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書き逃げアンドロイド。

副交感神経が優位になるような写真が好き。

○ざんねんないきもの。

2019年02月14日 23時20分10秒 | 意識論関連
ネアンデルタール人が絶滅した原因の一つは寒冷地適応が地球温暖化に適応出来なかったためという説がある

遺伝的進化というものは「たまたま死なずに済んだ結果」に過ぎず

強力な淘汰圧力という膨大な犠牲の上に成り立つ過酷なものであるにも関わらず

ヒトの多くは「環境変化によるピンチは進化のチャンス」だという生物学者の主張を鵜呑みにする

遺伝的進化が起きるためには

偶発的に生存に適した遺伝子を持った個体以外の全てが死滅しなければならない

人類の大半が苛烈な環境変化などで死ななければ遺伝的進化というものは促されることはないのである

にも関わらず大半のヒトは遺伝的進化によって自分だけは生き残れると勝手に勘違いしている

そういう残念な生き物なのである



Ende;

○絶望は罪である。

2019年02月12日 14時12分48秒 | 意識論関連
「自分を含めたヒトという種の生物が先天的に欠陥品であるならば もはやあらゆる努力は無駄である」

↑このような軽薄な決めつけというのは あくまで気分(先天的バイアス)が促す思考停止であり 何ら論理的根拠を持たない逃避によるその場限りの満足安心を求めた結果である

絶望するからこそ人間でもあるのだが キェルケゴールはこうした軽薄な絶望を罪であると論じた

絶望とは所詮気分的なものであり 真理探求の不可能性が論理的に証明された訳では一切ないからである

ヒトはすぐに思考停止して諦めようとする

深く物事を考えるのが面倒臭いので 考えないよう言い訳言い逃れ取り繕いはぐらかし開き直りをすることで論理的真理探求を放棄する先天的習性があるからだ

哲学者と呼ばれる研究者の多くは 単に過去の論説を引用して「誰それは こう述べた」と知識をひけらかしてその場限りに煙に巻いているだけで その内容に合理性のある弁証法的証明が存在するかどうかなど誰一人として一切検証していない

だからこそフランシス:ゴルトンの優生学が130年以上にもわたり傍観放置されてきたのである

怠慢にも程がある

社会的に肝心な検証は一切せず 亀山郁夫による「ドスト:エフスキーの読書感想文」を あたかも哲学的に意味があるかのように珍重していたのが現在の哲学界の現実である

カントの「純粋理性批判」を鵜呑みにしていたのも同様である 論理整合性のない話でありながら あたかも動物的「情動」の方にこそ人間性が存在するかのように解釈出来るため バカな衆愚は純粋理性批判を簡単に鵜呑みにするのである

理性を悪者にしておけば 論理的に真理を探求することを放棄しても良いと錯覚し 何も考えなくても済むと勝手に解釈出来るからであろう

自律的に論理検証することを放棄して 先天的に組み込まれた感情のままに行動してさえおけば自動的に常に正しい結果が得られるはずだという妄想に囚われていれば 何も考えず 何も悩まず 何も絶望せずに済むのである

その妄想が促す錯覚こそが ヒト(人類)を愚かにせしめている最大の原因である

その上今度はマルクス:ガブリエルの言う「世界は存在しない」などというオカルト観念を鵜呑みにする始末である

頭が悪いにも程がある

 ◇

主観的に「死にたくない」ことを多数抽出してきても それは科学的普遍性の論証にはならない

科学というのはバカの多数決で決定されるものではないからである

生存というのは結果であって どんなに「死にたくない」と強く思ったところで死なない奴はいないし そもそも永遠に生きながらえたところで 「で?」っていう話である

「死にたくないから 生きていたい」というだけであれば これは先天的な本能習性に受動的無意識に流されているだけであり 何ら自発的主体性などないではないか

それとも何か? 長生きを他人と競争するために生きているだけなのか?

それなら先天的疾患などで20歳にもなれない内に寿命を迎えてしまう人は「負け犬」だとでも言うのであろうか?

もはや それは「キチガイの勝利」「犬の価値観」であろう

その競争に「勝った」ところで 社会安全性という最も基礎となる価値には全く結びつかないのである

そればかりか むしろ格差や差別を助長してしまい 人間性の喪失にしか結びつかない

バカ同士の多数決に同調しておけば バカは満足なのである

満足慢心は思考停止を促し バカは益々バカに陥るのである

バカの臨界(暴走)状態

その炉心に私は一人バケツで水を汲み上げている気分である

最近は教育に「自律」が重要視されてきた点においては光明はあるが 哲学界や生物学界は相変わらずバカが権威を振るっている状態にあまり変化が見られない

それでも「絶望は罪である」とキェルケゴールにケツを叩かれているので 諦めることはしないつもりである



Ende;

○思考停止バイアス。

2019年02月12日 12時58分30秒 | 意識論関連
サバイバーズギルトのように実質的には何の瑕疵もない事柄に罪を感じることがある

逆に内部告発者を集団組織から排除することに何の罪も感じないこともある

観念的な罪の意識というものには合理性がなく 社会的に悪い行為であっても感じないことは少なくない

どんなに社会的に無責任な行動であったとしても それが多数派であれば罪が薄まるとでも思っているのであろう

 ◇

先天的な社会形成習性というのは 封建的ヒエラルキーによる統率的協調性を発揮することが 生存にとって有利だったために残された習性であり

先天的習性である以上 能動的 合理的 意識的に選択したものではなく 単なる無意識な行動バイアスに過ぎないのである

ところが ヒトの多くは先天的本能習性が促す無意識な行動バイアスの強度程度を意識の本質だと勘違いしているため 強い情動に無意識に流されるばかりで 合理性のある自発的選択をしなくなるのである

こうしたヒトという種の生物の先天的欠陥というものは 誰かが悪いわけではなく 単なる「結果」に過ぎないので これは意識的に欠陥をリカバリーするよう心がけ「対策をする」ことこそが 人間としての「目的」行動選択となるのである

こうした先天的欠陥のリカバリーをするためには 先ずは「自分というヒトという種の生物には先天的な欠陥があるのだ」という自覚認識が必要なのだが それは先天的に「気分が悪い」ために無視し 「自分は先天的に常に正しい行動選択しかしない優秀な遺伝子を持っているはずだ」という観念にとって都合の良い話ばかりを抽出して満足しようとするのである

松沢哲郎による「チンパンジーの行動習性から 人間としての社会性を立証出来るかも知れない」だとか 特定環境下において「ヒトは利他的行動を採ることが快楽である」などといった生物学や社会心理学による非科学的立証を 何の疑いもなく鵜呑みにすることが出来るのである

単なる利他的行動だけであれば 東京電力社内において自分が所属する集団組織の利益を優先し 自律的な社会的責任判断を放棄することも 組織内部という一面的観点からは利他的行動であると言えるのである

