4月3日
なんだか、この、超追われている感はなんだろう・・・と思ったら、
ipadの外付けキーボードがないっていうことに発端があるようです・・・
新しいのを買ったのに
なかなか届かない・・・カナダポストめ!!!
いろいろ21章をやっていて、思わされることがあるのですが、
やっぱり今回は「信じる」ってことを中心に話そうかなと思ったりしています。
「信じる」事と「受肉」の関係の辺り。
デール博士の講義で
「真実(truth)とリアリティは現代人が求めているものだ」という
一言があったのですが、その部分ですよね。
3回目に復活した主に出会っても、確信がいまいちもてなかった弟子たち。
その辺りなのかなって思うんですよね。
同時にデール博士は人間がやること(ミニストリー)は
神様にとっては大事なことなんだってこと。
it mattersです。
そうじゃなかったら、3回もわざわざ現れないだろうし・・・
何度も何度も博士が言ってた事で
もうめっちゃ賛成なことは
「十字架の横は神様の恵み。これはすべての人間に届くほど広い。
十字架の縦は神の真実。これは天国から地獄まで届く」
この交わったところにイエス様はかかられたわけですよね。
ブリッジビルダーのあるべき姿を思わされるんですよね。
私たちは本来そういうあり方なんじゃないのかなと。
どっちかじゃない。
それは両方ないとだめなんだって事。
それはbeing と doingも然り。
存在のあり方によってその方法は変わるってことですよね。
同時に方法によってそのあり方が変えられる場合もある。
「私は漁に行く」って言ったペテロ。
もう自分はだめだって思ってたのかな・・・
最近、「こんな自分なのに」って言葉をよく聞くんです。
イエス様は「こんな自分」が良いって言ってる。
そして「こんな自分」だから購ってくださった。
もし「こんな自分」だってことを知らなかったら、
永遠のきらきら輝く恵みも愛も自由も得ることすらできないわけで。
「こんな自分」は「こういう自分」に神様の手の中で
「成人」していけるってことじゃないか。
「こんな自分」を「高価で尊い」って言う作者がいる。
「今の日本社会には存在価値を求めるという病巣がある」という記事を
最近読みました。就職活動がうまくいかなくて自殺する人が
この5年間で3.3倍に増えたそうです。
今日、誰かが言ってました「なんだか尾崎豊の歌からずっと出られないみたいなんです」
ほぼ毎週「自分が何がしたいのかわからない」という相談を受けます。
そして自分のことを「自分馬鹿だから」って言葉もほんとうにしょっちゅう聴く。
なんなんだろう・・・
「自分馬鹿だから」って言われると
私、本当に辛くて哀しくなるんですよね・・・涙がこぼれそうになる。
こんなに大事な存在なのに、なんで自分で自分のことそんな風に言っちゃうんだろうなぁって。
この箇所は私のその想いに何を語ってくれるのでしょうか~!
つづく(笑)
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます