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書き逃げアンドロイド。

副交感神経が優位になるような写真が好き。

○タイトルとか考えるの面倒臭い。

2019年02月08日 13時45分54秒 | 意識論関連
例えば 草食動物の逃げ足が速く進化する過程とは

とにかく天敵に襲われたら逃げ回ることで 逃げ足の遅い個体から喰われていなくなるという淘汰圧力が数千万年かかり続けることで 足の速い個体だけが生き残ることになる

この進化過程においては 個体の意図目的は何ら影響を及ぼすことはない

逃げる個体の恐怖心というのは 意図目的ではなく 単なる行動バイアスであって 恐怖心の強度程度と足の速さは直接関係がなく どんなに強く「逃げたい」と思ったところで先天的に足が遅ければ喰われ それほど強い感情を伴わなくても先天的に足が速ければ逃げ切れるわけで スポーツにおいても恐怖心や焦りを伴わずに冷静になることの方がより高い能力を発揮することが知られている

感情的ヒステリックに怒鳴り散らしても 具体的な効果は何もないのである

情動が促す恐怖心のままに逃げ回りさえすれば進化は促されるのであって 「子供の逃げ足が遅いからナントカしよう」とかいう合理的考えなんぞ介在する余地はない

進化というのは合理性に基づいた意図意識的能動選択が介在する必要性も また 介在する余地もない

遺伝的進化によって残された性質が特定の結果において有利であるとしても その性質が常に永久に有利な結果をもたらす保証は何もなく むしろ環境変化に対応出来なくなる原因となることも充分にある 

 ◇

ヒトの脳が肥大化したのは 幼形成熟が進んだためだと言われているが

ヒトの祖先のサルが「脳を大きくしよう」として外見の幼い配偶者を選択したわけではなく たまたまロリコンのサルが見た目の幼い個体に性的興奮をして繁殖した結果 偶発的に脳の肥大という結果に結びついただけである

ロリコンとは言っても 本当に年齢の幼い個体との配偶関係を結んでも脳の肥大化は起こらず あくまで充分に成熟して繁殖能力を持った大人になっても見た目が幼く頭が大きい個体との配偶関係が必要となる

しかし 本能習性としての外見的幼児に対する性的欲求自体には目的がないので 「繁殖能力もない幼女を犯して殺害する」などという訳のわからぬ行動をも引き起こすことが結構ある

繁殖行動バイアスというのは とにかく「ヤリたいだけ」なので 合理的目的などどうでも良いのである

「幼い女子に食べられたい」などという ド変態漫画家も時折いるが 欲求自体は自己選択不可能なものなので 漫画などの芸術表現分野であれば社会的には問題はなく 判断力の未熟な子供の目に触れないような制限さえあれば良いのである

むしろ 「男ってそういうド変態性もあるのね」っていう事実は 女子全般にも周知しておいた方が危険性回避の観点からは必要でもあろう

アグネス:チャン女史のように 頭ごなしに毛嫌いして表現の自由までも制限することは 逆に危険性の隠蔽にもなりかねない

 話が逸れた

とにかく 先天的本能習性というのは合理的目的に基づいて能動意識的に選択したものではなく あくまで結果的に生存にとって有利に働いた性質が残っただけに過ぎない

これは つまり 理論的には先天的に組み込まれた本能習性自体には合理性はなく あくまで無意識な行動バイアス以上の意味がないのである

進化万能論者であれば 「無意識な行動バイアスであろうとも 淘汰圧力によって無駄な行動を採る個体種がいなくなれば遺伝的進化は促される」などと言うかも知れないが それは大量の死を伴う膨大な無駄の上に成り立つものであり合理性もヘッタクレもあったものではない

だからこそ優生学を鵜呑みにすると600万人ものユダヤ人殺害という野蛮行為をも生み出してしまうのである

遺伝的進化というものは あくまで自然界における過酷な生存競争の「結果」であって 別に合理的に「目的」選択したものではない



 ◇ ◇ ◇



ムスリム(イスラム教徒)は「私は神以外の何者も怖れない」と主張することがある

恐怖心に随(したが)ってしまうと暴力者への服従独裁に陥るヒトの習性に基づいた預言者ムハンマドの方針であろう

暴力者に服従してしまうと恐怖を用いた一方的独裁に陥る

すると 順位序列という名の差別格差が正当化され個人の人権が蔑(ないがし)ろにされてしまう

学校でのイジメというのは 先天的な統率服従の習性が作り出す封建的服従システムの結果である

ヒステリックに怒鳴り散らし 複数で同調して個人を暴力的に攻撃している集団に対し それ以外の大多数の他者は「関わりたくない」ので傍観放置することに陥りがちである

差別イジメに対して異議なんぞ唱えようものなら 今度は自分が標的にされることは明らかであるため 大多数の傍観者は沈黙するのである

こうした沈黙によって 暴力的集団の方は全能感覚を錯覚し 暴力的組織こそが自分の欲望の全てを叶えられる自由だと勘違いし より暴力的組織を追求して暴力団やISILに憧れるようになる

暴力的独裁が支配する社会というのは 持続可能性が極めて低い

イジメがエスカレートすれば殺人にまで発展することもあるように 暴力的独裁状態というのは 実は独裁をしている側も恐怖心で独裁をしているため 歯止めがかからないのである

