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書き逃げアンドロイド。

副交感神経が優位になるような写真が好き。

何だろね

2020年11月06日 22時06分13秒 | 日記

浮間荒川地区防災ステーションの横で何か準備している

何かのセミナー的なもの?

滑車の実験?

もうすぐ日没なのに

暗闇滑車実験?

なんで?

 ◇追記:平日日中ならトイレ使えるようになってたのね 午後4時には閉まっちゃうけど

浮間地区荒川防災ステーション

凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹

「石川宣明さんのジブリ風ジオラマ展」の記事がランクインしたんだけど

記事自体が古くてリンク先が既に消えていた

なので「石川宣明」でググってみたんだけど

片っ端からNot Found 404

どゆこと?

凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹

アルギン酸ナトリウムと乳酸カルシウムで何かなるらしい

人工イクラに使われている手法だそうで 衛生管理されていれば食べても大丈夫だとか

でも下水に流すと詰まるのでNGだそうだ

凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹

RF70-200F4Lは6720×4480でサンプル掲載しているので相当画質に自信があるんだと思ったら

EXIFデータ見たらf11まで絞っている

そんなに絞らんと画質出ないのかしら

しかもEOS R6って最大画素数は5472×3648なのに

意味がわからない

EOS R5の熱問題も含めて最近キヤノンがちょっと変

凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹

業務用3Dプリンターの性能もかなり向上してきたらしい

株式会社ミマキエンジアリング

凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹凸凹

ホットピクセルが出た

キヤノンの場合はレンズキャップをしてセンサークリーニングをすればキャリブレーションしてくれる

確か取説には書いてないと思う

 

 

 

Ende;


はぐらかし論法

2020年11月06日 00時43分28秒 | 意識論関連

擬態の目的は

「1:敵にねらわれないようにするため」

「2:獲物をつかまえるため」

の2つあるけれど、1の目的がほとんど。虫の天敵である鳥は視覚で獲物を見つけているから、目に見える姿かたちを変えることで、鳥にねらわれないようにしていると考えられている。

 

 虫は「これに似せよう」とか「似てるな〜」と思っているわけではないと思う(笑)。
進化の過程で淘汰されて、現在の姿をした虫が生き残ったということ。
でも、だんだんと似てきたのか、突然変異してそっくりになったのかはむずかしいところ。
だって、似せている途中の姿すがたはそんなに似ていないわけだから(笑)、食べられて絶滅してしまうよね。

最近の論文によると、葉っぱにそっくりなチョウが、遺伝子のわずかな変異で現在の姿すがたに進化したことがわかった。
つまり、短期間でそっくりな姿に進化した可能性もあるということ。
それはそれで不思議な話。虫の世界にはわかっていないことがまだ多いんだ。

亀澤 洋(かめざわ ひろむ)株式会社環境指標生物 環境調査員

出典:Honda Kid's

 

⇨「途中の姿はそんなに似ていない」としても 「似ていないよりは多少なりとも似ていれば食べられる確率は下がって淘汰圧力として働く」ことに違いはない

徐々にであろうが短期間であろうが擬態などの遺伝的進化に目的や戦略が成立しないことに違いはない

にも関わらず「擬態の目的」だと言っているのは論理整合性が崩壊しており

要するに従来の生物学上の誤謬をはぐらかすための論法である

一方では「鳥にねらわれないようにしている」といった「目的のために進化した」のだと従来のパラダイムに則った説明をしておきながら

その一方では「変異による偶発的なものだ」と説明するダブルスタンダードを平気で展開する

これは科学的論証ではない

子供相手だからといって嘘を平気でついてはぐらかすというのは悪質である

生物学者のほとんど全員がこうした嘘を平気でつく糞野郎なのが実情なのだ

 

 

 

Ende;


RF50mmF1.8STM

2020年11月05日 23時39分42秒 | 日記

キヤノンがフルサイズミラーレス用にRF50mmF1.8っての出してくるそうな

でもMTFの数値は低いな

EF50mmF1.8STM

画質が売りの35mmフルサイズセンサーなのに 画質の低いレンズ使う意味がわからない

APS-Cサイズセンサーのモデルに性能の良いレンズ使った方が合理的なんじゃないかと思うんだけど

EF-M32mmF1.4

 

フルサイズセンサー用ならF値大きめにして画質を優先した小型レンズの方が意味があるんじゃないかと

ハゲ散らかしたジジイは思う

 


Ende;


白目

2020年11月05日 13時15分16秒 | 意識論関連
チンパンジーに白目がないのは チンパンジーが騙し合いをする上において白目がない方が他者を騙すのに有利なため より視線を読まれにくい個体への淘汰圧力の結果として白目がなくなった

チンパンジー社会の中では騙し合いをした方が生存にとって有利だったため 騙し合いをする個体への淘汰圧力が働くことで騙し合いをする個体しか残らず 結果的に騙し合いをするよう進化し 騙し合いにとって都合の良い形質を持った個体への淘汰が生じたのである



ヒトは騙し合いをするよりも 他者との統率的協調行動をする個体の方が生存にとって有利に働き 結果的により統率的協調行動を採る個体への進化が促された

ヒトは統率的協調行動はするものの 殺し合いもする

統率協調的に他のヒト集団から略奪し 殲滅することの方が「生存にとって有利」に働いた結果 ヒトは主観的に気に入らない相手を短絡的に死刑にして満足するよう進化したのである

ヒトの進化過程においては 現代のヒトにまで進化する以前のサル程度の知能しか持たない期間の方が長く あくまで「生存にとって有利」な形質や習性を持った個体への淘汰圧力が働いただけであって 「生存にとって有利」な行動習性に人間性や倫理が含まれる保証も根拠も何もない

実際に ヒトは封建的な順位序列を好み 「権威」と称して盲目的に特定個体への盲目的信頼や服従によって安心満足することで 逆に「権威」に逆らう少数派を差別排除することで かりそめの「秩序」を維持するようにできている

