カトリック教会の問題

公会議後の教会の路線は本当に正しいのでしょうか?第二バチカン公会議後の教会の諸問題について、資料を集めてみたいと思います

第二バチカン公会議は不可謬か?

2017-01-21 23:51:59 | 第二バチカン公会議
質問

 何故、聖ピオ十世会は、第2バチカン公会議の批判をすることが出来るのでしょうか?第2バチカン公会議は不可謬ではないのですか?



 お答え

 聖ピオ十世会は、第2バチカン公会議を正統なカトリック教会の第21回目の公会議(Concilium Oecumenicale「世界教会会議」とも訳されています)であると認めています。

 そして、第2バチカン公会議を招集し開催した教皇様の意向に従って、公会議を理解するべきであると考えます。

 正に、第2バチカン公会議を招集し開催した教皇様の意向によって、第2バチカン公会議は特別教導権によっても、通常普遍教導権によっても、正真正銘の教導権のよってさえも不可謬ではない公会議でした。つまり、可謬の公会議だったのです。

 何故なら、

1.第2バチカン公会議は特別教導権(Extraordinarium Magisterium)を行使して、何か教義決定・定義付けをすることをあくまでも拒んだからです。

2.1966年1月12日の謁見の時に、教皇パウロ6世ご自身がそう言っています。「公会議は不可謬の印を帯びた教義を特別の仕方で宣言することを避けた」と言っています。

3.更に、1964年3月6日の神学委員会の宣言、1964年11月16日の公会議事務総長の繰り返しの宣言を見ても、公会議についてこう言うだけです。「公会議の慣習と本公会議の司牧的目的を鑑みて、この聖なる会議自身が明らかに信仰と道徳に関する事柄を教会によって保持されるべきものとして定義するとみずから明らかに宣言するときにのみ、そう定義する。聖なる教会会議が教会の最高教職による教理として、述べる他の事柄は、すべての、そして各のキリスト信者はそれを教会会議自身の方針に従って受け入れ、受領しなければならない。この教会会議の方針は取り扱われている題材と表現方法から神学的解釈の法則に従って知ることができる。」したがって、私たちは、1917年の教会法による第1323条の3の規定にしたがって、いかなることも、明らかにそうであると言われていない限り、教義的にあるいは宣言され、あるいは定義されたと知解されてはなりません。事実、第2バチカン公会議のいかなる文章も教義の定義として公布されたものは在りませんでした。

4.通常普遍教導権(Ordinarium Universale Magisterium)とは、何か新しい教義決定をする権能ではなく、常に信じられていたこと・教えられていたことを忠実に伝える権能です。ですから、ここでの「通常普遍」ということは、全ての司教様たちという場所のみならず、いかなる時にも常に教えられ、信じられていたことを言うのです。(第1バチカン公会議は、このことを教えています。)従って、通常普遍教導権によっても不可謬とは言えません。

5.単なる正真正銘の教導権(Magisterium Authenticum)によっても、不可謬ではありません。何故なら、教導権の対象、つまり教導権が取り扱う内容は、信仰の遺産が聖なるものとして保全され、忠実に表現されることであり(第1バチカン公会議 Dz 1836)、教導権は「現代世界との対話」し、「フランス革命以後の2世紀に亘る『リベラル文化』の最も優れた表現」を「清めて」から「カトリック信仰」として取り入れる(ラッチンガー枢機卿 Gesu誌 1984年11月号72ページ)ためにあるのではないからです。

6.公会議は現代世界の価値、特にそのリベラリズムと人間中心主義を自分のものとして取り入れることに専念しました。しかし、繰り返しますが、カトリック教会の教導職はこの世の価値を自分のものとするためにあるのではありません。

7.教導職は啓示された信仰の遺産を伝達するためにあるのです。「何故なら、聖霊はペトロの後継者に約束されたが、それは彼らが聖霊の啓示のもとに新しい教義を知らしめるためではなく、使徒たちによって伝えられた啓示、すなわち信仰の遺産を、聖霊の助力を持って彼らが聖なるものとして守り、忠実に提示するためであった」(第1バチカン公会議)からです。

