13th Avenue日記

一歩ずつ、一歩ずつ・・・・

定義

2012-05-31 | 日記

神様は善しだ。

問題は私たちがそれがわからないことが多いってこと。

私たちに必要なこと・・・

それは善しが何かを知るということ・・・

それは神様と出会い続けること。

ゆえに、喜びと恵みの中で生きざるを得なくなる。

 

ipadの画面のドックに下げてという業を

本日身に着けました。

日々、学習!

 

 


5月31日

2012-05-31 | 日記

わお!!5月が終わる・・・

なんか5月はゆっくりだよ~とかいってたのに、ぜんぜんだった(苦笑)

まあ、月末はイベントが多いからさらにそう思うんだけど(笑)

毎月のリズムをもうちょっと変えたいと思うんだなぁ・・・そうしないと

いつも嵐みたいになっちゃうし・・・

ipadを買って、仕事は楽になったかというと、まだ実感はない。

けど、少なくとも、スムーズになったことはいっぱいあって、

そういう意味でのストレスは減ったけど、

別の課題が山ほど出てくるから、結局はメビウスって感じ(笑)

買ったときには店員さんに

「コンピューター要らなくなりますよ」的なことを

ずいぶんいわれたんだけど、

それはまだまったく実感がない。

ドックに下げて、引き出しながら作業をするのが

一番効率よい私的には、

まだそういう意味でのipadのよさが見えてない。

まあ、まだ付き合いだしたところだから、

お互い探り合ってる部分が大きいと思うけど(笑)

外付けキーボードをつけると変わるかなと思ったりもしたけど、

そこじゃない気がする・・・いや、あったら確かに便利だけどね。

 

一生宿題が山積なのかしら・・・と思いつつ、

それも恵みかも・・・と思いつつ・・・

 

私の毎日はそんな葛藤が多いわけ。

 

来週はお世話になっているハンコック博士の授業を手伝うし

学友の映画製作の手伝いもある。あ、私、女優もするの(笑)

そして、女優に選ばれた理由は、歩きながら編み物ができるから(笑)

いっぱい手仕事の宿題もあるし・・・

あ、あえて、楽しい宿題を書いてみてる私・・・

毎日の生活の中の宿題は

呼吸困難になりそうなものばかりとは限らないから~。

 

1ヨハネ1:7


キセキ

2012-05-29 | 日記

あなたが存在して

私が存在して

その「存在」に出会えること・・・

それは神様のキセキじゃないか?

あなたが存在していること

あなたと同じ時間をすごすこと・・・

それは神様のキセキじゃないか?

山が動くほどの

キセキじゃないか??


5月29日

2012-05-29 | 日記

必要とされる人って、なんでしょうね。

誰かに必要とされるって成りたくてなれるものなのか…

私は、これってObjectiveなものだと思う。

それが、そう在りたいという動機で起き得るものは

ちょっとアブナイんじゃないかと思うんですね。

よく、「必要とされる自分が好き」っていう理由で

人生を歩こうとするけど

個人的にはそれは結構落とし穴にかもと思う。

何故なら、その考え方は、

他人を善意をもって物質化し、

利用することを無意識にすることを可能にするから。

人が関わることにそういう人が入る

と大きな損害が出るケースは多いと思うし。

自分が関わっているプロジェクトに誘ったり

何かそういうプロジェクトを紹介したいひとは

私自身が信用できて、推薦出来ないと無理なわけで…

どんなに外見取り繕っても

中身が軽薄なのは他人の目には丸見えだったりするのに

本人は気づかない場合が多かったりね。

近視眼的行動が多ければ

何かを任せられないし

自分のやりたいこと一番なら

あてにはできないし。

当てにできなっていうのは必要とされない一つの理由かもしれないしね。

一般人に当てにされないのに

企業で当てにされるんだとしたら、

そういう人を雇うその企業が信用できんわ、とか思うし、

それは政治も然りじゃないのかねぇ・・・

毎日の生活のなかで「信用できる」って思う存在は

「誠実である」ってうのを差し引くことは出来ないと思うんだな。

ってか、普通、本当に必要とされる人は

そう在りたいと本人は思ってないと思う。

そんな自分に対する利益より

他人の利益を思う気持ちで一杯だと思うし。

だから、何かをお願いできるわけで。

「計算高い」っていうのも本当の意味での

「必要」と相反するものだしねぇ・・・

薄っぺらい利益の世界で話すなら簡単だけど。

 


