写真で綴る気ままなすぎさん

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清水公園の金乗院 算額の寺

2019年10月20日 07時13分22秒 | 千葉・東葛・印西・成田エリア

清水公園の金乗院 室町時代に建てられた野田最古の寺院で、真言宗豊山派に属しています。
清水公園の入口に立つ 
仁王門 金乗院の大門 約300年前に建てられた。

堂々と立つ 仁王像「金剛力士」仏教の守護神と同時に厄災難を払ってくれる神様です。
阿形(あぎょう)、吽形(うんぎょう)の2体の仁王像も復元彩色された。

仁王門の先に境内・・・

山門 算額の看板があります。

・・・算 額  野田市文化財(有形民俗文化財)・・・看板には
金乗院には、安政六年(一八五九)に奉納された、縦六十cm・横九十三cmの杉の一枚板に問題と回答が記載された算額というものが残されています。算額は数学の問題と解答を絵馬に仕立てたもので、県内では二十六枚、野田市では金乗院の一枚のみが知られていて、昭和四十四年に市文化財となりました。                           ・

算額に名前のある高橋左内は後貝塚村(現船橋市)の和算家です。和算といえば関孝和の関流が有名ですが、この関流と激しい論争を繰り広げた会田算左衛門安明が創始したのが最上流で、高橋はこの最上流を学び、江戸に上って算術師範となりました。 算額を奉納したのは、高橋の門人・後藤兵庫の門派である当所(清水村)の渡辺元五郎、石塚多七郎、渡辺仁助、岡田幸右衛門、渡辺栄二郎、鶴嶋邦松、野田又二郎の七人です。子孫の話によれば渡辺元五郎は自邸など数か所で算盤を教えていました。石塚多七郎の塾に通い、先生と呼ばれていたということです。他に成田山にも算額を奉納したといわれています。容術といわれる図形の中に図形を内接させる幾何の問題が三間と彼らが導き出した解答が載っています。

①圭(二等辺三角形)の内に図のように菱形と大小四つの円を容れる。
菱形の面積は二十六寸五分二厘、小円の径は八寸八分四厘、大円の径を答えなさい。(回答‥十七寸一分三厘六毛)
②方(正方形)の内に図のように鈎股弦(直角三角形)と大中小の半円を容れる。中円の径は十一寸、小円の径は三寸、大円の径を答えなさい。(回答‥十二寸三分六厘九毛余)
③大円の内に図のように斜線を隔てて甲乙丙の三円を容れる。甲円の径は十二寸、乙円の径は十寸、丙円の径は六寸、円の径を答えなさい。(回答‥二十四寸)

指定年月日 昭和四十四年四月二十三日 野田市教育委員会

金乗院 本堂

金乗院は、室町幕府の足利義持の時代、応永5年(1398)に京都・醍醐寺の修行僧であった宥秀上人によって開山された。その後29世大僧都宥誠の時、醍醐寺より真言宗豊山派に宗派が移り、現住職37世純章に至ります。 ぬ

不動堂(清水開運不動尊)

不動堂(清水開運不動尊)
お不動さまは六百二十年前(室町時代)より続いていて、身体健全・商売繫盛・厄除祈願や良縁成就など
お堂は江戸時代初期の建物です。受験の神様・服抜きの神様よ。

ここ

清水公園は、明治27年(1894年)1月に醤油醸造業の柏家五代目当主茂木柏衛翁が、金乗院から5千5百坪を1千円の賃借料で50年間の賃借契約を行い遊園地(現第1公園付近)を建設したのが清水公園の始まりです。同年4月3日に開園式を挙行して一般町民に開放した。

金乗院 千葉県野田市清水906 
東武野田線 清水公園駅下車 徒歩10分



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