「第2バチカン公会議の内的批判、外的批判を考慮すると、つまり、この公会議の文章と分析し、その内容とその行きつく先を研究すると、第2バチカン公会議が聖伝に背を向け教会の過去と断絶するものであるがゆえに、離教的な公会議であると断言することができると思います。木はその実で判断されます。」

(ルフェーブル大司教 1976年8月2日のフィガロ紙Le Figaroへのインタビューで)

 第2バチカン公会議(Concilium Oecumenicale)は、「公会議」とか「世界教会会議」とかと訳されるよりも、第2バチカン公会議を招集し開催した教皇様の意向に従って、「諸宗教統一のため」と言う意味の「エキュメニカルな会議」と呼んだ方がより実態にあった名前かも知れません。

詳しくは、更に第2バチカン公会議の権威についての項をお読み下さい。

文責:トマス小野田圭志 聖ピオ十世会司祭

なぜ第二バチカン公会議で悪い草案が通過したのか?

2017-01-21 23:48:38 | 第二バチカン公会議
 質問です。

 第2バチカン公会議に関する記事を読みました。第2バチカン公会議でリベラル派の草案が審議を通過してしまったことは大変驚きました。何故教皇様がそれを認めてしまっているのかがとても疑問に思います。歴代の教皇様によって誤謬だと認められてきたことまでもが認められるのは何かおかしいような気がいたします。いったい、バチカン内はどうなってしまったのでしょうか?これは大変なことだと言わなければなりませんね。

(匿名)

 ご質問ありがとうございました。お答えします。

 何故第2バチカン公会議で、歴代の教皇様たちによって誤謬として排斥されてきたことが、今度は声高く認められるようになってしまったのでしょうか?

 おそらく、近代主義と呼ばれている非常に主観的な異端説のために、「昨日までは『間違い』とするのが賢明であったことが、今では新しく解釈し直して正しいとされなければならない、そうすることが賢明である」と間違って考える人が増えてしまったからではないでしょうか?

 つまり、「真理は時と場所によって変わり、進化する」と誤った考えをする人が第2バチカン公会議で幅をきかせてしまったのではないでしょうか?

(教会によって排斥された近代主義については、聖ピオ10世の回勅『パッシェンディ』(1907年9月8日)をお読み下さい。)

 ところで、現代の高位聖職者たちのメンタリティーについて、今年の7月に来日されるウィリアムソン司教様は、次のようなことを述べておられます。以下にその要点を申し上げます。

+ + +



 故マラカイ・マルティン(Malachi Martin)は、その『この血の鍵“The Keys of This Blood” 』(1990)と言う本の中で、「ユダ・コンプレックス」という章を書いていますが、マラカイ・マルティンはカトリック教会の高位聖職者が第2バチカン公会議の新しい教会作りへと堕ちていったことをイスカリオトのユダと比較しています。ちょっと目には、現代カトリック教会で一生懸命働いておられる司教様たちや枢機卿様たちをイスカリオトのユダと比較するなどとは、あまりにもひどすぎる、乱暴であると思われるかも知れません。いくら何でも今の司教様や枢機卿様たちはイスカリオトのユダのように悪人ではないでしょう。

 イスカリオトのユダも、初めはそんなに悪い男ではなかったのではないでしょうか。聖福音は私たちの主イエズス・キリストを裏切ることになるこの使徒について多くを語りません。御受難の前に12使徒の中に名前を加えられているだけです。ただ御受難の数日前に、マグダラのマリアが私たちの主イエズス・キリストの足に高価な香油を塗るのを見たユダは、しみったれたこと言って彼女に愚痴を言います。その時、聖ヨハネはユダが「会計係」の職務を裏切って盗みをはたらいていたことを述べています(ヨハネ12:2−6)。

