13th Avenue日記

一歩ずつ、一歩ずつ・・・・

6月16日

2011-06-16 | 日記

昨日、無事トロントに着きました。

後30分もすると、本格的にCCが始まるのですが、

今日は本当にのんびりさせていただきました。

先週の土曜からお客様が来ていて、

昨日まで「民宿 泉」に滞在されておりましたので、

ちょっとばたばたと出てきてしまいましたが、

いやはや、着きましたよ。

そして、バンクーバーは暴動で大変だったようで・・・

いやはや・・・

 

今日のトロントは思ったより暑くなくて

気持ちよく過ごせました。

湿度は札幌くらいかな。

私が見た町並みも似てる感じがするかな。

赤レンガ系の建物も多いし。

街自体はこっちのほうがほっとする。

 

実はおととい、ひどい捻挫をしてしまい、

足がぽんぽんに腫れていますが、

痛み止めととにかく冷やす作戦でなんとかなっています。

お部屋が凄く広くて、のびのびした気持ちになるから

沢山歩けないのもとりあえずは気持ち的に負担じゃないかな。

 

これからです・・・どきどき・・・

OMFゲストハウスのテイラー夫妻にはとっても暖かく迎えてもらって

心地よいスタートとなりました。

問題は、みんなの名前を覚えられるか・・・く~~~。。。

 

 

コメント

追記

2011-06-11 | 日記

「こんなちっぽけな私」が

実は現時点の歴史を歴史として可能にしているということ。

そして、一度シフトした歴史は逆戻りできないこと。

だから、あなたの存在はとんでもなく意味があって大切だってこと。

そして、あなたの存在にも、あなたの「小さな」決断も

あなたの「なんでもない行動」も

どれもこれも、

とんでもなく意味があるんだってこと。

大事です、それぞれの存在。

 

ヨブ38-41

コメント (1)

6月11日

2011-06-11 | 日記

明らかなる事実・・・今私が存在して、こうしてタイプを打たなかったとしたら、歴史は現在と違ったものにある。

 

つまり、あなたが今、この記事を読むという行動を起こしたことで、歴史はすでにシフトしたということ。

 

あなたの存在はそれほど、大事なんだってこと。

コメント

6月10日

2011-06-10 | 日記

Q1・・・自分は他人が豊かに生きられるような在り方をしているか?

Q2・・・自分の小さな行動の結果が自分の地域、社会、国、世界に影響を及ぼしているという事実を把握しているか?

 

なんで、そんなことを考えてるかというと、

最近、日本のニュースとかを読んでると心が萎えることが多くてね。

批判が多い割には、じゃあ、自分はどうしてるわけ?って。

その疑問を投げかけると、多くの場合

「私なんて小さい存在だから・・・」っていう答えをしながら

ゴミのポイ捨てをしたりするんだよね。

え?今、政治家を批判したでしょ?で、環境が良くならないって言った瞬間に

分別を無視してゴミを捨てちゃうんだ・・・っていうところにびっくりする。

「私一人くらい」って実は思ってるなら、

政治家の批判もできないし、東電の批判もできないじゃん・・・と思うわけ。

だって、すでに社会の底辺の小さいスケールでそれがまかり通ってるわけだから。

説得力があるか無いかは

大きいか小さいかじゃない。

声が大きい人や

有名な人が世界を変えるわけでもない。

ブルーハーツの「チェインギャング」の歌詞と一緒だよ。

自己責任が無ければ、空虚な言葉になって

それは流れ弾になって

大事な何かを殺したりするわけで。

 

「ちっぽけな私」がどう在るかが実は世界を変えている。

自己実現から他己実現を願うようになれたら、

世界が変わる可能性が見えてくる気がするんだ。

神様はいつも私達が小さいことに忠実であるとき、

気づかないうちに「小さいこと」をそっと「ちょっと大きめ」に

してくださってたりする。

誠実にあるということは、自分の言葉が実をつけるまで

その言葉にあり続けるということかもしれない。

鍬に一度手を置いたら、振り向かないという決断をすることかもしれない。

そして、それこそが勇者の在り方なんだと思うんだよ。

勇者はヒーローであるということではない。

単に勇気がある者であるということだから。

 

もっとやることがあるだろう?って思う。

100億寄付するって言った人に批判をしている暇があったら

自分が隣の人にお味噌汁分けたら?

「自分が小さい存在」だって言うのと

「ちいっさい生き方」をあえてするのとは

ぜんぜん意味が違うわけでね。

せっかく生きてるなら、

思いっきり生きようよって思う。

わざわざ「ちっさい」生き方しなくても良いじゃん?

もったいない!!