ゲットすることに一生懸命から卒業することから始めないと

本質にはたどり着けないと思う。

そして、相手を自分の思ったとおりに動かそうと

作為的に存在することから卒業しないとね。

 

答えはシャロームだとやっぱり思う。

箴言21:2


5月28日

2012-05-29 | 日記

アナログでお買い物嫌いな私的には

かなり画期的で度胸のあることをしてしまった・・・

それは・・・

ipadを買う。

なんでかっていうと、

一つ目は目がいただけないから。

もう一つは仕事を効率よくしたかったから。

さらにもう一つは研究を終わらせたいから。

 

この最後の理由の理由は

実はOMFのことが持ち上がって以来、

研究が一番だった私の生活がガラリと変わってしまった・・・

ゆえに、移動が多くなった・・・

すなわち、巨大ラップトップを持って歩く体力が無い

プラス、ラップトップのバッテリーが死んでいるので

もって歩いても、コンセントを探すという作業をいちいちしないといけない・・・

ゆえに、かけない・・・という

大変な悪循環が起きていたのでした・・・

何せ一つ目の研究は9月までに結論のドラフトをあげないといけない・・・

 

これ、かなり大変な理由だったんですよ・・・

1月の講義のプロポーザルも書かないといけないのに、

それもぜんぜん出来ない・・・

 

自分の生活の中に時間のロスが多すぎて

寝不足を生み出すという問題を解決するためには、

とにかく移動が楽で

どこでもドキュメントが作れるものがないといけない・・・

プラス、目のために見づらい部分だけ字が大きくなったり、

バックグラウンドを黒に出来るという機能はかなり大きかった・・・

 

そんなんで、いまだにめまいを感じつつ、

ほぼ半年悩んで買いました。

 

きっと必要は満たされると信じて!


5月25日

2012-05-26 | 日記

今日はなんだか一日爆走!って感じだったけど、

最近、iphoneにYou Versionっていうアプリを入れたんです。

聖書を入れようと思ってて、

これが良い感じだったから・・・

で、使い出して3日目、マジ入れてよかった・・・

私、暗唱聖句が苦手なんですね。

でも、このアプリ、「今日の後言葉」が

ぽーんと出るんです。

アプリを開くと必ず出る。

すると、これが結構よくて、

今日一日の聖句としてずいぶん私と神様の会話を

スムーズにしていると思う・・・

Lectio Divinaです。

すばらしい!!

この一日一つの聖句を思い巡らすって

ほんと、自分の全体が耳になってる感じで

私はすごく好き。

「聴く」っていうのは私の一つの人生のテーマだからかな。

だって、聴かないと聞けないもんね。

 


5月24日

2012-05-24 | 日記

昨日のレクチャーからまだ考えていること。

non-order とdis-order

昨日一緒に行った学生ともこの違いって難しいよねと帰りのバスで語るの巻き・・・

non-orderは倫理が無い状態。

つまり、善悪の知識が無い=悪意も善意も無い

ただ、カオスの世界がニュートラルに存在しているってこと・・・

例は地震とかニュートラルな自然災害

・・・この自然災害っていうカテゴリーも実は難しいんだよね、実際は。

どこをとってニュートラルな自然災害と呼ぶか・・・これは私の専門外だけど、

でも、何もかも自然災害とは呼べないのは確か。

川の氾濫とかが、開発によって起きるとか、

人間が木を自分の必要のために刈り取ったために地盤が崩れるとか

それはdis-orderの域に入る・・・

つまり、このnon-orderというカテゴリーに入るものって

かなり限られてることになる。

地球温暖化は確実にdis-orderでnon-orderではない。

けど、たとえば、津波はnon-orderになる。

 

で、dis-orderとは倫理のある世界

善悪の知識が在る中で無意識でも結果悪になることをすること。

良かれと思ってしても結果善しにならないならそれはdis-orderの結果になりえる

ってことになる。

自分にとっては良いことでも、相手にとっては良くないことなんって山ほどあるしね。

つまり、自己の作り出した倫理で動くと、利益、不利益が生まれるから

dis-orderということになる。

別にそれはぐちゃぐちゃっていう意味合いでもないことなるんだよね。

 