 私たちの主イエズス・キリストがこのときユダを優しくたしなめますが(マテオ26:10−13)もしかしたら、このためにユダは私たちの主を司祭長たちに銀貨30枚で売ろうと考えるようになったのかも知れません(マテオ26:14−16)。イスカリオトのユダは、最後の晩餐では何事もなかったかのように振る舞い、席を中座します。裏切り者はゲッセマニの園で私たちの主に接吻をし、後で背信したことに絶望します。血の値の金を司祭長たちに投げ返し、自分は自殺します。では、何故ユダはここまでするようになってしまったのでしょうか?福音書はそれについてほとんど語りません。

 イスカリオトのユダの悲劇を考えると人間に与えられた自由意志という現実に突き当たります。私たちの主はユダがご自分を裏切るだろうと言うことを永遠の昔から誤ることなくよくご存じでした。私たちの主がもしイスカリオトのユダを使徒の一人としてお受けしたなら、私たちの主は天主として必ず、ユダの必要に応じたより大きな莫大な聖寵の恵みを降り注ぐようにこの使徒に恵んでいたに違いありません。もしもユダがそれを望んだならば、使徒職の3年間の間、全く自由に、完璧に望みのままに回心することが出来たのでなかったならば、私たちの主は使徒として彼を受け入れなかったでしょう。

 しかしイスカリオトのユダはついに回心を望みませんでした。

 マリア・ヴァルトルタは、『天主なる人の詩』という5冊の本の中で、イスカリオトのユダの性格を詳しく描写しています。この本はいろいろな議論を醸し出しています。ところで、「私たちの主によって述べられた」と言われていることの中に、面白い指摘があります。何故20世紀の半ば(教会内部で高位聖職者たちの背信を多く目の当たりにする特に現代!)に何故私たちの主がこのようなパノラマを見せたかというと「天主が特別の恵みを施した霊魂が堕落したその神秘を知らせるため、・・・天主のしもべと天主の子らがどのような経過をたどって堕落していき、悪魔のようになり、ついには天主を殺してしまうようになるか、自分たちの霊魂にある聖寵を殺すことによって、霊魂に住まわれる天主を殺すようになるのかということを知らせるため、・・・ユダという恐ろしいが非常にどこにでもある人物を良く研究しなさい・・・。どれほど多くの人々がユダを真似て、自分をサタンに渡して永遠の滅びへと突進していることか。」という理由だというのです。この本については、皆さんがご判断下さい。

 ところでこの本では、イスカリオトのユダは知性的で才能のある、単純ではなく傲慢な、肉欲を求めこの世的な男として描かれています。ユダはイエズスの素晴らしい性格に気づきイエズスこそイスラエルの王であり救い主であると見抜くのです。ユダは何度も何度もイエズスに使徒の一人として受け入れてくれるように頼み込みます。イエズスの使徒の一人となれば王たるキリストの勝利に彼も与ることが出来るからです。ところで私たちの主はユダに何度も何度もご自分の王国が霊的な王国であることを警告します。表向きにはユダはイエズスの主張を受け入れます。しかし内部ではユダは自分の考えを捨てませんでした。イエズスは使徒となることがユダにとって、彼の回心と救いへとつながる最善の或いは唯一のものであるとご存じであったので、ついにユダの度重なる要求に道を譲り、彼が使徒となることを許すのです。

 この本によると、3年間ユダは決して悪い男ではありませんでした。私たちの主は忍耐強く彼に教えました。ユダは自分の心の堅さを嘆いて涙を流し、良くなろうと心から努力するのです。しかし、このような時は過ぎ、特に嘘を平気でつくようになり、この世と肉欲と悪魔とに徐々に戻っていくのです。ついにユダはイエズスが単なる人間に過ぎないと確信するようになります。そしてユダヤの神殿当局がイエズスの亡き者にしようとしているのは正しいことであると思いこむのです。私たちの主は、ユダの滅びを食い止めたいと望みながら、それと同時に彼の自由を尊重します。イエズスの聖心は、ゲッセマニの園という最後の最後まで優しくユダに回心を促すのです。「友よ、おまえはここに何をしに来たのか?」と。