チェ:ゲバラのように暴力的独裁に疑問を抱き 民衆の自由を目的とした独裁であれば暴力的支配にはならないが こうした独裁というのは極めて稀であり また 世代が代わってしまうと変質を招くことも多い



暴走というものが なぜ起きるのかと言えば 先天的に脳に組み込まれた行動バイアスによって促される感情 恐怖や不安といった無意識によって 人間本来が持っているはずの本質的な意識である自発的論理検証性という歯止めブレーキが効かなくなるからである

これは一種の病である

「ヒトという種の生物」としては先天的本能習性が機能している点において ある意味「正常」であるとも言えるのだが 社会安全性への配慮を伴う「人間」としては著しい欠陥であり 病気である

イジメというのは 学級内では普遍的に発生するものであり 「ヒトの習性」と言って差し支えないのだが それなら科学的には「ヒトという種の生物は先天的に人間性が欠落しているものである」という帰結に至る方が正しい判断である

TwitterなどのSNS上では マイクロソフトのAIがヘイトスピーチを「学習」してしまう程に差別というものが蔓延していることからも ヒトという種の生物は大多数が差別をする習性の証明である

ヒトという種の生物は 中東由来の一神教の神が作ったものでもなければ 現在の進化生物学における進化万能論の神による合理的なものでもない

ただの「結果」に過ぎない

ただの結果に過ぎない先天的本能習性のままに行動していれば 深夜の渋谷で泥酔して軽トラ転覆させて喜んだりするだけである

それを「社会が悪い」「時代が悪い」などと言い出すのは論理的には嘘に過ぎず 人間としての「自律」的な社会的責任判断選択の放棄を正当化するための言い訳言い逃れ取り繕いはぐらかし開き直りにしかならない

時折「先天的本能習性には逆らえない」などと言い出すバカもいるが 論外である

子供の前にケーキを置いて 「食べてはいけませんよ」と約束しておいて部屋に一人で放置した場合に 子供が欲望を抑え切れなかったことを正当化しているようなものである

幼稚過ぎて話にならん

殺意しかわかない 幼児なら致し方ないが 大の大人が言うことではない



では 目的とは何か それは社会的には安全性の追求であるが

なぜ安全性を追求するのか その動機としては個人が主体的に選択した純粋行為に基づくものである

自分が主体的に好きで 楽しみとして続けたいと思っていることがあれば 自ずから社会が安全であることを望むのは必然だからである

本当の純粋行為には 他人からの評価や報酬は必要がないため「自分の生活のために原発の津波に対する脆弱性を無視する」ような無責任な行為もしなくなるのである

外見上禁欲的に見えるとしても 当人的には純粋行為だけで充分満足しているので 他人からの評価報酬は特に必要がないのである



大多数の大衆は「人間性というものは他者との関係性における抑圧によって形成されるものである」という錯覚をしているフシがあるのだが 他者の顔色を窺っている時点で「自律」ではない

自律を伴わないものに人間性など成立しないのである

動物的習性のように環境条件によってフラフラ影響されてしまっていたのでは人間性も倫理もスッタクレもありゃしない

大多数に同調したからこそナチス政権は暴走したのであり 帝国日本軍は明らかに勝算のない戦争を始めてしまったのであり 多数派同調や超自我のような無意識的抑圧は多数派の前では役に立たない

「多数派」とは言っても 学級内でのイジメ同様に 実際に暴力的独裁を実行しているのは本当は少数派であるのだが 暴力的少数派というのは個人を個別に攻撃することで個人の観点から感情的ヒステリックな強要により多数の傍観者を生み出し 事実上多数派の傍観者も含めた結果的「多数派」となるのであり

泥酔して軽トラ転覆させるような集団に対して 多数の人は止めるのが面倒臭いので放置する 下手にマトモな主張などしても泥酔したバカ集団は警察にでも任せておいた方が賢明だと言えるだろうが

だが 原発の津波に対する脆弱性放置に関しては話が違う 自分の生活を犠牲にしてでも自律的に社会的責任判断を行う必要があるからだ

学生時代にイジメなどのヒトの先天的欠陥を傍観放置することに馴れて「学習」してしまえば 権威や多数派には逆らわない方が賢明であるという価値観を植え付けられてしまうことになり これが多数派迎合性や同調圧力を醸成し 権威への服従性をも作り出してしまうのである

こうした子供時代の成育環境によって植え付けられた行動バイアスを 大衆観念上では日本人の「文化」と形容するのである

実際には理論的には明文化されていなかったので 理論的には「文化」ではなく 単なる因習連鎖でしかないものを 文科系大衆観念上では「文化」と分類するのである

こうした大衆観念上の言葉の不適切な用法というのは他にも山ほどあり 他人からの見た目を「自意識」というものが本質的な人間としての意識を意味していないというのも一例である

精密に検証するという「考え」が働いていれば 論理的根拠のない実証不能の観念に囚われることもないはずなのだが 幼少期から馴れて「学習」してしまった価値観というのは強力な安心と同時に不安や恐怖も植え付けられているため 精神的ヒステリー(心理拘束)によって自律的判断能力を喪失することにもなる



Ende;

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