goo blog サービス終了のお知らせ 

アメノチハレ

都志見隆の果てしない日々の日常

西郷さん

2012-05-25 | 音楽♪
赤坂で地下鉄を降り、3bの出口を上がると
すでにたくさんの人だかりが見えた。
赤坂Blizで西郷輝彦LIVE ACT8を観た。

昭和39年といえば私がピカピカの一年生として
ランドセルを背負い始めた年の頃。

最近で言えば、先日ここにも書いた
「三丁目の夕日”64”」とトヨタパブリカ
そして父が32歳 母が28歳である。

広島市内を流れる太田川下流沿いのまだ建物があまり立ってないような土地に建った
5軒の建て売りの一つを両親が100万円ちょっとで買って間もない頃か。

母の弟である叔父がまだ独身の頃は、母につれられアパートによく遊びに行った。
大きな家具のようなステレオが自慢で
毎回レコードの埃を丁寧に拭いて静かに針を落とす動作が
幼い自分にはとても魅力的な大人の仕草として憧れた。

その中のレコードにあったのが当時のヒット曲の中の
この一枚だった。

西郷輝彦/君だけを

ちなみにこの時代に流行った歌は数多く
今振り返ってもこの時代はまさに歌の宝箱だった
青春歌年鑑

将来何になりたいと聞かれたら
パイロットかバスの運転手と答えていた時代だが
あれから30年後の1994年に、その西郷さんに作品を
書かせていただくなんて想像出来るはずもない。


<1994 別れの条件>
丁度、西郷さんの30周年と重なっていたこの年、
レコーディングにお邪魔出来なかったが
その翌年にリリースされた「時に抱かれて/名画座」と
レコード2作品に渡って作曲させていただいた。

初めてお会いしたのは
確か30周年のパーティーのような場所で
メーカーディレクターからご紹介いただき
ご挨拶させていただいたと思うが、
その後、TBSの「輝け隣太郎」というドラマの主題歌を
やらせて頂いた関係で参加した打ち上げパーティーの席で
偶然にもそのドラマに出演されてた西郷さんとまたバッタリ。
最近、よく会うねと声をかけて頂いた。

長い歳月が流れ、いろんなご縁もいただき
(長くなるのでその詳細は割愛しますが)
昨年また曲のご依頼をいただきました。
当時の事や楽曲の事などを非常によく覚えてくださっており
感謝の一言に尽きる想いでした。


<2011 オリオン急行>

丁度、舞台を長くやられていた後の時期でもあり
芝居の台詞の発声法で、少し喉の調子もくずされている中
何度も何度も 延べにして何テイク録ったのかわからないほど
ボーカルブースの中で、もう一回 もう一回と唄っておられた。

ヒット曲を多く持たれている人に書くというのは
中々難しい。
曲のパターンとしてはやり尽した感もあるからだ。
そんな手探りの中で、今の時代にどんな歌を唄われていたら
私自身が「いいな」と思えるんだろうと
色々やってみる。
平均点を狙うべきか少し冒険しようか。。
そういう時、テーマの根幹である詩が先にあるほうが
時代の作品としてはわかりやすい場合もあるが、
10数年振りという緊張感の中
書かせて頂いたひとつのメロディーを幸運にも
作詞の田久保真見さんの詩によって
とても素敵でロマンチックな歌へと仕上げて頂いた。

昨夜、19時ぴったしに始まった赤坂BLIZでのライブ。
ラテンバージョンの星のフラメンコで幕を開けた。
相変わらず洋楽の英語の抜けも抜群だ。

余談だが、西郷さん自身が若かりし頃ステージでうたっておられた
トムジョーンズの「Love me tonight」を
作曲の参考にとメールに添付して送って頂いた事がある。
お世辞ではなく、日本人と感じない程
英語の発音と声のトーン、リズム感が素晴らしかった。

ご本人の大好きな洋楽の数々がちりばめられた中
ライブの中盤で今年の4月に発売された新曲
「旅のあかり」を唄われた。

<2012 旅のあかり>

この歌は作詞の喜多條忠さんと初めてご一緒した作品だ。
いつも鼻歌のように唄える曲を作曲の一つの目安としているが
どうも曲が先だとメロディが角張ってしまいがちになるところを
作詞家の方々が筋肉を柔らかくほぐすように
優しく歌に仕上げてくださる。
団塊の世代に限らず、
恋や友情そして家族などへの想いを共有できる
とても心を静かに出来る歌に仕上がった。

昨夜唄われた「旅のあかり」は手前味噌で申し訳ないが
とても自分の心に響いた。

当時からの根強いファンの方も大勢おられる中
その後ろの方で聞いておられる世代の若いファンの方達にも
届くように一生懸命に唄っておられる姿がとても素敵だったな。
言葉の節々に感じる西郷さんの優しさがとっても暖かい。

しかし17歳の頃の曲を60歳過ぎても唄える事の素晴らしさってのは
何だろう。
サンミュージックの重鎮の方が
当時のキーと同じまま唄っていると仰っていた。
年を重ねられてもあの声のトーンは健在だ。
音楽はトーンでロックは時代を突き抜ける心意気なのだ。
その精神が歌や曲をいつまでも輝かせる。

来年は芸能生活50周年を迎えられる。

あのバイタリティーと情熱と、
そしてあの音楽好きな姿を実に見習いたいと思います。

そして、何よりも健康に留意され
是非50周年の節目に大暴れしていただきたいと願うばかりです。

感謝です。

Good Luck!

2012-04-28 | 音楽♪
先日、ひさしぶりに車で表参道から青山あたりを
徘徊していたら、なんだか懐かしい感じのタクシーが
数台並んで止まっていた。
驚いてみたが、よく見るとTOMMY HILFIGERと
車のボディーに描いてある

これはそのトミー・ヒルフィガーというブランドの
キャンペーンCARだと後で納得。
この界隈もだいぶ様変わりして、どんな奇抜なものでも
直ぐに溶け込ませてしまうこの街独自のパワーがある。

そういえば随分長く訪れていないな、NEW YORK。
マンハッタンに住むあの娘も
クイーンズに住むあの娘も
ニュージャージーから通うあの娘も
元気でやっているだろうか。

先々月だったか、渋谷で留学当時の同級生3人と会った。
ブルックリンにある音楽大学で知り合った音楽仲間だ。
振り返ると、みんなよく生きていたなと大笑い。
ハタチそこそこだったので随分と無茶をした時期もあったが
本当に体力だけは余る程あったからね。
明日は早いから今夜は早めに寝ようなんて
思った記憶がまるでない。

硬い椅子に座って長時間ギターの練習してたおかげで
イボ痔になって結構長引いたが
医療費も高く、結局はバスタブに湯を張り
患部を暖めながら自分の指で体内にイボを押し込んで治った事にしたり、
風邪をこじらして熱が41度出た時には
明日目が覚めないでもしこで死んでいたら
親には誰が連絡するんだろうなんて事を
朦朧(もうろう)としながら考えた。

夕方に降り立ったケネディー空港から
緩やかな丘陵をまたぐようにマンハッタンむかう道のりの途中
あの摩天楼がまるで浮かびかがってくる様に
フロントガラスの視界全面に表れた時には
さすがに身震いした。
飲み込まれそうだった。

