カトリック教会の問題

公会議後の教会の路線は本当に正しいのでしょうか?第二バチカン公会議後の教会の諸問題について、資料を集めてみたいと思います

1600~1630:第7総会:秘跡についての教令

2017-06-09 21:00:28 | トリエント公会議
1600~1630:第7総会:秘跡についての教令

(1547年3月3日)

1547年1月17日から準備されていたこの教令の草案が、2月26日に提出された(SGTr5、835ss;984;TheiTr1、383ss;456)。この教令および秘跡についての諸教令に非難されている誤謬は、主としてマルチン・ルターの秘跡についての著書『教会のバビロニア捕囚についての序論』から引用したものである(DzS1451に引用したワイマール版、第6巻。497~573)。ルター派の神学委員会によって1530年に作成され、皇帝カール5世に捧呈された「アウグスブルグ信条」(ed.BekSchELK44-137;CpRef26、263ss)の第9~13、22~25条、およびフィリップ・メランヒトンが1530年に書いた『アウグスブルグ信条の弁護』(1531年に出版された改訂版)からも引用してある

 

序 文

1600(843a)第6総会において、すべての教父たちの同意を得て発表された義化についての教義の結びとして、教会の聖なる秘跡について取扱うべきであるという意見に達した。秘跡によってすべての真の義が始まり、始まったものを増し、失ったものを回復することができるのである。そのため聖なるトレント公会議は聖座の特使の臨席を得て、聖霊の導きのもとに合法的に参集した。その目的は聖なる秘跡について、過去にすでに教父たちから排斥されているもの、また新しく起ったものなど、カトリック教会の純粋な教えと救霊のために大きな妨げとなる誤謬を取除き、異端を絶滅するためである。聖書の教え、使徒たちの伝承、今までの公会議、教父たちの教えに従って、次の条項を定め認め、(聖霊の助けによって)、これまでの決定事項につけ加え、これを発表する。

秘跡全般について

160l(844)1条。新約の諸秘跡の全部が、私たちの主イエズス・キリストによって制定されたものでないとか、または洗礼 堅信、聖体、告解、終油、叙階、婚姻の七つより多いとか少ないとか、またはこの七つは本当の意味での秘跡でないと言う者は排斥される。

1602(845)2条。新約の秘跡は外的儀式が違っているだけで、旧約の秘跡と違わないと言う者は排斥される。

1603(846)3条。この七つの秘跡はみな平等であって、あるものが他のものよりもすぐれているということは絶対にあり得ないと言う者は排斥される。

1604(847)4条。新約の秘跡は救いのために必要ではなく、むしろ余分なものであり、秘跡なしに、または秘跡を受ける望みなしにでも(すべての秘跡は一人一人に必要ではないが)、信仰だけで天主から義化の恩恵を受けることができると言う者は排斥される。

1605(848)5条。これらの秘跡は信仰を養うためにだけ制定された、と言う者は排斥される。

1606(849)6条。新約の秘跡はそれが示す恩恵を含んでいない、または障害を持たない者に恩恵は与えられないとか、信仰によって受けた恩恵または義の外的なしるしにすぎないとか、または信者と未信者とを区別するキリスト教的信仰告白のしるしにすぎないと言う者は排斥される。

1607(850)7条。秘跡を正しく受けても、それによって恩恵が何時でもすべての人に与えられるのでなく、時折、ある人々に与えられると言う者は排斥される。

1608(851)8条。新約の秘跡を通して事効的に恩恵が与えられるのではなく、恩恵を受けるためには天主の約束に対する信仰だけで十分であると言う者は排斥される。

1609(852)9条。洗礼、堅信、叙階の三つの秘跡は、霊魂に繰返して受けることができない霊的な消えない霊印を刻むものではないと言う者は排斥される。

1610(853)10条。すべてのキリスト者はすべての秘跡を授ける権能を持つと言う者は排斥される。

1611(854)11条。秘跡を執行し、授ける役務者に、少なくとも教会が行うことを行うという意志は必要でない、と言う者は排斥される(DzS1262参照)。

1612(855)12条。大罪の状態にある役務者は、たとえ秘跡を執行しまたは授けるために本質的に必要なことを守っても、秘跡を執行すること、または授けることはできないと言う者は排斥される(DzS1154参照)。