 マラカイ・マルティンは次のようなことを書いています。"The Keys of This Blood" (pp. 660-676)

 ユダは、最善の意向を持って私たちの主に仕えようとして使徒職を始め、多くの聖寵を受けました。ユダは私たちの主を捨て去ろうなどとは思ったこともなかったのです。私たちの主は、ユダに完全な自由を与えて望みのままイエズスから離れることを出来るようにしていたにもかかわらず、ユダは決して離れようとせず、常に御許にとどまったからです。

 同じように、新しい教会を造ろうとしている聖職者たちは、自分の召命を非常によい意向で始めました。彼らは多くの聖寵を受け、私たちの主を愛しました。彼らには私たちの主を離れようという意向も、私たちの主の教会を破壊しようなどという意向も全くありません。それはユダと同じことです。ただ彼らが望むのは、私たちの主が自分たちの考えている通りにこの世に適応してくれることです。

 ユダはイエズスの王国を心から望みました。そして将来の王国で自分が重要な役割を果たすことを。しかしイエズスは、政治的な王国を立てることを拒んだだろうし、神殿当局とぶつかり合うことを厭わなかっただろうし、この世離れしている生き方を止めようとしなかったでしょう。もしイエズスがユダの賢い意見を聞き入れて、神殿当局と仲良くなり、この世の生き方を理解さえしたら、適当な妥協をすることでイエズスはこの世的に大成功するでしょうし、イエズスの特別な才能と神殿当局の世俗的な影響力とが結び合わさってイエズスの王国は実現するでしょう。(しかしイエズスは、頑なにユダの意見を受け容れようとしないのです!)

 同様に新しい教会を造ろうとしている聖職者たちは、カトリック教会が凱旋することと、自分たちが新世界秩序において重要な役割を果たすことを心の底から望んでいます。しかしカトリックの聖伝は、彼らの考えに興味がありません。実際、カトリックの聖伝はこの世とその支配者たちを排斥して止まないのです。新しい教会を造ろうとしている聖職者たちはそれに引き替えこの世を良く理解しています。もしもカトリック信者が、新しい教会を造ろうとしている聖職者たちの意見に聞き従ってくれたなら、全てのカトリック信者が聖伝を現代化することに同意してくれたなら、適当な妥協をすることによってカトリック教会は世界中で大成功をおさめるでしょう!聖伝の力と現代社会の革命の理想とが結びついて教会は大発展するでしょう。(しかし聖伝は、頑なに新しい教会を造ろうとしている聖職者たちの言うことを受け入れようとしないのです!)

 ついにユダはイエズスがあまりにもこの世的ではないことにがっかりし目が覚めるのです。そして私たちの主が天主であると言うことを信じなくなっていまいます。イエズスは自分の才能を非現実的な王国のために無駄に使っており、普通の現実的な神殿当局に非常な迷惑をかけているのであるから、神殿当局がイエズスを処罰するのが良いだろう、と思うのです。

 同様に、第2バチカン公会議以前の教会が現代世界と巧くやっていくことに失敗し、それに疲れた第2バチカン公会議以前の高位聖職者たちは、カトリックの聖伝が天主に由来するものであることを信じなくなってしまうのです。カトリックの聖伝は、素晴らしい現代世界のやり方への障害以外の何ものでもないので、公会議が聖伝をこの世に引き渡すのがもっとも良いだろうと考えるのです。そこで第2バチカン公会議というこの世との歴史的な妥協というユダの裏切りが起こり、私たちの主と現代世界を支配している敵とを織り混ぜ合わせた作った曖昧なものができ、私たちの主の聖伝を現代世界の権力者に引き渡したのです。