タクシーの運チャンが、NYは初めてか?と聞くので
「ああ、音楽の勉強で来た。これから何年かわからないが
この街で揉まれてみる」と片言英語で喋った。
「エキサイティングな街だぜ。たっぷりエンジョイしろよ兄ちゃん!」

タクシーのトランクから重たいスーツケースを出し終わり
サンキューと言ったら
「Yeah! Good Luck!」と言って小さくウインクして走り去った。
頭にバンダナ巻いた30才前くらいのファンキーなあんちゃんドライバー。

兎にも角にもイエローキャブを見ると、
まず最初にあのアメリカに降り立った
34年前の夏の日の事を
今でも強烈に思い出すのさ。


P.S
渡米して一年くらいが経った時期に、
どういう繋がりであったかは思い出せないが
フォークの神様といわれたあの岡林信康さんがNYに来るというので
ホテルの部屋などの手配を頼まれた事があった。
確か空港まで迎えに行き、いい部屋ではなくていいからという
リクエストに応じてあらかじめ予約しておいた
ブロードウェイの安宿に案内した。
夕食をご一緒して部屋に戻ってさあ寝るかと
ベッドに入りかけた時電話が鳴った。

「都志見くん、寒いんや。部屋の暖房の効きが悪いんや、
とてつもなく寒いんや 部屋変えてくれんかな」

すぐに着替えてホテルに向かった。
少し風邪気味の体調もあってか、あまりの安宿は身体に毒と
その場でチェックアウトし、
もうワンランク上の一般的なホテルに
移っていただいた。

NYに滞在されていたある日、私の借りていたアパートで
酒を飲みながら、いつの間にかギターを手にした岡林さんが
「都志見くん、どんなん書くん?なんか演ってみい」
と仰るので、オリジナル一曲唄った。
そしたら、「最近作った歌なんやけど、聴いてくれる?」と
岡林氏が一曲。
それからはギターを交互にバトンしながら何曲唄い、唄っていただいただろうか。
もちろん山谷ブルースも。楽しい時間だった。

「その感じ、歳とっても忘れんようにな」と
首に青筋立てて唄う感じをなんだか褒めて頂いた。
おそらくまだ21歳になったばかりの冬だった。

岡林さんの帰国の際にはまたケネディー空港までご一緒した。
「色々とありがとうな。身体に気いつけて頑張ってや。」
「また日本で会えたらえ~な」
「あんたにグッドラックや!」



岡林さん、現在は京都に住んでおられるらしい。

訪ねてみたくなった。



色んな大人達

2012-04-06 | 音楽♪
先日の夜、電車を降りようとしたら
ドアが開いた途端に真正面からまるでアタックする様に
堂々と乗り込んで来た団塊の世代風の一人。

こちらもその空間を譲らなかったので正面衝突。
腹の出っ張った中老年サラリーマンの酒一杯ひっかけた後の勢いには
凄まじいものがあった。


ホームから空いた席を見つけた途端
コートの内側から居酒屋の匂いを散らしながら
まだ降りようとしている人が何人も居るにもかかわらず
その席めがけて突進する様は本当に情けない。
「降りる人が先でしょうが!」と素面(しらふ)丸出しで
声を上げてみたが、声を上げた方がまるで酔っぱらいの戯言(たわごと)のように
誰一人立ち止まるわけでもなく
終電間際の電車はドンと扉を閉めてゆっくり去って行った。

ああ、一日の終わりになんて悲しい大人に出会ってしまったのだろう。


仕事場のあるマンションの管理人さんが
検査入院されたと聞いてから約ひと月。
管理室にはとりあえず代理の人が常駐しながら
事を運んでいただいているようだが、
あちらもこちら側も何となくやはり一定期間の穴埋め的なつき合い方と
割り切っている部分もあり、いままでのように求めないし
深く関わらないまま時間は過ぎて行った。

先日、マンションの玄関に入ろうとしたら
長年馴染んだ管理人さんの顔が見えたので
「わあ、お帰りなさい!お身体はいかがですか?」と言葉をかけたら
「色々不自由させてすみません」と頭をお下げになり
今日は一時的に外出が許されたのでなどと小さな声で一言二言交わした。
検査入院から本格的な入院になったようで
陽に当たらぬ肌の色は当然白く、
瞳も窪んでどこかしら虚ろな目線だった。
日々病気と戦っておられる証だ。

挨拶をして別れたあと、ふと振り返ると
普段の倍の時間をかけてゆっくりと歩いてる後ろ姿に
とても切ない気持ちになった。
人間というのは健康というバランスに絶大に支配されているのだなあと
実感する。

このマンションの新築当時からの住人で世話人の方の話しによれば
重い病気の疑いもありここ数日で検査および治療の方向性が決まると
いうことだった。

昨年の暮れあたりにも、とても疲れた顔をしておられたので
あまり無理しない様に声をかけた程だ。
年齢的には70歳前あたりであろうか。
出来ればちゃんと健康回復されてまた元気な笑顔で
このマンションの番人に返り咲いていただきたいと心よりそう願う。




先月の下旬に恵比寿のアートカフェフレンズで行われた
純子さん」のライブ。
1番最初の出会いというと恐らくですが私が20代の半ば辺りではなかったか。

ご縁あって数年前にまたお会いし、
純子さんの書いた「もう一度」という詩に
曲を書かせて頂いた。

一曲一曲をとても丁寧に大事にされていて、
自分に置き換えてみればその辺は適当にと思う事を
大事に解釈しちゃんと人に伝えるので、そのオーラに引っ張られて
周りにいる私も含め、彼女を大事にしたくなるのです。
小さな事にもちゃんと喜びを表現出来る人っていうのでしょうか、
そのエネルギーに教えられてばかりです。

今回はピアノ&ボーカルという事でセッティングは簡単ですが
そのシンプルさゆえ、歌ですべてを引っ張りあげてゆく難しさもあり
、しかし歌い手にとっては究極の表現方法かなと思う。

色んなアレンジで味付けされたCDの音源とはまた違い
むしろピアノ&ボーカルのほうがストレートに伝わってくる心地よさもあり
曲を作る上での原点になんだか引き戻された感覚もあり
とてもいいライブでした。

ピアノは広島県出身でジャズピアニストの江草啓介さん
ゲストプレーヤのサックスは真夜中のギターの作曲者でもある河村利夫先生
お二方とも私の父母のような年齢でおられるが、未だにバリバリの現役プレーヤーだ。

それぞれに色んな生き方があり、
どういう結末がその先に待っているのかわからないが
周りにおられる素敵な大人達はみな、
日々精一杯生きておられる。

そんな姿を心から見習いたいと思うこの頃です。


Ganbarou

2012-03-28 | 音楽♪
久方ぶりに髪を切りに行った。

本当はあまり自分に装飾を施さずに生きて行きたいのだが
ごま塩白髪が程よく形になるにはまだ少し人生経験が足りないようで、
当分は白髪を隠す方向性である。

朝一番乗りの美容室が好きで、いつも午前10時から予約する。
終わって自分の息子程の歳の若い証券マンと会った。
知り合いの息子さんだが、愛嬌があってイジラレキャラなところが
彼が身を置く世界には有利に働いていると思う。
相手にとってツッコミ易い性格のほうが可愛がられる。

勤める支店では彼が今のところ売り上げトップらしい。
勉強はそんな出来ないのですがと謙遜するが、
頭を働かせずして成り立つ商売ではない。
クライアントとの信頼関係がまさに
売り上げを上げる一番大きな武器だと思う。