コメント

6月7日

2011-06-07 | 日記

久しぶりに、息苦しいメッセージを聴いたのだ。

で、なんでそんなに息苦しかったのかと考えてみたら、

イエス様像がものすごく浪花節だったからではないかと・・・

「こんなに苦労して~、苦労して~~、愛するがために

耐えて~~、耐えて~~~・・・だから

私たちも『行け』と言われたら応答しましょう!

モーセのように」

と、微妙に私的にはモーセはとってつけた気分で・・・

いやはや、ひっさしぶりに、ブブ~な「頑張りなさい」を

講壇から聴いたさ。

そりゃあ、みんな「頑張れアレルギー」になるわいな・・・

尻をたたいて「私も頑張ってるんだから、あなたも頑張りなさい」は

う~~~ん・・・福音書ってそういう世界観か???

私は、そういう世界じゃないから、クリスチャンがいい!って

いろいろな思想とか宗教書とか読んで思ったのは、

この、浪花節じゃない、きらっきらの自由、希望、生きるが

満載だったから。まあ、11歳の子供の目からみてだけどね。

でも、今でもそれは変わってないってか、

深みを増していると思うんだよね。この45歳のコドモ的には。

イエス様は確かに十字架を背負って歩かれた。

でも、単純に「は~い!」って言ったのか?

モーセは単純に「はい!いきま~す!!」って言ったか?

で、「えんやこ~ら」だったか???

そうかぁ~?とか思うわけ。

大事なエッセンスが抜けきってるんじゃないの?と。

関係(リレーションシップ)。

マコトさんが、「リレーしている船」だねって上手いことを言ってたけど、

そうなんだよね。

モーセも神様と格闘するし

イエス様もゲッセマネで神様と格闘する。

イスラエルって言う名前自体が「神と格闘する」っていう意味で

神の民になるとは、そこから逃げられないのかもしれないし

むしろ、格闘できる相手が居るって幸せじゃない?

小さいころ、お父さんとお相撲とったこと思い出しません?

負けても楽しい。だってお父さんってこんなに強いんだ~!って

それが嬉しかったりする。

それが確かめたくて又、相撲をしよう!って言いたくなる。

負ける相手だから、強いって知っているから、

それを確認しているから

だから、思いっきり信頼できるって違いますかねぇ・・・

一緒だから、「頑張れる」。だってこんなに凄い、強い存在が

一緒に居るって言ってるんだから。

それはそこに目をしっかりと向けて

しっかりとたっているから

だから耐え抜けるし、そこに本来の「喜び」を見出せる。

生きるって手ごたえが在ることだと思うんだよね。

自由は手ごたえがある。

喜びも同じ。

ふわふわ無重力だと、それが味わえないわけで。

クリスチャンはジャズ的人生を送っているわけで

浪花節じゃないぞ!!

豊かさを選ぶか、それとも、カツカツを選ぶか・・・

豊かさを選び取ることが出来る自由を持っているのが

本来の自由じゃないのか?

ふわふわの無重力から

しっかり重力によって、思いっきりジャンプできる

そんな重力を選び取る自由こそが本来の自由じゃないか?

型にはめるんじゃなくて、

型があるからフリースタイルが可能になる。

フリージャズだよ、人生は。

 

コメント

6月2日

2011-06-02 | 日記

盛りだくさ~んな一日。

今日の写真はそれとは無関係ですが・・・

西先生ご家族ととも君と私。先々週の日曜のとも君のバースディランチの写真。

 

で、なんでそんなに盛りだくさんかっちゅうと、

課題の本を読まないといけないんだけど

私の部屋の窓のところにあった木が剪定されて

お隣さんに丸見えになっちゃたのだ。

で、慌ててカーテンを縫わなければならなかったりしてたら

学会でこっちに来てるクミコさんから電話。

空き時間に会おうということになり・・・

普通に今日はJBSもあったし・・・

で、クミコさんと別れた後、ドーナツを食べながら歩いてたら

ばったりとミナコさんと遭遇!

なんじゃらほい!って笑いながら、

以前どこで一度会ったのか判明!

運命的・・・ってミナコさんはびっくりしてたけど。

そうなのだ、ミナコさんとは、一度1分くらい話したことがある。

それもたぶん3年位前に、共通の知人の店で。

「よく覚えてたね」って大笑いしながら

覚えてたっていう事実に驚愕の私たち。

こりゃ、神業ですね!!

そして、日曜には日系教会に行くんだけど、

その話をする前にエミっちからメールで

「初めて教会に行こうと思ってるんです」

え?同じ日に???