1613(856)13条。秘跡を荘厳に授ける時に、カトリック教会によって認められている儀式を軽んじ、または役務者がそれを勝手に省略し、または、教会の牧者は誰でも、それを他の新しい儀式に変えることができると言う者は排斥される。

洗礼の秘跡について

1614(857)1条。ヨハネの洗礼はキリストの洗礼と同じ効力を持っていたと言う者は排斥される。

1615(858)2条。洗礼のために自然の水は必要でないと言う者、その上、「水と聖霊とによって生れ変らなければ」(ヨハネ3・5)という私たちの主イエズス・キリストの言葉を何か他のたとえに曲げて解釈する者は排斥される。

1616(859)3条。すべての教会の母であり教師であるローマ教会には、洗礼の秘跡についての真の教えはないと言う者は排斥される。

1617(860)4条。異端者によって授けられた洗礼は、たとえそれが父と子と聖霊との名によって教会が行うことを行うという意向をもって授けられても、真の洗礼でほないと言う者は排斥される。

1618(861)5条。洗礼を受けるか受けないかは自由である、すなわち、洗礼は救いのために必要ではないと言う者は排斥される(DzS1524参照)。

1619(862)6条。洗礼を受けた人は、信仰を拒否しなければ、たとえそれを望んでも罪を犯すことによって恩恵を失うことはないと言う者は排斥される(DzS1544参照)。

1620(863)7条。洗礼を受けた人は、洗礼によって信仰だけの負債者となるのであって、キリストの掟のすべてを守る必要はないと言う者は排斥される。

1621(864)8条。洗礼を受けた者は、書かれたものと伝承によるものを問わず、聖なる教会の掟から自由である、そして自発的に掟に従うことを望まないかぎりそれを守る義務はないと言う者は排斥される。

1622(865)9条。自分が受けた洗礼の記憶が強く刻みこまれ、洗礼後に立てた誓いは宣言した信仰または洗礼そのものを傷つけるものであり、洗礼の時の約束の中にすでに含まれているため、すべて無効であると言う者は排斥される。

1623(866)10条。洗礼の後に犯した罪はすべて、受けた洗礼の記憶と信仰だけによって赦されるか、小罪となると言う者は排斥される。

1624(867)11条。未信者の前でキリストの信仰を否定した者が悔改める時には、正式に授けられた其の洗礼を繰返すべきであると言う者は排斥される。

1625(868)12条。キリストが洗礼を受けた年齢になるまで、または臨終の時以外は洗礼を授けるべきではないと言う者は排斥される。

1626(869)13条。幼児は信仰告白をしないため、洗礼を受けた後も信者の数に入れてはならないとか、幻児が成長して理性の働きが始まった時、再び洗礼を授けるべきであるとか、自分自身の信仰行為によって信じない幼児に教会の信仰によって洗礼を授けるよりも洗礼を授けないほうがよいとか言う者は排斥される。

1627(870)14条。洗礼を受けた幼児が成長した時には、その代父母が彼らの代りに約束したことを守る意志があるかどうかを尋ねなければならない。もしその意志がないと答えた時には当人の判断通りに任せるべきであるとか、彼らが悔い改めるまで、聖体その他の秘跡を受けることを許さない以外は、キリスト教的生活をさせるように罰を加えてはならない、と言う者は排斥される。

堅信の秘跡について

1628(871)1条。受洗者に授ける堅信が無意味な儀式であり、真の本来の意味での秘跡でないとか、昔は幼児洗礼を受けた者が、青年期に達した時に教会において、自分の信仰を表明した式でしかなかったと言う者は排斥される。

1629(872)2条。堅信の聖香油に何かがあるかのように言うのは、聖霊に対する侮辱であると言う者は排斥される。

1630(873)3条。聖なる堅信の通常の授与者は司教だけではなく、一般の単なる司祭もこれを授けることができると言う者は排斥される。

1510~1516:第5総会:原罪についての教令

2017-06-09 20:58:55 | トリエント公会議
1510~1516:第5総会:原罪についての教令

(1546年6月17日)

1546年5月24日に原罪についての討議が始まり、ピエトロ・パチェコ枢機卿ほ聖母マリアの無原罪の受胎を定義するようほのめかした。草案、特に6月5日に提出された草案と決議文とを比較すれば、この辺の事情がよく解る。この教令は、ルター派の原罪と欲情の関係についての意見および再洗礼派の実践とに反対するものである。