年に一度くらいは昼飯を一緒する。

目指すは、まずは東京の本店勤務。
彼の営業成績向上にさして力添えや後押しも出来ないが
是非とも勝ち上がっていただきたい。
先で儲かる情報をこっそり耳打ちしてもらうために
今のうちに酒や肉をたくさん与えておこう。




久しぶりに衝動買いをした。

靴磨き道具一式。
お値段は少々高めだったが
細部まで丁寧に作られた木箱に
いとも簡単に昭和の男のロマンをくすぐられてしまった。
早く靴を磨きたくなるような気持ちにさせる風格すらあって
下駄箱にしまうのは勿体ない程だ。

革靴を履く機会はそれほど多いわけではないが
それでもくたびれかけた皮の汚れを落とし
徐々に輝きを取り戻してゆくあの感じが
靴の顔としては下ろしたての時よりずっといい。
靴にできた所々の皺はまるで人の笑い皺のように
それなりの経てきた時間の証のようだ。

そういえば今日会った息子のような証券マン君の履く靴も
程よく輝いて、やさぐれた表情ではなかった。
程よく手入れされた靴はその人を感じる上での安心材料になる。

日本の夜の11時にニューヨークの証券取引がスタートするので
帰宅後もある意味仕事の延長時間が続くんですと
春野菜のあんかけ焼きそばを美味そうに食う。
どんな仕事も外には見えない大変さがあるんだね。

そう思うと、自分がやらせていただいている音楽という仕事が、
そのキツさも含めて自分にとっては一番楽な仕事かもしれないと
改めて思う。

それゆえに、その好きな仕事に甘んじては罰があたる。
よくよく肝に命じよう。


先日、ある歌手の方のキー合わせに立ち会った。
出来た楽曲をレコーディングするために、
その人の声で一番響くレンジを確認する作業だ。

懐かしくお話しさせてもらった中で
その方に最初に曲を書いたのが何と20年前だった。
そしてその時も同じようにピアノでキー合わせをした事など
よく覚えていてくださっていた事がとても嬉しい。

ピアノの側で歌われた20年振りの2曲目
とてもいい作品になる予感。

そうやって丁寧に制作を進めてゆく人に触れると
とても 救われた気持ちになる。

Ganbarou













2012-03-11 | 音楽♪
宮城県女川町を訪れた。

あれから一年 まだまだ復興なんて言える光景ではなかった。
そんな町で生まれ育った子供達が通う女川第一中学校にお邪魔した。

10年ちょっと前に広島から東京に出てきて
武者修行を始めた山元淑稀という、当時はまだひよっこの
プロデューサーがいた。

昨年の大震災からひと月たった頃、
彼は何度か被災地に足を運び
自ら色んな支援活動をしていた。
そこで出会った色んな人たちの中に
女川第一中学の先生が居た。

昨年の暮れ頃に、彼から連絡をもらい曲の発注を受けた。
彼が以前から手がけている”おもてなし武将隊”が歌う曲。

決めごとは二つ 一つは売り上げは義援金として支援する 
もう一つは女川第一中学校の生徒さん達も歌に参加する。

全国に居る武将隊の中から生え抜かれた12人を”おもてなし武将隊JAPAN"と銘打って
被災地に歌を届けようというのだ。

熱意ある趣旨に賛同し、快くお引き受けした。

さらに自分に決め事を課した。
注意点は二つ  一つはチャリティーソングにしない もうひとつは何者にも近寄らない。

つまり僕自身が思う”届けたい曲”を書こうと決めた。
それでいいかと訊ねたら、それでいいと言う。
それだけに、方向を間違えば容赦なく突っ込まれるが
実は、こういうプロデューサーが一番いい。

細かすぎる事を言われるお方もいらっしゃるが
そこまでほしいものが分かっておられるのなら、ご自身でお書きになればいい。
作家の創作意欲を掻き立て、作家自身も知らぬ光を引き出したいなら、
是非、アーティスト名と写真とそして、大事な”ひとこと”だけ置いて行って頂きたい。
それで充分。

話が逸れた。

出来上がった曲を送ったらすぐに連絡を頂いた。
”爆音で5回聴きました!”
爆音でというのがいい。
つまらん曲は爆音で5回も聴けんからにぃ。
とても褒めていただいた。
電話の向こうで、私の作った曲の能書きまでを彼が解説してくれる。
その通りです。
こういうプロデューサーが一番いいのだ。

そこまで有頂天にさせてくれなくても、充分嬉しい。ありがとう。
電話を切ってから、一人で万歳をした。
五十路を越えても、ますますそんなもんである。

とても楽しみにしていた歌詞が数日後に上がってきた。
タイトルの”空”という文字を見ただけで、やってくれたと思った。
こういう作詞家が一番いい。参りました、Satomiさん。

出来上がった詩と曲を大事に抱えて、プロデューサーは各地を回り
武将隊の唄入れをした。そして最後にまた女川まで行った。
女川第一中学の放送室を借り、生徒さんたちのパートを録音してきた。

その女川から、彼が連絡をくれた。
3月に卒業生を送る会があり、その時に是非唄いたいので
合唱用の譜面がほしいと。そしてその時、是非女川まで来てほしいと
先生方も仰っていただいてるというメッセージだった。
彼の熱意と興奮のボリュームに私の繊細な鼓膜は今にも破れそうだった。

最終仕上げのトラックダウン(色んな音のバランスをとってCDにするための作業)で
初めて武将隊のみんなの歌声 そして中盤から後半にかけて突入してくる
女川第一中学校の一年の生徒さん達の唄声を聴いた。
イントロが終わり唄の出だしからグッと気持ちが持っていかれた。
曲を書く際にまず一番悩んだ場所だ。それから山を越え、谷をすべりそして
全員で歌う最後のサビは鳥肌ものだった。
エンジニアは森元浩二殿 さすがです、参りました。

彼らの歌にテクニカルな巧さはないが、
その代わりの魅力というのだろうか、
暖かさや優しさやそんなものを充分過ぎる程に感じてしまうナニかがある。
魅力というのはナニかに変わるものが強烈にあれば、ナニはなくてもいいのだ。


そして皆さんの思いがいっぱい詰まった作品が3月7日に発売になりました



一昨日の夜、仙台に前乗りして、翌朝早く一人で車を走らせました。
もちろん目指すは女川第一中学校。

石巻で高速を降り、数十分でガラッと視界が開けた町を見て唖然となる。
どこが復興ですか。。
東京で見る被災地の様子などとは質感が違う。
報道がどうのではなく、己の肉眼に飛び込む現実は
いくら写真に撮っても収まりきらないだけなのです。

まだまだ後片付けさえ終わっていない町をナビが容赦なく
右や左に走らせる。
何度も両端に瓦礫の積まれた道に追い込もうとするナビを無視して、
(あるべき道が消滅していたり通行止めになっていたりするので)
小高い山に見える校舎のような建物を目指した。
障害物がないので見える方向をナビなしで目指せる。

東京からは前日の夜池袋のサンシャインシティーでイベントを大盛況で終えた武将隊ご一行が
大型バスをチャーターし予定を少し過ぎて到着された。
誰がサポートするでもなくプロデューサーを頭に自分たちでやりくりして来られた。
初めてお会いする武将隊JAPANの面々。とても礼儀正しい奴らである。