独裁体制が成立するのは こうしたヒトの先天的な本能習性による人間性の欠陥によってもたらされるのである

ヒトは 自分で物事を検証判断することが嫌いなのである だから「権威」に選択を丸投げして満足する

「自分で物事を考えない」奴のことを何と言うか

もはや言うまでもなかろうて

 ◇

ヒトは先天的にバカである

バカなので 子供を集団で放置しておくと勝手にイジメをはじめてしまう

しかも 自分達では解決することができずに イジメに便乗したり傍観放置することしかできない

ヒトとは先天的にそういう生物なのである

ヒトの進化の過程において差別や暴力といったものが 生存にとって有利に働いた結果そとして ヒトには差別や暴力の習性が進化的に組み込まれることになったのである

ヒトの祖先が 一体どのような卑劣で暴力的な行動によって生存に適したのかは 誰にも知る由はない 現代においても犯罪認知件数の全てが検挙できているわけでもないのであり 「死人に口無し」である

ヒトが一体どのようなヒトを殺すことで「生存に適した」行動を採ってきたのかは わかったものではない

何せ文明以前 ヒトに進化する以前の過程なんぞ何の保証もないのである

 ◇


遺伝的進化というものは あくまで「生存にとって適した」結果に過ぎず その「手口」がどのようなものでも「死なずに生き残れば良い」のであって チンパンジーのように騙し合いで生き残っても ヒトのように殺し合いで生き残っても構わない

「殺し合いをしていたら自滅する」と思うかも知れないが ゴキブリもカマキリも共食いをするし サメは胎内で殺し合いをして「より強い個体」だけを産むよう進化したのである

ヒトは繁殖能力が高いため 多少殺し合いをしてでも それだけでは絶滅することはなく むしろ現代社会のように平和になることによって地球環境を破壊するほど繁殖することになり 結果的にウイルス感染症の温床にもなった

ヒトの進化過程において 高い繁殖能力によって個体数を増やし 他の集団との戦争によって「より強い集団」への淘汰圧力として働くことで差別や暴力性を進化させることになった

殺し合いによる淘汰によって 環境適応可能な個体数を維持するよう働いた

一応仮説ではあるが 否定するこたできない 「そうではない」というのであれば なぜヒトが殺し合うのかを論理的に説明することはできない

ひとが殺し合うのは厳然とした「客観的事実」だからである

ヒトが死刑制度を望むのは 社会安全性のためではなく 個人が主観的に気分的な安心満足できるからであり 通り魔事件が何度起きても原因究明によって再発防止を進めるよりも 短絡的に死刑にでもしておいた方が簡単に満足できるからである

ヒトはヒトを殺すのが先天的に好きなのである

「フォートナイト」や「コールオブデューティー」のようなアバター同士の殺し合いゲームが流行るのも 殺し合うのが楽しいからであり ヘイトスピーチやイジメも それが楽しいから中毒性がある

「コールオブデューティー」の内容は知らないのだが「フォートナイト」は「有吉いいeee!」でやっているので チームを組んで統率協調的に助け合いながら他のチームのメンバーを殺害することで順位や勝敗が決まるゲームである

私は個人的には紛争による被害者の映像を見すぎたせいか アバターであっても人の姿をした相手を銃で射撃する気にはどうにもなれないのだが 一般的には人気があって流行っているようである

パレスチナのパン屋の男がライトバンで道路を走行中に 対戦車ヘリコプターの20mm機関砲で狙撃され 道路脇に突っ込み 救助者がドアを開けたところ 人の姿を留めていなかった

 ◇

イヌは他の個体から暴力的に服従を強要されることに対して 簡単に受け入れてしまう習性がある

怖い相手には仰向けに寝そべって反撃の意欲がないことを表し 服従するようになることで順位序列を決定し 封建的体制に疑問を持つこともなく むしろ序列の決定によって安心して統率協調性を発揮するようになる

権威に忠誠忠実であることに対する「美しさ」みたいな感覚を持つのは ヒトの服従統率に対する行動バイアスが促す本能的なものである

だから特攻隊は「英霊」扱いだが 戦争そのものに反対して投獄された政治犯は「裏切り者」にされるのである

西宮冷蔵による内部告発は 社会的には安全性にとって必要なものであるが 世間的には「仲間を裏切った卑怯者」として扱われることによって経営破綻に追い込まれることになった

こうした事実を無視して よくもまあ「ヒトには先天的に人間性が組み込まれているはずだ」などという根拠のない妄想を鵜呑みにできたものだと呆れるばかりである

日大アメフト部による不祥事も 組織の「権威」に盲目的に服従するヒトの先天的習性によって引き起こされたものである

教師などの「権威」の言っていることに疑問を持たずに 盲目的に服従することの危険性を無視して 「自分で考えるなど10年早い」などと言い出す「社会学者」など 論外である

にも関わらず人気だけはあるらしく 賛同者がいる

そして彼らは それを洗脳だとすら思っていない

なぜか?

「気持ち良い」からである

「楽しい」からである

本論は主観を否定し 論理客観的根拠に基づいた「本当のこと」を認識するための人間としての意識の本質は何かについて言及するため

気分的には楽しくもなければ気持ちよくもならず むしろ嫌な気分にしかならないだろう

脱洗脳とは そういうものなのである

 ◇

コンピューターのCPU(中央演算装置)に欠陥があったりしたら そのコンピューターはもはや使い物にならないと思っていたのだが OSレベルでパッチを当てて動作を補正することで正常に動くようにできたそうである

もう10年以上昔の話だが

ヒトという種の生物においても 先天的に人間としての欠陥があったとしても その欠陥がどのようなものであるのかを理解しておけば 補正をかけて動作を正常に戻すことも可能である

他人がバカに陥る原因を知り 同じような原因で自分がバカに陥らないように対策をすることによって バカは治すことが可能である

バカが減ればバカげた失敗も確実に減る

失敗を教訓知識として今後に活かすことが失敗学の肝である

だが 教師がバカなのでは話にならない

教師がバカなら 教師である意味が何もないからだ

教師であっても失敗や間違いはあるだろうが それなら教師は辞めて別の仕事をしながら失敗を教訓知識とした啓発活動でもやっときゃ良いのである

既得権益保守のための言い逃れやはぐらかしは要らない

そんなもん社会的には糞の役にも立たないからである





Ende;

