結論
ルターは自分の出した四つのsoli(のみ)を持って、キリスト教的道徳と、霊魂の内部における聖霊のわざ、そして全キリスト教世界を破壊した。
まず、ルターはキリスト教的道徳を破壊した。何故なら自由選択能力なしには、すべての道徳は聖寵を受けることになるからである。ルターの次の言葉の中に、この考えの実りが鮮やかに描き出されている。ルター曰く「力強く罪を犯せ、そしてもっと強く信じろ」
霊魂における聖霊の働きの最も美しい実りは聖人である。しかしルターは彼らを聖人の位から取り外してしまった。それはたとえルターが、自分の論理に従わずにその生涯においていくらかの聖母に対する信心を持っていたとしてもである。司祭職を拒否するものには聖寵の源が閉ざされる。ミサ聖祭を否定するものには十字架につけられ栄光を受けた主が取り去られる。
最後にルターはキリスト教世界を破壊した。キリスト教世界とは、自由と聖寵との調和ある協力、天主と天主に従属する人間との間にある調和的な協力の上に打ち立てられた世界である。永遠なるものが時間において現れたことの上に立てられたキリスト教世界は、キリストが私たちにそのあがないの御血において残された制度のうちに成り立つ。つまり、その制度とは、婚姻の秘蹟と家族、修道院と神学校、司祭職と教皇制度、カトリック学校と、国家元首がその任務において天主の権威に参与するカトリック国家である。キリスト教世界の位階制度の構造において、これは天主に仕える天使聖人の秩序を反映し、天からのエルサレムの目に見える現れであった。
ルターはしかし、結婚は単に純粋な世俗の事柄に過ぎない、修道者の誓願は天主から起源するものではなく、人間によるものでありゆゆしき乱用であると宣言した。ルターは教皇とローマ皇帝に反乱を起こし革命的精神に従属する。
私たちはプロテスタントの信者を個人個人判断することは避けなければならない。彼らの中には彼らの責任によらないでどうしても仕方のない事情によって誤謬のうちにいるものがいる。しかしほとんどは宗教的無関心である。十字架につけられた私たちの主への純粋な愛のために、私たちは彼らにもう一度良く考え直してくれるように心からお願いしよう。彼らを父の家から遠ざけている自分たちの意図的な惨めな状態を考え直し、唯一の牧場、唯一の牧者のもとに立ち戻るようにとお願いする。それは他でもなく、聖母マリアの母なる保護とすべての聖人達の保護のもとに、私たちと一緒に、天主なるイエズスの御心の王国をこの地上に建設し、イエズスによって聖ペトロの上に立てられた主の聖なる教会に無私の心で使えるためである。(了)
ルターは自分の出した四つのsoli(のみ)を持って、キリスト教的道徳と、霊魂の内部における聖霊のわざ、そして全キリスト教世界を破壊した。
まず、ルターはキリスト教的道徳を破壊した。何故なら自由選択能力なしには、すべての道徳は聖寵を受けることになるからである。ルターの次の言葉の中に、この考えの実りが鮮やかに描き出されている。ルター曰く「力強く罪を犯せ、そしてもっと強く信じろ」
霊魂における聖霊の働きの最も美しい実りは聖人である。しかしルターは彼らを聖人の位から取り外してしまった。それはたとえルターが、自分の論理に従わずにその生涯においていくらかの聖母に対する信心を持っていたとしてもである。司祭職を拒否するものには聖寵の源が閉ざされる。ミサ聖祭を否定するものには十字架につけられ栄光を受けた主が取り去られる。
最後にルターはキリスト教世界を破壊した。キリスト教世界とは、自由と聖寵との調和ある協力、天主と天主に従属する人間との間にある調和的な協力の上に打ち立てられた世界である。永遠なるものが時間において現れたことの上に立てられたキリスト教世界は、キリストが私たちにそのあがないの御血において残された制度のうちに成り立つ。つまり、その制度とは、婚姻の秘蹟と家族、修道院と神学校、司祭職と教皇制度、カトリック学校と、国家元首がその任務において天主の権威に参与するカトリック国家である。キリスト教世界の位階制度の構造において、これは天主に仕える天使聖人の秩序を反映し、天からのエルサレムの目に見える現れであった。
ルターはしかし、結婚は単に純粋な世俗の事柄に過ぎない、修道者の誓願は天主から起源するものではなく、人間によるものでありゆゆしき乱用であると宣言した。ルターは教皇とローマ皇帝に反乱を起こし革命的精神に従属する。
私たちはプロテスタントの信者を個人個人判断することは避けなければならない。彼らの中には彼らの責任によらないでどうしても仕方のない事情によって誤謬のうちにいるものがいる。しかしほとんどは宗教的無関心である。十字架につけられた私たちの主への純粋な愛のために、私たちは彼らにもう一度良く考え直してくれるように心からお願いしよう。彼らを父の家から遠ざけている自分たちの意図的な惨めな状態を考え直し、唯一の牧場、唯一の牧者のもとに立ち戻るようにとお願いする。それは他でもなく、聖母マリアの母なる保護とすべての聖人達の保護のもとに、私たちと一緒に、天主なるイエズスの御心の王国をこの地上に建設し、イエズスによって聖ペトロの上に立てられた主の聖なる教会に無私の心で使えるためである。(了)