goo blog サービス終了のお知らせ 

アメノチハレ

都志見隆の果てしない日々の日常

Blog移行手続き中につき

2025-05-26 | Life
みなさま

大変ご無沙汰しております

いつもこの場所に訪れてくださり
ありがとうございます

2006年3月に始めたこのBlog開設から
本日で7001日目

今回利用させていただいている
Goo Blogのサービス終了に伴い
現在移行作業をしています

新しい移行先が決まったらお知らせ致しますので
引き続きよろしくお願いします

都志見隆


雑煮に牛肉

2025-02-01 | Life
1週間ほどズボンのベルトの穴二つ分ほど腹が張り
痛みも出たのでかかりつけの医院で検査

数日後には熱も上がり
風邪かと思ったが
喉の痛みもなく 下痢もしない

泣く泣くゴルフの予定も返上して
安静にしていたところやっと
ほぼ平常運転に戻ったところ

血液検査の結果
何かのウィルスが便と一緒に腸に張り付いていたらしい

今年は大腸癌の検査も予定しているし
弟も大腸癌の手術からまる五年が過ぎた

よからぬ心配もしたが
大事に至らず まずは感謝

腸はほんとに大事


58th st 1st Av NY.NY by Google map

さて

友人との会話の中 
ふとしたことから旅の話になり
かつて3年半ほど住んでいたニューヨークの
自宅付近は今はどんな街並みに変わっているのだろうと
Googleマップで検索してみた

現在のマンハッタンが
一瞬のうちに現れる

45年以上も前に住んでいた街だが
基本的には変わらぬ佇まい

当時住んでいたアパートも
古くなりながらも同じ場所で
あれから自分と同じ年齢を
静かに刻んでいたのだと思えば
ちょっとした感動さえ覚えた

ザザザザッと鮮明に当時の生活が
時間を超えてフラッシュバックされる


1980年頃 アパートの窓から撮影

ほっぺたの赤い中国人の経営する八百屋が
ちょうどアパートの向かいにあったが...
などとマップの中を色々と歩いてみる

在米中に知り合った
同い年の日本人とは今でも
友人関係だが

なんだか懐かしくて
彼にも写真を送り 
お前の住んでいた74丁目のアパートも
そのまま残っているよ〜なんて盛り上がる

久しぶりに会って飲みながら
昔話でもしようという約束をした

人生のほんの一部だが
そこで過ごした時間は
やはりその場所で呼吸をし
生活をしてみないと
わからないことだらけで
その後の人生にとって
貴重な経験となったことは
今更言うまでもない