菊水健史

2020年11月04日 23時09分16秒 | 意識論関連

「チンパンジーは騙し合いをするために白目と黒目が見分けられないよう進化した」と麻布大学 菊水健史は言うが

厳密正確に言うと 「チンパンジーは騙し合いをする生物であるため白目と黒目の境界が見分けづらい個体種への淘汰が起きたことで結果的に進化した」のである

白目と黒目の境界がわかりやすい個体は騙し合いにおいて不利なため 群の中で淘汰対象になった「結果」であって 騙そうとして自らの遺伝的形質を自由に変異させることは構造原理的に不可能である

断じて目的のために自らの形質を変化させたわけではない

 

また ヒトはチンパンジーと異なりイヌのような仲間内における統率協調性は発揮するものの 仲間以外に対しての差別排除感情によって暴力性を発揮し 仲間以外には平気で嘘をついたり差別的暴力も発揮する生物でもある

先天的に仲間以外を差別する習性が遺伝子レベルから組み込まれているからといって それが短絡的に「差別はなくならない」論証にも 「差別をすることが正当化できる」わけでもない

ヒトは先天的本能習性のままにしか行動選択ができないバカではないし そんなバカでは現代社会において困るからだ

 

「バカ」について勘違いしては困るのは 学習障害などで学力偏差値が低いことを「バカ」と形容しているわけではなく 学力偏差値が高くても欲望を自律的にコントロールできないような身勝手な奴のことを私は「バカ」と言っているのである

 

もし意図目的に都合よく自らの遺伝的形質や先天的習性を選択可能であるというのであれば 「先天的疾患を持って生まれてきた人は 生存にとって不利な遺伝子を選択してきた愚か者である」と言っているのと同義である

そんなことを言っている奴は もはや「バカ」を通り越して障害者虐殺犯の植松聖と同列のキチガイである

そんなキチガイが学術研究者として大学で教授職に就いていて良いわけがない

とっとと「処分(クビ)」すべきである

 ◇

狩猟生活をしていた時代にイヌを食べずにエサを与えて飼ったのは 最初は食料保存備蓄として「生かして」おいたのが最初であろう

現代のように冷蔵庫があるわけではないので 肉を保存する方法として「飼う」ことは考慮に難くない

 ◇

一般に「送りオオカミ」というと 飲み会で酔った女子を「お持ち帰り」にすることみたいに使っているが

本当はヒトがオオカミの縄張りを通過する場合に ヒトの後を追跡してヒトの行く先を見送ることが「送りオオカミ」の本来の意味だという

「3へぇ」くらいだな

 

Ende;


形式

2020年11月04日 13時44分34秒 | 意識論関連

自分が受けた教育方法を事後正当化するということは

「自分はその教育方法によって頭が良くなった」という根拠のない自負(慢心)があるからだ

 

虐待がなぜ連鎖するのかと言えば 虐待されて育った環境を認知的不協和を解消する形で事後正当化するからである

心理学ではこうした行動を「合理化」と呼んでいるが これは便宜的な呼び方であって 本当は合理的根拠はなく あくまで主観的感覚として満足しているに過ぎない

 

「自分で考えるのは10年早い とにかく暗記しろ 暗記さえしとけば意識が働くようになる」などという話はには 合理的な根拠が全く説明されていない

「10年」という数字に何の根拠もないし 「暗記さえしときゃ意識が働く」ことの論理的説明も一切ない

 

意識の本質は「自分で物事を考え 判断すること」である

「読み書きそろばん」のような練習鍛錬というものは特定能力を高めることにはなるのだが それをいくらやっても自分で物事を考えるようになるわけではない

文字は練習すればキレイに書けるようになるし パソコンのタイピングも数をこなせば速くなる

文章を書く際に 文字をキレイに書くことや キーボードを速く打つことに気を取られてしまっていては 肝心の文章の内容を考える意識が充分に働かないことは確かである

しかし だからといってただタイピングの練習さえしておけば物事を考えられるようになる合理的根拠はなにもない

タイピングコンテストで優勝しても 内容のある文章が書けるようになるわけではない

暗記能力も同じで 大量の情報を暗記しても それはテストやクイズでの成績は上がるかも知れないが 教えられた内容に間違いがあった場合に気づく能力が鍛えられるわけではない

「読み書きそろばん」的な鍛錬というものは 他人との統率協調的な仕事を行う上においてコミュニケーション上の有用な基礎ではあるが 「それさえやっときゃ自分で物事を判断できるようになる」わけではない

読み書きそろばんというのは 振り込め詐欺師集団の「仕事」においても便利な能力でもあるのだ

 

教えたことを 教えた通りに答えられれば それは生徒の成績が上がることになり 生徒の成績が上がれば教師の業績にもなる

間違ったことを教えても何も気付かないバカ学生であっても むしろ何も気付かず盲目的に鵜呑みにしてくれるバカ生徒の方が バカ教師にとっては「便利」なのである

これは「バカの連鎖」である

バカは問題解決能力がない

そもそも問題を問題だとすら「思って」いないのである

そんな奴らが社会にとって有用性があるかと言えば

ないんですねぇ

だからイマヌエル:カントの「純粋理性批判」が論理的根拠のないただのファンタジーに過ぎないことにも誰も気付かず 西研が「近代哲学の最高峰」だと言えば鵜呑みにして 誰も気付かない

でくのぼう

 

 


形式やマナーというものは それらを受け入れた者にとっての気分的安心を提供するだけの迎合性 表面的なご機嫌取りに過ぎず ただの手続き的な形式に過ぎないので 腹の底では悪いことを考えていても外見上だけは善人を装うことは簡単である