 新しい教会を造ろうとしている聖職者たちは、客観的に見るとユダですが、カトリック教会の善を思って善意で新しい教会を造ろうとしているのです。実に彼らは「聖戦を戦っている」ユダです。なぜなら新しい教会を造ることによって、カトリック教会を彼らの理想の通りに改革することによって、教会とこの世界との両方が救われると彼らは確信しているからです。彼らはカトリックの聖伝がそのままであってはいけないと信じ、聖伝をこの世と妥協させなければならないと思いこんでいるのみならず、まだ教会内に残っている聖伝の残骸をも自分たちの思っている妥協の中に引きずり込むことをしなければならないと考えているのです。

 ある日、新しい教会を造ろうとしている聖職者たちは、同じいにしえの悪しき世のために巨大な問題を抱えることになるでしょう。そして好むこと好まざるに関わらず、彼らはカトリックの聖伝に立ち戻らなければならないことでしょう。その時彼らはまた再び真の意味でカトリック教会の聖職者となり、この世とその精神を排斥するでしょう。その時、バチカンで働く聖職者たちが健康な精神状態に戻った時、彼らはカトリックの聖伝にいかなる問題も見つけ得ず、ましてや聖ピオ十世会に対しては勿論のことです。

 願わくは、この日までカトリックの聖伝に私たちが皆忠実である恵みを天主が私たちに与え給わんことを!

2002年3月1日

+ウィリアムソン司教

(翻訳:トマス小野田圭志)

第二バチカン公会議の問題点は? :2

2017-01-20 20:10:17 | 第二バチカン公会議
更には、第2バチカン公会議が準備していた草案は捨てられ、革新派の準備していた別の草案によって取り替えられました。その新しい草案は、審議を通ってしまいました。カトリック教会がかつて排斥していた誤謬も、残念ながら多かれ少なかれ混じっていました。
 それでは、どのような点が、誤謬であると指摘できるでしょうか?いくつか例を挙げてみます。







第2バチカン公会議は、「友好的な呼びかけにほかならず」「教会は特別の教導権によって特別の教義を定義しませんでした」が、その全体において、リベラルな思潮を推進し、聖伝に基づくカトリックの教えから離れようとする精神によって起草され・動かされたものだった、と言わなければなりません。
教皇様は、キリストの教会を立てるために権能を与えられているのであって、それを破壊するためではありません(2コリント13:10)。(第1バチカン公会議 Dz 1836、ピオ12世 Sacramentum Ordinis, Dz 2301、ピオ9世 Quanta Cura §1)
教会の教えは、変わることがあり得ません。(聖ピオ10世 Lamentabili, Dz 2021)

 第2バチカン公会議についてルフェーブル大司教が言っていることを聞いてください。

「公会議後の適応だけが良くなかったと言い張るのは不可能なことです。聖職者たちの反抗、ローマ教皇の権威に対する反対、典礼と神学のありとあらゆる逸脱、教会を離れる人々の激増、これらは公会議とまったく関係が無かったとでも言うのでしょうか?まさか!これらの現象は公会議の実りなのです。」

 将来カトリック教会が、正確な言葉遣いをして、ハッキリと自分の変わり得ない信仰が何であるか、を荘厳に不可謬的に取り消しのつかない方法で、つまり特別の教導権によって、教義を定義し、全ての異端と謬説をハッキリと排斥する日が一日も早く来ることを願ってやみません。

参考文献

The Catholic Church and the Second Vatican Council

The New Sacrament of Extreme Unction

第二バチカン公会議の問題点は?