三年生を送る会を無事終えた後の、今回レコーディングに参加してくれた一年生と武将隊JAPAN

プロデューサーが女川に何度も通い、学校の先生達と仕組んだ武将隊乱入のサプライズは
予想以上に生徒さん達の笑顔をいっぱい引き出すことが出来た。
先生やそしてこの作品に携わったみんなが一番欲しかったものだった。
みんなの喜ぶ顔が見たいというのが、10年前のひよっこの時からのプロデューサーの口癖。
いや、もはや彼の生きるテーマかも知れない。
10年言い続ければ、ホンモノ。

三年生の前で武将隊達と一緒に唄った一年生の歌う”空”。
武将隊の乱入に興奮気味だった三年生にも曲の途中から
言葉が届き始めた。

”生まれてきたこと
巡りあえたこと
泣き明かしたこと
笑いあえたこと
見つめられること
愛しあえたこと
いま生きてること
すべてにありがとう

哀しみに触れあうとき
いつも蘇るのは
重ねあって
生命(いのち)にそっと綴られた故郷

両手で作った双眼鏡で
空を切り取った時
こみあげてくる 優しさに
穏やかな日々を願う

離れても遠くの青い空を
ずっと忘れやしない
愛しいひとよ 人生を
共にいまを歩いてこう
共にいまを歩いてこう”

歌詞全文

豆のあま皮のような薄い経験値しかない自分だが、必死に涙をこらえた。

あとでプロデューサーから聞いた。
歌詞の最後のサビの”離れても遠くの青い空を”というフレーズは
メロディーに乗せると”離れても東北の青い空をずっと忘れやしない”と
聞こえるように書いたと作詞のSatomiさんが言っていたと。
参りました。

その夜にも武将隊Japanの面々はそれぞれの地に帰っての仕事が待っているというので
滞在時間約三時間程で、同じバスに乗ってまた東京への復路につかれた。

彼らを見送り自分はプロデューサと二人で牡鹿半島を海岸線沿いに車を走らせ
少し遠回りをして石巻まで向かった。
せっかくだから色んな光景を私に見てほしいというプロデューサーの配慮がありがたかった。

今月の11日で一年が経つという事で、テレビでもそれまでの日常にも増して
報道される震災関連のニュースに、逆に軽いPTSDにも似たような感覚にもなるとも伺った。

ある先生が、生徒の書いた句を読んでくださった。

”夢だけは壊せなかった大震災” 

なんとも言いようがない気持ちになった。

石巻のホテルで少し身体を休めた後、
お世話になった先生方と食事をさせていただいた。
途中から校長先生も顔を出してくださった。

女川町といえば偶然にも、これまでに多くの楽曲を提供させていただいてる
中村雅俊さんの出身地でありまた、女川第一中学校は出身校だと知る。

”私はみんなで歌う合唱が大好きです。みんながその歌で心を一つにでき、
そしてその歌は、みんなが帰って来れる場所そのものなんです。”と仰っていた。
そんな校長と、そして現場の熱い先生達に出会えた事の喜びは大きい。

この震災で身内の方や知人を亡くされた生徒達も先生方もいらっしゃるとうかがった。

心に傷がないわけがない。
被災していない我々だって相当のダメージがあるのに。
校長や先生方と話しているとまるで自分が生徒になったような感覚になる。
我々とは違う方向性の強さをそこに感じたからだろう。
なんだったってどうしたって乗り越えて先へ進まねばならないんだ。

自分がもし被災した立場の身ならどうだろうかと考えながら、
あの最初に目にした女川の町と、そこに住む生徒さん達が大きな声で唄う姿を想い、
そんな生徒の姿に瞳を潤ませて、よかったよかったと言ってうなずく先生達を前に、
それでは都志見さん何か一言と言葉を求められ、多少の酒は入っていたとしても
小さな心臓を覆うまるで豆のあま皮のような薄い忍耐力は役に立つはずもなく
ものの見事に感情に突き破られて、
結局は涙をこらえきれずに最後にはピーピーピーピーとヒヨコの様に
泣いてしまうしかなかった。

まあ...いいか。。 そんな事をも教えられにこの女川まで来たんだろう...きっと。


女川第一中学校の校長先生や先生方達と

メロディーに言葉がついて自分で呼吸をし始めた作品は、もう自分のものと言う感覚ではピンと来ない。
悩み書き上げた時の感覚はとうの昔に忘れており、武将隊や生徒さんの歌になり
聴いた誰かのものでいいし、それが町の歌になればいいしそして願わくば
一瞬でも世の中の一部にもなればもっといい。

作曲は、そんなきっかけの第一歩に過ぎないと思ってる。

そしてここから先がまさにプロデューサーの腕力だろうと思う。

10年前のひよっこプロデューサーが、
10年をかけて繋いできた人々の数は一体どれだけになるんだろう。
きっと凄い数だと思う。大したもんである。

そんな事をエラそうに言いながら理不尽な社会の前線にも出ずに、
温々と業界の先輩ズラしている自分の方が、実は
本当に一から性根を入れ直さなきゃならないヒヨコちゃんである。
事あるごとにピーピー泣いてツラの皮も一向に厚くならない。
全く示しがつきません。

今回、本当にプロデューサーのおかげで無事に第一走者の役割を果たせました。
そんな気持ちなんです。

おもてなし武将隊JAPANの面々 女川第一中学校の生徒さん そして校長はじめ先生方
各々スタッフの皆様方 ベルウッドレコード様 最後に山元淑稀殿 

心の底より感謝いたします。ありがとうございました。

さて、時計を見るともう既に日付も変わっていた。
一年前の今日、大地があんなに揺れるなんて誰が想像できただろう。

この歌が生まれたきっかけはあの震災だったけれど
決して復興のためだけに作られた作品ではない。

この震災を決して忘れてしまわないように、
そしていつでも自分の愛する人や故郷の空を想えるように
この歌がずっと誰かの心に残ってゆけるといいな。


2012.3.11





























あん時の夕日

2012-02-28 | 音楽♪
今回の「ALWAYS三丁目の夕日'64」には
泣いた笑た。
初回からの三作目だが
毎回の様に映画を構成するすべての要素に気配りと正直さを感じる。
丁寧に物事を運んでいる事への信頼は
その人や作品を好きになる上での僕にとっての一番の大きなきっかけになる。
最後にBump of chickenの「グッドラック」で撃沈や。
そんな歌が書きたいんや、そうやそれや!という想いやで。

小学生の頃、ある日の夕方頃だったろう
親父がニコニコして玄関をあけて家に帰ってきた。
「来たで、来たで!」
父ちゃん、何が来たん?
「車買うてきたで!」
父ちゃん、車買うてきたん!?
「おう、ほうよ。早う、乗れーや!
おかあちゃん何処や?
おーい、来たで!早うせーや!」

都志見家にはじめて車が来た。
親父が中古で買ってきたトヨタパブリカ。

僕ら弟と一家四人は暗くなりかけた町を
そこどけ!とばかりにライトをつけながら
母の弟の住む四つくらい先の町に向かって走り出した。

きっと、誰かに見せたかったに違いない。
そしておそらく我ら家族が成し遂げた
マイカーを所有するという行為に隠れた、もっと大きな
家族という力強さとか安心感とかそういったひとつの結束力を得たような感動を
子供は子供なりに、両親もそれぞれにに感じていたに違いない。

