自己肯定感の希薄な者というのは 他人も肯定したがらない
しかも 客観性もないもんだから身勝手な観念を真剣に本気で信じ込んで疑わないから根拠のない自信だけは無駄に発揮する
他人を差別迫害(否定)することによって 自己肯定感の希薄に起因する喪失感を埋めているのである
要は「八つ当たり」である
イジメをする子供というのは 基本的に親から主体性を認めてもらえないことを事後正当化するために
他の子をイジメることによって認知的不協和を解消しているのである
自分だけが主体性を認めてもらえないことが許せないため 無関係な子の主体性も否定していないといられず
親相手には反論できないので 自分が強者である親から抑圧されていることを正当化(臨床心理上の「合理化」)するために 学級内で弱そうな子をイジメることで 自分の境遇を正当化していないといられないのである
先天的な気分感情が引き起こすシーケンシャル(無意識)な行動として イジメや差別というものは生ずるのである
イジメをしている本人にその自覚はない
なぜなら 自分が行っている行動を客観的に検証すべき「本質的な自己」がないからである
殴り返してこなさそうな相手に暴力を振るっていれば 自分が殴り返すことのできない相手に屈服している事実を心理的に正当化できていると勘違いしているのである
暴力的抑圧が社会の中で「連鎖」しているのである
そもそもヒトは先天的に平等が嫌いであるため 本質的な人間としての意識(精神・客観的論理検証性)が働かなければ 主観的に気に入らない相手を殴って満足する生き物なのである
暴走族は「俺が悪いことをするのは 社会が悪いからだ」と主張するが 社会のどこが どのように間違っているのかを論理客観的に究明し どのようにすれば改善するのかを具体的に明文化しなければ どんなに不特定多数の他者に迷惑をかけても糞の役にも立たないばかりか むしろ社会問題自体に自分が加担して問題を複雑にするだけである
「俺ってバカだからさぁ」などと 自分の頭の悪さを自慢したがるバカは多いが 自分の何がどうバカなのかを知っているのであればバカは治るはずであり 「俺はバカだ」と自慢している時点で ただの嘘なのである
本当は「自分はバカだ」とは思っていないからこそ バカが治らないのである
一方で 「俺は頭が良いんじゃぁ」などと学力成績を正当化したがるバカもいるが どのみちバカの一形態に過ぎない
「自己自身であろうと欲さない絶望」と「自己自身であろうと欲する絶望」の違いに過ぎず バカであることに違いはない
安っぽい絶望というのは 簡単にヒトから論理客観性を奪い 思考停止の快楽に溺れ バカに陥る
松永莉子パパのような地獄を本当の「絶望」と言うのであって 他の大抵の「絶望」など ただの「精神の怠慢」に過ぎない
他人に多大な迷惑をかけているバカは その迷惑行為こそが自分の「目玉」だと思っているのであろうが それこそが自らを盲目にさせていることには気づくことができない
「自分だけは絶対に大丈夫」だと信じて疑うことを知らないのである
私は自分の主観的感覚や好き嫌いなど一切信用しない
私がバカを嫌うのは私の勝手である
それでも バカがバカのままだと社会の諸問題が全然解決しないので バカに対して懇切丁寧に 噛んで含めるように説明を繰り返しているのである
私の目的は「多数のバカに好かれること」ではなく 「社会の問題を解決すること」である
バカがバカのまま寄ってきてもウザいだけであって 私に近寄ってくるならバカを治してからにして頂きたい
まあ バカが治れば私に近寄ろうとも思わないはずだが
Ende;
しかも 客観性もないもんだから身勝手な観念を真剣に本気で信じ込んで疑わないから根拠のない自信だけは無駄に発揮する
他人を差別迫害(否定)することによって 自己肯定感の希薄に起因する喪失感を埋めているのである
要は「八つ当たり」である
イジメをする子供というのは 基本的に親から主体性を認めてもらえないことを事後正当化するために
他の子をイジメることによって認知的不協和を解消しているのである
自分だけが主体性を認めてもらえないことが許せないため 無関係な子の主体性も否定していないといられず
親相手には反論できないので 自分が強者である親から抑圧されていることを正当化(臨床心理上の「合理化」)するために 学級内で弱そうな子をイジメることで 自分の境遇を正当化していないといられないのである
先天的な気分感情が引き起こすシーケンシャル(無意識)な行動として イジメや差別というものは生ずるのである
イジメをしている本人にその自覚はない
なぜなら 自分が行っている行動を客観的に検証すべき「本質的な自己」がないからである
殴り返してこなさそうな相手に暴力を振るっていれば 自分が殴り返すことのできない相手に屈服している事実を心理的に正当化できていると勘違いしているのである
暴力的抑圧が社会の中で「連鎖」しているのである
そもそもヒトは先天的に平等が嫌いであるため 本質的な人間としての意識(精神・客観的論理検証性)が働かなければ 主観的に気に入らない相手を殴って満足する生き物なのである
暴走族は「俺が悪いことをするのは 社会が悪いからだ」と主張するが 社会のどこが どのように間違っているのかを論理客観的に究明し どのようにすれば改善するのかを具体的に明文化しなければ どんなに不特定多数の他者に迷惑をかけても糞の役にも立たないばかりか むしろ社会問題自体に自分が加担して問題を複雑にするだけである
「俺ってバカだからさぁ」などと 自分の頭の悪さを自慢したがるバカは多いが 自分の何がどうバカなのかを知っているのであればバカは治るはずであり 「俺はバカだ」と自慢している時点で ただの嘘なのである
本当は「自分はバカだ」とは思っていないからこそ バカが治らないのである
一方で 「俺は頭が良いんじゃぁ」などと学力成績を正当化したがるバカもいるが どのみちバカの一形態に過ぎない
「自己自身であろうと欲さない絶望」と「自己自身であろうと欲する絶望」の違いに過ぎず バカであることに違いはない
安っぽい絶望というのは 簡単にヒトから論理客観性を奪い 思考停止の快楽に溺れ バカに陥る
松永莉子パパのような地獄を本当の「絶望」と言うのであって 他の大抵の「絶望」など ただの「精神の怠慢」に過ぎない
他人に多大な迷惑をかけているバカは その迷惑行為こそが自分の「目玉」だと思っているのであろうが それこそが自らを盲目にさせていることには気づくことができない
「自分だけは絶対に大丈夫」だと信じて疑うことを知らないのである
私は自分の主観的感覚や好き嫌いなど一切信用しない
私がバカを嫌うのは私の勝手である
それでも バカがバカのままだと社会の諸問題が全然解決しないので バカに対して懇切丁寧に 噛んで含めるように説明を繰り返しているのである
私の目的は「多数のバカに好かれること」ではなく 「社会の問題を解決すること」である
バカがバカのまま寄ってきてもウザいだけであって 私に近寄ってくるならバカを治してからにして頂きたい
まあ バカが治れば私に近寄ろうとも思わないはずだが
Ende;