振り込め詐欺に騙される被害者の大半は 「相手の言葉遣いが丁寧だったので信じてしまった」と証言する

「言葉遣いが丁寧」とは まさに形式やマナーである

バカな大人は「挨拶ができれば良い子」だと勝手に勘違いしたがるが イジメをやるような子供でも大人にだけは元気に挨拶はするものである

大人の前でだけ元気で明るい子供のフリをしておけば バカな大人は「こんな子がイジメなんかするわけがないだろう」と勝手に錯覚して安心満足するようになる

マナーや形式というものは外見的な満足感(主観)を与えるものに過ぎず 人格や人間性といった「中身」とは無関係なものである

連続殺人犯が連続殺人を繰り返しても捕まらないのは 挨拶などの他人のご機嫌取りだけはキチンとすることで 近隣の住民の誰も殺人犯だと気付かないようになるからである

 

本論は学術論文の「形式」や「手続き」を採っていない

そもそも査読権のある権威達の間違いについて言及している以上 現状の学術界の「形式」や「手続き」が通用するわけがないからだ

学問というのは本来大学や研究機関の職員に限らず あらゆる人に自由に開かれていなければならないものなのだが 生物学や哲学人文科学系の学界というのは特にバカが多く 閉鎖性や封建性が酷く 自浄効果が全くといって良いほど働かない腐敗した組織に成り下がっているのである

腐敗したカルト集団相手に「形式」も「手続き」も役に立つわけがなく むしろ「形式」や「手続き」こそが腐敗解消を阻害する最も大きな要因となっているのである

 

本来なら同じ組織内の理工系職員による監査によって組織腐敗を解消して頂くのが本来だが アイツら「専門外」を理由に無視しやがる

どうにもなんねぇわ

まあ どうにもなんなくても私の責任じゃねぇけどな

組織外なんだから それこそ管轄外だわ

 

 

Ende;


暖房を対策に利用できないものか

2020年11月03日 13時24分03秒 | 日記

これから気温が下がって暖房をするようになると 部屋の換気が充分に出来ずに新型コロナウイルスの感染者が増加する可能性が懸念されているのだけど

ガスファンヒーターとか石油ファンヒーターなら高温でウイルスを無効化できるんじゃないかと思う

エアコンだとウイルスを消毒することが出来ずに室内を循環させてしまうと思うけど

実火力で空気を加熱するファンヒーターならウイルスを殺せて感染リスクを減らせるのではないか

消防法などの理由で どうしてもエアコンしか使えない場合は フィルターを高性能なものを使えば良いのではないか

医療用のN95マスクに使われているフィルター素材を使ったエアコン用フィルターを作ったらリスクを減らせるのではないだろうか

それって病院でも利用価値がありそうだし

 

あと 一人暮らしの部屋のように他人が入ってこない場所で換気しても「新型コロナウイルスの感染リスクを下げる」ことにはならないよ

もちろん換気は一日に何度かしないと健康上良くないけどね

 

それから最近LED照明が増えたけど 温室効果ガス削減には良いし 蛍光灯の紫外線による白内障リスクも減って良いんだけど 蛍光灯の紫外線殺菌効果が全くなくなったのはウイルス感染症対策の観点からは良くないんじゃないかなとも思ってみたりする

お掃除ロボットの下に紫外線LEDランプとかつけといたら良いんじゃないかとも思ってもみたりする

ちびっこが覗き込まないようにOFFにできるようにしとくと良いかも

ウチにゃそんな高尚なもなねぇが

 

 

Ende;


昼飯前

2020年11月03日 13時23分10秒 | 意識論関連

イジメもヘイトスピーチも 実は差別する対象は誰でも良くて 集団組織的に協調して何かをしていると 仲間同士の連帯感がもたらす安心満足感が得られることで中毒になり 暴走的に過激化が起こる

これはオキシトシンが脳に作用して引き起こされる行動バイアスそのものであり 差別の中毒性というものは差別自体に中毒性があるのではなく 統率的協調行動による仲間同士の連帯感の方に中毒性がある

暴走族が暴走族同士で連帯して暴走行為を行うのも同じメカニズム構造である

ISILやオウム真理教も同じ

仲間同士で同じ観念を共有することで多数派に属することへの安心感に対して中毒になり その結果としてオキシトシンによって促される仲間以外に対する不必要なまでの不信感や猜疑心によって差別もするようになる

シーケンシャル(機械的条件反射)なんですね

先天的行動バイアス(習性)って

 

以前にヲタク差別の番組が流された時に カウンターに入っちゃった若者がいましたが

ヒトってどうしても不条理な差別があると逆差別に入っちゃう傾向がある

どうしても現場の正義としてバカを殴ろうとしてしまう

でも バカを殴ってもバカは治らないんですね

だから バカを殴ることも結局は不毛な行為なんですよ

「バカを殴る」っていうのは「懲罰」ってことであって それを社会制度にしているのが刑法です

「通り魔を死刑にして解決」だと思っている

でも通り魔が出る度に死刑にしても 何度でも通り魔事件って起こるんですね

原因が究明されていないからですよ

だから再発防止にならない

本当に社会安全性にとって重要なのは 再発防止であって反射的な懲罰ではない

司法裁判のようにややこしい手続きをどんなに踏んでも やってることは結局「懲罰」であって 根本的な無効性は何も変わらない

バカがなぜバカなのかを考えた場合 バカというのはヒトという種の生物において普遍的に見られるものであって 一切間違いを犯したことのない完全無欠の全人的なヒトなんかいやしないんですよ

小さなバカを見逃しているから 社会が甚大なバカの温床になってしまっている

たまたま甚大なバカが出た時にだけ大騒ぎして 自分達の頭の悪さは「なかったこと」にしてしまう

 

「一発大波」っていう現象がありまして 鋼鉄製の大型船を真っ二つにしてしまうことがあるんですね

確率としては非常に小さいんですけど 危険学的見地から見れば「1/1000000の確率であっても いつか必ず起きる」と考えて対策を行います

でも 一般人の感覚(主観)からすると 「そんなに小さな確率なら怖くないわ」なんて思っちゃう

でも実際に自分が遭遇したら阿鼻叫喚の地獄絵図ですよ

通り魔の類いが標的にする相手も 本当は誰でも良くて 目先の感情をぶつけることで満足したいだけなので 誰が狙われてもおかしくはない

イノシシとかクマとか 野犬の群れに襲われるのと一緒で サイコロ(乱数)の目がたまたま当たるとひどい目に遭うことになる

 

