佐賀龍谷高校。また時期を変え、福岡大濠高校から小倉南高校へ・・・車の無い時代の九州遠征。遠征先では本州の有名校、伝統校も交えての練習試合を重ねた。
今思うに、あの時代に九州遠征したのは、選手が揃ったこの年代に特に期待が込められていた気がする。
さて、いよいよ代表戦。母校と地元の期待を一身に受け、こちらは不屈のポイントゲッター中堅「荷宮選手」、あちらはやはり大将「徳丸選手」が代表戦に立った。
一本勝負。試合の内容を詳しく覚えていないが緊張感も最高潮に達した中、徳丸選手の技が決まり夢果てた。
礼のあと、弾幕を囲み肩組んで勝利の歌を謳う安岐高校の選手達。
その姿とは対象的に我が杵築高校は体育館の端でうな垂れ嗚咽する選手、応援団。
母校関係者誰もが悲願達成を信じて疑わなかった今さっきまで・・・。
自分も大勢の応援団に混じっての体験だったが、夏の始まりのあの日のことは決して忘れない。
死力を尽くし敗れた先輩は正に天晴れ。
敵ながらこの大会で伝統死守した宿敵安岐高選手達も天晴れ。
大将戦、代表戦と連勝した敵将「徳丸選手」も天晴れ。
続く個人戦も徳丸選手が制した。正に「絶対王者」と皆の目にはそう映った。
母校杵築高校は、その後何度も宿敵安岐高校と雌雄決戦を交え、この年から8年後に悲願達成した。
約40年も昔の話。50会(ご・まるかい)の方々はこんな時代の皆さん方。
青春の限りを剣道に捧げた皆さんだからこそ今も尚、固い絆で結ばれているのでしょう。
今回は少々長くなってしまいましたが、徳丸さん(現在の日比先生)は他校の我々にとっても強烈なインパクトを与えてくれた方です。
その後大学、愛知県警と剣道一筋に歩まれ、全日本選手権にも何度も出場され、数々の功績を積み上げられたと他の方から伺いました。
先般より郷里の武蔵町にお住まいで、酔剣会にも時々稽古に来ていただけるとのことでした。また楽しみが増えました。
○(時間の経過により記憶違いもあろうかと存じます。)
記述に誤謬や誤解がありましたらご指摘ください。修正いたします。