ところで タイトルの雑煮に牛肉

うちはなんで雑煮に牛肉を入れるのか
先日 母に初めて聞いてみた

「昔の田舎だから 
牛肉なんて普段食べれなかったけれど
あのころは年に一回だけ
お婆ちゃんが正月に牛肉を入れて
雑煮にして食べさせてくれたんよ」

そんな田舎で育った母が
僕らに作ってくれる雑煮にも
今でも餅や色んな野菜に混じって
牛肉が入っている

そんな事を書きたかったわけだけれども
今回はどうやら話が脱線し過ぎたようだ

人それぞれが人生で遭遇する経験こそが
環境を選び人格を作り
出会う人を導いてゆく

この歳になっても
新しい経験にワクワクできるように

そんな元気の源の まずは 腸

大事にしないとね




2025年 『飛』

2025-01-04 | Life


一月一日

普段と変わらぬ時間の起床

雑煮とお節に熱燗つけて
今年もよろしく

朝から酒をいただくのは
一年を通してこの正月だけである

昨年の正月を上まわるほどに
日差しが暖かい2025年元旦

近くの玉川神社で奏でる御囃子が
静かな街に心地よく響きわたる

去年のおみくじは 吉

おみくじ箱に手を入れガサガサと
やり直しのきかない一期一会の
たった一枚を探る

大事な今年の行方を託すつもりはないが

それでも一年最初の運だめし

ガサガサ ガサガサ

後ろで待っている人が居ようが

ガサガサ ガサガサ

そして運命の一枚は 


玉川神社 御朱印 2025.1.1 元旦 

見事に 大吉

読めば 

今年は飛躍の年
全体通して上昇気流らしい

最後までよく読めば

お前に大吉は与えるが 
最後の最後まで気を抜くなよ
えらい目にあうぞ

そう言わんばかりの文言だ

過信せず油断せず精進せよということか

おみくじがあってもなくても
生き方に違いはないが
初頭に大吉なら上出来というもんだ


というわけで 今年も
自分の枠にとらわれず
自分で限界を決めず
凝り固まった殻を一枚でも二枚でも
破るくらいの気概を持って
生きてゆけたらいい


虎屋 ゴルフボール最中


年明け ゴルフの初練習に行けば
毎年恒例の虎屋のゴルフボール最中を
お年賀にをいただいた

ゴルフも歌も まずは飛ばしてなんぼ

引き続き ヒットを狙え!


本年もよろしくおねがいします






よい年を

2024-12-31 | Life


昭和の真っ只中

丁度 映画「ALWAYS 三丁目の夕日」の頃生まれた僕は
両親は共働きで年末ギリギリまで働いていたので
大晦日は家全体が大忙し

親父は網戸や窓を外し水洗い
僕は弟と運動靴を洗ったり教科書を整理したり
母はといえば 朝から台所に立ちっぱなしで
お節料理の用意

夜の7時くらいから始まる
日本レコード大賞からの紅白歌合戦に間に合わせようと
家族が一致団結して大晦日はドタバタだったのを思い出す

そんな事が思い出としてずっと心に抱けることって
今となってはとても有難いことだと思う

あの時代に生まれたからこその経験全てが
今の自分の原点

人並みとは言えないまでも
親は親なりに
その時できる精一杯の事を
自分達兄弟に経験させてくれた

つくづく両親には感謝の気持ちしかない


2024.12.31 自宅にて

今日は午前中
予約しておいた年越し蕎麦を受け取りに
街へ出て 
それから自宅の玄関周りの掃除をし
本日は17時までという近所のゴルフ練習場へ急いで
100球ほど練習した