ヒトの頭の悪さを撲滅することは難しいとは言えますけど 現象を小さく抑えることは不可能ではない

大きな事象の発生を抑えるためには 小さな事象も見逃さずに丁寧に潰してゆく必要があります

ところが 現代人って税金払って学術研究や警察にお任せしてさえおけば勝手にどうにかしてくれるって思っているもんだから 研究者や立法機関の代議士や司法役人がバカでも放ったらかしにして気が付かない

社会が完璧なもので 永遠に変わらないものだと錯覚している

錯覚はしていないとしても 「どうせ変えられない」と諦めていることを「悟り」か何かと勝手に勘違いして「自分は賢い」と勝手に満足している

「悟性」って「理性」じゃないんですよ 理性を超越(逸脱)した主観的妄想錯覚でしかない

でも ヒトの多くは理性よりも悟性の方を鵜呑みにしたがる傾向があって その原因は主観的に安心満足感による錯覚があるからです

「主観的に気分が良くなること=正しいこと」という方程式を鵜呑みにできるってことは 「自分の主観が絶対に間違えることのない完璧なものである」という慢心が基になっています

主観を疑えば 常に論理客観的根拠を見極めようとするようになります

大乗仏教における本当の「悟り」って 実は「主観的満足に溺れて真実が見えなくならないようにしよう」という自覚を持つことなんですよ

カントの言う「悟性」とは真逆なんです

 

ヒトというのは どうしても個人的な主観だけで物事を見てしまいがちな習性がありますから 論理客観的に真実を見極めることをやめてしまいがちなんですね

だから 本当に大切なものが何なのかを見失ってしまうことに陥る

自己も含めて論理客観的に検証すれば 何が一番大切なものなのかは自ずから見えてくるんですけど その論理客観性を阻害するのが主観であって 主観というのは個人的好き嫌いであって 個人的好き嫌いというのは先天的本能習性が促す生理的(条件反射的)なものに過ぎないわけです

 

私の個人的主観からすると 男同士の同性カップルなんて「気持ち悪いのでやめてほしい」って思っちゃいます

でも若い女子同士の同性カップルなら「かわいいな」とか思っちゃう

そんな個人的主観は社会的には糞しょうもないものであることを知っているから社会的行動や言動には利用しないように心がけている

迷惑な糞DQNを見れば「死ねバカ」としか思わないんですが それだけで終わりにしちゃいけないことも知っている

 

お腹すいたのでお昼ごはんにします

今日はマルちゃん「ごっつ盛り ワンタン醤油」です

 

 

Ende;


差別対象

2020年11月02日 17時52分49秒 | 意識論関連

ジョージ:フロイドさんみたいに無抵抗なのに虐待されて殺害された事例と

ナイフ振り回して警官に向かってきて射殺された事例を同じに扱うべきではない

黒人でさえあれば警官を刺殺しても良いわけではない

 

「黒人か白人か」といった一面的基準に限らず 差別というものは民族や国籍や男女間や老若間においても生ずるものであり イジメ同様に実は「理屈は何でも良い」のであって ユダヤ人差別であろうと パレスチナ人差別であろうと 差別をすることで自分達の方が優位になったような感覚になれさえすれば 差別対象は何でも良いのである

様々な差別が起こるのは ヒトの先天的順位序列を決定したがる動物的な習性が原因であって 本能習性が促す情動行動というものは自己選択不可能な無意識に過ぎないことを理解していれば起きないものである

何が意識で 何が無意識なのかを識別するのは意識の方であって 感情とか気分といった無意識な「主観」の方ではないのだけど ヒトというのは基本的に動物であるため どうしても動物的な「主観」の方が優先してしまう傾向が強いため 様々な差別というものは後を絶たないのである

ヒトという種の生物は ヒトやヒト以外の何者かの目的意図や戦略に則って計画的に作られたものではなく あくまで遺伝的進化の結果的に 偶発的に脳が肥大し 論理客観的な検証によって より合理的な目的行動選択「も」可能となったに過ぎない

前回も述べたが 「も」は取れない

それが不条理だと「思う」のは主観であって どんなに強く「思って」も それは論理検証的な「考え」ではない

ヒトという種の生物は 大手企業の製品みたいに品質保証がされているわけではなく あくまで遺伝的進化の結果として様々な形質や習性が組み込まれているに過ぎない

箪笥の角に足の小指を強打して「イラッ」としても その怒りは何にもぶつけようのないものである

「怒りを何かにぶつけたい」と「思う」ことも条件反射であり 怒りを何かにぶつけることに何らかの合理性とか必然性があるわけではなく ただ無性に「イラッ」としているだけであって それ以上に何の意味もありゃしないのである

主観というものは 個人的なものであって そこに何らかの合理性や必然性を後からこじつけて「説明」することも可能ではあるが それはもはやノストラダムスの大予言と一緒で論理的根拠のある科学的論証ではない

寄生生物がとても複雑な習性を発揮して種の保存をしているとしても それは寄生生物が自ら先天的習性を目的選択として選んだわけではなく あくまで突然変異の結果として偶発的に生存や種の保存にとって有利な性質を持った個体だけが結果的に生き残ったという結果以上の意味はない

要するに 全部「結果」であって 何も主体的には選択不可能なわけです

ヒトの先天的本能習性であっても同じで 結果的に順位序列を求めようとすることには意味なんか何もないんですよ

ヒトが差別しあって戦争で殺し合うことも 進化生物学のこじつけ文法からは「個体数を制限して環境に適応するため」というこじつけ説明も可能であって 究極的には「ヒトという種の生物は環境に適さないため絶滅するものである」という「説明」も可能になってしまう

長い生物進化の歴史の中では 幾度となく大絶滅は起きてきたものであって ヒトという種の生物が絶滅しようが地球環境自体にとっては「どうでも良い」話にしかならない

だったら過去の絶滅した生物のように 環境資源を食い尽くして絶滅しても それは遺伝的進化における一つの結果でしかない

でも それ 何も選択できない「バカの結末」ですよ

ヒトであってもバカなら「バカの結末」に陥ってもおかしくはない

NHK解説委員 室山哲也の大予言ヨロシク「人類は絶対に絶滅します」が的中することも充分にありうる

過去に何が起きたのかを論理客観的に検証し 起きては困ることを回避するための対策として教訓知識として応用することも可能ではあります

何も考えずに「バカの結末」に陥るか それとも回避するよう考え工夫をするか その「選択」って問うまでもない話ではあります

 

京大学長だった山極寿一は「ヒトには先天的に人間性が組み込まれているはずだ」という科学的根拠のない勝手な予測をしてましたが これってバカな大衆マスコミが気分的に満足するだけのオカルト観念でしかないんですよ

大衆やマスコミは主観的に満足したり安心するような話を形式的に「学術権威」扱いされている奴が主張していると 気分的に安心満足することが出来ることによって 本当は科学的根拠がないオカルト妄想に過ぎないことは誰も検証せずに鵜呑みにしてしまう

これもヒトという種の生物の先天的欠陥の一つです

「生存価」だけを考慮した場合 むしろオカルトだろうが何だろうが 大多数が信じ込んでいる「権威」に同調迎合しておいた方が 生存にとっては有利であるとも言えます

戦時下であれば 「勝てそうな相手についた方が生存にとっては有利」になります

イジメであれば 「イジメる側についた方が生存にとっては有利」になります

結果的なものだけを抽出してくれば 生存にとって有利な選択によって人間性が洗練されるメカニズム構造なんぞありゃしないんですよ

大抵の場合暴力的な集団の方が「勝つ」ことになる

 

いいですか 遺伝的進化っていうのは「結果」に過ぎませんから 都合よく人間性が組み込まれるようなものではないんですよ

ヒトがヒトに進化するまでの過程を考えた場合 ヒトになる以前の期間の方が圧倒的に長くて ネズミとかサルとか それ以前の単純な生物の期間の方が大半を占めているわけです

ですから 遺伝的進化によって組み込まれた先天的本能習性というものには かつての「ご先祖様」達の行動習性とか形質の名残りが大量に遺されていて それは健康などの「個体の生存」にとっては有利な性質もあるんだけども 決して「人間として正しい行動選択を採る」ように出来ている保証も 構造的メカニズムもない

現代社会においても 自律的な社会的責任判断で内部告発したって 誰も守ってくれないじゃないですか

それなのに どうして「人間性が組み込まれているはずだ」なんて言えるんですかね

そんな話をどうして鵜呑みにできるんすかね

それ バカだからなんじゃないですかね

 

 

Ende;


先天性バカ

2020年11月02日 13時22分25秒 | 意識論関連

ヘイトスピーチってイジメと一緒なんですよ

だからヘイトスピーチに加わっている奴ってヘラヘラ笑っている

笑っているのは脳が気持ちいい証拠です

環境保護団体グリーンピースのメンバーが暴力行為を働いている時もヘラヘラ笑ってました

しかも取材記者が「どうしてそういうことをするのですか?」と問いかけると

「it's fan(楽しいからだ)」と答えました

 

松永莉子パパが「交通事故の再発防止を優先して欲しい」と主張している時に 後でヘラヘラ笑っていたら頭おかしいでしょ

 

山極寿一とか松沢哲郎は 「笑うことは人間しかしない」などと称して あたかも「笑うから人間だ」みたいな短絡的解釈をつけてましたが

笑うことが「ヒトという種の生物特有の性質」だとは言えますが 「ヒト」でありさえすれば「人間」であることの論証には一切なりません

 

特定の他人を自分よりも劣っているとみなして攻撃すると 「自分の方が優位になった」ような錯覚に陥ることができます

もちろん錯覚なので 実質的には社会的優位性みたいなものは一切ありません

ヒトは哺乳類なので 子供は「親」との間に服従関係が必要となります 「親」に従わない子供は自然環境下においては生存に適さないため 進化的に組み込まれた服従行動バイアスだと言えます

こうした服従行動バイアスは 順位序列への執着を生み出すため 何も考えないバカの場合は他人と自分との関係性に順位序列を決定しておかないと不安で仕方ない状態に陥ります

イヌは服従対象を見失うと凶暴化します

飼い主の育て方に問題があると 誰彼構わず上津港

じゃなかった神津光 ああもう 噛み付こうとするようになります

無駄吠えも激しくなります

イヌは育て方を間違えると 服従対象を見失って不安に陥るため そのストレスによって凶暴性を発揮するようになるのです

ですからイヌを飼うには専門家の指導に基づき飼い主に忠誠忠実に服従するよう訓練をする必要があるのです

イヌは服従対象が明確になると安心して従うようになり 無駄吠えも一切しなくなります

こうしたイヌの習性は 自然界においては統率的な協調行動の発現を促すことで 生存価にとって有利に働くことで進化的に発達した行動バイアスなのです

しかし こうした統率協調性というものは集団における「ボス」だけは特異に服従対象の喪失に陥ることになり これが凶暴性や繁殖行動を促すようにもなる

こうした「結果」について バカな生物学者は「より優秀な遺伝子を遺すため」などという説明をしたがりますが イヌのボスが本当に遺伝的に優秀なのかどうかは実は全くわからないんですね

イヌとトラを一緒の檻に入れて育てると イヌの方が凶暴性を発揮して噛み付こうとするため 先天的に統率協調行動習性を持たないトラは嫌がって近づかなくなり 結果的に順位序列が「下」になってしまいます

イヌとトラ どっちが強いと思いますか?

