13th Avenue日記

一歩ずつ、一歩ずつ・・・・

9月8日

2016-09-08 | 日記

現在、Surrender to Loveという本を猛ダッシュで読んでいます。

そんな中、ある人からのメールの内容を見て、

ふと考えたことをメモ的に書かせてもらいます。

intimacy(親密さ)は欲しいとか欲しくないとかいうものか・・・

 聖書的にはwant toとかnot wan toというカテゴリーのものなのか・・・

三位一体の神の関係は非常にintimateです。

深く、親密な、まさに「三位一体」という言葉がそのまま表している

その状態であるわけです。

で、私たちクリスチャンはそこに呼ばれた、

イエスに繋がることを通して、その関係の中に招き入れられたわけです。

つまり、intimacyはその関係に招き入れらた時から

それは名詞としてそこに存在するものであり、

私たちと神との関係が深まることを通して、

他者との関係がそう変わっていくものであるわけです。

その関係なしで福音をシェアできるかというと

私には大きな疑問が残るわけです。

福音を語ることはできるかもしれないけど、

そもそも福音を味わうことをしてないなら

分かち合うことはできないんじゃないかと。

日本人は特にどんなに説得されても

そこに関係性がないなら福音を味わえないんじゃないかなと思うんです。

そして、味わうことをそもそも見てないなら

霊的成熟は起き得ないわけです。

intimacyというのは、もうちょっと普通に育つものだと思うのです。

それは神との関係は深まってもいいけど

人とはそういう関係はいらないというのは不可能かなと思うんですね。

切り離せないものだと思うんです。

人とintimateな関係を持ちたくない、友情もいらないけど

福音は伝えたいというのは無理ちゃうかなと・・・

福音には命がある。

人を生かすものです。

神との友情はあるけど、人とは友情はいらないというのは

本当の福音を味わえてないっていう印じゃないかと

思うのです。