パソコン指導に行ってすぎなみ観光しながら帰宅します。
荻窪南口周辺は広壮な邸宅が多くて、一番好きな場所は近衛文麿元首相邸周辺。
ここも同じ地域の角川源義邸、角川文庫社長の私邸が杉並区に寄贈され、集会施設として
一般利用が可能です。
左側の障子の部屋では句会が行われていて、ざわめきを聞きながら撮影しました。
庭の木々の一本一本に名札がつけられ、「あー、これがこれね・・・・」と納得しながら
散策します。
「こあじさい」と名札がついていました。
昔からある日本の植物で固められているのに、シンボルツリーは
バナナです。これはバナナの花。
奥が深いです。芭蕉をシンボルにしているなんて。
しかも大声でそれをわめかないところ、さすがだ。
わたしがはじめて連句にであったのは、札幌の俳諧師故窪田薫によってです。
一本のバナナの如き温故かな 薫
これ、おんことうんことをかけ(たぶん)、さらに芭蕉俳諧の温故知新をも彷彿とさせるところに、窪田薫のニヤリがみえる名句だと思います。
はりつけたのは、なぜ芭蕉はバナナなんて俳号をつけたのかの推理。よんでちょ。
こいたばし、ってはしがあります。小板橋と書きます。
こあじさい、ってはなもあるんだ。
へえ~。小紫陽花でしょうか。
あの黄色のちいさな葉っぱのですか。
なんとも可憐ですね。
日本画に描かれる意匠みたいな色と形ですね。
芭蕉の俳号がバナナ。
無駄なものは植えてないんですね。
実もちゃんと実っています。
コアジサイ、アジサイの葉の小さなものでしたので
来年はどんな花が咲くのか見ておきます。
この葉に目が行った時の微妙な気持ちを
忘れません。
足もとに地を這うような姿が目についた。
わたしも、なぜか気になって、なにかを思い出しそうで。
これだったかなあと取り出してきた画集、下村観山。
白狐図。はりつけていますが、わたしの画集ではもっとはっきりとした黄色です。なんの樹木の葉っぱかはわかりませんが。白い狐と熊笹と黄金の葉っぱと。このきつねはとっても神秘的で。東京国立博物館にあるんですね。
角川げんよしさんは石橋秀野へも追悼の言葉を贈ったほどの俳人で、すごい人ですが、そうでしたか。ここがその人の家。ありがとうございました。
ばななの花、かわいらしい、ふしぎな花ですね。
よしもとばななさんの筆名が、バナナのハナがすきだからと書かれていましたが、なるほどと思いました。
いまごろ咲くのですね。はじめてみました。
観山は線の観山といわれた日本画家で、狩野派に学び、朦朧体全盛のころ、線描を得意とした。と書かれています。
あの絵のような庭を目指したといえなくもない庭です。
お金をかけた一部の隙もないようなお寺や神社の庭
は好きではないのです。
そこへいくとこの庭はまことに自然、広くないちょうどいい広さ、そこへ実に種類の多い木や植物が植えられていて、踏みつけても平気って感じ。
写真には入っていない芝生の先が茂みで、バナナの木は玄関の前に堂々としています。
今度全体写真を撮ってきますね。
この建物、ひどく懐かしい気がして、気になって、少し調べました。加倉井秋をという俳人で建築家の人の名前が出てきました。
中を見るまでは、この外観だから、二階の板塀風のベランダに、晴れた日にはズラズラっと布団が干せてよいなあ。くらいに思ったんですが、内部をみますと、とってもモダンですね。まったく日本家屋というものでもない。
それにしても、さくらさんが書かれていたとおり、こあじさいの黄色の葉っぱの写真、妙に心惹かれます。
大正モダンみたいな家です。
なんといっても住まいだから、人が居心地よく、太陽や風通しはふんだんに取りいれられて、眺める庭の広さがちょうどいい、今度またそういう目で見てきます。
岩崎弥太郎さんの家を見たときもすごく感じたことがあるんです。
部屋から庭を眺めた時の距離が安らぐ距離で、豪邸だからと言って無限に広くないんです。
という句をさきほどみつけてきました。ここから↑
暮に娘の夫のお里からサザエをもらってたのに、たべたこともないので、冷蔵庫入れたまますっかり忘却していた!まだ生きているかな。たいへんだ。ガスコンロでも網をおいて焼けるよ、と娘が言ってたが。
今からやってみます。海に遠いにんげんはこれです。