ヤクザがヤクザ組織にとって都合の良い鉄砲玉になることも ヤクザにとっては利他的行動だと言える

日大アメフト部による反則行為も アメフト部の集団組織内部だけにとっては利他的行動であることになる

組織という偏った集団にとって有利な献身的利他的行動だけでは人間性の立証にはならないのである

ところが こうした特攻隊的な暴走行為を事後正当化して「英霊」などと称して あたかも特攻隊が命懸けで無駄な戦争を長引かせたことが現在の平和の礎になっているかのようなご都合主義的解釈の仕方を鵜呑みにしたがるのである

しかし無謀な戦争自体に反対し官権に投獄された「政治犯罪者」達を「英霊」とは絶対に形容することはない それは内部告発者同様に「裏切り者」として扱っているからである

自律的な社会的責任判断を放棄しておいて 一体何が人間性であろうか

先天的本能習性というものでは人間性を立証することなど原理的に不可能であるにも関わらず ヒトの多くは生物学や社会心理学のでっちあげた非科学的オカルト理論に満足し 誰一人として自律的な論理検証もせず批判精神も一切発揮せずに 目先の気分的安心満足感に溺れて思考停止に陥るのである





Ende;

○ホセ:オルテガ:イ:ガセット。

2019年02月11日 23時55分33秒 | 意識論関連
ホセ・オルテガ・イ・ガセット(以下「オルテガ」)というスペインの哲学者は 野蛮な大衆による超民主主義(バカの多数決主義)を批判したが

彼はバカ主義がなぜ暴走するのかを正確に分析できていなかった

オルテガの言い回しを用いると「衆愚はパンを求めてパン屋を破壊する」という合理性のない野蛮行為を批判しているわけだが

残念ながらオルテガは「大衆の愚かさは型や形式を持たないことが原因である」と結論づけており この分析が間違っているのである

衆愚がパン屋を破壊するのは 破壊することが先天的(動物的)に快楽であるという欠陥に由来するものであり 型や形式とは関係がない

型や形式に則(のっと)りさえすれば破壊にはつながらないというものではない

衆愚が衆愚足りうるのは 衆愚というものが先天的な自己の野蛮性を自覚していないが故であり

ヒトの野蛮性 自己の野蛮性をなぜ自覚出来ない原因とは 先天的行動バイアスが促す感情の強度程度を短絡的に意識の本質や自由意思だと勘違いしているためである

 ◇

先天的行動バイアスとは祖先が生存にとって結果的に有利だった行動として遺伝的に残された性質に過ぎず 先天的行動バイアス自体には目的がなく あくまでその行動が快楽として組み込まれているだけなのである

先天的行動バイアスが促す感情のままに行動するからこそ 合理性のない野蛮な動物的行動に陥るのであって 目先の感情を自己の意識や自由意思だと錯覚していることが根源的間違いなのである

先天的行動バイアスというのは 自己自身では選択不可能である なぜならば祖先が死ななかったという「結果」以上の意味がなく 意識的に合理性に基づいて能動的に選択したものでは一切ない

つまり 先天的行動習性バイアスが促す情動行動というものは ヒトという種の生物に限らずあらゆる動物にも存在する「低次の意識」であって 人間としての合理性のある目的行動選択としての本質的意識ではない

 ◇

オルテガの時代には 科学技術が大衆の野蛮行為に大量に利用されていたため オルテガは科学者を批判していたが 科学技術というのは道具であって 野蛮行為に利用されたことが問題なのであって 道具自体には罪はない



現状においては養老孟司だのマイケル:サンデルだのマルクス:ガブリエルだのといった非科学的オカルトを信じ込んで浮かれている無責任性こそが罪なのである

「極悪人(罪人)なら死刑だな」などという短絡的発想は幼稚である 罪は自覚し改めることが必要なのであって 死刑などの懲罰を唯一絶対的解決策だと信じ込んでいる短絡性こそが大衆的な野蛮性の一つなのである

大衆が「パン屋を破壊」したがるのは 懲罰を用いた他者への暴力的抑圧こそを唯一絶対の「解決」策だと勘違いしているからである

ヒトという種の生物(衆愚)は 合理的根拠に基づいた目的行動選択を論理的に検証するよりも 目先の気分的安心満足を優先するという動物的(先天的)行動習性が優先してしまう

なによりおぞましいのは 先天的行動習性が促す快楽を事後正当化して あたかも「自分だけは先天的に人間性が組み込まれているはずだ」などという非科学的オカルト妄想で満足してしまうことである

だからこそ生物学や社会心理学による「先天的人間性の立証」的なもの(実際には原理的に不可能なこじつけでしかない)を何の論理検証もせず「素晴らしい」などという主観的快楽だけで鵜呑みにして満足してしまうのである


 ◇追記:

オルテガは大衆が同質性を求めることで差別排除が助長されることを指摘したが

養老孟司は「安心して同じを求めれば良い。」と真逆のことを述べることで大衆人気を得た その論拠は「皆さん同じを求めるでしょ」という統計的多数である

バカを多数抽出してきたからといって 「ヒトはバカが治らない」ことの論証にはならないのに 養老などのペテン師達は「多数派に迎合しておけば安心だ」という大衆への迎合によって人気を得たのである

さらに 養老は同質性を求めることを正当化する(理論的には全く出来ていないが)ことで 個性というものを否定した

これを詐欺ペテンと言わずに何と言うのであろうか

自律とは自発性の中にあり 自発性とは個性と同義でもある

養老は「(精神病患者が)自分の糞で壁に自分の名前を書く」ことを「個性」だと述べたが

それを言うなら相模原障害者施設やまゆり園虐殺を行った植松聖の行動も「個性」ということになる

植松による虐殺行為は「個性」かと言えば 虐殺なんてのは歴史書をひもとけば山ほど出てくる「よくある話」であり 何ら画期的でもなければ先進的でもなく 全然「個性」とは言えない行為である

糞で壁に名前を書く精神病患者の行動はわからないが 植松の行動には評価承認欲求中毒の徴候がかなり明確に見られる

 ◇

ヒトが同質性を求めるのは 先天的な社会形成習性に起因するものであり より大きな規模の集団組織に同調迎合することが 気分的に安心だからである

その気分的安心を過剰に求めることで 誰も求めていない「評価」欲しさに暴力的破壊行為に暴走するようになるのである

ここで話に矛盾点が出てくる 他人からの評価が欲しいにも関わらず なぜ「誰も求めていない」ことを行うのか

それは 評価承認欲求患者には主観的感情と客観的合理性判断の区別がつかないからである

主観的に「カッコイイ」と思ったものこそが「多数派も同じように求めているものだ」という身勝手な決め付け(思い込み)に直結しており 自己客観性が全く働かないため 他人に多大な迷惑行為をかけるようになるのである

平たく言えば考えが浅く 幼稚なのである

衆愚が同質性を求めながらも「パン屋を破壊する」のはそのためである

目先の欲望だけで行動が決定してしまい 普遍的価値に基づいた合理的行動選択が出来ないためである

 ◇

オルテガは大衆が型や形式といった手順手続きを踏襲しないことが原因だと分析したが 法的手続きを踏んだところで刑法懲罰の不毛性が解消するわけではない

型や形式 つまり 機械的手続きを踏めば外見上は理性的には見えるのだが 「見える」ことが錯覚ではない前提の話である

司法裁判や宗教というのは形式に異常にこだわるが それは何も論理的に検証することのない大衆の気分的安心感を与えるためのものであって 警官が警官の制服を着ることで拳銃を持っていても不安に陥らないようにするための「形式」に過ぎない

ヒトの多くは一見そう「見える」ことを短絡的に鵜呑みにしがちだが その短絡性こそが真理を見失う大きな要因となる

武力を用いた「安全保障」が 結局は軍拡競争によって安全性を損なうジレンマを持っているのは そもそも武力こそが安全保障だという気分的安心感が作り出した幻想に過ぎないのである

自国の軍隊や自衛隊が強固になれば 自国民は安心感を得られるだろうが それは相手国からすれば脅威にしかならない

日本は米国の「核の傘」を安全保障だと勘違いしているが 北朝鮮の核兵器は全然アジア地域の安全保障にはならないのであり 北朝鮮政府からすれば米国の核兵器は脅威でしかないからこそ核武装に邁進することになるのである

植松聖を死刑にしておけば気分的には安心かも知れないが 植松のようなトンチンカンな狂人が 一体どのようにして出来上がるのかというメカニズム構造を論理的に解明しておかなければ 似たような虐殺事件に対する合理的な再発防止策にはならないのである


 ◇追記2:

オルテガは 「大衆はパンを求めてパン屋を破壊する」と述べたが

梅沢富美男が相模原障害者施設やまゆり園虐殺犯の植松聖について「こんな奴は死刑にしちまえ」と述べたことに大衆人気が得られたこととの類似点に気付かないだろうか?

死刑という司法裁判で どんなに複雑な手続き(型、形式)を踏んだところで 所詮は大衆の気分的満足感を与えるばかりで 具体性のある合理的防止策にならないことからも 型や形式に人間性や倫理があるわけではない

たとえどんなに複雑怪奇な手続き形式を採ったところで 「パン屋を破壊」しても問題の解決にはならないのである

「パン屋のパンがまずかった」ことと「虐殺事件の犯人」は同じではないが 「多数派で同調して怒りに任せた懲罰感情の正当化」という点では酷似しているのである

 ◇

大衆は暴力的懲罰さえ与えれば その場限りに満足する

それが具体的に再発防止対策につながらなくても である

具体的な再発防止策につながらないということは つまり「社会安全性など知ったことではない」と言っているのと同じであり 非常に無責任な判断なのであるが 多数で同調している気分的満足感がそれを見えなくさせているのである

SNS上での「私刑」やヘイトスピーチの蔓延も その場限りに罰しておけば満足感が得られるという ヒトの先天的習性が促す無意識行動なのである

誰かを寄ってたかって叩いておけば「自分が正義を貫いた」という満足感が得られるため ヒトは集団組織的に個人や少数派を攻撃したがる

こうした先天的習性は 極めて動物的な野蛮性であり 大衆の愚かさの源でもある

従って オルテガの分析が間違っているために 具体的にポピュリズムに対する対策につながらないのである

どんなに複雑な手続き形式を採ったとしても やっていることが「主観的感情の多数決」である限り 手続き上民主主義制度を導入していても「バカ主義」にしか陥らないのである

そもそも民主主義制度自体が型や形式ではないか

倫理や人間性というものは 決して制度的な手続き形式で得られるようなものではなく あくまで個人の自律的な社会的責任判断選択の多数決によってこそ成立するものなのである

 ◇追記3

オルテガの言う型や形式とは「丁寧なマナーや作法」であり 政治的「根回し」や 大衆への「ご機嫌取り」も含むことになる

根回しやご機嫌取りというのは ヒトの先天的習性に則った手続きに過ぎず イヌが相手のケツの匂いを嗅ぐようなものに過ぎない

丁寧に挨拶さえしておけば人間性が保証されるわけではなく むしろ連続殺人犯の多くは形式に過ぎない挨拶はキチンと出来るからこそ 誰からも疑われることなく連続殺人が可能となるのである

それこそ「マナー産業」のでっちあげたデマの如く「形式や形こそが人間性である」と見なすものであり 到底人間性や倫理の論証にはならず こんなものを真理だと言うのはとんでもない大間違いである

マナー産業による「ご苦労様と言うのは上から目線だ」などというデマをでっちあげることも簡単であり むしろ多数派同調を促しヒトの大衆性を増長させることにもなる危険なものである

大衆が大衆足りうるのは マナーや作法の欠如ではなく むしろマナーや作法などの型や形式を鵜呑みにしてしまう非合理性であり 自律的な論理検証性が欠けているために 大衆は合理性のない暴走破綻へと陥るのである

 ◇

大衆がなぜ多数派と同調し迎合することが 単なる安心だけではなく「気持ち良い」快楽を感じるのは ヒトという種の生物には先天的本能習性として多数派同調バイアスが組み込まれてしまっているからである

オルテガに限らず ヒトというのは型や形式という外見に簡単に惑わされる性質があり これが原因でヒト(大衆)は真理を見失い デマに惑わされて暴走破綻に陥るのである

「ヒトは見た目が9割」と言われ 電話口で丁寧な口調で語られると簡単に善人だと思い込むため 特殊詐欺の類いが全く減らないのである



オルテガは専門分野以外に何の興味関心を持たない専門家も「大衆」であると分類したが 倫理や人間性の何たるかに全く興味のない生物学者や哲学者達による非科学的オカルト観念ほど無知な大衆から人気を得ているのは 洗脳や扇動以外の何物でもない

振り込め詐欺にカモられる前から 生物学者や哲学者達に大衆の多くは既にカモられていることに気付くべきである



Ende;

○病気。

2019年02月11日 12時24分46秒 | 意識論関連
時折猛スピードで路地を走る車がいるんだけど

こういう奴に限って暇そうにコンビニで漫画読んでたりするので

病気だと思う



「大したこっちゃない」って思うかも知れないけど

こういう「ヒヤリ、ハッと」事象を放置しておくから相模原障害者施設やまゆり園みたいな重大事象に発展する

病気は治療しないと治らないので

単に警察の取り締まりでは治療にはならんよ



Ende;

○文科系大衆観念の構造。

2019年02月09日 22時09分31秒 | 意識論関連
「厳しい練習に耐えれば忍耐力がつく」というのは大嘘です

日大アメフト部の厳しい練習を耐えたら 自律的な社会的責任選択が出来る強い忍耐力ってつきましたか?

命令のままに反則行為をすることは「忍耐力がついた」と言えるんですか?

ヒトは 自分が苦しみ頑張ったことが無駄だったことを認めたくないために 客観的根拠を無視して都合の良い結論だけを導き出して思考を停止させる習性があります

いわゆる認知的不協和理論が促す事後正当化の錯覚に過ぎないのです



大衆の多くは「苦しみや哀しみが多い程 優しい人になれる」的な話で感動し 簡単に鵜呑みにしちまいますが

虐待されて育った子供が大人になって自分の子供にも同じような虐待を繰り返す「虐待の連鎖」というのは 「優しい人」に育ったからなんですかね?



