なんと私の地元にこんな公園があった。
公園のそばにはゆかりの家と思われるサロンまである。何十年も住んでいてここは初めて。
このあたり超高級住宅地です。と言っても昔は田園地帯だったところに関東大震災で被害に
あった作家や有名人が一斉に引っ越してきたらしい。
もっと近場に太宰治や太宰の面倒見た井伏鱒二氏の住宅もあるのです。
なんと私の地元にこんな公園があった。
公園のそばにはゆかりの家と思われるサロンまである。何十年も住んでいてここは初めて。
このあたり超高級住宅地です。と言っても昔は田園地帯だったところに関東大震災で被害に
あった作家や有名人が一斉に引っ越してきたらしい。
もっと近場に太宰治や太宰の面倒見た井伏鱒二氏の住宅もあるのです。
荻窪の商店街、教会通りとはこの病院内にキリスト教教会が
あるからです。
いまでこそ健康食品や、ダイエット食品が大流行ですが
この病院ではずーっと昔から菜食主義です。
健康食品の開発製造販売もおこなっています。
ここで娘を出産した40年以上前に、ここの職員さんや
看護師さん看護婦さんたちみんなスリムだなぁ・・・・・と
思った記憶があります。
今日はお天気も良くて緑の多い中庭で、健康食品を特別価格で
販売したりフリマやったり、院内ではいろいろな無料の検査を
行っていました。
これ、なんかのCMみたい。
みんな笑顔がいいですね。
階上にはケーキバイキングのあるカフェテリアもあるようです。
下調べしてきました。
杉並区民に愛される善福寺川流域、両岸に公園やスポーツ場や遊具のある遊び場が
ふんだんに設けられて、大きな樹木も多く都会のど真ん中であることを忘れる場所。
私はサッカー場と野球場のある和田堀公園あたりから近衛邸のある荻窪まで自転車で帰宅します。
どのあたりを撮っても素晴らしいです。
ここはだいぶ荻窪寄り
昭和10年代首相を務めた近衛文麿氏の荻窪の邸宅が杉並区の管理となり整備したあと一般公開
されることになりました。
「近衛」の表札はこの家の主の幾多の歴史を見つめてきたものと思います。
こういう権力側にいた人というのはとかく批判の的になりますが、私はこの家の歴史を語る
本を読んでしまったため同情のほうが大きくて、周囲を散歩するたびに胸が締め付けられる
気持ちになりました。
父親である首相はこの家で自決し、長男は11年間シベリアに抑留され、あとちょっとで日本で待つ
新婚の奥さんのもとに帰れるという時期に突然病死(実は変死)しました。
権力者であっても家族への気持ちは同じであり、一つの家族として見たとき思いを寄せてしまいました。
残された兄弟姉妹のうち、ここからお嫁に行かれた娘さんのお子さんが細川元首相と言うことです。
建物が壊されないということがわかりほっとしました。
公開されたらすぐに見に行きたいです。
ここも財界大物の人の邸宅だったところを杉並区が買い取り、公園と資料館としたところです。
資料館は建物の一部を利用したもので樹木も残し、地面がウッドチップなのでいつも1才児が
たくさん遊んでいます。
さる1月14日のどか雪の風景をアップしておきます。
その日シルクのワンピースという楚々としたおしゃれ着で、足はずぶずぶと雪を
かぶりながら、一眼カメラだけはしっかりとバックから取り出し撮りましたよ。
あまりの美しさに。
ほんの2、3時間でどっさりと積もり雪の重さでこの公園の木々は
枝がポキポキと折れていました。
荻窪南口周辺の一角、太田黒公園。
この公園と、詩歌館、近衛文麿元首相邸とは同じ一角です。
特別に紅葉見物出かけなくても、自然に恵まれた杉並区内だけで
撮影環境は充分です。
パソコン指導に行ってすぎなみ観光しながら帰宅します。
荻窪南口周辺は広壮な邸宅が多くて、一番好きな場所は近衛文麿元首相邸周辺。
ここも同じ地域の角川源義邸、角川文庫社長の私邸が杉並区に寄贈され、集会施設として
一般利用が可能です。
左側の障子の部屋では句会が行われていて、ざわめきを聞きながら撮影しました。
庭の木々の一本一本に名札がつけられ、「あー、これがこれね・・・・」と納得しながら
散策します。
「こあじさい」と名札がついていました。
昔からある日本の植物で固められているのに、シンボルツリーは
バナナです。これはバナナの花。
東京の幹線道路、環状8号線を高井戸方面へずんずん自転車を飛ばして仕事に行きました。
緑と黄の淡いグラデーションの街路樹が続きます。
何の木かな?知りたいな・・・と思っていると、さすが東京都、名前札がついていました。
「もみじばふう」
九州のサガン鳥栖本拠地、鳥栖スタジアム前の庭で今年の5月拾ってきた「もみじばふう」。
東京にもどこかにあるはずだとずーっと思ってきて、こんなに身近にたくさんあるなんて、
来年の初夏にはこのかわいい実が、杉並区でいっぱい拾えるということがわかりました。