まあ 問いかけるまでもない話なんですが 用もないのにやたらと噛み付いてくる奴を嫌がって逃げるのも動物の習性なんですね

でも イヌの場合は服従する習性がありますから 用もないのに噛み付いてくるような凶暴な「怖い」相手には 仰向けに寝転がって反撃の意思がないことを表現し あっさり服従するようになります

こうした行動というのは イヌが親に対して「甘え」る時の行動が そのまま集団統率行動バイアスに転移した結果なのです

テレ朝の弘中綾香アナウンサーが 子供の時にやたらと絡んでくる近所のイヌに悩まされた経験を語ったことがありましたが イヌって順位序列を「下」だとみるなり急に相手をバカにしてかかるようになる

しかも 尻尾を振り回して喜ぶんですね

うれしくて仕方ない 楽しくて仕方ない

これ ヘイトスピーチに同調している奴と一緒なんですよ

弱いものイジメをしていると楽しい

だからイジメが起こる

イジメながら ヘラヘラ笑っている

でも ヘイトスピーチの中心人物は「同調してくる奴がいるから 俺は正しいんだ」と更に思い込みを強くし 「元気が出る 勇気がわく」ことで益々過激化が進行するようになる

これは集団洗脳状態の構造そのものです

 

イヌって平等が嫌いなんですよ

封建的に順位序列が決定していて 特定の誰かに服従迎合して何か「獲物」を攻撃していると楽しい

でも 冷静に「考え」たら そんな封建的で偏った社会に人間性も倫理も安全性も持続可能性もないこたわかるんですけど

バカだとわからない

「考え」ないからですな

ヒトの脳容積があっても「考え」なければイヌと同じような行動を採るようになる

目先の気持ちよさばっかり追求していて 自分がこれから生き続けてゆくべき社会全体への配慮が働かない

自律的な社会的責任判断選択を一切しなくなる

「どうせ考えたって仕方ない」と「悟った」つもりになっている

「俺は絶望している」と述べながらも 実は全く絶望なんぞしていない

絶望している奴がヘラヘラ笑うわけないですからね

嘘 若しくは自覚がないなら錯覚です

錯覚を錯覚だと自覚認識するためには論理客観的自己検証性が必要で それがないから無責任な迷惑行為や犯罪に加担するようになる

 

持続可能で安全で公平な社会を実現するというのは 夢物語かお花畑だと絶望するのは簡単なんですね

考えるのをやめちまった方が脳が楽だからですよ

ヒトは物事を深く考えるようには先天的には出来ていなくて エタノールだの薬物だのヘイトスピーチで脳を麻痺させておいた方が楽なんですね

ヒトという種の生物は 初めから人間として存在していたわけではなくて かつてはネズミとかサルみたいな生物から偶発的に遺伝的進化した結果として 脳の肥大によって物事を深く考えられるように「も」なった

「も」なった

「も」は外れないんですよ 遺伝的進化には目的がありませんから

深く物事を考えないように「も」なる

なんでか?

それは 物事を考えるような育てられ方をしていないというのが大きな要因です

残虐なゲリラ社会で育った子供が もれなく残虐なゲリラに育つのも

虐待されて育った子供の多くが犯罪者になるのも

子供の時の生育環境要因が大きな要素を占めているからです

目に見えて虐待されていなくても 親が何でも勝手に決めてしまって子供の自主性とか主体的判断選択を無視するような親に育てられても 物事を自分で判断する能力が著しく欠如することがあります

養老孟司も親から医者になることを強制されたそうです でも臨床が怖いから解剖を選んだ

そういう消極的選択しか養老はしてないんですね だから物事を論理的に検証することが出来ず 目先のバカな文科系大衆が喜ぶ「面白い話」で金が儲かればそれが「正しいこと」になってしまう

科学者のフリをしながら「客観的事実などない」などというオカルト観念を振り回すことで バカな大衆の脳を驚かせて人気を集めた

論理的根拠のないセンセーショナルな話をすると 大衆からの人気が得られるんですよ なんでかって? 「楽しいから」ですよ

ややこしい理論の積み重ねで検証する科学的真理の探求のような めんどくさくてややこしくて 気分が悪くなるような話を頭ごなしに「そんなもん存在しねぇ」とばかりに否定する話は痛快で「楽しい」んでしょうな

主観的に「楽しい」んですよ

ヘイトスピーチに同調しているバカと 構造的には一緒です

マルクス:ガブリエルの「世界は存在しない」だとか「時間は無限に分割すればなくなる」なんていう非科学的オカルト話の方が大衆の脳は「楽しく」なるので人気が得られる

「自由意志は存在しない」なんて話も人気がありましたな そういうことにしておけば自分で自律的に社会的責任判断選択をしなくても許されるとでも思えるから 気分的に「楽」なんでしょうよ

畑村洋太郎による国会原発事故調査委員会報告書では 事故の根源的原因として「組織の利益を優先し 個人が自律的な社会的責任を負わなかったこと」を挙げています

もし自由意志が存在しないというのであれば どんなに無責任な判断選択であっても「俺のせいじゃねぇ」って言い逃れできることになるんですよ

それ 本気にするおつもりか?

バカですか?

まあ バカは自分の頭の悪さを自覚認識していないからバカなので バカに対して「バカなの?」って訊いても構造的に無駄なんすけどね

「縁なき衆生は度難し」ってね

一時的に拒絶反応を示しても 長い人生の中で少しづつ理解を深めていければ本当の人間性とは何かを見極められるようにもなるんでしょうけど

最初から何とも反応のない奴の場合はどうにもなんねぇんすよ

わたしゃそんなにお育ちがおよろしくございませんから お釈迦様みたいに根気強く説明する意欲が続かないんですな

なので今日は終わりです

 

Ende;


ファラオの呪い

2020年11月01日 23時32分25秒 | 日記

「和光高校」って何かに似てるなと思ってたんだけど

「ここをこうこうこう」っていうイカ大王のギャグだった #くだらない #しょうもない

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ときた しんさん(北海道)の作品 -GANREF

このモデルさんの写真は他にもあるんだけど 真顔の写真の方が魅力的

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小金井市内にこんなトンネルあるそうな

 -キンシオon Twitter

西武多摩川線だった
東京都小金井市東町5丁目2 -GoogleMap

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ストレリチア 別名:極楽鳥花

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「怖い絵本」

その1:いるの いないの

その2:おろしてください

その3:かがみのなか

絵本だけど 子供に見せたら夜中に泣くと思う

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「ビクロイ」って何だと思ったら

「Victory Royal」の略だった

 

