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辞書引く日々

辞書が好きなのだ。辞書を引くのだ。

疑問だ

2007年08月02日 | 言葉
北極は海に浮かんでいる氷だという。
じゃあ、なんでどっかに流れていかないんだろう。
海流の力がつりあっているのだろうか。
どこかで海底にくっついているのだろうか。

bespectacled

2007年07月06日 | 言葉
英語の形容詞には、なかなか好もしいものがある。
なんでそんな形容詞が必要なのかというものが形容詞になっていたりして、ちょっと嬉しかったりする。

bespctacled (a) 眼鏡をかけた.

用例) a bespectacled character known as "Bill"

警察用語?

2007年07月05日 | 言葉
交番に置き引きの被害届けを出しに行った。

盗難にあったときのことを話すと、おまわりさんは供述調書というやつに、日時や場所、そのときの様子を書き込んでいく。(供述なのかぁ)

次に、おまわりさんは、被害届というやつに同じような内容を写す。そして、私にサインをさせるのだ。

それを読むと、「カバンを盗られたので届け出します」とある。

「盗られた」?

これは「とられた」と読むのであろう。「盗まれた」の意味であることは間違いないが、ずいぶんくだけた表現じゃぁないか。マンガの読み過ぎなんじゃないかと思って、ふと気づいた。

もしかしたら、「盗まれた」ことを表現する「とられた」に「盗られた」という漢字を当てるのは警官が発案したことなのかもしれない(なんの根拠もないけど)。いわゆる業界用語ってやつなんじゃあるまいか。

ともかく、私は被害届けにサインをした。

西暦

2007年02月04日 | 言葉
西暦というものがいつから使われたのかというと、これが存外新しいものであって、6世紀ということらしい(発明者は Dionysius Exiguus というイタリアの坊さんらしい)。

ちょっと驚いた。

西暦が使われるようになったというのは、たんに年号の起算基準点が変わったというだけではなくて、すべての年号を同じ時点から数えるということがこのとき始まったということなのか?

もしそうだとすると、それまでの人は、たとえばツキジデスは年号をどう表現していたのだ? 歴史家は年代というものについてどういうアイディアをもっていたのだ?

ツユと汁とタレと

2007年01月31日 | 言葉
同じものをツユと言うことあり、また汁ということあり。
同じものを汁ということあり、またタレということあり。
されば、以下の三つもだいたい似たようなものなり。

(1)露といで露と消えにしわが身かななにわのことも夢のまた夢
(2)汁といで汁と消えにしわが身かななにわのことも夢のまた夢
(3)タレといでタレと消えにしわが身かななにわのことも夢のまた夢


社会科の問題

2006年11月09日 | 言葉
小学生の子どもが使っている社会科の本にこんな問題があった。

「個々のコンピュータをつなぐ総合的なネットワークのことを何といいますか。」

真剣に考えてしまった。個々のコンピュータをつないでいるのだからLANか?
でも「総合的」と書いてある。これには何か意味があるのか?
もしかしてアプリケーション層と独立という意味で、IP網とかなのか?
それとも、総合というのは、広いという意味で意外とWANだったりして。しかし、それだと「個々のコンピュータ」性がないな。
もしかすると、「総」務省が所管しているということか? いや、考えすぎだ……

わからんので解答を見る。答え「インターネット」。

今日の言葉:毛車

2006年11月05日 | 言葉
新潮現代国語辞典第二版に毛車とは牛車のことなりといふ。おおかた獣の曳く車なればかく言ふべしと考へる。

しかし、言海(ちくま文庫版)に毛車とは絲毛車のことなりといふ。絲毛車(いとげのくるま)とは、「牛車ノ車盖(=蓋)ニ縒リタル絲(=糸)ヲ、蓑ノ如ク埀(=垂)ラシメタルモノ、院、中宮、内親王、攝關(=摂関)ナド用ヰラル」とある。
つまり、牛車のうち特別なものを指すものであるらしい。

広辞苑第四版を引くと、言海とほぼ同じ説明ながら、主に婦人の乗るものとある。
まあ、これ以上は国語辞典の守備範囲でないから、それ以上調べるのはやめにした。

高度成長時代に想像された未来の建物

2006年09月12日 | 言葉
子どもの頃、たぶん小学館から出ていた「未来の図鑑」とう本を持っていた。

この本には、未来の都市というページがあって、例によってエアカーが走り、電車のようなものが空中のチューブを通っていた。

住宅とおぼしき(オフィスだったのかもしれないが、住宅だと信じて読んでいた)建物があり、ひとつは DNA のらせんを真似たような形で、もう一つは長い円筒のまわりに缶詰の缶ほどのプロポーションの小さな円筒がびっしりと植えられているというものであった。

先日、本屋で建築の本を立ち読みをしていたら、どうもこれは黒川紀章の絵がもとになっているらしいということを発見。とてもなつかしかった。

名古屋の秋

2006年09月05日 | 言葉
名古屋の秋は、わらび餅屋が来なくなってから、石焼き芋屋が来るまでである。わらび餅屋と石焼き芋屋は、同じ人がやっているものらしく、このどちらも来ない時期というのは、あるいは秋の収獲の時期に重なっているのかもしれない。

秋は、なぜか音楽などを聴くのにいい時季ということになっていて、夏の終わりのサエない気持ちを晴らすには、好い音楽でも聴いてさっさと秋に気分転換をするに限る。

しかし、一体何が名古屋的な秋の音楽なのかというと、とんと見当がつかぬ。なにしろ、きらびやかなものが好きな名古屋人のことであるから、あんまりしんみりとしていても好みに合うまい。かといって、秋であるから、そうそう派手な感じでいいものかどうか。

こんなところで「名古屋の秋なら、この音楽」とバーンと出せるようなものがあれば、名古屋もなかなかのものなりと全国の人が思うに違いない。

名古屋人はあげて名古屋の秋を表現する音楽を選定すべきなりと、勝手なことを考えている。