1510(787)「信仰なしに天主を喜ばせることはできない」(ヘブライ11・6)が、カトリック信仰から誤謬を取除き、それが傷つけられることなく完全に守られるように、また、キリストを信ずる民が「さまざまな教えの風に吹きまわされる」(エフェソ4・14)ことがないようにしなければならない。人類の永遠の敵であるあの昔の蛇が、多くの悪によって最近、天主の国を混乱させているからである。また、原罪とその救済策について、新しい異説を古い異説とともに唱えているからである。…聖なるトレント世界教会会議は、誤謬におちている者を呼戻し、迷っている者を固定させるために、聖書と聖なる教父と公会議の確実な証言、および教会の判断に従って、原罪について次に述べることを決定し、告白し、宜言する。

1511(788) (1) 人祖アダムは楽園で天主の掟にそむいた結果として、天主から与えられていた聖性と義を失い、この過失のために天主の怒りといきどおりとを買い、最初に天主が罰としてきめた死を招き、死によって「死の国の権力を持つ」(ヘブライ2・14参照)悪魔の勢力に属するようになった。その不従順のために霊魂も肉体もともに悪化してしまった(DzS371参照)。これを認めない者は排斥される。

1512(789)(2) アダムは天主から受けた聖性と義とをその罪によって、自分だけを傷つけ失ったのであって、その子孫である私たちのために傷つけ失ったのでほないと主張する者;恥ずべき不従順の罪によって、「全人類に肉体だけの死が伝わったのであって、霊魂の死である罪は伝わらなかった」と主張する者は排斥される。これに対して使徒は次のように言っている。「一人の人によって罪が世にはいり、また罪によって死が世にはいって、すべての人が罪を犯したので、死が皆の上に及んだ」(ローマ5・12)(DzS372をみよ)。

1513(790)(3) このアダムの罪は起源が一つであり、模倣によってではなく、遺伝によって伝えられて、すべての人に一人一人に固有のものとして内在するものである。キリストは「われわれにとって、天主の知恵と正義と救い」となり(1コリント1・30)自分の血をもってわれわれを天主と和解させたのであるが、このアダムの罪を人間の自然の力、または唯一人の仲介者である私たちの主イエズス・キリストの功績(DzS1347)以外の方法で取去ることができると主張する者、また、このキリストの功績が、教会の定式に従って授けられた洗礼の秘跡を通して幼児にも大人にも適用されることを否定する者は排斥される。なぜなら、「全世界に、私たちが救われるこれ以外の名は人間に与えられなかった」(使徒行録4・12)からである。そこで「世の罪を取除く天主の小羊を見よ」(ヨハネ1・29参照)という声がしたのである。また「キリストの洗礼を受けた者は、みなキリストを着ている」(ガラチア3・27)のである。

1514(791)(4)洗礼を受けている両親から生れたにしても、「母親の胎内から生れた幼児に洗礼を授けることを拒否する者」、または「罪の赦しのために彼らは洗礼を受けているが、アダムの原罪からは永遠の生命を得るために再生の水洗いによって償わなければならない何ものをも受継いでいない」、罪の赦しのための洗礼の形式は本当のものでなく、まちがいのものであると解釈すべきである、と言う者は排斥される。「一人の人間によって罪がこの世にはいり、また罪によって死がこの世にはいって、すべての人が罪を犯したので、死がみんなの上に及んだ」(ローマ5・12)という使徒の言葉を、世界中に広がっているカトリック教会が常に理解している通りに解釈すべきである。使徒たちから伝わったこの信仰基準に従って、自分の罪を犯すことができない幼児も、罪の赦しのため、そしてこの再生によって、出生によって受継いだ汚れから清められるために洗礼を受けるのである(DzS223参照)。「水と霊とによって生れない人は、天主の国にはいれない」(ヨハネ3・5)からである。

