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鉄砲鍛冶職人 国友一貫斎

2013-10-03 05:23:16 | 歴史

国友一貫斎は本名,藤兵衛重恭といい安永7年(1778年)国友村に生まれました。界と共に鉄砲の大産地であった国友村は年寄り四家とその補佐役の年寄脇九家が鍛冶集団を統率していた。一貫斎の家は年寄脇家の一つであった。

一貫斎刃鉄砲鍛冶の上役とトラブルを起こし裁判沙汰になり文化13年から文政4年まで(1816-1821)まで江戸に滞在する。そこで尾張藩家老で犬山城主の成瀬正なが邸でオランダ製のグレゴリー反射望遠鏡を目にして、心を奪われ、自ら勢作することになる。50歳半ばで家督を子息に譲り、天保3年(1833年)から勢作にとりかかり、わずか1年で1号機を完成させている。そして天体観測をはじめている。

苦労して勢作した望遠鏡も天保7年(1836年)国友村を襲った天保の飢饉から村人を救う為70両で大名家に売却している。現在上田市博物館、彦根城博物館、国友家に望遠鏡が残されている。


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