ヒトの多くは その場限りに気分が良くなりさえすれば簡単に論理検証を放棄し 客観的真理を無視して大多数のヒトが満足する話を鵜呑みにする習性があります

この習性によって 多くのヒトは客観的真理を見失い 嘘や錯覚に惑わされ 問題解決能力を喪失するのです



Ende;

○雪。

2019年02月09日 13時45分40秒 | 日記
Amazonだと3万円くらいでChromeBook売ってんだな

Acer CB311-7H-N14N(Chrome OS/Celeron N3060/4GB/32GB eMMC/11.6/WiFi/モバイル/1年保証/パールホワイト) -Amazon

でもAmazonって問題もあるらしいので あんまり買いたくないなぁ

ヨドバシだと同じもの(?)が3万5千円くらいになる

Acer ChromeBook -ヨドバシ

今ならポイントが4500くらいつくので そんなにゃ違わないのかな

でも「お取り寄せ」だな

そういやブルードットの10インチ型出たけどディスプレイの解像度が1280×800なので8インチ型と違わなかった

ブルードットのAndroidタブレットでMicro:Bit動かせないのかな

ラジコンカーに車載して加速度ログ録ったりしたらオモロそうなんだが

3月末までに新しい端末買わないとGeositiesに載せたJavaScriptが全滅する

もう既にログインは出来ないし Android2.2だとページのソースコードは読み出せないので保存も出来ないのよ

誰か保存しといてくれないかしら

http://space.geocities.jp/srand4000/privatefolder/test/snow6_s2.html

もう一度書く根性も自信もないわ



 ◇追記:8日にマスコミ報道では「大雪に警戒」とか騒いでたんだけど

9日は午前中にホコリみたいな雪が舞ってた時間帯はあったけど

午後にはあがっちゃって道路が乾いている

まあ 積もらなくてよかた

とは言え 寒い (>y<;)



Ende;

○ロボット放火犯。

2019年02月08日 19時02分45秒 | 日記
ロボット掃除機が電気ストーブを移動させちゃって

ソファーなどが燃える事故があるそうな


 -朝日新聞

ってか障害物を避けたりしないのかよ



 ◇追記:そういやブラーバジェットって液体吐き出すけど

コンセントや家電製品にぶっかけてショート炎上とか起きないのかしら

ブラーバがルンバ壊したらオモロいんだが(悪趣味)



 ◇追記2:センサーで障害物を避けることは当然としても 車輪が電気製品のコードを巻き込んじゃったりするのを避けるためには 車輪駆動モーターにかかる電流負荷を測定していればAIで異常検出出来るんじゃなかろうか

ヒトの場合は何かが足に絡めば大抵気付くわけで ヒトって物凄いセンサーの塊みたいなものだと言えるので 今のロボットと較べたら圧倒的に高性能だと言える

そのヒトの性能を有効に活用出来ないのは勿体ないな

あらゆるヒトの性能を有効活用できれば 本当の意味(利己的儲けではない意味)での効率につながるんだと思う



Ende;

○見えていないということ。

2019年02月08日 14時38分28秒 | 意識論関連
犯罪者が刑務所で罰を受けるだけではなく 犯罪者の家族親類までもが社会的な排除を受けることが非常に多いという

これは ヒトに普遍的に見られる懲罰感情という先天的習性が促す行動結果なのだが

真の意味での社会防衛の観点からは むしろ犯罪者を育ててしまった親がどのような育て方をしたのかは犯罪の再発防止において極めて重要な情報になるはずであり

社会的排除などの「私刑」はこれを阻害することにしかならないのである

犯罪者が育つ環境に共通点が見つけられれば 犯罪者が発生する可能性を大幅に下げられる可能性が出て来る

こうした合理的対策というものを ヒトという種の生物は先天的に嫌う性質がある

これもまた ヒトという種の生物における「人間としての欠陥」なのである

ヒトという種の生物は 先天的には「人間」ではない

先天的本能習性だけでは人間としての社会性 人間としての自律的な社会的責任判断が一切保証されていないからである

ヒトという種の生物は 先天的に権威などの誰かを盲目的に信頼することで 安心して統率的協調行動を採る習性がある

こうした先天的な社会形成習性というものは ヒトに限らずイヌにもハダカデバネズミにも 鳥類やハチやアリなどの哺乳類以外の生物にも見られる性質であり これらは別に個体が意図目的のために能動的に選択した性質ではなく あくまで偶発的に獲得した性質が生存にとって有利に働いたという「結果」以上の意味はない

ヒトが統率協調的に深夜の渋谷で軽トラを転覆させられるからといって これが短絡的に人間性の論証になどなるわけがないのである

ましてや チンパンジーが酒を盗み呑みしたことを「業績」であるかのように言い張るのは もはや松沢哲郎の頭がイカレているだけであり そんな話を鵜呑みにしている生物学者達もマスコミも同罪である

「どこそこの名門大学のお受験に合格する育て方」だの「世間的成功をするための育て方」には大衆は飛びつきたがるが これは利己的な欲求を基準にした誘導に引っ掛かっているだけであって それが人間性に基づく社会安全性につながるわけではない

社会が安全でないことには あらゆる欲望は意味を為さない

社会安全性というのは あらゆる欲求の最もベースにあるべきものであって 安全性を後回しにして目先の利益や快楽幸福ばかりを利己的に追求しているからこそ 社会安全性が失われることになるのである

社会安全性の観点から見れば 子供の育て方において最も重要なのは「犯罪者にならない育て方」である

たとえ法的に違法でないとしても 自律的な社会的責任判断を出来る人間性なくして社会安全性など成立するわけがないのである

犯罪者を育てない社会を作り出すためには 懲罰感情という目先の先天的欲望に惑わされず あくまで科学的検証を優先する理性こそが重要なのであり

「犯罪者や親族は社会から排除してしまえ」という短絡的行動もまた社会的無責任行動なのである

自分が何をしているのかを認識していなければ 何が本当に無責任なのかを認識することも出来ない



Ende;

○タイトルとか考えるの面倒臭い。

2019年02月08日 13時45分54秒 | 意識論関連
例えば 草食動物の逃げ足が速く進化する過程とは

とにかく天敵に襲われたら逃げ回ることで 逃げ足の遅い個体から喰われていなくなるという淘汰圧力が数千万年かかり続けることで 足の速い個体だけが生き残ることになる

この進化過程においては 個体の意図目的は何ら影響を及ぼすことはない

逃げる個体の恐怖心というのは 意図目的ではなく 単なる行動バイアスであって 恐怖心の強度程度と足の速さは直接関係がなく どんなに強く「逃げたい」と思ったところで先天的に足が遅ければ喰われ それほど強い感情を伴わなくても先天的に足が速ければ逃げ切れるわけで スポーツにおいても恐怖心や焦りを伴わずに冷静になることの方がより高い能力を発揮することが知られている