そんな時代だったからこそ、少々貧乏でも幸せを感じる要素は
お金以外のところにもたくさん転がっていたような気がする。

今回のALWAYSー三丁目の夕日64はそんな僕の個人的な想いと
時代背景が思う存分重なって一種のフラッシュバック状態だった。

無責任な言い方だが、日本はドン!と一度、船底まで堕ちないとダメだろう。
体全体を使って底から這い上がろうとする力以外に今の日本を支えられるのかな。
中途半端にぶら下がっているから腕の力しか使えない。
元に戻れなくなったら、原稿用紙をちぎって丸めて
また最初から筆を落とす作業も必要だと思う。
曲も、いいとこだけ残してなんとかしようと思うから
脳味噌が煮詰まり、出汁も不味くなる。

そう言えば僕が東京の親父と慕うお方の話を思い出した。
当時、立川から新宿までまだ砂利道だった若き日の甲州街道を
はじめて買った黒塗りの車に仰け反って煙草をフカシながら運転していたそうな。
立川から新宿まで走っている間にすれ違った車はたったの三台だったらしい。
あの時代はさぞトッポイ格好だと思っていたが今写真を見るとわらっちゃったよと
仰っていたのを思い出す。
僕の母親と同学年 なので今年で76歳になられるが
見た目は元気でも中身はだいぶガタがきてるよと仰る。

時代というものは発展もするが、その陰にゴミも溜まる。
モノだけではなく、考え方や価値観や心の持ちようまで
時代の流行りものとして納得する必要がどこにあるんだろう。
今の時代だから仕方がないと問題を意識することもなく流れてゆく日々の生活は
人間の喜怒哀楽まで時代がこうだからと本質を簡単に歪められてしまいそうだ。
だから、人も時代もバグったら一度リセットすべきだと思う。
多くを失うリスクもあるが、違う何かを得るスペースだってできる。


20年前くらいに買ったわりと価値の高かったゴルフ会員権だが
先日会社更生法の適用に踏み切ったと知らせがあった。
つまりお金を持っている人に助けていただく予定なので
とりあえず今後どうなるかわからんけど、まあとりあえずそこんとこヨロシク!
事の詳細を詳しく聴きたい奴は、いついつ何処何処で一回だけ説明会やるからどーぞというこった。
色々と企業努力の能書きもあったが、結局は時代のせいですということに
終始した文言だった。
勝手な言い草だが、不思議になんだかそこまでもう腹も立たない。
こちらも頭のどこかでそんな時代だから仕方がないという前提をもって
思考対処しているのかもしれない。
この野郎と叫んでもどうしようもない。

いずれや必ず僕が音楽をやめる日も来るだろうが、
僕は決して時代のせいなどにしない。
あると思っていた才能がないとわかり、意欲がなくなりましたというだろう。
その原因はと尋ねられれば、
喋ると色々長くなるので、まあとりあえず
時代のせいですと 言うとこ かね。

もうすぐ春ですね。

2012-02-24 | 音楽♪
今日はもうダウンコートを着なくてもいいかななんて
外の空気の温度を確かめる日がだんだん増えてきた。

少し薄着にするだけで少し背筋が伸びるようで
マフラーを外した襟の隙間から入り込む風も
もう身体の芯までを冷やす程のものではなく
いよいよ春はもうそこまで来ているかのようです。

ここ数日は、来週スタジオでお会いするかも知れない作家殿の
まだ未読であった小説やエッセイ等数冊の読破に費やした。
お会いする為の予備知識というよりも単に興味があるからなのですが。

すでに送られて来た歌詞を読めば、色んな想いというものが
歌詞という短い言葉に収まるまでに費やした時間や、その深さが
文面から伝わってくるようでした。
デモに仮唄を入れるとき、あるフレーズに感極まり
何度か喉を詰まらせる度に、なんだか気持ちの奥底を
静かにあぶり出された感覚でした。

性分として、昔から自分の周りの事を人に伝えるのが上手ではないだけど
ある時知人が、とにかく人に話す事も大事なことだよと言ってくれたのが
ずっと心に残っており...

昨夜も目黒のブルースアレイでライブ観賞のため
とてもお世話になった方と10年ぶりくらいに待ち合わせ
色んな話に花を咲かせていた折
今度この方と一緒に作品を作ったんですという話しをしたところ
「え~そうなの。彼とは昔からの友達だよ」という全く予期せぬ発言に驚き そして
仰け反る程に世の中の狭さに戦いた(おののいた)。
お会いしたらよろしくお伝えするという
印籠も特別に頂いたおかげで、
襖一枚近いところからご挨拶できそうでよかった。

自分の発する想いや言葉が思わぬ展開をもたらす事も含め
程々に喋るということは本当に大事なのだなあと再認識した。

昨年、テレビでわりとヘビーローテーションしてたCMがあって
そこに流れていた曲がちょっとだけ気になって
作品や作者を調べた事があった。
Kyleeの唄う 『CRAZY FOR YOU』って曲。
作詞作曲が磯貝サイモンだった。

おそらくだがカイリーの歌声と、きっと
♪夜空は君への滑走路♪というフレーズが個人的にツボだったに違いない。
滑走とか滑走路とか その言葉が妙に好きなのだ。

さておき、
そんな事をたまたま、またまた友人と話していたわけだ。
つまり気になる曲があって調べたら磯貝サイモンだった事や
KARAなども書いてるが自分は少女時代派だが云々カンヌンと。
そしたら、友人が「サイモンはよく知ってるよ、紹介するよ」とっ。。

年が明けてすぐに連絡をいただき、月が変わってすぐに会った。
父上が私と同じ年という事だけで
何だかすぐに勝手に息子のような気持ちになっちまう。
才能溢れるミュージシャンだ。

そしてとてもいい青年。
最近のアルバムを頂いた。

磯貝サイモン...<ハートマーク>
しかし作詞作曲唄演奏、これ全部自分でやっとん?


飲み過ぎて溶け落ちそうな私と君の音楽の未来に乾杯!

寒中お見舞い申し上げます。

2012-01-14 | 音楽♪
気象庁が暖冬宣言を撤回したらしいですが
近年に比べると、今年は本当に寒い冬になりましたね。

みなさんおはようございます。
数年前に比べてタートルネックを着ている人が
本当に少なくなったと感じます。

何気に僕もハイネックやタートルを着なくなったその一人ですが。

しかし洋服の流行巡りの早さとセールの値段には驚きますね。
少々お金を払ってでも流行りにとらわれない洋服を長く着たいと
いつもそんな気持ちで、
セール前の洋服屋にぶら下がった一着と向き合いながら
自分に問うてます。

「お前、ホンマにこの服ほしいんか?よ~考えや!
買うまでがあれこれ一番ドキドキするんや。
手に入れてしもうたらまた家のえ~もん掛け(ハンガー)に吊るしたまま、
ひと冬越した今までの悲しい服と一緒の運命辿らせるんとちゃうんか?
よ~考えや!もういっぺんよ~考えや!」
(しかしあんた...いつから大阪のおっちゃんになったんや?)