生まれてから66回目の大晦日

そろそろ日が暮れる準備を始めた西の空は
淡く真っ赤に染まり始める

てなわけで
今年も一年 大病もせず
無事に一年を終えることができました

ありがとうございました

来る 2025年

物価も高騰し
社会情勢は厳しく
政治 経済 外交など
日本だけにとどまらず
世界各地で色んなことが起こりそうと
各方面でも言われてますが

願わくば大きな災害もなく
皆んなが穏やかに幸せでいれたら

そしてまた新しい作品を残せたら

そんなことを願いつつ
静かに新年を迎えたいと思います


よい年を





66

2024-12-27 | Life

冬至を過ぎたら 日毎に少しずつ
日没が遅くなってきているのが嬉しい

数日前 とてもご無沙汰している方からの連絡で
ある方の訃報を知った

今年6月に亡くなった敬愛する音楽事務所の会長と共に
広島でもがいていた僕に会いにきてくれた
長谷川明男さんという方

才能より根性は自信がありますと
このチャンスに食いついて離れない一人の青年を
広島から引っ張り出していただいた

その日から僕の音楽人生が本格的にスタートしたわけだが
その当の本人のお二人ともに
もうこの世ではお会いできなくなった

なんとも寂しい限りだ

今振り返れば
当時の自分の行動のひとつひとつが
すべて上京のきっかけとなり
どれかひとつでも欠けていたら
おそらく夢には近づけなかっただろう


1976 どこかにて 都志見隆

根拠のないパズルの組み合わせに
ラッキーが重なり
なんだか思いが形になりそうな予感を抱きながら
連絡をいただいてから待つこと2週間

東京からお二人が
とうとう広島に来てくれることになったわけだ

うちの社長が
あなたの送ってくれたデモテープと手紙を読んで
一度会ってみたいと言っています
と電話をくれたのが長谷川さんだった

生意気盛りの自分に
上からではなく ちゃんと目線を合わせて
時にはきびしく 色々と教えていただいた

コイツの唄ならきっとイケると信じて
心の底から期待をしていただいたにもかかわらず
当時は結果を出せずじまいだった

奥様が藤沢にてカラオケスナックをやられているらしく
都志見君の曲がよく歌われてるよなんて
ラインを下さったりと
遠くからいつも静かに見守っていただいていた

あん時の18歳の小僧も本日12/27で
66歳となりました

つくづく 自分が今こうして立っていられるのも
様々な人たちに関わっていただいたおかげ

一人一人にご挨拶はできないけれど
新たな一年も そんな感謝の気持ちを心に留めて
元気でまた歳を一つ重ねてゆけたら

そんな気持ちで一杯です



そして

明男さん 幾度にもわたる癌の再発と戦いながら
84年の人生を全うされました

今年のラインでの新年のスタンプのやり取りが
最後となりました

消さないよう大事にしておきます

改めて
これまで本当にありがとうございました

心よりお疲れ様でした


安らかに



ボスへ

2024-06-21 | Life

なにしろ この人と出会わなければ
今 僕はここに居ない

高校三年生の時に
広島から東京へと
手当たり次第にデモテープを送った

唯一 興味を示していただいたのが
現 芸能事務所「研音」の創設者である
この野崎敏夫さん 通称Bossだった

インターネットのない時代だからこそ
長い手紙に託した音楽への想いは
拙いながらも その筆圧と情熱が
野崎氏(ボス)の心にどれだけか響いたのかもしれない

便箋何枚かに自分の思いを書き尽くし
小遣いはたいて写真館で写真を撮り
数曲のデモを録ったカセットと一緒に
願いとあきらめも込めて
これが最後 と送った先が研音だった

どこの馬の骨とも分からない小僧に会いに
1976年の春のある日 
広島までわざわざ出向いていただいた



故 野崎敏夫氏と 1976年 事務所の隣のレッスンルームにて撮影

当時 経理から出る給料8万円円の封筒に
ご自分のスーツのポケットから4万円入れて月に12万円
当分はこれでやれ 内緒だからなと渡された

上京したばかかりの時期はほぼ毎日
四谷三丁目のアパートで曲を書き
レッスンルームで歌の練習ばかりしていた

YAZAWAの「サブウェイ特急」という曲を唄っていたら
ボスが入ってきて お前は迫力がいいな
これは誰の歌だ こんな曲がいい
永ちゃんに書いてもらうか!なんて冗談まじりに
拳でリズムをとりながら

この写真はその時に撮ったもの
ボス40歳

2024.6.11
俳優の反町隆史が連絡をくれ
野崎氏の訃報を知った
6月1日に亡くなったという事だった

まだまだ 実感も湧かない

その前にも3月31日に国際フォーラムで
研音所属の俳優陣やアーティストが総出により
創設45周年の記念コンサートをやるんだと
彼から連絡をいただいたばかりだった

3月31日と言えば ボスの誕生日

ボスが僕の広島の実家にて
当分の間 息子さんを自分に預けてくれと
両親に挨拶しに来てくれた日のことを思い出す

僕はこんなにまで人の人生に関わり
そしてその夢を背負ったことがあるだろうか

詞や曲の事が大好きだった人

勝っても負けても 次へ次へと
それをエネルギーに変換していった人

来る人拒まず 去る人大事に
一切 人の事を悪く言わなかった人

広島からの新幹線にて
隆夫 この川を渡れば東京だよと
それまで寝ていたボスが多摩川の手前で
むくっと起きて言った

僕自身は 故郷広島をあとに
不安と期待に一睡もできなかった

そして 確実に
あの多摩川を飛び越えた日から
僕自身の音楽人生は始まった

感謝という言葉をどんなに使っても言い尽くせない程に
ボスに対して今思う言葉が見つからない

本当に恵まれた音楽人生への第一歩を
僕への信頼とともに与えていただいた


大手芸能事務所「研音」の創業者
野崎俊夫氏が今月1日に死去 88歳、老衰のため



お前もようやく作曲家として食えるようになったな

いつだったろうか 言ってくれた


心底嬉しかった


ボス ずっとずっと ずっと

ありがとうございました


合掌


archive
ボス






(仮)