感情的ヒステリックに怒鳴り散らしても 具体的な効果は何もないのである

情動が促す恐怖心のままに逃げ回りさえすれば進化は促されるのであって 「子供の逃げ足が遅いからナントカしよう」とかいう合理的考えなんぞ介在する余地はない

進化というのは合理性に基づいた意図意識的能動選択が介在する必要性も また 介在する余地もない

遺伝的進化によって残された性質が特定の結果において有利であるとしても その性質が常に永久に有利な結果をもたらす保証は何もなく むしろ環境変化に対応出来なくなる原因となることも充分にある 

 ◇

ヒトの脳が肥大化したのは 幼形成熟が進んだためだと言われているが

ヒトの祖先のサルが「脳を大きくしよう」として外見の幼い配偶者を選択したわけではなく たまたまロリコンのサルが見た目の幼い個体に性的興奮をして繁殖した結果 偶発的に脳の肥大という結果に結びついただけである

ロリコンとは言っても 本当に年齢の幼い個体との配偶関係を結んでも脳の肥大化は起こらず あくまで充分に成熟して繁殖能力を持った大人になっても見た目が幼く頭が大きい個体との配偶関係が必要となる

しかし 本能習性としての外見的幼児に対する性的欲求自体には目的がないので 「繁殖能力もない幼女を犯して殺害する」などという訳のわからぬ行動をも引き起こすことが結構ある

繁殖行動バイアスというのは とにかく「ヤリたいだけ」なので 合理的目的などどうでも良いのである

「幼い女子に食べられたい」などという ド変態漫画家も時折いるが 欲求自体は自己選択不可能なものなので 漫画などの芸術表現分野であれば社会的には問題はなく 判断力の未熟な子供の目に触れないような制限さえあれば良いのである

むしろ 「男ってそういうド変態性もあるのね」っていう事実は 女子全般にも周知しておいた方が危険性回避の観点からは必要でもあろう

アグネス:チャン女史のように 頭ごなしに毛嫌いして表現の自由までも制限することは 逆に危険性の隠蔽にもなりかねない

 話が逸れた

とにかく 先天的本能習性というのは合理的目的に基づいて能動意識的に選択したものではなく あくまで結果的に生存にとって有利に働いた性質が残っただけに過ぎない

これは つまり 理論的には先天的に組み込まれた本能習性自体には合理性はなく あくまで無意識な行動バイアス以上の意味がないのである

進化万能論者であれば 「無意識な行動バイアスであろうとも 淘汰圧力によって無駄な行動を採る個体種がいなくなれば遺伝的進化は促される」などと言うかも知れないが それは大量の死を伴う膨大な無駄の上に成り立つものであり合理性もヘッタクレもあったものではない

だからこそ優生学を鵜呑みにすると600万人ものユダヤ人殺害という野蛮行為をも生み出してしまうのである

遺伝的進化というものは あくまで自然界における過酷な生存競争の「結果」であって 別に合理的に「目的」選択したものではない



 ◇ ◇ ◇



ムスリム(イスラム教徒)は「私は神以外の何者も怖れない」と主張することがある

恐怖心に随(したが)ってしまうと暴力者への服従独裁に陥るヒトの習性に基づいた預言者ムハンマドの方針であろう

暴力者に服従してしまうと恐怖を用いた一方的独裁に陥る

すると 順位序列という名の差別格差が正当化され個人の人権が蔑(ないがし)ろにされてしまう

学校でのイジメというのは 先天的な統率服従の習性が作り出す封建的服従システムの結果である

ヒステリックに怒鳴り散らし 複数で同調して個人を暴力的に攻撃している集団に対し それ以外の大多数の他者は「関わりたくない」ので傍観放置することに陥りがちである

差別イジメに対して異議なんぞ唱えようものなら 今度は自分が標的にされることは明らかであるため 大多数の傍観者は沈黙するのである

こうした沈黙によって 暴力的集団の方は全能感覚を錯覚し 暴力的組織こそが自分の欲望の全てを叶えられる自由だと勘違いし より暴力的組織を追求して暴力団やISILに憧れるようになる

暴力的独裁が支配する社会というのは 持続可能性が極めて低い

イジメがエスカレートすれば殺人にまで発展することもあるように 暴力的独裁状態というのは 実は独裁をしている側も恐怖心で独裁をしているため 歯止めがかからないのである

チェ:ゲバラのように暴力的独裁に疑問を抱き 民衆の自由を目的とした独裁であれば暴力的支配にはならないが こうした独裁というのは極めて稀であり また 世代が代わってしまうと変質を招くことも多い



暴走というものが なぜ起きるのかと言えば 先天的に脳に組み込まれた行動バイアスによって促される感情 恐怖や不安といった無意識によって 人間本来が持っているはずの本質的な意識である自発的論理検証性という歯止めブレーキが効かなくなるからである

これは一種の病である

「ヒトという種の生物」としては先天的本能習性が機能している点において ある意味「正常」であるとも言えるのだが 社会安全性への配慮を伴う「人間」としては著しい欠陥であり 病気である

イジメというのは 学級内では普遍的に発生するものであり 「ヒトの習性」と言って差し支えないのだが それなら科学的には「ヒトという種の生物は先天的に人間性が欠落しているものである」という帰結に至る方が正しい判断である

TwitterなどのSNS上では マイクロソフトのAIがヘイトスピーチを「学習」してしまう程に差別というものが蔓延していることからも ヒトという種の生物は大多数が差別をする習性の証明である

ヒトという種の生物は 中東由来の一神教の神が作ったものでもなければ 現在の進化生物学における進化万能論の神による合理的なものでもない

ただの「結果」に過ぎない

ただの結果に過ぎない先天的本能習性のままに行動していれば 深夜の渋谷で泥酔して軽トラ転覆させて喜んだりするだけである

それを「社会が悪い」「時代が悪い」などと言い出すのは論理的には嘘に過ぎず 人間としての「自律」的な社会的責任判断選択の放棄を正当化するための言い訳言い逃れ取り繕いはぐらかし開き直りにしかならない

時折「先天的本能習性には逆らえない」などと言い出すバカもいるが 論外である

子供の前にケーキを置いて 「食べてはいけませんよ」と約束しておいて部屋に一人で放置した場合に 子供が欲望を抑え切れなかったことを正当化しているようなものである

幼稚過ぎて話にならん

殺意しかわかない 幼児なら致し方ないが 大の大人が言うことではない



では 目的とは何か それは社会的には安全性の追求であるが

なぜ安全性を追求するのか その動機としては個人が主体的に選択した純粋行為に基づくものである

自分が主体的に好きで 楽しみとして続けたいと思っていることがあれば 自ずから社会が安全であることを望むのは必然だからである

本当の純粋行為には 他人からの評価や報酬は必要がないため「自分の生活のために原発の津波に対する脆弱性を無視する」ような無責任な行為もしなくなるのである

外見上禁欲的に見えるとしても 当人的には純粋行為だけで充分満足しているので 他人からの評価報酬は特に必要がないのである



大多数の大衆は「人間性というものは他者との関係性における抑圧によって形成されるものである」という錯覚をしているフシがあるのだが 他者の顔色を窺っている時点で「自律」ではない