一着買うのにも大変です。

去年、一家大断捨離してからというもの
絶対に必要な物と絶対にほしいものしか買わなくなった意識傾向です。

物も人も仕事も 大事に長くがモットー。
なかなか思うようにはいきませんが、
それでも僕のモットーです。

さて、昨日ですが 我が大腸を内視鏡でくまなく検査して頂きました。
ポリープが7個、その内の4個を切除。残りの切除は半年後に予定。
先生曰く「多いですね。おそらく都志見さんと同じ年代の人と比べても7個は多いです。」
「..........」
病理検査の結果は1週間後。

昔はポリープ切除も入院していたらしいですね。
今はその日のうちに帰宅可能なので本当に楽でした。
もう流動食も三日目。
この歳になってはじめて脂モノ、甘いモノ そして酒が
人生の楽しみにとても華を添えている事に気付きました。

なにはともあれ、まだ内視鏡検査未経験の方には
小さなポリープが癌という姿に変貌してしまう前に
とにかく早めの検査&切除を薦めます。

-----------------------------今日の一曲------------------------------------


All 4 One I can love you like that(1995)

「I swear」という曲が好きで買ったオールフォーワンのデビューアルバムだが
この2ndアルバムも1995年。
あれからもう15年以上も経つのか。
長い歳月も振り返れば昨日の事のようだ。

この時代のメロディーのシンプルさがなつかしい。
僕自身、洋楽な感じっていうと
テクニカルにとても難しい事をやろうとして、
なんだか勘違いしまくっていた時代もあったけど、
自分の作っていた楽曲より、よっぽどシンプルに聴こえる。

 反省。

寒さはまだこれから。風邪等ひかれぬようご自愛を。










逆風

2012-01-09 | 音楽♪
このところ本当に清々しい冬晴れの日が続いていますね。
あまり密度がなく生えてくる僕のひげ剃り後の頬でさえ
クリームを塗らなくてはツッパってしまう程 
乾燥肌になっています。
それだけ空気が乾いているという事ですな。

みなさんおはようございます。


本日は晴れ晴れしい成人の日であります。
今年成人される方々 おめでとう!

僕が20才になる年には、確かどこかの地方の成人式の会場のイベントで
歌の仕事をしていた記憶がある。
なので、自分自身が成人式に参加した覚えはないのだけれど
やはり人生において二十歳(ハタチ)という歳は
公にも最初の大人の仲間入りをする年齢。
悪い事をすれば少年Aではすまないから
とにかく人に迷惑だけはかけるなと
母親が一層語気を強くして僕に言っていたのを思い出す。

この世に産声を上げてから20年目の節目って
色んな意味で凄い事だよな。
僕などは丈夫に生んで頂きそれまでにこれと言った大病もせず、
人並みに食べさせて頂き,そして育ててもらった20年だったけど
本当はそんな当たり前の様な事が実は奇跡に近い事かも知れなくて、
両親の愛情に守られながら大人の門を叩けた事に
今となっては感謝の気持ちしかないよな。

昔 僕にもやはり反抗期というのが人並みにあって
”生んだのは親の勝手だろ!”などとひどい事言って
母親に絡んだ事もあったけど
今さらながら本当に恥ずかしいね。

まあとにかく可能性多き世代
若いって事だけで素晴らしいのだよ。 

色々と生きにくい世の中だけど
若き獅子達よ 逆境にも感謝しながら気張りなはれ!

-------------------------今日の一曲------------------


織田裕二ー逆風
(1991)

今年の成人式は1991~92年生まれの人らしいが
その頃書いた曲の中で思い出深いのがこの曲。

91年の東芝からデビュー時の
「歌えなかったラブソング」から織田くんに
関わらさせていただいた。
彼に書いた曲はどれも全部歌詞に曲をつけた詞先楽曲。

当時、作詞家の真名杏樹さんが色々と織田くんの想いを引き出し
言葉にしていた。
この「逆風」という詩は...というより小説の一片のような文章を頂いた時
それはレポート用紙三枚くらいにびっしりと書かれていた。

ほとんど切ったり貼ったりする事なくそのまま歌にできた事が
嬉しくてたまらなかった。
デモテープで唄ってみると、最後の言葉に達するように
自分の気持ちもジワジワと熱くなってゆくのがわかった。

唄い方もストレートで彼らしくて生々しい。
織田くんに書かせて頂いた中でも思い入れのある大切な一曲。

この曲もやっと成人。おめでとう そして 感謝です。


Have a good music, good friend and good life. Baby!








Happy Birthday Song

2012-01-05 | 音楽♪
今年の年始は暦回りからも始動が早いですが
それでもまだ少し大人しい感じの残る渋谷界隈でした。

みなさんおはようございます。

仕事始めの昨日、池尻大橋の氏神様 氷川神社に詣でて参りました。


この辺りは仕事関係者も多く、ミュージシャンの知人と偶然バッタリと。
おみくじは中吉。

大吉か小吉かなどはあまり意味はなく
そこにある文言をよく噛み締めよと、あるお方が言っておられました。

そういえば、友人が年賀にくれたメールに
”おみくじを引いたら「末吉」、
今年も自分の身の丈にあった幸せを求めて頑張ります”
とありました。
こんな言葉を聞くと、心がほんわかと暖かくなります。

僕も自分に素直に正直に生きて生きたいと改めて思います。

年明けて4日目でしたが、まだまだ次から次へとお参りする方が上がって来られておりました。

昨日ですが、僕の友人に子供が生まれました。
3040グラムの女の子らしく名前は”咲希”と名付けたそうです。
とってもいい名前だな。
人の事ながら、何だかとっても嬉しい気持ちになりました。
彼女の未来に希望の持てる社会が待っている事を
願うばかりです。

そしてまた、別の友人の肉親が亡くなったという知らせも
同じ日にありました。

喜び 悲しみ 色々あるけれど
頑張っていきましょう。

さて今日はギターダビングの完結予定。いい作品に仕上がりそうです。


-----------------------------------今日の一曲-------------------------------

浜田省吾-Happy Birthday Song.


仕事始めはハマショーで決まり!

昨日生まれた咲希ちゃんと、本日53回目の誕生日を迎えた友人へ。

Have a nice day !

Haven't Met You Yet

2012-01-02 | 音楽♪
2012年 明けました!

今年もいい年にしたいですね。
みなさん、よろしくお願いします。

おはようございます。

大晦日はいつも除夜の鐘と共に新年を迎え
わりと遅くまで起きている事が多かったのですが
何だか今回はギリギリまでバタバタとしてたせいか
身体も疲れていて、その日のうちに就寝いたしました。

犬どもの散歩中に枯れ葉の中を探索していたミミの鼻先が
急に腫れ始め、元旦早々から
僕の履いているエンジニアブーツのようなシルエットに。

幸い、いつもお世話になっている動物病院は元旦も16時までやっていたので
直ぐに連れていき元旦注射一本!
先生曰く、枯れ葉の中は暖かいので虫達はそこで冬を越すのですが
決して眠っているわけではなく、そこに巨大な鼻が侵入すれば
容赦なくハチの一刺しを見舞われるわけで。
ミミちゃん、運が悪かったですねえ(笑)、と元旦早々大笑い。

