負けるな知的中高年◆本ときどき花のちコンピュータ

「知の崩壊」とかいって、いつの間にか世の中すっかり溶けてしまった。
「知」の復権に知的中高年よ、立ち上がれ!

清貧の思想のうそ

2004年06月29日 | 詞花日暦
生きているこのよろこびを……感得するには、
人は貧しくある必要がある
――中野孝次(エッセイスト)

 一時期ベストセラーになった『清貧の思想』にイタリア・アッシジの聖フランチェスコが登場する。清貧、貞潔、従順といった美徳の模範にしたかったのだろう。中野孝次にいわれなくても、アッシジを訪う人々は必ず聖者が小鳥と対話する絵に見とれ、何かを感じ取ってくる。
 しかし、あの丘から眼下に広がるウンブリアの野にも注意を払ってほしい。六月の明るい太陽に真紅のひなげしが咲き乱れ、アフリカから飛来した燕が鳴き声を響かせる。この美しい野にかつて血みどろの戦い、裏切りと暗殺が繰り広げられた。十五世紀、アッシジの丘の向こうに見えるペルージアの一族が起こした殺戮は、清貧や貞潔や従順とは似ても似つかない光景だった。
 聖フランチェスコにつづくルネサンス期の人間、むろんここに淵源を持つ近代人は、モンテ・スバシーノの丘の慈愛に満ちた聖人とは対極にあり、俗の欲望との戦いにまみれている。もし聖と俗の表裏一体になった絵巻を見なければ、清貧の厳しさを知ることはできない。