2024-04-18 | Life
旅好きなくせに
旅支度が大の苦手だ

どれを着ようか そのために
何を持って行こうかなど
なかなか絞れない

仮にもし寒かったらどうしよう
腹具合の悪い時に備え
下着は余分に入れておこうなど

考え出したらキリがなく
結局はとりあえずこんな感じで
多めに持ってゆけば事足りるだろうと

しかし 実はその半分以上はスーツケースから出さずに
そのまま持って帰ることになる

荷造りの半分以上は余分な(仮)の所帯道具ばかり

仕事上 頻繁に海外出張をこなしている友人など
見ていると本当に必要最小限のものだけで
とても合理的に乗り切っている

ワッサワッサと重たい荷物を持って歩く僕の傍を
ボストンバッグひとつで颯爽と歩く

羨ましい限りである



(仮)と言えば
仕事上でも頻繁にある

本番前の仮ミックスや
生録音用の仮のシンセトラック

プロジェクトが終わってしまえば
ほぼ必要のないものが(仮)

たまに仮唄の方が力が抜けていて
なんだかいいんだよねっていう場合も
稀にあるので
仮と言えども作業自体のクオリティーは
何も変わらない

昔の話だが
頂いた歌詞に
(仮)と書いてあったことがある

決めてくれなくちゃ
曲なんて書けるわけはないのだが...

良いとこあれば使って みたいな歌詞なら
最初から無い方がいい

文句も言わず 時数はそのまま
しかしその歌詞の一言一句使わずに
曲を書いたことがある

タイトルも(仮)なんて
僕にとっては考えられない

そっちの心が決まってないのに
こっちがキメられるかよと
生意気にクレームつけた事もあった

先に書くという役割は大きいのだ

曲が先か 歌詞が先か
その作り方に応じての狙いがある事もわからず
詞先で書いた歌詞が(仮)なんて

貪欲にヒットを狙いたい僕みたいな職業作家にとっては
なんともモティベーションを下げてしまう

それがまさしく(仮)なわけである

仮なんだけど こんな感じの曲だから
歌詞ヨロシクねって
M-1(仮)の譜面とデモが来ても
君は何をよりどころにして
歌詞を書くのだろう

そういえば自宅リフォーム中につき
現在仮住まいがもう三ヶ月

完成後の自宅への引越しの復路があるため
使う荷物も必要最小限で
その他は段ボールに入ったまま

やはり何事をするにも
どこか心は(仮)で
今ひとつ定まらない

このままもしここに住み続けられるだろうかなんて
考えたら 多分無理かもしれない

その先に未来の決定稿があるからこそ
決められた期間 その場所で(仮)で居られる

人生は決定稿を積み重ねてゆく作業

だから失敗からも学べる

ぜひ 次の一泊二日の旅では
必要最小限の着替えとモノだけを
小さなボストンバッグへ詰めよう


年齢なりに心を決めて
前より身軽に人生を
歩いてゆけばいいのだ



四方山話に桜咲く

2024-04-04 | Life


年々ひどくなる花粉症

それでも僕は還暦を超えてからだが
同世代の友人など 30代からもうすでに
花粉症で悩まされていた人も多い

春といえばゴルフにもいい季節

だがそれは こちらからわざわざ花粉の元へ出向く行為で
今年もゴルフ場で浴びた大量の花粉を纏い
おまけに風邪菌まで持って帰った来たらしく
ここ1週間は熱も出て自宅療養していた