自律を伴わないものに人間性など成立しないのである

動物的習性のように環境条件によってフラフラ影響されてしまっていたのでは人間性も倫理もスッタクレもありゃしない

大多数に同調したからこそナチス政権は暴走したのであり 帝国日本軍は明らかに勝算のない戦争を始めてしまったのであり 多数派同調や超自我のような無意識的抑圧は多数派の前では役に立たない

「多数派」とは言っても 学級内でのイジメ同様に 実際に暴力的独裁を実行しているのは本当は少数派であるのだが 暴力的少数派というのは個人を個別に攻撃することで個人の観点から感情的ヒステリックな強要により多数の傍観者を生み出し 事実上多数派の傍観者も含めた結果的「多数派」となるのであり

泥酔して軽トラ転覆させるような集団に対して 多数の人は止めるのが面倒臭いので放置する 下手にマトモな主張などしても泥酔したバカ集団は警察にでも任せておいた方が賢明だと言えるだろうが

だが 原発の津波に対する脆弱性放置に関しては話が違う 自分の生活を犠牲にしてでも自律的に社会的責任判断を行う必要があるからだ

学生時代にイジメなどのヒトの先天的欠陥を傍観放置することに馴れて「学習」してしまえば 権威や多数派には逆らわない方が賢明であるという価値観を植え付けられてしまうことになり これが多数派迎合性や同調圧力を醸成し 権威への服従性をも作り出してしまうのである

こうした子供時代の成育環境によって植え付けられた行動バイアスを 大衆観念上では日本人の「文化」と形容するのである

実際には理論的には明文化されていなかったので 理論的には「文化」ではなく 単なる因習連鎖でしかないものを 文科系大衆観念上では「文化」と分類するのである

こうした大衆観念上の言葉の不適切な用法というのは他にも山ほどあり 他人からの見た目を「自意識」というものが本質的な人間としての意識を意味していないというのも一例である

精密に検証するという「考え」が働いていれば 論理的根拠のない実証不能の観念に囚われることもないはずなのだが 幼少期から馴れて「学習」してしまった価値観というのは強力な安心と同時に不安や恐怖も植え付けられているため 精神的ヒステリー(心理拘束)によって自律的判断能力を喪失することにもなる



Ende;

○盲目の構造。

2019年02月08日 12時29分02秒 | 意識論関連
最高裁判所の建物ってキリスト教の教会に似ているなって思ったのさ

どちらも合理的根拠がないことを正当化するために 非日常的な空間をこさえて尊大風味な演出をしてヒトの脳を思考停止に陥れるための舞台演出装置が必要になる

「神に祈ってさえおきゃ全ては解決」的に「罰さえ与えりゃ全ては解決」だってことにしておくためには 過剰なまでの演出によって大衆の思考を停止させておかにゃならんわけだ

大衆の多く ヒトという種の生物の多くは 平和な日常に「慣れて」しまって普通であることの大切さを簡単に忘れてしまう

道端に咲く小さな名も知らぬ花が咲いていることの素晴らしさを忘れ

平和であるという普通で平凡であることの尊大さを忘れてしまい

裁判所だの教会といった人工的演出に脳を酔わされることだけでしか感情が動かなくなる

それは 脳の常習性が作り出される「学習」能力によって 目の前の平穏の尊さを「感じ」なくなるからである



ヒトの多くは 無意識にも「自分は神的なものによって作り出された偉大な存在か何か」だと勝手に勘違いしているため 自分が「感じ」ないものには意味がないと錯覚するようになる

自己の脳に先天的に組み込まれた感覚的感情を絶対的な価値観であると妄想しているのである

それこそが世界の全てだと勘違いしているのである

だから「司法による刑罰判決さえ下されれば全ては解決した」と思考停止し

実質的には犯罪の再発防止に対する合理的且つ有効な対策が社会制度として存在していないという現実すらも見失う



脳の視覚野を脳梗塞などで損傷した患者の中には 半側無視という症状が現れることがある

視界の片側が見えていないことを認識できず あたかも全ての視界が見えているかのような錯覚を生じているために 目の前の食事を半分だけ食べると「全て食べ終わった」と勘違いするようになることがある

「見えていないことを認識出来ない」のはなぜか

それは「自分は全ては見えているはずだ」という思い込み 正常性バイアスによって作り出されるのである

正常性バイアスというのは 振り込め詐欺に騙される場合にも働く脳の先天的習性であり ヒトの脳に普遍的に見られる一種の欠陥である

振り込め詐欺に騙される被害者の大半は 「自分だけは絶対に騙されない」という論理的根拠のない確信があると言われる

「自分は もしかしたら見えるはずのものが見えていないのではないか」と思い始めると 気分的に不安に陥るため この不安を解消する形で「いや 自分は全て見えているんだ」という決めてしまうことで 見えていないものの存在を「無かったこと」にしてしまうのである

「自分の気分が良くなること」=「絶対的に正しいこと」という方程式は 自己の存在の全てを自己自身で全て把握できているという全能感覚に基づく身勝手な思い込みである

主観的に気分が良いことと 論理客観的真理は同じではない

その区別が出来ないから 「自分は全て見えているはずだ」という慢心に陥るのである



自己の脳の構造は 自己で選択したものではない

脳の構造を決定している遺伝子は自分では選択していないからだ

自分の脳の構造というのは 祖先(ヒトとは限らない)がどのような行動を採ることで結果的に生存に至ったのかすら もはや闇の中であり 如何に無責任で乱暴な行動によって生存に至ったのかはもはや検証のしようがないのである

誰彼構わずヤリまくることが結果的に「遺伝子を残す」ことに至った可能性は充分にあるが それは「結果」的なものであって 「結果」に過ぎない先天的習性を合理的「目的」行動選択だと言い張るのは 科学を逸脱した宗教的妄想に過ぎない

ボノボが興奮して誰彼構わずケツを振ることで感情的に満足し 暴力性を抑えることが出来るからといっても ボノボ自身が「自分の暴力性を抑えるために選択した」行動ではなく たまたま暴力性を抑える行動に結び付く習性を持ったことが生存にとって有利に働いただけに過ぎず 先天的習性が偶発的に生存や種の保存にとって有利に働いたとしても その生物種が意識的に合理性に基づいて目的行動選択したことの証明には一切ならないのである

先天的本能習性によって促される行動が特定の結果において有効だからといっても 先天的本能習性の全てが常にあらゆる正しい行動に導いてくれる論理客観的保証など何もないのである

それは認識の段階から言えることであり ヒトの脳には先天的盲目性があるために意味のない因習や論理的根拠のないオカルト観念を信じ込んで疑わなくなることで

ヒトは様々な「暴走」を引き起こすのである



ヒトの身体が どんなに生存にとって有利なメカニズムを持っているとしても その全てが常に生存にとって有利であることの論理的証明にはならない

実際塩分や脂質や糖を過剰摂取してしまう先天的習性故に 多くのヒトは生活習慣病に陥るのであって 特定の効用だけをどんなに大量に抽出してきても 先天的性質の全てが常に絶対に正しい結果をもたらす論証には全くならないのである

