今年の6月はお客さんが多い月です。
ちょっと気分は女将。
昨日、リージェントの公開講座の中で、in か for か・・・という話があったんですね。
私は「ために」と言われるとちょっと違和感を感じる方なので、
これはちょっとツボで(笑)
in Christ なのか for Christ なのか・・・
このforが中心に据えられると、この世のauthenticity の罠にはまっていくけど、
inが中心に据えられると、聖書のいうauthenticityが可能になる・・・
これは「恩」の世界も同じじゃないかと思ったんです。
「恩」ってforの世界でできているわけですよね。
だから、当然、そこに「見返り」という他者の存在が据えられる。
そもそも、私たちのあり方はfor Christ なのか in Christなのか・・・
西洋も「ありのままの自分」に対する執着心というか、
「ありのままブーム」というか・・・
ここまでくるとアディクションといっても過言じゃないと言われています。
そうじゃないと、あれだけFrozenのあの歌が流行らないわけです。
去年、ずーっとなんでこの曲が売れるのかが私の中で謎だったんですけど、
昨日のレクチャーを聞いてて納得!でしたね(笑)
問題は、そもそも、「ありのままの自分」の定義が流動的すぎて、
誰も、それをわかってない・・・
for Christの中に潜む罠はそれだと。
つまり、相手にどう自分を捉えてもらえるか・・・
それは「自分が自分かくあるべきと思う自己」と一致しているのかが
非常に大きな問題になってくると。
フーストン博士がずーっと声高に話している
ナルシシズムの話と一致してくるわけです。
そもそも「ありのまま」という言葉の定義づけが曖昧だから、
自己主張するしかなくなる。
これが「恩」の世界とつながる時、
一体どういう化学反応を起こすのか・・・
その一つはバウンダリーの問題じゃないのかなと思うんですね。
そして「暴力(agression)」の問題。
ああ、そうつながっちゃうわけね・・・と妙に考え中の私でした。
続く。