しかし近年は人の何倍も
風邪やウイルスに侵され
退治に時間を取られている

また 風邪引いたんっすか!?
と驚かれる事も多く
本当に免疫力 基礎体力の低下を
実感する


多摩川浅間神社にて 2024.4.4

熱は下がったものの
今ひとつ気持ちがシャキッとせず
悶々としている中
後輩の新しい車が納車されたというので
ぜひランチでもと誘ってくれた

久々に外へ出て 精のつくものをと
叙々苑の焼肉なんぞ頂きながら
久しぶりの四方山話に
時間はあっというまに過ぎてゆく

人と会って話をすることって
つくづく大事だなあと思う

いい気を吸い込み
澱んだ悪い気を吐き出す

病は気からと言うが
本当にそうかもしれない

久々の焼き肉のせいか
血の巡りと共に
たわいもない話に笑うだけでも
気が巡る
溜まった老廃物が
体外にどんどん出てゆく気分だ

古きをすてて 新しきにつくがよい
あまり 一つの物にこげついて
役にも立たぬことを思ってはダメ
元気を出して捨てるべきはすて
進む所へ 進め
 - 桜みくじ 中吉

食事のあと 出向いた浅間神社にて
久しぶりにひいたおみくじには
そう書いてあった

なんで神様は
こうもタイムリーに
人の心の中を言い当てるのかね


風邪の名残りも
一発で吹き飛んだようだ



※四方山話(よもやま話)
あちこちに向かって伝えたいことが
山のようにたくさんある
とりとめのない話 特に目的の無い話



うえ

2024-03-06 | Life

仮住まいを始めてからはや1ヶ月

人生で今日が一番若い日 
を毎日更新しながら

うんこ座りから昔のように
スッと立ち上がれない自分に呆然とし
色んなことに抗わず
色んなことを諦めることも
一つの生き方だと 自身に説得する

20年以上先を行く高齢の両親も
おそらくそんなふうに
自分に関わる物事ひとつひとつに向き合い 
そして時には頑張り
時にはそれを諦めることによって
折り合いをつけて生きてきたに違いない


毎月降り立つ広島駅のホームには
外国人も日増しに増えた

帰京の途につく広島駅で
スウェーデン人6人が
自分の席の反対側に乗り込んできた

若いバックパッカー達で
こりゃ話し声もうるさそうだと思いきや
新幹線の発車と同時にみんな寝てしまった

彼らは次の観光地 姫路まで静かに爆睡していた

いい旅を



先日は 旧知の友人達と久々の昼呑み

最近は昔ほど罪悪感もなく
自由業の特権だとか言いながら
昼から飲みはじめる事にも躊躇がなくなった

酒は1日の終わりに呑むものだったが
いつしかそんな決まり事も
諦めの産物と化した

ひたすら楽しい時間を過ごそう

歩いて30分
評判の蕎麦屋なのだろう
どこからともなく
客が集まって行列を成している

情報は県境も超えて
美味いものにありつこうとするグルメ達に
遠く離れた街の小さな蕎麦屋へさえも
出向かせてしまう情報化社会

幸い予約をしていたので
各々が集まりすんなり着席

3時間ほど飲んだ

そろそろお開きだなと
領収書をいただく際
三人三様 宛名を告げる

僕は 上様 で

と告げると
そこで働いている外国人のお兄ちゃんが

うえ と ひらがなで書いた領収書を持ってきた

うえ かあ...

