カトリック教会の問題

公会議後の教会の路線は本当に正しいのでしょうか?第二バチカン公会議後の教会の諸問題について、資料を集めてみたいと思います

第二バチカン公会議 8、公会議の取り扱ったテーマ

2017-01-12 03:00:46 | 第二バチカン公会議
第二バチカン公会議を機に、カトリック教会の変化と凋落は始まりました。伝統派が敗北し、リベラルが勝利し、事実上、教義が刷新された公会議です。

(解説)第二バチカン公会議

8、公会議の取り扱ったテーマ

公会議のテーマは多岐にわたっているが、ここでは主なものをあげる。

8-1教会論

公会議の目に見える形でのもっとも大きな成果となったのが、中世以来の懸案であった教会論の確立である。これは『教会憲章』にみることができる。

第1章「教会の秘儀について」では、カトリック教会が唯一にして聖であり、普遍的なものであること、イエスがペトロに与えた権能を引き継ぐ教皇と司教たちによって治められる組織であるといいつつ、カトリック教会以外にも聖化と真理の要素が数多く見出されると補足する事で独善的傾向を避けている。

第2章「神の民について」では神が個人でなく人々のグループを聖性に招いていること、その祖形がユダヤ民族に見られることを示す。また、カトリック教会に属さないキリスト教徒たち、ユダヤ教徒、イスラム教徒たちも唯一の神において互いに結ばれていると言明される。

第3章「教会の聖職位階制度、特に司教職について」では第1バチカン公会議の議論を補完する形で教皇職の意味と司教団の団体制原理が示される。

以下、第4章「信徒について」、第5章「教会における聖性への普遍的召命について」、第6章「修道者について」、第7章「旅する教会の終末的性格および天上の教会との一致について」、第8章「キリストと教会の秘儀との中における神の母、処女聖マリアについて」と続くが、特にその中でそれまで聖職者・司祭は信徒より聖性のレベルが高いとみなしてきた教会が「すべての人が聖性に招かれている」という表現をしたことが革新的であるといえる。特にキリスト教の2000年の歴史の中で初めて信徒が公式文書の中で言及されたことは特筆に価する。また、第8章のマリア論に関する部分は元来独立した文章になる予定であったが、エキュメニズム的観点とカトリック以外のキリスト教に対して攻撃的になってはならないという配慮からこの中に組み込まれた。

8-2典礼

この公会議の後、外見的な部分で教会が変わったと人々を実感させたのは典礼の改革であった。この精神は『典礼憲章』にくわしい。教会は典礼においてすべての人が積極的にこれにかかわることが求められるとして、多くの改革を実行した。たとえばそれまでほとんどラテン語で行われていたミサおよび典礼の諸儀式が各国語で行われることになった。また司教の判断のもとに(全世界で一様でなく)その地域文化に根ざした典礼のあり方が模索されることになった。(典礼の見直しにともなって、レクイエム・ミサにおける続唱(「怒りの日」など)も廃止された。歌詞の内容があまりにも最後の審判への不安や恐怖を強調しすぎており、本来のキリスト教の精神から遠いというのが理由であった。)

8-3聖書と啓示

カトリック教会は古代以来一貫して重要視してきた「聖書と聖伝(聖なる伝承)」を保持しつつも、その現代世界への適応を目指した。具体的には聖書の各国語訳のさらなる研究が推奨された。そして聖職者と信徒にとっての聖書研究の重要性が改めて認識された。それまでのカトリック教会は聖書の研究は聖職者がすることであるとみなし、信徒がすすんで研究することはあまり推奨していなかったのである。
司教のあり方について

教会における司教の位置づけも新しい観点によって照らしなおされた。特に司教の団体制という考え方がこの公会議の精神の特徴になっている。これは教皇と司教団がペトロと使徒たちのように1つとなって教会を司牧していくという考え方である。また、公会議以降それぞれの地域で司教たちが集まって会議を開くようになった。これがシノドスである。ただ、シノドスでの議決については三分の二以上の賛成と聖座の認可によって初めて有効性を持つということが定められている。

9、公会議の影響

アジョルナメント(現代化)をテーマに行われた公会議は、教会の現代世界への適応にかける強い意気込みを示すことになった。この会議での決定事項は以降、パウロ6世によって実施が推進され、ヨハネ・パウロ1世からヨハネ・パウロ2世へと公会議理念の実践がすすめられていくことになる。

1968年6月18日、使徒憲章『Pontificalis romani』によって、叙階の秘蹟の新しい儀式が発表される。

ピオ12世は1947年11月30日付けの使徒憲章『Sacramentum Ordinis』で、不可謬権を行使して叙階の秘蹟の質料と形相を定義した。それによると、司祭叙階の質料は「司教によって沈黙の内になされる最初の按手」である。司祭叙階の有効性のために必要な形相は「叙唱」の中の次の言葉である。

"Da, quaesumus, omnipotens Pater, in hunc famulum tuum Presbyterii dignitatem; innova in visceribus eius spiritum sanctitatis, ut acceptum a Te, Deus, secundi meriti munus obtineat censuramque morum exemplo suae conversationis insinuet."

パウロ6世の1968年6月18日付け使徒憲章『Pontificalis romani』による新しい儀式によって、司祭叙階の形相は次のように変えられた(以前あった ut が欠如している)。

"Da, quaesumus, omnipotens Pater, in hos famulos tuos Presbyterii dignitatem; innova in visceribus eorum Spiritum sanctitatis; acceptum a Te, Deus, secundi meriti monos obtineant, censuramque morum exemplo suae conservationis insinuent."