1515(792)(5) 洗礼の時に与えられる私たちの主イエズス・キリストの恩恵によって原罪が赦されることを否定する者や、本当の意味での罪が取除かれるのではなく、単に罪が拭取られるとか注、あるいは罪として問いただされないだけであると主張する者は排斥される。「キリストの死における洗礼によって、彼とともに葬られた者」(ローマ6・4)、「肉によって生活しない者」(ローマ8・1)、「古い人」を脱捨てて、「正義とまことの聖徳とにおいて、天主にかたどって作られた新しい人を着る者」(エフェソ4・22以下、コロサイ3・9以下)、無垢で、汚れなく、清く罪のない天主の愛子となり、「天主の相続人、キリストとともに相続人」(ローマ8・17)となり、天国にはいることを妨げるものは何一つとしてない。洗礼を受けた者にも、なお、心戦のために欲情や罪への傾きが残ることをこの聖なる公会議は説くものである。しかし、それらの欲情はそれに同意せず、イエズス・キリストの恩恵によって勇敢に抵抗する者には危害を加えることはできない。むしろ「規定に従って戦った者には栄冠が与えられる」(2チモテ2・5)この欲情を使徒は罪と呼んでいることもあるが(ローマ6・12以下7・7 14~20)、教会はこれを、洗礼を受けた者にとって本当の意味での罪であると解釈したことはなく、むしろ罪の結果として罪への傾きと解釈すべきであると聖なる公会議は宣言する。これに反対する者は排斥される。


注アウグステイヌス・Ctr.duas ep.pelagianorum、1b・I・C.13§26(CSEL60、445;PL44、562)。

1516 (6) この聖なる公会議は、この教令の中の・原罪についての項において、天主の母聖マリアを含める意図はないと宣言する。むしろ教皇シクストゥス4世の教令とその教令に含まれている刑罰を新しく認めるものである(DzS1400、1425~1426参照)。

1501~1508:第4総会 聖書と聖伝について

2017-06-09 20:57:03 | トリエント公会議
1501~1508:第4総会 聖書と聖伝について

(1546年4月8日)

a)聖書と受けるべき伝えについての教令

1501(783)聖霊において合法的に召集された、この神聖にして侵すべからぬトレント世界教会会議は、誤謬を取除き、教会の中に福音の純粋性そのものを保存するため、常に次のことを目前に置き、すなわち、かつて預言者たちを通して聖書の中で約束されしものを、天主の御子なる私たちの主イエズス・キリスト御自身の口によって公布し給い、次にご自分の使徒たちを通して、すべての救いの真理と道徳律との源泉として「すべての被造物に述べ伝え」(マルコ16・15)られるように命じ給うたということを念頭に置き、更には、キリスト自身の口から使徒達らが受けた、または聖霊の口述によってその使徒達自身からあたかも手から手へ渡すようにして伝えられたこの真理と規律とは、我々にまで辿り伝わってきたが、それらは、書かれた書物と、書かれていない伝承とに含まれていることを知り通し、正統信仰を持つ教父たちの模範に従って、旧約と新約のすべての書物を、唯一の天主が両聖書の著者である故に、そしてまた同じように、キリストによって口授されたものであれ、聖霊が書取らせたものであれ、カトリック教会において絶えず受継がれて保存されている、信仰或いは道徳に関する伝承そのものを、同じ敬虔の愛情と尊敬の心をもって受入れ、尊ぶものである。公会議は、誰一人として疑いが起こり得ないように、この公会議によって受け入れられた聖なる書の目録がこの教令に書き加えられるべきであると判断した。受け入れられた聖なる書は以下の通りである。

1502(784)旧 約 聖 書 は、モーセの5書、すなわち、創世、脱出(出エジプト)、レヴィ、荒野(民数)、第2法(申命)、ヨシュア(ヨズエ)、判事(士師)、ルト、列王1、2(サムエル上、下)、列王3、4、歴代上、下(年代記前後)、エスドラ、ネへミヤのと言われる書、トビヤ、ユディト、エステル、ヨブ、ダビドの150詩篇、格言(箴言)、コへレット、雅歌、知恵、シラ(集会)、イザヤ、エレミヤ(哀歌を含む)、バルク、エゼキエル、ダニエル、12の小預言者達の書、すなわち、ホゼア、ヨエル、アモス、アブディア、ヨナ、ミケア、ナホム、ハバクク、ソフォニア、ハガイ、ザカリア、マラキア、マカベオ前、後である。