ごめんね 一応 漢字の 上で と伝えると
すみません! と すぐに 上様の領収書を持ってきてくれた

どんな経緯なのかは知る由もないが
異国へ来て その国の言葉で普通に仕事をしている

ラーメン屋も弁当屋にもコンビニにも
働く外国人が増えたよなあ

漢字を知らない日本人だって沢山いるなか
みんな真面目に日本語を喋りながら
大したもんだよなあ

うえ なんて書けるだけでも 上出来

特にオチのない話だけど
もしも語部が僕の好きな千原ジュニアなら
こんな話でももっと面白おかしく伝えるんだろうなあ

考えてみれば
自分の生活の周りには
拾える話がいっぱいある

出来事の大小ではなく
それをどう伝えるかで 
人は感動もする

悲しいかな 僕にはその才能がない
上手く話そうとするのは
もう随分前に諦めた

上手く話せない方が自分らしく
楽である

ほいじゃあまた と友人達と別れて
また仮住まいまでゆっくり歩いてで40分

見上げれば 遠く満月

色んな事を 諦める

Brunch Cinema

2024-02-10 | Life
今回の自宅リフォームを機に
約30年の間に積もりに積もった
余計なもの 必要のないものを
捨てた

それらが全て無くても
普段の生活に支障のないものが
自宅の収納スペースを占拠していたのだから

友人を招いた時の為に用意していた
5枚1組のグラスや皿やらも捨てた

実際の生活で必要な食器と鍋
差し当たって必要な最小限の冬服だけ

あとは段ボールにしまったままの
仮住まいの生活だが
これがなんとも心地良い

使わないものを押し込んだまま
このまま部屋の隅に積み上げておいても
開けない箱が殆どだろう

衣替えの季節までは
洋服も充分いけるんじゃないのか

そんな中
先日 気になっていた映画を観た

役所広司さん主演の「PERFECT DAYS」



一見すると 単調な日々の繰り返しに見えても
その中での色んな変化や出来事に一喜一憂しながらの日々

その人の向き合い方 捉え方一つで
幸せを感じたり 物足りなく感じたり
前向きになれたり 無気力になったり

主人公はどこか広島時代の自分にも似ていて
ところどころ思い出しながら
重ね合わせながら観終わった

生活は質素でも 心豊かに人は暮らせる

僕らの同世代はもうほとんどが
定年や転職 年金 リタイヤなど ある意味 
人生の最後の大きな岐路の前に立っている

職業上の肩書きなども無くなり
高く掲げていた看板も下ろし
ただの人になって老いてゆくこれからを
どう生きるかに直面している

若かりし頃全身にまとった見栄やハッタリも 
かます相手が居なくなれば
生きる上では邪魔でしかない

むしろ生活をダウンサイズしても
減ったり消えたりしない真の豊かさを
自身で見出せれば この先もなんとか
幸せに生きていけるのかな 

今日も一日 よく頑張ったなあなんて
〆に 晩酌の一杯のビール

そんな小さな幸せを自分の空間に沢山置ければ

他人がどう思おうが

自分にとってはまさにPERFECT DAYSなのだ


もうひとつ

この映画で使われている仕事用の軽トラの中でかかる
カセット音源の音楽どれもが
素晴らしく
今の音楽にはない生々しさと
ウェットでメロディックな表現も
大いに原点回帰のきっかけになった

