「お金」から解放されて「本当の自分」の生活へ

お金に振り回される人生はバカバカしいものです。「お金の毒」から抜け出し、右脳的感性中心の本当の自分の生活に戻りましょう。

勝ち、負け・・・事業再生と孫子の兵法⑫

2009年08月18日 10時57分40秒 | 事業再生
「兵は詭道なり。」

あまりにも有名なこの言葉、その解釈も様々であるが、事業再生も詭道であると私は思っている。その意味として誤解されては困るのだが、

詭道=ペテン=詐欺=事業再生

だと言っているのではない。

ただ、事業再生は戦争と同様に奇麗事ではないのである。会社を起業をするといったような、奇麗な経済行為ではないのである。

なぜならば、今の金融システムそのものが人間をお金という見えない鎖で逃げ出さないように繋げている監獄であり、監視システムである。そして、ごく一部の組織のために、人間そのものを金を生みだす家畜とする究極の監視兵器であるからである。

その金融監獄から逃れ脱走しなければ、事業再生は本当の意味で成功とはいえないのだ。事業再生は脱獄である。

だから、一般世間や他人に対する見栄を張って、かっこよく正々堂々と脱走することは、自爆行為に等しいのである。孫子の言うとおり、戦時下においては、その本質は「騙しあい」であるから、正義感に囚われた人間、見栄で生きている人間は愚の骨頂となる。敵の格好の良い餌食になる。あの明智光秀でさえ、「仏のウソを方便といい、武家のウソを武略と言う。」と言ったことを思い出すべきである。

しかも、弱者が強者に戦いを挑むのであるから、定石通りの手では勝ち目はないのは当然である。相手の金融機関はすでに正義感など無視し、あらゆる法律を駆使して、貴方の会社を飲みこもうとしているのだから、対するこちら側にしても、あらゆる常識破りの手法(もちろん違法でなく)を駆使して、しぶとく駆け引きをし、できるかぎり自分にとって有利な展開に持ち込むことが大事である。それが事業再生は詭道なり、ということである。

そして、ここが肝心な事業再生の核心だと思うのだが、今までの銀行の呪縛下にあった世間一般の固定概念に囚われた自分を破壊し、常識破りの自分になること、あきらめずに事業再生させようと挑戦すること、そしてその行為自体に実は大きな意味があるのだと私は思っている。

最終的に事業を再生させること(経済的な見方から言った場合の「勝つ」ということ)ができればもちろん良いのはいうまでもないが、たとえ失敗したとしても、その勝ち負けよりも、そういった事業再生を挑戦する過程、そして、その経験から得られるものこそが大事(勝ち)なのではないかと思っている。

金融機関のために「お金」という卵を生み続けてきた奴隷的、めん鶏的価値観を破壊し、自らのプライド(他人に対するプライドでなく、自分が自分のために生きているというプライド)を掛けて戦いを挑み、笑われても、けなされてもいいから、あらゆる努力をして、もがき、苦しみ、事業を再生させようと努力すること、その過程を楽しむこと、それこそが「お金の毒から解放された」という勝利であると私は思っている。

人生はお金の多寡ではなく、如何に生きてきたかということが大切だからである。事業再生はその困難さにおいて、人生を学ぶことが多く、人生を有意義なものとするチャンスなのである。




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