1503 新 約 聖 書 は、マテオ、マルコ、ルカ、ヨハネによる四つの福音書と福音記者ルカによる使徒行録、使徒パウロの14の書簡(ローマ、1、2コリント、ガラチア、エフェソ、フィリッピ、コロサイ、1、2テサロニケ、1、2チモテ、チト、フィレモン、ヘブライ)、使徒ペトロ2書簡、使徒ヨハネの3書簡、使徒ヤコボの書簡、使徒ユダの書簡、使徒ヨハネの黙示録である。

1504 もし誰かが、以上の書物を、完全にその部分を全て残らず、カトリック教会において読まれるのが慣わしとなっている古いラテン語のブルガタ版にある通り、聖なる正典として受入れず、上記の伝承を知りながら故意に軽視したとすると、彼は排斥される。

1505 従って、すべての人は、この公会議が信仰宣言の基礎を置いた後どのような順序と道によって進むのであるか、また教義を確認し教会内において道徳の建て直すにあたって、どのような非常に力強い証言と方法を使うのかということを理解するように。

b)聖書のブルガタ版と聖書解釈の方法についての教令

1506(785)とりわけ、同じ聖なる公会議は、もし出回っている聖書の全てのラテン語版の中でどれを正真正銘とすべきかを示したら、天主の教会にとって少なからぬ利益をもたらすと考え、何世紀にもわたる教会での長い使用によって承認されたこの古いブルガタ版それ自体を公の朗読、論議、説教、解説における正真正銘版とすることを決定し、宣言する。そして、たとえどのような口実によるものであっても、誰一人としてこの版を敢えて拒否したり、または拒否しようと企むことのないように(DzS3825参照)。

1507(786)さらにまた、勝手気ままな意見を抑制するために、次のことを定める。すなわち、誰一人として、キリスト教の教義の発展に関わる信仰と道徳に関する事柄ついて自分の判断に頼って、或いは、聖書の真の意味と解釈を判断するのは教会の職務であるが、その聖にして母なる教会が昔から支持し今も取っているその意味に反して自己流の意味に聖書を曲げて解釈し、或いは、たとえそれが決していかなる時も一般に公開されないものであったとしても、教父たちの一致した見解に反して敢えて聖書を解釈してはならない、と。

1508:しかし、印刷業者たちの側にも規制を与えること、これは相応しいことであるが、を望み、公会議は、聖書を特に古いヴルガタ版が将来、もっとも適切なやり方で印刷されることを、更には、聖なる教義に関することを扱う書物はいかなるものであれ、まず教区長の検査と承認を受けたものでない限り、著者の名前無しに印刷したり印刷させたりすること、またはそれらを販売したり所有したりすることは、今後不法であると、定める。

1500:第3総会:信条についての教令(1546年2月4日)

2017-06-08 12:08:22 | トリエント公会議
1500:第3総会:信条についての教令(1546年2月4日)

1500(782) 聖霊において合法的に召集された、この神聖にして侵すべからぬトレント世界教会会議は、使徒座の3人の特使をその司会者として、取り扱われるべき膨大な量の議題を、特に異端の絶滅と道徳改革という2つに関することを含む、そのために特に召集されたことがらを、考察しつつ、……ローマ教会が使用している信経は、キリストへの信仰を告白するすべての者が必ずそこに集う原則であり、それに対して地獄の門が打勝つことができない(マテオ16・18参照)堅固な唯一の基礎として、すべての教会において読まれているその全ての言葉通り、唱えられるべきであると判断した。(次に、ニケア・コンスタンティノープル信条が続く。すなわち)我は、唯一の全能の聖父(ちち)なる天主、すなわち、天と地、見ゆるものと見えざるものの創り主を信じ奉る。また、天主の御一人子、唯一の主イエズス・キリストを。すなわち代々の前に聖父より生まれ、天主よりの天主、光よりの光、真の天主よりの真の天主、創られずして生まれ、聖父と同一実体なり、全ては主によりて創られたるなり。主は、我ら人間のため、又我らの救いのために天より下り、聖霊によりて御托身し給い、童貞マリアより、人となられ給うた。更には我らのためにポンシオ・ピラトの管下にて十字架に付けられ、苦しまれ、葬られ、聖書にありし如く三日目に蘇り、天に上がり、聖父の右に座し、生ける人と死せる人とを裁かんために栄光を伴って再び来たり給う。その主の御国は終わることなからん。