いつまでも自分の身近に置いておきたい音楽

そんな音楽があれば
きっと人生は
より豊かなもになるに違いない

いい映画だった


香り

2024-01-11 | Life

新年明けて まさかの
風邪を引いちまった 

おいおい 今月は
来月から始まる自宅リフォームのため
仮住まいへの引越し準備及び引越し 
広島への帰省
無呼吸症候群の検査入院
そして 曲の締め切り と

普段暇なくせに こういう時に限って
まとまって押し寄せる

よりによってこんな時に
風邪など引いてるわけにはいかないと
気を張って頑張ってみたものの
熱は上がる一方


肉割烹 礼

 
昔なら汗バンバンかいて
あとは根性で
大体の風邪は治ったが
年齢とともに 
対処の仕方も変わる

熱が下がらないのですぐさま病院へ

ついにインフルエンザの餌食かと思いきや

検査後 妙に時間がかかるなあと思っていたら
主治医の先生が
都志見さん コロナ コロナだよ
と病院の2階の隔離室へと駆け上がってきた

2022年2月以来 人生2回目のコロナ

次の日 すぐに熱は下がったものの
倦怠感は依然として続いているのだが
それよりも初めて
嗅覚がとても鈍くなっているのに驚いた

そう言えば昼食べたラーメンもなんだか
味の無いラーメンだなあと思って食べていた

夕食のカレーも らっきょうも
サラダのドレッシングも

そんな香りの強いものも
鼻先でも全く匂わない

味覚というものは半分以上は
香りによって支配されているのだ

健康で美味しいものを食べれることってのも
身体にちゃんと理屈があって
初めて成り立つ事なんだなあと痛感する

香りがわからないだけで
食べ物の楽しみは半減どころか
それ以上だ

今さら コロナなんて
とは思ったが
まだまだ風邪やインフルエンザに隠れて
しっかりと居やがる

これから一年健康に突っ走るための
露払いと命じて 

まずはしっかり治さねばな


皆さんもくれぐれもご自愛を



2024年 吉 

2024-01-05 | Life

一月一日 元旦

遅めの起床

白菜と牛肉入りの雑煮と
好きなものだけの御節で 

早めの酒

頂いた年賀状に目を通しながら

近くで鳴り始めた玉川神社の
小気味いいお囃子に誘われて

いつもより早めの初詣へ

今年の元旦はいつにも増して暖かく
初詣に並ぶ人の列も
例年より尻尾の先が伸びて
おおかた1時間強 並んだ 並んだ

真っ白な半紙を前に
最初の筆入れをするように
一年の計は元旦にありと
この日だけは気が引き締まる


太平洋クラブ成田コースの朝

元旦早々
ラジオのニュースで能登の大地震を知る

その少し前に広島の友人が地震で揺れたとLINEをくれた

すぐさま両親へ電話を入れたが
広島はそこまでのひどい揺れではなかったようで
ひと安心したものの
能登で震度7と聞いて血の気が引く

いろんな情報が飛び交う中
刻一刻と日没に向かう被災地

真っ暗な映像のその先に
一体どんな景色が潜んでいるのだろうか

翌朝のニュースを見るなら
言葉も出ないほどの惨状

コロナ禍を乗り切って
少しは落ち着いたかと思いきや
日本は年初から早々にまた
大きな試練に阻まれた2024


元旦に引いた御神籤は吉

運気上々と浮かれず 
地にしっかり足をつけてやれという事か

少しは色をつけてくれてもいいだろと思ったが
運気は己で上げてゆけということ

むしろ小吉や中吉より潔くて上等だ

やる事は変わらず

気を引き締めて元気にいこう


今年も よろしくお願いします


2024.1.5









献杯と 虹と そして アメノチハレ

2023-12-30 | Life
先日女房を天国へと見送った後輩から
葬儀後 久しぶりにLINEがきた

年越しではなく 年忘れで
先輩方と一献交わしたいと

暮れも押し迫った12月29日
都合よくみんなが集まれた

生前 女房が好きだっという
シャンパンを遺影の前に供えて みんなで献杯

あとは賑やかに 今年最後の宴の幕を閉じた

持つべきものは友 と言うが
本当にいい距離感で向き合える
友や仲間は宝だと思う

人と人とのつながりは
いくら金を積んでも
手に入らないもの

誰かの人生の節目節目で
必要とあらば そっとそばに寄り添える
そんな人間でありたい

バカ話に花を咲かせる後輩の横で
なんだかそんな事を感じた夜だった


学芸大学駅 博多野菜巻き串ミカタ  2023.12.29

一晩明けたら 旅先の新潟から
友人が一枚の写真を送ってくれた

ダブルレインボー

年末に縁起がいいので送りますとあった


2023.12.30 新潟市

振り返れば今年も色々とあった

8月にひいた夏風邪から
どうも調子が悪く 
アレルギーもひどく 
とにかく身体の変わり目を
とても実感した2023年だった

このところはだいぶ調子も上がり
気も整ってきているように感じる

今年最後の締めにこのRainbow

来る2024年 この虹にあやかって
是非とも良い年にしようと
改めての決意表明だ

新潟の空から ありがとよ


最後に

昔 僕がプロデュースを任されていた
「ナナムジカ」という女性ユニットのVocal
西島梢が誕生日のメッセージと共に
一枚の写真を送ってきてくれた

当時中学生だった女の子が
現在に至るまでもナナムジカのファンで
僕が書いた「アメノチハレ」という作品を
こよなく愛してくれているという

その歌詞の一節をしたためた彼女の書が
読売新聞主催の書道展で白峰社賞を受賞したという
内容のものだった


西島梢と ひとみさん(右)