だから「白いスワン(カール:ライムンド:ポパー)」の例えというのは 科学的に非常に重要なのである



Ende;

○盗難車?。

2019年02月06日 15時34分31秒 | 写真
浮間舟渡駅の裏にある路地に電動アシスト自転車が放置されていた

自転車放置禁止の場所ってだけではなく 置きかたが不自然なので

盗難車じゃなかろうか

 ◇





いや これらは本文とは関係ありません

ついでに載せただけです



Ende;

○失敗は精密検証しなければ教訓にはならん。

2019年02月05日 14時31分14秒 | 意識論関連
自発的な論理検証性を阻害するよう誘導されることで詐欺というのは被害者を騙すことが出来る

論理検証性を阻害する方法は ヒトという種の生物が先天的に持っている気分感情が促す行動バイアスを利用する

振り込め詐欺師の場合 「今日中に」「出来るだけ早く」などの時間制限を強要することで気分的な焦りによって「落ち着いて考える」だけの精神的余裕を奪う手法が用いられる

ヒトは焦ると考えが浅くなる

裁判所だの税務署だの警察だのといった国家権力組織を装うことで これらが持つ権威性に対するヒトの盲目的信頼感を利用することで ヒトは疑うことをやめてしまう

スタンレー:ミルグラムによる服従心理実験 通称「アイヒマン実験」では 被験者の多くが権威とみなした相手の命令に疑問を持ちながらも 結局は命令に従って第三者に危害を加えてしまう傾向が立証されている

アイヒマン実験の論文を読んでも 多くのヒトは「自分も同じように騙される危険性があるんだ」という自己客観的な認識をせず 「ヒトが騙されるのは特殊な条件下だけだ」などと他人事に分類してしまう

詐欺と一言で言っても 論理的に見抜きようのない嘘であれば騙されても致し方ないのだが 振り込め詐欺師の場合はよくよく考えれば嘘であることが明らかなはずなのに簡単に騙されてしまう

「人は一人では生きられない」とは宗教家などが言いたがる言葉だが 一人で自給自足生活をすることが不可能であるわけでは別になくて 一人だけで自給自足生活をするよりも集団で各自それぞれが得意なことを役割分担することの方が生活が楽になることは確かである

水道や電気 舗装道路などのインフラストラクチャは 一人で生活する上では整備保守との兼ね合いから無駄が多過ぎるが 多数で共有することによって一人当たりの負担割合を減らすことができるため 生活が楽になる

だから 本当は「人は一人で生きるよりも 助け合いながら一定多数で生活した方が負担が減る」というのが真実である

だから 厳密に言い換えれば「人は一人では生きづらい」というのが論理的真理である



イヌは先天的な本能として 集団組織的統率行動を採る習性があるのだが この習性は捕食においては有利なのだが 実は子育てには適さないそうだ

イヌは妊娠すると群れを離れ 母親だけで子育てをするのだという

群れの中だと子供が危険なので 群れの中では子供を安全に育てられないらしい

イヌの集団組織的統率というのは 群れの中で順位序列を決定し ボスを頂点とした封建的命令服従系統が作られることで成立するわけだが

こうした封建的組織では 順位序列を最下位と見なされると排除イジメの対象にされてしまう

イヌは暴力的威圧威嚇によって組織の統率を維持しているのである

そのため 小さな子供は群れの中では順位序列が低くならざるを得ず 暴力イジメに遭ってしまうために メスは妊娠すると群れを離れて母親だけで子育てをすることになる

子育てにおいては イヌの集団組織的統率服従系統というのは役に立たず 母親が単独で子供を育てなければならないわけで これは集団組織が持つスケールメリットを全く享受できないのである

ハロウィンの夜に泥酔して軽トラ転覆させて喜んでいる集団の中で子供を育てたいと思う母親はほとんどいないであろう

中にはいるかも知れないが それはもはや「人間として如何なものか」

軽トラ転覆させられるくらいだから 若い女子を集団レイプして妊娠させるくらいは簡単であろう そこに合理的「目的」があるかと言えば

ない

先天的本能習性というのは 特定の行動が生存や種の保存にとって有利に働くことはあっても それらは全て「結果」的なものであり 合理的目的意識に基づいて自発能動的に選択したものではないのである

どんなに強い衝動に基づいていても 先天的本能衝動自体が自己選択不可能である以上 それは意識的選択ではないからだ

生存や種の保存にとって有利に働く行動習性を持った個体種が 結果的に生き残ったのが先天的習性であって 先天的習性そのものには合理的目的行動選択が介在する余地はない

そもそも生存自体が「結果」に過ぎない以上 どんなに生存にとって有利なように「見える」行動であっても そこに目的など存在しないのである

ここで言う「見える」とは 結果だけから見た場合 統計的多数として「見える」だけであって そりゃ生存に適さなかった個体種がほとんど死滅しているんだから多数が生存に適しているのは必然的結果である

遺伝的進化というものは 大量の死滅(失敗)に基づいた結果でしかなく 大量の死滅(失敗)を無視し 成功例に過ぎない結果だけを抽出してきて「生物進化には目的がある」などと言い張るのは科学でも何でもない

ヒトの身体が非常に巧妙に出来ていて 生存にとって極めて有利な性質を多数抽出してくることは簡単であるが

それなら塩分や糖分や脂肪を過剰摂取しがちな先天的傾向性によって生活習慣病に罹ることまで「目的」だと言えるであろうか

かつての環境下において ヒトの祖先が塩分や糖分や脂肪を積極的に摂ろうとする性質を持った個体への淘汰が働いた結果として 生活習慣病に陥り易い性質が先天的に組み込まれてしまっているのであって 先天的本能習性というのは急激な環境変化に対応出来ないといった欠陥も少なからず伴うものなのである



ヒトやイヌなどに見られる封建的統率協調行動(社会形成習性)というものも 特定の効用だけを抽出してきて万能だと言い張るのはおかしな話です

ましてや「先天的に人間性まで組み込まれているはずだ」などと言い出すのは 遺伝的進化を絶対的なものだと信じ込もうとしたい一種の宗教的な妄想に基づいた非科学的コジツケにしかなっていない

ヒトを最も殺害している生物はダントツ蚊だそうだが 2位はヒト自身である

既にヒトが大量のヒトを殺害している統計的事実を無視しておいて 一体どのように「先天的に人間性が組み込まれている」ことを科学的に証明出来ると言うのであろうか

戦争や殺人というのはハインリッヒの法則からすれば「氷山の一角」に過ぎず その陰に無数の野蛮行為が存在しているのであって これらを無視して「ヒトには先天的に人間性が組み込まれている」などと言い張るのは 頭がどうかしているぜ

それとも何かしら ヒトに先天的な人間性が組み込まれていることが科学的に立証されたとしたら それって一体何の役に立つのかしら

そもそも先天的本能習性というのは特定環境下における結果の多数抽出でしかないので 環境依存性から逃れることは出来ず 人間性(倫理)の根幹である「自律的な社会的責任判断選択」が伴わず 論理的に完全に破綻している