 

最初から心のどこかに引っかかって

祈りたくて仕方ない人たちと

神様は出会わせてくださる。

そして、祈りの中で神様のときに

神様がその御業をされる不思議を

私は感動してみてる。神様って凄い!って、

その憐れみと恵みに感動するんだよね。

こんな凄い奇跡を見せてくれて本当にありがとうって思う。

 

トロントで「証」という名のトークをすることになったんだけど、

やっぱり内容は「マニュアルVSテンプレート」になりそう。

そんな気はしてたけど。

マニュアルはマスプロダクションを生むけど、

消費が目的の「商品」は「延命」が目的ではなくて「死」

それは衰退を目的とした生産といえるわけで・・・

でも、テンプレートは違う。

そこには、創造と創作と「延命」がある手作業があるのだ。

型が無ければ世界で一つのものを生むことは難しい。

世界で一つのものになるには、

なんども、なんども、型を作りなおして

試行錯誤をしながら、一番良い「形」を見つけ出していく。

そして、素材によって微妙なアジャストメントをしながら

あるべき「形」を創作していくわけで・・・それが工芸のすごいところ。

ジャズだってそう。

基本形が出来てないのにフリースタイルで音楽として収まらないわけで。

リズムが無いとカオスになる。

型がないとカオスになる。

基礎が同じでも出来上がってくるものは違うのが

マスプロダクションと違うところ。

往々にして製作者の意図は

「長持ちすること」そして

フォルムの美しさだったりする。

シンプルであればあるだけ

そこが問われるわけで。

捨てるために何かを作るなんて寂しすぎる。

手触りも、長く使えば使うだけなじんで

体の一部みたいになるのが良いじゃない?

ビンテージの美しさってある。

そして、良い素材に触れる豊かさって絶対あるって思う。

私たちは毎日何に触れて生きてるのか・・・

それは、「衰退」するものなのか

それとも「延命」するものなのか・・・

 

コメント

6月1日

2011-06-01 | 日記

ずっと気になってて、

ぶつぶつ一人で考えてて

リサーチをきちんとしないで私考をぶちまけるのは

あまり気持ちよいことではないのですが、

私の頭の中のプロセスのためにもちょっと書いておこうかなと・・・

 

ぶつぶつ考えていたことの一片は日本の政治。

あ、ずっとぶつぶつ考えてるけど。

いろんなところで最近記事として、

ジャーナリストや経済学とかやっている人が書いてるのを読みながら

いろいろ思うのだが・・・

私の疑問は「民主主義」ってちゃんと定着しているのかってこと。

これは、日本に限らずなんだけど。

「民主主義」と「資本主義」がいつもセットになって

ごちゃごちゃになってる気がするんだよね。

こないだ、久しぶりに「竜馬伝」の20と21話を見ながら、

「デモクラチー」って言葉に引っかかった。

そうです「民主主義」(って訳した人、凄いよね。一体誰なんだろ)

社会の授業でもやったとおり、「デモクラチー」にも形式がある。

まあ、それはおいといて・・・

西洋社会が「民主主義」にたどり着くまでの歴史と哲学の流れがあるのは

当然なんだけど、それは西洋社会外の世界では、そこがまず違う。

っていうところに、どぼん!とこの「制度」がやってくるわけ。

それは、日本だけじゃなくて、アフリカも、中近東も同じ。

で、そこの共通点は、元々「部族」で出来上がってる社会だって事。

つまり、個人主義の世界観から生まれ出ているわけではないってこと。

で、そこに何が起こりえるか・・・

「民主主義」というシステムにのっとった「集団主義」ではなかろうか・・・

つまり、西洋の「デモクラチー」の成り立ちが無いなら、

「デモクラチー」が「民主主義」として健全に稼動するには

それなりの時間と文化のシフトが必要だってことで、

それは、「形式」ではどうにもならないものではないかって事。

つまり、それが「受肉」するには途方も無いプロセスがあるってこと。

で、幕末からあっちゅう間に「軍国主義」に流れた日本の歴史の中で

その「受肉」が行われたか・・・っちゅうところが疑問なわけ。

で、戦後は「資本主義」の流れに身を委ねるわけでしょ?

経済成長は「集団主義」があったからこそ可能だったと思われるわけで。

「集団主義」の文化の中で「民主主義」はどうありえるのか。

それは「境界線」っていう心理学的問いに答えることから始まるのでは?と。

つまり、それは、西洋の「デモクラチー」の成り立ちとは違う成り立ちが

必要だってこと。

今、西洋が悩んでることは日本みたいな国では

お茶の子さいさいの問題だったりするわけで。

本来、幕末の「竜馬」たちが思っていた

「デモクラチー」の発想は、新渡戸や賀川も持ってて、

実際それを生き抜いたわけで。

不可能じゃない。で、その結果、そのシステムは稼動してるんだよね

現代も。

問題は、それを真剣に考えることをよしとできるのか、

そこに生きてみるってことに真剣になれるのか。

ローカル=グローバルっていう

彼らの思いは世界でこだましているわけでね。

誠実とは「言が成って実をつける」と書くわけ。

それだけ、時間も責任もあるってことだよね。

 

コメント