ピオ12世の同じ使徒憲章によると、司教聖別の質料は「聖別する司教によってなされる按手」である。司教聖別の有効性のために必要な形相は「叙唱」の中の次の言葉である。

"Comple in Sacerdote tuo ministerii tui summam, et ornamentis totius glorificationis instructum coelestis unguenti rore santifica."

パウロ6世の同じ使徒憲章によって、司教聖別の形相は次のように変えられた。

"Et nunc effunde super hunc electum eam virtutem, quae a te est, Spiritum principalem, quem dedisti dilecto Filio Tuo Jesu Christo, quem ipse donavit sanctis Apostolis, qui constituerunt Ecclesiam per singula loca, ut sanctuarium tuum, in gloriam et laudem indeficientem nominis tui."

1969年2月13日付け自発教令『Mysterii paschalis』によって、新しい典礼暦が発表される。
1969年3月、新しい婚姻の儀式の発表。1990年に改正版の新しい婚姻の儀式の発表。
1969年4月3日、使徒憲章『ミサーレ・ロマーヌム』により、新しいミサが発表される。
1969年5月15日、新しい洗礼の儀式が誕生する。1972年1月6日、成人洗礼の新しい儀式の発表。
1970年11月1日付けの使徒憲章『Laudis canticum』および1971年4月11日の教令により、新しい聖務日課が発表される。
1970年12月3日の教令により、新しい聖香油の儀式の発表。
1971年8月15日、使徒憲章『Divinae consortium naturae』により、新しい堅振の儀式の発表。
1972年11月30日付けの使徒憲章、及び1971年8月22日の教令により、新しい終油の秘蹟(「病者の塗油」となる)。
1973年12月2日の教令により、新しい悔悛の秘跡(「和解の秘蹟」となる)。
1983年1月25日、使徒憲章『Sacrae disciplinae leges』により、カトリック新教会法典。
1991年、新しい十字架の道行きの発表。新しい十字架の道行きには14留にさらに第15留が付け加わり、様々な変更がなされた。
1998年、新しい払魔式(Exorcismus)の発表。
2001年6月29日、新しい殉教録の発行。この中に6538名の聖人及び福者の名前が掲載されている。そのうち約3分の1である1717名はヨハネ・パウロ2世によって列聖列福された。
2002年10月16日、回勅『Rosarium Virginis Mariae』により、新しいロザリオの祈りが提案された。

第二バチカン公会議 7-2、不連続と断絶による解釈法

2017-01-12 02:59:31 | 第二バチカン公会議
第二バチカン公会議を機に、カトリック教会の変化と凋落は始まりました。伝統派が敗北し、リベラルが勝利し、以後の教えは大きく変わりました。

(解説)第二バチカン公会議

ベネディクト16世によれば、最初の解釈法は、「不連続と断絶による解釈法」である。もう一つの解釈法は「改革による解釈法」である。

7-2、不連続と断絶による解釈法

「不連続による解釈法は、あえて公会議前の教会と公会議後の教会の断絶を帰結させ」る革命的な見解を取る。この見解によれば、「公会議を、旧憲法を廃止して、新憲法を制定するための憲法制定議会のようなものと考え」、これによって全ては新しくなった。公会議は「新しい聖霊降臨」の機会であって、教会は自分の醜くさせているまた自らの使命を果たすことが妨げる全ての汚れを取り払った。 「不連続による解釈法が説得力を持つように思わせる・・・特別な理由」は、パウロ6世の公会議閉会演説である。人間に関して激しい議論が行われてきたことが、近代の特徴であり、公会議は特別な意味で人間論というテーマを取り上げた。これらすべての問題から、ある種の不連続が生じる可能性があった。実際に、ある意味では不連続が現れた。パウロ6世の言うように「人々に対する限りない愛が公会議全体を侵略した」限り、現代の人々と現代世界に合わせて、新しい教会論にそって、教会を新しく作り直すべきである。教皇首位権、司教の権能、司祭職と独身制度、信教の自由、エキュメニズム、神の民の役割、結婚と性道徳、典礼など。「このような革新のみが、公会議の真の精神を表すものであり、この革新から、またこの革新に従うならば、前進することが可能となると、彼らは考え」ている。 「この解釈法は、公会議文書そのものは公会議の真の精神をまだ表現していないといい」、「第2バチカン公会議文書は妥協の産物」であると主張する。例えばマルティニ枢機卿や濱尾枢機卿がそう主張する。

7-3、改革による解釈法

 改革による解釈法を最初に示したのは、教皇ヨハネ23世による1962年10月11日の公会議開会演説であった。後にこの解釈法は、教皇パウロ6世が1965年12月7日に行った公会議閉会演説でも示された。

 ベネディクト16世はヨハネ23世を引用してこう言う。

公会議が望むのは、「教義を弱めることも歪めることもなしに、純粋で完全なしかたで伝えること」です。教皇は続けてこういいます。「わたしたちの務めは、あたかも骨董(こっとう)趣味のように、この高価な宝を守ることだけではありません。わたしたちの務めは、わたしたちが生きている時代がわたしたちに求めている活動に、誠意をもって、畏れることなく取り組むことです」。必要なのは「教会の教えのすべてを、完全に、また正確に守ることです」。このことは「正統な教義との忠実かつ完全な一致の内に示されます。しかしながら、教義は、さまざまな研究方法と現代思想のさまざまな文学的形態を通して研究され、拡大されなければなりません。信仰の遺産における古代の教義の実体と、同じ意味とメッセージを保ちつつ、その教義を提示する方法は、別の事柄です」(『第二バチカン公会議文書集』:Sacrosanctum Oecumenicum Concilium Vaticanum II, Constitutiones Decreta Declarationes, 1974, pp. 863-865)。
教皇ベネディクト十六世の教皇庁に対する降誕祭の挨拶