理論的に破綻している話を科学だと信じ込み 誰も疑わずにマスコミも平気で報道している訳で

この時点で既に集団詐欺 若しくは集団洗脳状態だと言える状態である



 ◇

学力試験には時間制限があるため 振り込め詐欺師同様精神的余裕を失うことで 深く考えることをしなくなる

クイズも競争であるため 速く答えることが求められ 深く検証する余裕はない

ノーベル賞を獲得するような理論的発見をする過程で 試験やクイズのような時間制限に囚われる必要性はないし そんなに慌てふためいていて誰も考えなかったような革新的思考が出来るわけがない

むしろ マーカス:ガブリヨリ的に「世界や時間は存在しません」なんつうバカみたいな話を哲学だと勘違いして「革新的だ」なんて勝手に錯覚するのが大多数の短絡的発想

養老孟司に騙された構造原理を理解していないから 次々とバカみたいな話を鵜呑みにして騙される

バカって治らないね

難治性が酷過ぎるわ



 ◇追記:読み直してみたら話がとっちらかっとったわ 何だか眠い…



Ende;

○そういうふうにできている。(タイトルはパクり)

2019年02月04日 14時53分32秒 | 意識論関連
科学理論的な真理というものは 言うなれば「真面目な話」なので 必ずしも気分が良くなるわけではない

しかし 逆に科学理論を逸脱した「不真面目な話」の方がセンセーショナルであり 大衆や文科系マスコミの脳が酔っ払って多数人気が集まったりする

哲学というのは 本来妖怪だの悪霊の話を信じて騙されないようにするためのものなのだが

大衆の多くは非科学的オカルト話の方に傾倒してしまう習性がある

「脳が酔う」とは何か それは脳内麻薬の快楽が促す思考や行動のバイアス(偏り)のことである

酒を呑んで気分が良くなったからといって 頭が良くなるわけでもなければ 科学的真理の追求になるわけでもない

気分というバイアスによって ヒトは論理的思考を阻害され 真理を簡単に見失う

ヒトの脳というのは そういう風に出来ている

ヒトの脳というのは ヒト以外の霊長類と基本的構造は同じであり 霊長類でなくともネコやイヌの感情とも共通する部分があり ヒトの脳というのは別に人間として常に論理的思考判断に基づいて機能する仕組みがそなわっているわけではない

ヒトでありさえすれば 自動的に常に人間性や倫理が機能するわけではない



脳の最も基本的なバイアスは常習性である

「馴れる」「ハマる」「癖になる」といった性質は 全て脳内物質ドーパミンが持つ常習性によって促される

これは「学習」の基本的メカニズムでもあり 人工知能における機械「学習」はこれを模倣したものである

機械「学習」というのは 予め答えの判っている問題を大量に与える必要があり 何が正解なのかを予め決めておく必要性がある

こうした機械学習の構造上 正解そのものは論理的に判断することは出来ない

正解は与えられるものであって 正解そのものは自発的には選択しないし そもそも出来ない



一説に拠れば 「現在のAIはバクテリア程度の知能しかない」とも言われている

「バクテリアに脳なんか無いだろう」と思われるかも知れないが 粘菌が迷路の最短ルートを探し出すのと同じようなメカニズムだと思ってもらえば良いだろう

バクテリアは何も考えてなどいないのだが 結果的に手で入力したプログラムでは困難な「巡回セールスマン問題」をもエレガントに解いてしまう可能性もある(←これ間違えてるかも)

それならスーパーコンピューターよりも粘菌の方が優秀かと言えば 特定の問題を解く上においては粘菌の方が効率が良いというだけの話であって ごく限られた条件下だけで有利だからといって全ての条件下で常に優秀であるわけではない



ヒトがなぜ論理思考をするのかと言えば 論理的予測をしないと取り返しがつかないことがヒトにはあるからだ

機械にはそれがない もしあっても機械にとってはどうでもよい事柄でもある

ヒトは一旦脳が酸素不足に陥り機能を失うと取り返しがつかない

脳でなくとも 腕や足など身体の一部が切り落とされてしまうと元に戻すことが出来なくなり 生活に著しい支障をきたすことを知っているため そうした事態を避けるために論理思考によって事態を予測するのである

ヒトの場合 日々の生活は他者との関係があってこそ効率的に成立するため 自分以外の関係者に障害があっても自分の生活に影響を及ぼすため 関係他者の安全も同時に求めることになる

しかし 機械(AI)にはそれがない

そのため Twitter上でヘイトスピーチを「学習」してしまうと 社会安全性など一切配慮せずに ヒトの多数派に同調してヘイトスピーチを始めてしまう

ヒトでありながらヘイトスピーチを始めてしまうというのは 脳がバクテリア程度しか機能していないからでもある



野生生物にとって 暴力破壊は生存にとって有利に働くことが多い

野生生物がおしなべて狂暴なのは このためである

「怒り」という感情(行動バイアス)に任せて暴力破壊を行うことが 過酷な自然環境下においては生存にとって有利であり 結果的に暴力的狂暴性というものが先天的に残り また それが快楽として行動を促す構造にもなっている

司法が刑罰判決で「解決」だとみなして それ以上の何も検証調査をしないのは 罰さえ決定すればヒトの脳は満足し 思考停止に陥る習性があるからだ



動物の多くは恐怖を感じると噛み付いたり爪で引っかいたりして攻撃してくる

クマは非常に狂暴だが 同時に狂暴性というのは臆病ですぐ恐怖を感じるために発揮されるものでもある

クマはとても臆病なのである

狂暴な動物ほど臆病なのである

カピバラは全然臆病じゃないでしょ ヒトが撫でてもゆったり温泉に浸かってたりする

シツケを間違えたイヌというのは 先天的順位欲が満たされない不安や恐怖にさいなまされているため 誰彼構わず吠え散らかし 噛み付こうとする

だから「臆病なイヌほど 良く吠える」のである

威嚇というのは捕食行動ではない

よくSF映画などで怪物が威嚇をしてくる場面があるが 野生動物は捕食の際に威嚇などしていたら失敗するだけである

むしろコソ~リと近付いて一気に襲う

威嚇というのは恐怖心が促す闘争回避行動に過ぎないのである

暴力や権力を用いて他者を抑圧しようとするのは 実は合理的根拠に基づくものではなく 他者を信頼出来ない恐怖心から否応なく促される動物的な習性によるものである

何せ 先天的習性であるため 権力や暴力で相手を抑圧しておくことが快楽であり 安心満足でもある

だからヒトは多数派や多数派によって承認された権威に逆らうことに恐怖を感じ 多数派や権威に同調迎合して何も考えないようにする

多数派同調バイアスが促す恐怖心によって ヒトは自律的論理検証を簡単に放棄する先天的習性がある

ヒトの脳というのは 別に自発的論理検証を優先する構造原理にはなっていないからである

東京電力社内において たった一人で原発の津波に対する脆弱性を主張することは 別に先天的に安心満足感が得られるわけではない

自律的な社会的責任選択判断というのは 深い自発的理性によって促されるものであって 決して先天的本能習性が促すようなものではない



Ende;