2日の今朝には腫れも引いて元気に飛び回っております。

話しは変わりますが
僕らが子供の頃は少なくとも正月の三ヶ日は
とにかくお雑煮やお節料理を中心にした作り置きしてあるもので
腹を満たした記憶があります。
両親が共働きだったせいもあり、
せめてお正月くらいは上げ膳据え膳で と 母にとってみても
この三日間は胸を張って何もしないでいい日と公言していました。
なので正月も三日目あたりになるともう
カレーライスとかラーメンとか油っぽい物が
恋しくて仕方がなかった思いの正月でした。
当時は街中が正月休みで初売りも早いところで
3日から、通常は5日からというような時間の流れ方ではなかっでしょうか。

日本は高度成長期 僕は幼少期
色んな事に我慢しなければならなかったけれど
だからこそ、そのありがた味も格別なものでした。

元旦の昼過ぎ、車で通った環八沿いにあるロイヤルホストは
年始から大盛況で、例外なく僕も急に頭の中にハンバーグが飛びまくり
どんなに待ってもいいという覚悟で車を止め
期間限定とやらのハンバーグをとても美味しく頂きました。

我慢なんて言葉はどこへやら...
まったく歳を取るごとに甘やかされたオジサンに変貌中です。
来週には大腸の内視鏡検査がある事を理由に
とりあえず、食べたい物を食べとこうなんて
少々動物的な感覚の年始であります。

さて、みなさん 今年もより良い一年を目指しましょう!

改めまして、本年もよろしくお願い申し上げます。

----------------------今日の一曲-----------------

michael buble - Haven't Met You Yet

昨年末の窓拭きの際、そのリズムに一番似合っていた曲。

マイケルブーブレはご存知カナダ出身のシンガーで
若手ジャズシンガーとも言われてるけれど、
以前に紹介したトニーベネットのデュエット作品ばかり集めたアルバムを
何気に頭から流して聞いていた時に、
その声質だけでそのヴォーカリストが誰だかわかるって凄いことなんだなと
改めて思った事があった。
このマイケルブーブレも例外ではなく一聴して誰だかわかる。
声質、唄い方共に個性があり、なにしろそれが一番大事。

Tony Bennett & Michael Buble, Just in Time

今年も信念ブレずにハネまくっていきたいですね!

Have a happy new year days !




Gran Torino

2011-12-23 | 音楽♪
少しずつですが、この一年もその終わりに向かって
本格的にギアが入った様な街の空気を
感じ始めている今日この頃です。

みなさん おはようございます。

この時期にはやはり布団に包まる幸せを
一分でも多く味わっていたい朝
目覚まし通りの時刻にシュッと起き上がるには
大変勇気のいる季節です。

数日間投与した薬のお陰で
やっと身体からマイコプラズマの野郎を追い出せたようです。
少しずつ自分本来の身体の感じに戻りつつあるようで
暮れに向けてまた酒の飲める日が楽しみです。

毎年受ける健康診断の結果が
先週送られてきましたが、
2回ある検便のうち一度だけ便潜血陽性となり
年が明けたらすぐ大腸の内視鏡検査を受ける事になりんした。

その予約と問診に病院を訪ね
院長先生と向かい合うなり
「え~と、都志見さん内視鏡検査ははじめてですね?
お酒飲まれますよね?
ポリープ、あります。
ですので当日取れるものは取っちゃいますね」
「えっ!?」
「この歳でお酒飲まれる方は間違いなくあるんです。」
「はい...」
「これでもかとウォッシュレットをやるので
甘やかされた粘膜に傷がつき出血したのかと思いましたが
自覚症状もないもで」というと
「自覚症状がないから恐いんですよ(笑)。
それと中性脂肪が高いので
頚部のエコーは是非受けてくださいね。
では来月お待ちしています。」

しかし思うに、いい医者っていうのは
似た様なオーラを持っている。
犬の腰の事でお世話になった浜省似の先生も
指痛を治してくれた今にもチェロを弾きそうな先生も
今度の内視鏡科の東大医学部卒の若いあんちゃん先生も
知識と実力、そして経験に裏付けされた自信というオーラが
患者にも安心感として静かに伝わる。
そしてその住宅街にある病院の待ち合いに人をどんどん引き寄せて
溢れんばかりの人に椅子が足りないほどだった。

現世の記憶と想いと共に次に生まれて来れるなら、
僕は迷わず医者を目指したいと思った。
対人間という中での真剣な関わりを次の魂の修行時には
是非行いたいと思うのだ。

検査を良く知る知人に聞けば
検査そのものより、
その朝に飲む2リットルあまりの下剤がキツいらしい。
一度腸内を清掃する意味でも いい機会かも知れない。
その時またご報告。

---------------------今日の一曲-----------------------------


Gran Torino - Jamie Cullum


ジェイミーカラムが唄うグラントリノという映画のテーマ曲。

この映画の事は以前にも書いたけれど
とにかく僕は個人的にクリントイーストウッドの映画が
大好きなのである。
「マジソン郡の橋」「スペースカーボーイ」や
「ミリオンダラーベイビー」などなど
上げればキリがないが
僕は彼の描く人間像に時々何か自分を遠くから見ている様な
とても似た性質のものを感じる時がある。
それはおそらく僕だけに限らず人間の業やモロさや優しさや
奥深に潜む色んな感情を上手に説明してくれているからだろうと思う。

無意味にシーンを飾る音楽が本編にないせいもあり
余計にこの曲が染みて、涙となってはこぼれないまでも
本当に泣けた映画だった。

Have a nice week end !









心音

2011-12-19 | 音楽♪
今年の風邪は噂通り、喉に貼り付く。
身体が暖まると思い出したように咳が始まる。

昨夜は咳で眠れず、最近では喫茶店へ行くような感じで
ぶらりと入れる玉川クリニックで
犬どものシャンプーの待ち時間に飛び込んで
診察してもらった。
どうやらマイコプラズマ菌によるものらしい。
今年とても流行してるんだってな。
どうりで、いつもの風邪の症状とはちと違うわけだな。

乾いた咳の連発は身体にとても負担がかかる。
寝起きの顔を鏡で見たら
一晩で5つくらい歳取った顔してた。

みなさんおはようございます。

久しぶりに会った友人に
「南極大陸」なんか見てるの?って言われて
カチンと頭に来た。
「お前観た事あんの?」って聞いたら「ない」って言う。
同じ業界にいる人間として、とても悲しい発言。

昨夜の最終回 泣いた。
自分の飼っている犬どもとダブらせて考えたりするもんだから
余計に感極まる。
初回からずっと見ていると、あのドラマの役者さん達
言葉を交わすごとに目に涙を浮かべていたシーンも多かったように思う。
そういう役作りを越えた感情の表現がとても自然で
涙をこらえている姿に こちらもこらえようとするその分
不思議に涙はより多く出た。
キムタクはもちろん柴田恭平さんも本当にいい演技をされていた。

しかし動物ってのは、言葉なんか喋らない分
そのちょっとした表情に色んな意味を込めているんだよな。
最終回を見終わって、何だか愛おしくて
すかさず自分の犬どもを抱きしめたら
今ちょうどいい感じで寝てたのに何?ってな顔されて
二匹ともあっち行っちゃったよ。

まあ...そんなもんだよ。

--------------------------今日の一曲---------------------------------

Nanamusica - 心音

数日前、東京の八丁堀で隅田川の後輩とお好み焼きをつついた。
これまであまり縁のない街だったが、
網の目の様に網羅する東京の地下鉄のお陰で
自宅までは思った程 便は悪くない。
さて、杯が進むうちに自分がかつて関わっていた女性ユニット
「ナナムジカ」の話題になり 
珍しく後輩がその作品達をとても褒めてくれた。
いくつになっても褒められると嬉しい。

Pianoの由里は現在ニューヨークでピアニストとしての修行と作曲、
日本にいるVocalの梢(こずえ)ともだいぶご無沙汰しているが 
女としても成長した姿を前に、たまには一緒に飲みたいもんだな。

シングル数枚と「ユバナ」というアルバム一枚。
オリジナリティーあふれる内容で将来的にもどんどん広げてゆける
深い音楽性を二人が持ち合わせていたおかげで、
とても時間をかけクリエイティブに追求できた。

そんな中でできた曲のひとつが「心音」.
ナナムの曲達の中で
誰かにカバーしてほしいと
ずっと思っている曲のうちの一つ。

アーティストの持つ才能との間を長い間浮遊しながら
独自の世界観を彼女達と共有できた約5年だった。
そう考えると、これまで色んな人に引っ張り出してもらってきたな。

誰かに出逢えなきゃ書けなかった曲ばかりさ。 感謝.


安物の時計

2011-12-17 | 音楽♪
もうその店ではトップクラスの常連客と自負している池尻の中華屋で
いつものようにタンメンを食していた。
いつもはランチラッシュの時間を避けてゆっくりと食するのだが
打ち合わせ等の都合で、お昼のど真ん中に自動ドアを開けて入店したので
相席をお願いされ快く承諾したのはいいが。。。

そのサラリーマン風の男 目の前で煙草に火をつけた。
タバコ臭いスーツの匂いが分かる程の目の前で。

普段は人が良すぎる僕であるが
風邪のせいもあってさすがに咳を二回。
「煙草やめてもらえません?」と嫌悪感丸出しでご忠告。
相席、それも人が食べてる途中から座って来て
煙草吸う?。 それも今の時代らしく、
「吸ってもいいですか?」と一応断り入れるならまだしも。

そして何故に忠告した僕の方まで
とても気まずい思いで残りのタンメンを
食べなきゃいけない羽目になるのだろう。
目の前の日本を支えてる風サラリーマンは
無言で煙草を灰皿に押しつぶし
何もなかった様にモバゲーやり始める。
本当に人の立場に立って考えればすむ事なのに
そんな大人がまだわんさか居るんだよな。

みなさんお早うございます。


一昨日ですが、佐野有美ちゃんのCD制作に関わった人達が集まり
お疲れさま そしておめでとうの打ち上げがありました。
約半年以上ぶりでしたがメーカーの制作宣伝スタッフの方々、事務所の方々 
そして我々作家やエンジニアなどなつかしい顔が勢揃い。

加えて有美ちゃんのレコード大賞アルバム企画賞の受賞のお祝いも出来、
とても嬉しい今年の締めくくりとなりました。

翌日がレコード大賞の部門賞関係の表彰式だったようで
事務所の方がすぐに写真を送ってくださいました。
それを終えたらすぐに山梨の公演会場に向かうというハードスケジュール。

彼女の詩集を歌にするという企画が持ち上がってから丸一年。
一年前には想像もしていなかったとても嬉しい評価や
彼女の飛躍を見ていると一生懸命に歩む時間の尊さを感じざるを得ません。
とにかく前を向いて歩き続ける彼女の瞳のチカラに負けない様に
僕自身も来年からもまたせっせと自分の道に精進してゆきたいと思うばかりです。

---------------------------今日の一曲-------------------------------------

矢沢永吉ー安物の時計

今日は風邪のせいか、普段でも回らない頭が余計に回らなくて
何を今日の一曲にしようかななんて考えながら。。

数十年前のコンサートのアンコールではじめて
バンドの後ろの暗幕が上がったと思いきや
タキシードに身をまとった大勢の弦楽団が表れた時の感動も
この曲が最初ではなかったかと思い出す。
この一曲だけのために待機していた贅沢さにも
感嘆の声を上げた。
歳をとった今なりにちゃんと表現出来る作品とヤザワの立ち位置に
改めて音楽の奥深い魅力を感じるよな。

作詞は松本隆さん 何年経っても色褪せない景色がそこにある。

今度カラオケで唄ってみようかね。。

I need to be in love

2011-12-13 | 音楽♪
あれよあれよと今月ももう半分ですな。
なるべく今年の事は今年のうちにと思い始めると
わりと日にちがないもんです。

みなさんおはようございます。
コメント色々ありがとうございます。

あまり大袈裟な忘年会という感じが好みではないので
今年も個別に気の合う仲間と何度かのおつかれさん会を控えているなか
、気まぐれな風邪菌が喉の隙間に忍び込んだようだ。

冬という季節にしてみれば少々温かいというレベルでも
暖かい暖かいと大袈裟に油断するからだろう。

まあ葛根湯で少しずつ収まる程度なので楽観しているが
とにかく熱に弱く寝込むと長びく体質なので、
寝込まないうちにストイックに退治する。

後輩がデモテープ持ってやってきた。
人のデモや作品を聴くとき、何故にここまで冷静に聴けるのだろう。

本人を良く知った上で作品を聴いても
なんか彼らしさを感じない。こんなんじゃないと思う。
もっといいものを持ってる。

僕らより前の先輩方はもちろん、
対応力の幅広い職業作家にも色々と個性はあった。
僕自身は意識はしないが、曲を書けば都志見さんっぽいってよく言われる。
裏を返せば、何を書いても不器用に同じ色合いなのだろうが
無味無臭よりはマシかもしれない。

ジャストミートするか外角低めギリギリか、どちらにしても
相手を叩きのめさなきゃ意味がないのがコンペ。

気楽に書いたときの方がいい場合だってあるし
息を切らして入魂した一発を書くのもいいが
決まる決まらないに、そんな方法論は全く関係ない。
いくらテクニカルな事を盛り込んだって
音楽は食と一緒。食って不味けりゃ意味がないし
即席で作った まかないメシだって、美味けりゃメニューに上がる。

意識が散らばっている。
自分自身がもっとその世界に居ないと身体は踊らない。
たとえラララで唄ったメロディーだって心は充分動く。

自分が音楽を作る時の視点が聴き手の気持ちとずれている。
ひとりよがりは危険。
今その瞬間に新しいものを作ろうとするから一貫性のないものになる。
その要素は日常に学べ。学んだものしか出せないのだから。
自分だって人のデモを聴けば、こんなもんでいいんだと思うだろ?
そんなものでいいのだが、色々考えすぎると
そんなものでさえ書けなくなる。僕だって例外ではない。

気張りたまえ!

-----------------------------------今日の一曲-----------------------------------

鬼束ちひろーI need to be in love(2009)

大好きなこの曲。邦題では「青春の輝き」。

ところで、友人が同じように無人島に持ってゆくならと選んだ曲が
カーペンターズの「トップオブザワールド」。
普段はあまり聴かないという。
何故なら色褪せるから(笑)と言い、
だからたまに聴くと涙そうそうになると笑わせる。

カーペンターズの40周年記念に発売されたトリビュートで
色んなアーティストが参加していたが
不覚にもこの鬼束ちひろバージョンは知らなかった。
オリジナルに忠実に、しかし近寄り過ぎないで
自分らしい解釈をしている歌だな。
才能ある。

日本語の訳詞は色々あるけれど、歌詞は自分なりに
英語から理解するのが一番いいと思う。

Have a nice day!