2017-01-20 19:58:39 | 第二バチカン公会議
第2バチカン公会議は、世界中にいる約2500名の司教様達が、1962年10月から1965年12月まで4総会にわたって集った会議で、第21回目の公会議(世界教会会議)です。
ヨハネ23世は、1962年10月11日、第2バチカン公会議の開会演説でその公会議の目的を明確にしています。
「第21回世界教会会議は、・・・カトリックの教えの全体を少しも減少させることなく、ゆがめることなく伝えようとしています。」
しかし「忠実に守られるべき、この確固不動の教えが、現代の要求する方法で探求され、説明され」つまり「主に司牧的な性格を持つ教会の教導の任務に、もっとも良く合致する表現法で」語られます。
そして「誤謬には教会はいつも反対し、時には断固とした厳しさをもって誤謬を断罪しましたが、・・・断罪するよりは、自分の教えの価値を示しながら、現代の要求に応え」、誤謬を排斥・断罪しない態度を取ります。
こうして全世界の人々から受け入れられようと努力します、と。
パウロ6世は、前任者であるヨハネ23世のヨハネ23世の意向をそのまま維持しました。1965年12月7日、第2バチカン公会議の第9公開会議における演説でこう言っています。「公会議は友好的な呼びかけにほかならず」「教会は特別の教導権によって特別の教義を定義しませんでした。」
以上のような理想を持って、開かれた第2バチカン公会議が、ハッキリをカトリックの教えを明示する代わりに、
弱々しく(誤謬の排斥も弾劾もなく、教義の定義付けがない)、
曖昧で(カトリックの専門的スコラ学的な用語を避けた)、
一方的なもの(非カトリックが喜ぶようなことを述べる)だったとしても、それは驚くに当たりません。
いろいろな意味にとれる、曖昧な表現をするというのは、リベラル派の好むやり方ですが、第2バチカン公会議後に、曖昧な表現が本当にリベラル派の意味で解釈されてしまうことになるのです。
 それでは、どのような点が、そうだと指摘できるでしょうか?以下にいくつか挙げてみます。(全てを網羅しているわけではありません。)











第2バチカン公会議とは:6

2017-01-18 21:08:10 | 第二バチカン公会議
第2バチカン公会議とは:6

結論

 以上、公会議の権威について4つの意見を見てきました。公会議に不可謬の権威を帰属させている最初の2つの意見は、教会当局の様々な証言から、ありえないことでしょう。また、第3の意見は、公会議にカトリック教会の正真通常教導職だけを認めており、本当らしいもののよううにも思えます。しかし、フィレンツェのアルメニア人への宣言との類比から、第2バチカン公会議には「第2バチカン公会議の教導職」と言う新しいタイプの権威を認めるのが良いと思われます。この「第2バチカン公会議の教導職」と言うのは、「公会議後の教会」の使う教導職であって、それ自体では天主の権威持ちません。そして、公会議の伝える様々な誤謬のために、人間的な権威さえも享受していないと言うのが相応しいではないでしょうか。例えば、1976年8月2日のフィガロ紙Le Figaroへのインタビューの中で、ルフェーブル大司教はこう言っていました。

「第2バチカン公会議の内的批判、外的批判を考慮すると、つまり、この公会議の文章と分析し、その内容とその行きつく先を研究すると、第2バチカン公会議が聖伝に背を向け教会の過去と断絶するものであるがゆえに、離教的な公会議であると断言することができると思います。木はその実で判断されます。」

 私達は最後にこのことを指摘しましょう。この公会議の教導職は公会議後30年間教皇やほとんど全ての司教達によって行使されつづけてきました。

 教会の高位聖職者たちが公会議を権威のあるものだとしてそれに言及する限り、彼らは公会議の教導職を行使していることになります。ですから、彼らの教導職の全ての行為は、ア・プリオリに信頼に値するものではないと言わなければなりません。第2バチカン公会議に言及すればするほど、それだけ私達はあらかじめ疑ってかからなければならないでしょう。教皇様が教えておられる、ということを持って第2バチカン公会議を鵜呑みにしてしまうことは、判断を誤ってしまうでしょう。

 聖母マリアの汚れなき御心のおん取次ぎによって、教皇さま、司教さま達が公式に第2バチカン公会議はカトリック信者の良心を縛るものではないと宣言する日が一日も早く来ますように。