飯田橋駅前を久しぶりに通ったら、まぁ、すごい変わり様です。
警察病院、郵便局などがあった駅前には跡地に高層ビルができていて、下階はレストラン街となっている。
(飯田橋さくらテラス)
最近のビルには必ず広場を作り、公園を作り、樹木や花を植え、ゆったりとした作りになっている。
その近代化されたビルの足元にこれが建っていた。
靖国神社から、朝鮮総連の前を通って飯田橋駅へ向かう途中、東京逓信病院の建物が道路を挟んで建っており、そのふたつの
建物の間の小さな空き地。住所は千代田区富士見町。
最新の画像[もっと見る]
縁があり、記事をみてたら、さくらさんとよく似たおなまえのかたが背後にいらっしゃる。びっくりしました。
よんでいたら、・・あっ。そうだったのか!
まつだいらめいこ、の本がでてきました。
さくらさん、おぼえていらっしゃいますか。
地下鉄竹橋駅です。
虹はなぜ虫偏であるか
熱風の
地下鉄〈竹橋〉駅に立ちゐて
松平盟子
追伸。
新聞エッセイ(哲学者・野矢茂樹)、ちょうどきのうのに、ひかれていた。
あれはしゃかむにではない。あみだ佛だそうです。
(そうだったのか!ちがいわからん)
もとうたは、はじめ、
みほとけなれど、のところが、銅(かね)にはあれど、だったんだって。
正富王(さんずいのある王)洋のおはなしから。
不謹慎だのどうのと痛烈に批判された(左千夫)。
しかし、この非難がへのたしにもならぬほど、強い輝きを放っているのはなぜだろう。
それは俳句のちからとおなじ、美男の大仏と夏木立のみどりいろが、等価できっちりとたっているから。俗を清めるに若葉の力あり。
このうたがあるから、鎌倉の大仏がある。
仏教がらみ、もうひとつ。
やは肌のあつき血潮に触れもみでさびしからずや道を説く君 晶子
これの歌碑は高野山にあるそうな。
それについても当時おなじ非難があったそうです。
晶子のお弟子さんが伝えておられます。(中原綾子)
とりこわされずにすんで、よかった。
いやもうしわけない。めちゃくちゃごちゃごちゃしているへやにいまして。
それにしても、れいはじつざいする!とわたしはおもう。
学長ブログのはじっこにかきました。
ちかいうちに、転載したい。
「敏と寛・晶子」(新間進一・文)
まだわたしもよんでいません。
それと、このブログのおかげで知った、松平めいこさんの晶子の童話、古本で入手できました。ありがとうございます。
飯田橋には土手があったのですね。
松ではないみたいですが、こどもがぶらさがるに手ごろな大木が写真を水平に走っている。とても印象的。
ふうん。それなら、あの家族写真の大木は、まだあるかもしれないですね。(戦時中にせんさいにあわなかったならのはなし)
ネットでおなじ写真をさがしてみたけれど、ありませんでした。
乙骨太郎乙をしらべているときに一族の偉大な詩人上田敏とぶつかり、その資料をみていると、そこで与謝野晶子夫妻とであった。
与謝野晶子とは石橋秀野でもであっていた。
こないだの永井菊枝さんからいただいていた資料から、新間進一の「敏と寛・晶子」を転載しようとして、よくよくみれば、途中できれていました。全体をよむには、探し回らないといけない。
よさのあきこは、世間がおもいうかべるイメージとはかなりちがっているかんじです。
というのが、だんだんわかってきました。
童話が、とても、すばらしいです。
北村薫の「月の砂漠をさばさばと」もなみだがでたけど、よさのあきこの、金魚が電車に乗ってお使いをするはなしも、こどもにもどれた。
一位の高校生のうた、とてもすてきで、ふかくて、てつがくてきですらあって、それをせいかくにひきたいけれど、さがすじかんがありません。
いまぐぐったら、これだけ、でた。さんけいにゅーすから。
香川県善通寺市の子川(ねがわ)多栄子さん(68)の作品「フレアースカートに君を待ちゐし浜寺公園十九歳の私を探す」
ひまなとき、さがします!とりあえず。
電波とか道とか空は君にすでに誰かがつなげてくれているのに
奈良県広陵町立真美ヶ丘中学校 武村 美子
うっわ~中学生やん!
まみがおか、って、きっと、目見が丘と書くのかなとおもってたら、真美が丘!ラジオでのしゃべりから、関西人ってわかったけど、奈良だったんだ。