また、生命の与え主(ぬし)なる主なる聖霊を。聖霊は聖父と聖子とより発出し、聖父と聖子と共に礼拝され、共に栄光を受け給い、予言者を通して語り給いし。また、一、聖、公、使徒継承の教会を信じ奉る。我は唯一の罪の赦しのための洗礼を宣言し、死者の蘇りと来世の生命とを待ち望み奉る。アーメン。

トレント公会議(第19回公会議) 決議文 目次

2017-06-08 12:07:36 | トリエント公会議
トレント公会議(第19回公会議)

(1545年12月13日~1563年12月4日)

決議文 目次

 トレント公会議は種々の政治的な紛争のため、そしてまた特にキリスト教生活の真の改革を望まない一部の人々のため、何回も中断され、10数年の長期間を要した。しかし、それまでの公会議の中で一番すぐれたもの、一番実りの多いものとなった。カール5世皇帝の強い要求によって、パウロ3世は1545年3月15日にトレント公会議を召集した。これが9カ月延期されて、1545年12月13日にようやく開催された。会議期間は次のように区別できる。

第1会期(トレントにて):(第1~8総会):1545年12月-1547年3月

 この期間には次の諸教令がある

第1総会(1545年12月13日)公会議の開催についての教令。

第2総会(1546年1月7日)公会議中の生活様式とその他の遵守すべきことについての教令。

第3総会(1546年2月4日)信仰宣言についての教令。

第4総会(1546年4月8日) 聖書と聖伝についての教令。

第5総会(1546年6月17日) 原罪についての教令。

第6総会(1547年1月13日) 義化についての教令。

第7総会(1547年3月3日) 秘跡一般および洗礼、堅信についての教令。

第8総会(1547年3月11日) 公会議をボローニヤに移すことの決議。

 

第2会期(ボローニヤにて):(第9~10総会):1547年3月~(1548年2月)1549年9月

 告解、終油、叙階、婚姻の秘跡について討論が行われたが、実質的な教令は一つも公布されなかった。1548年2月に一時的に、実質的に公会議の活動は中止した。そして1549年9月に教皇は正式に中止を宣言した。

第9総会(1547年4月21日)総会を延期する教令。

第10総会(1547年6月2日)総会を延期する教令。

 

第3会期(トレントにて):(第11~16総会):1551年5月-1552年4月

 教皇ユリウス3世は1551年5月1日に公会議をトレントに召集した。

第11総会(1551年5月1日)公会議再開の教令

第12総会(1551年5月1日)総会を延期する教令

第13総会(1551年10月11日)聖体についての教令。

第14総会(1551年11月25日)告解と終油についての教令。

第15総会(1552年1月25日)総会延期の教令。

第16総会(1552年4月28日)公会議一時中断の教令。

第4会期(トレントにて):(第17~25総会):1562年1月~1563年12月

 ピオ4世は1560年11月29日に、3回目のトレントでの公会議を1561年4月16日の復活祭に開催するように召集した。しかし実際には、その時から9カ月延期された後、1562年1月18日に最初の(すなわち第17)総会が開催された。

第17総会(1562年1月18日)公会議開催の教令

第18総会(1562年2月26日)本の選択、および、公の保護の元において公会議に皆を招待する教令

第19総会(1562年5月14日)総会延期の教令。

第20総会(1562年6月4日)総会延期の教令。

第21総会(1562年6月16日)聖体拝領について。

第22総会(1562年7月17日)ミサ聖祭についての教令。

第23総会(1563年7月15日)叙階の秘跡についての教令。

第24総会(1563年11月11日)婚姻についての教令。

第25総会(1563年12月3~4日)練獄、聖人の崇敬、聖画像、免償についての教令。
 この第25総会を最後に公会議は終了した。


 すべての教令は1564年1月26日にピオ4世の大勅書「ベネディクトクス・デウス」によって承認された。その上、教皇は1564年8月2日に諸教令の注解と実施のための枢機卿委員会を設立した。(この大勅書以降、トリエント公会議の決議文に基づいて発布された教令のうち、禁書目録の為の基準「Dominici gregis custodiae」及びトリエント公会議による信仰宣言の大勅書「Iniunctum nobis」を掲載致しております。