知らんけど

 

 

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帝王

2020年11月01日 14時52分20秒 | 意識論関連

「読み書きそろばん」のような精神論的努力辛抱根性を主張しておけば 精神論に脳を冒されている衆愚の人気を得ることは簡単である

そういうの 養老孟司が散々やらかしましたから

強制的に「安心して同じを追求しておけば良い」みたいな話も養老はしてましたけど

その根拠が「だって皆さん同じを求めるでしょ」である

もはやホリエモンの「だって皆さんお金欲しいでしょ」と変わらん

「死ぬことは個人にとって一大事」だとか言っておいて 一方では「9.11同時多発テロは 歴史の中ではさざ波だ」とも言ってましたな 養老ってのは語っている話に都合の良いようにその場限りの解釈を与えることで 気分的な「納得感」を提供して大衆人気を得ているだけであって 論理客観的な根拠に基づいた普遍的理論があるわけではない

養老の著作が何かに応用できたことありましたかね?

 

精神論って 外見的に「かっこいい」んですよ だから鳥人間コンテストではやたらと興奮して怒鳴り散らすのが流行った

アニメとか漫画の多くで主人公が興奮して怒鳴り散らして謎の怪力みたいなのを出してますけど あれ いうまでもなくファンタジーっすからね

精神論的にガムシャラに何かやっときゃ何でも解決できるかのように錯覚してるんでしょうな 「そうだと良いな」って「思って」るだけなんすよ

でも実際にスポーツなどで興奮して怒鳴り散らしながら競技している奴なんかいませんよ

砲丸投げとかハンマー投げでも 投げた後に叫ぶこたあっても 投げる瞬間は黙ってるんですよ

テニスで叫ぶのは呼吸を利用しているのであって 興奮して絶叫しているわけではない

テニスってのは知的競技ですから 冷静さを失ったら必ず負けます 「必ず」です

マラソンでゴール直前に叫んでる奴いますか

100メートル走だっていませんよ

人気漫画みたいに「全集中!」だとか叫んでおけば集中できるわけではなくて 本当に集中するためには自分を客観的に見る冷静さが必要なんです

ヒトっていうのは感情的になって怒鳴り散らしておけば超人的能力が発揮されるんじゃないかという妄想観念がありますから それを精神論にすりかえて「暗記さえしときゃ頭が良くなる」みたいな根拠のないデマに誘導することは簡単なんすよ

「修行が必要」みたいな話も良く出てきますが

加藤英明の爬虫類の捜索なんかは 他人から見たら修行にしか見えないですけど あれって本人好きでやっているからトカゲに噛まれても「イテテテ」って喜んで「元気だな」って解釈をするんですけど あれを他人から強制されたら拷問にしかならない

外見上修行みたいな行動であっても 本人が自主的にやっているからこそ人並み外れた「努力」のように見えるのであって 実際刑務所で服役囚に懲役を強制しておいても再犯率は50%もあるのが現実です

大衆観念的には「我慢して辛い思いをしておけば 人間性が養われる」とでも思ってるんでしょうけど 実際には犯罪者の大半は虐待されて育ったんですよ

合理的な根拠もなければ 統計的現象の証拠もない話を鵜呑みにしたがるのは そう思っていた方が気分が良いからに過ぎず 個人的な主観によって論理客観的検証性が損なわれてしまう原因となる

 

注意しなければならないのは その場限りの雰囲気(空気)にのまれて「勝ち負け論」みたいな多数決的判定で「納得」してしまうことで

冷静になってじっくり検証すれば その場限りに偉そうな雰囲気を作り出して「勝った」かのように煙に巻いているに過ぎないことが結構あるということ

深い考えっていうのは 答えを導き出すのに時間がかかりますから その場限りの論戦で「勝てる」とは限らない

相手が何を言っているのか「わからない」ときには 一回「コイツ何言ってんだろう?」と保留しておいて あとでじっくり検証し直してみることも重要になる

その場限りの勝ち負け論争に「勝って」も 真実にたどり着けるわけではないからですよ

そりゃ 外見上相手を言いくるめてしまえば「勝った」ような錯覚に多数を陥れて優越感に溺れるこた簡単ですけど それこそが頭の悪いバカ同士の同調迎合を作り出すわけです

相手が用意した「土俵」の上で「負けた」としても そもそも相手の用意した「土俵」自体が論理的にグズグズな泥沼なら そこで「勝って」も何の意味もないんですよ

ヒトってどうしてもその場限りの感情が先行してしまう傾向があるため 不毛な殴り合いに陥って本末転倒な結果に陥ることがよくあるんですよ

そういうのはどうでもよろしい

「恥ずかしい」なんてのは 目先の多数派の観念に基づいた価値観による多数派同調バイアスが作り出す恐怖心(主観)であって バカしかいない集団の中で正しいことが通用しなくても それは集団の方の頭の悪さが原因であって 真理は多数決で決定するようなものじゃないんですよ

民主主義は多数決で決まりますけど それは民衆の半数以上がマトモな状態じゃないと機能しないのであって ナチズムというのは当時のドイツにおいて民主的に選ばれたものだったことからも 制度上民主主義を導入しておけば自動的に常に正しい結果が得られるような万能の制度ではないんですよ

私のことを変人扱いする奴は多いですけど そんなもん変人扱いしている奴の主観的感想しか出てきません

論理客観的な証拠や根拠に基づいた論証で 反証可能なのに誰も反証出来ないなら それは科学的には「より正しい」とみなして良い

科学は100%ではありません なぜならヒトの脳は有限で 忘れもすれば間違いもするし錯覚に騙されることもよくあるわけで その中から何が錯覚で何が真実に近いのかを探求し続けるのが科学なわけです

科学に人間性や倫理性を付与するのが哲学の存在意義です

だから「科学の帝王」と形容される

主観的に気分が良くなる話を鵜呑みにして満足するのが哲学ではないのです

ゆめゆめ間違えてはならない

 

 

Ende;