アメノチハレ
詞:曲 243

もし君が悲しい夜に負けそうになった時はいつも
僕のことを思い出して
一人じゃないと言い聞かせて

見上げてもかわらない月の輝きのように
届け 夜を超えて... 想いは空に満ちる

明日はきっとアメノチハレ
ココロの住処(すみか)が乾くまで
君の瞼に添い寝をして
涙をそっと拭うから



17年前に書いた歌がこんな場面でまた再生されてるなんて
こんなに嬉しいことはない

ひとみさん おめでとう そして ありがとう


明日はきっとアメノチハレ

ココロが元気になれるよに

君のやさしさに傘をさし

歩くよ...ずっとそばにいる


2024 また元気で会いましょう!




次の駅まで

2023-12-29 | Life

12月27日

無事に65歳を通過した

自分を支えていてくれる周りの全ての人へ
感謝の意の他にない

少しくたびれてスピードもあまり出なくなったが
それでもなんとか踏ん張って列車は走る

いつ止まってしまうかわからないが
それまではたとえ病気になっても頭が呆けても
この先 命のある限り 
ひたすら次の駅に向かうのが人生だ


焼肉ANDY at Ikejiriohashi 2023 年の瀬に友人達と


おぎゃあと産まれて65年

おかげさまで大きな病気もせず
あっという間にもう
年金を受け取れる歳まで来れた

あたしたちが無駄に長生きすると
あんたたちも歳をとって色々とキツくなるわ
長生きするのも良し悪しね 

広島に住む母が笑う

20年以上も先を走る両親

どんな大きな成功よりも
しっかりと生きてゆくこと自体が立派な偉業だ

さて 来年

幸い 運気は上々らしい

この上昇気流に列車を乗せて
次の駅まで一気に加速してゆこう

歳はとってももちろん手を緩めずに
引き続きヒット作品を目指すよ

みなさん ありがとう!


65回目の師走に想う

2023-12-01 | Life


しかし 一年という時間は
体感として年々短く感じるようになるものだな

先日はいつもの太平洋クラブの会で
久々のゴルフ

季節的には冬の入り口ながら
足元にはまだまだ大地を覆う芝生が
青々と眩しい

そして見上げれば
抜けるような青空と雲と太陽に覆われて
少し歩くと汗ばむような陽気の中
秋晴れの1日を贅沢に過ごした

こんな日は毎度のことだが
元気でいれることをより一層噛み締めながら
感謝と共に 仲間と歩く

年齢というものは
意識をしなければそれなりに しかし
意識をすれば 実際のところもうすでに
カウントダウンが始まっている事に
時たまハッとする

12月で75歳となる御大とのいつものゴルフ

友人の一人が
僕らも氏のように75になる歳までゴルフやれてますかねえ
氏は凄いですよね というから
僕らも氏の後を追いかけて
ぜひその歳まで元気でやっていれたらいいねえなんて

しかし 現実的には後5年で 御大は80歳
そして僕らは70歳

時間というものは過去を振り返り
時たま立ち止まってくれるわけでもなく
そして明日へと急ぐこともなく
ただ ひたすら淡々と同じ歩幅で
確実に今を過去に変えてゆく


太平洋クラブの会の面々 2023.7.6 撮影

限りある時間だからこそ大事に使ってゆきたい

特に最近そんな目線で色んな事を眺めていると
残された時間は本当に短いと感じるようになった

できれば僕の愛すべき人達とこれからまだまだ
色んな時間を共有していきたいが
足並み揃えて同じように寿命を
全うするなんてことはない

年功序列でこの世の修行を終えてゆくなら
シンプルでわかりやすいが
各々の寿命は それぞれの管理下にあり
その長さは神のみぞ知る領域

だからこそ
日々1日1日を悔いのないように
誰かと居れば誰かのために
想いと時間を使っていきたいと

この頃 切に そう思う