じゃあ、orderとは何か・・・

それは役割があって、機能している世界。

で、それは善によって機能していることになる・・・そうじゃないとdis-orderになってしまうから。

俗に言う「裁き(justice)」と倫理は微妙に違うと思うんだな・・・

倫理と平和はイコールではないと一緒で。

倫理っていう世界観でいくら平和とかを語っても

実際どこにもたどり着かないんだよね・・・

 

善によって機能する世界、つまり、創世記1、2章の世界観は

orderの世界を示す・・・インストールされたってことがキーになるわけ。

で、3章になると人間がdis-orderをもたらすために

イジェクトしてしまうということなら、

インストールすることによって、orderinessを知り、回復することが

可能になるわけで・・・それは人間になるってことじゃないか?

 

やはり、「何をするか」「どうするか」は

「どう在るか」が基盤になってるとしか思えない。

つまり、orderinessがないとdis-orderで機能してしまうから、

結局、どんずまるというか、どこにもたどり着けないわけで・・・

でも、インストールするってことは

明らかにコミットメントが必要になってくるし、シフトが必要になる。

社会がシフトするにはどうしたら良いのか・・・この答えは

「自分がorderinessなあり方にシフトすること」なんじゃないのかと

私は本気で思うんだ。

 

だから、私は「あなたは誰ですか?今どこに立っていますか?」という

ことに耳を傾けることを続けようかなと思うのだなぁ・・・

 

 


minister

2012-05-23 | 日記

今日、カウンセラー友と近況報告をしてて、

私の仕事の一つはまさにコンサルタント業だよねと笑ってた。

たしかに・・・

そういえば最近、社長さんからいろいろ相談されて、今後の会社のこととかね・・・

私は経営のプロじゃないってか、素人ですよ・・・

そういえば、よく研究者から仕事環境についての相談を受けるっけねとか・・・

でも、みなさんが「そ~っか~~~」とか

「なるほど~~~!」って言うことは

ふつ~にロジカルに考えるとふつ~に出る答えだったりするわけで・・・

「新しいアイディア」って言われることの多くは

私にとってはぜんぜん新しくないし、とっぴでもないんだけどねぇ・・・

そんなわけで、私は北米、アジア、ヨーロッパ、オセアニアからそんな仕事もやってきます

ミニスターとして(苦笑)なんじゃらほい!!!

 

ミニスターの仕事って、いろいろあるけど、

基本は「聞く」だと思う。

「聞く」にもいろいろな質があるわけで、

「あなたが誰か聞く」っていう意味の「聞く」

本質を聞く。

難しいんだよね、これが。

でも、それができたら、「どうする」の「する」の部分は

当たり前に見えてくる。

どんなポテンシャルがあるのかはす~っと見えてくるものじゃないかなと思う。

 

でも、それはスキルが可能にするものじゃないと思うんだな。

どのくらいしっかり神様につながってるか。

木として水辺のほとりに植わっているのか・・・それが最大のキーだと思う。

そしてバウンダリーがしっかりしているか。

まあ、それも、アイデンティティの問題だし、

自分が誰かの質問に直結してくることだしね。

 

クリスチャンはみんな大使として送られている。

それはそういう意味があるんじゃないかと思うのだった・・・

 

日々成熟でありたいですわ。

 


5月23日

2012-05-23 | 日記

昨日のJBSでみんなで考えたこと・・・

人をモノ化することは愛と反する行為だってこと。

つまり、自分の利益のために相手を利用する行為は

相手をモノ化する行為である・・・

自分が何かゲットできる人だからという理由で

仲良くするとかね。

べんりな人扱いをするのは

愛がない証拠かなとおもう。

 

愛は岩さえも土にかえると思う。

愛はあきらめない。

 

そんな愛を知ってるかどうかは

流れの中でしっかり存在する石になるには必要不可欠だと思う。

なぜなら、人はこの「愛」なしでは、「利益主義」から脱することはできないから。

自分の中に確実にある利己主義、利益主義を知って

それをよい土にするには、「愛」の存在がなければ

「よい土」にはなりえない。

 

イエス様は「愛」という存在で

その「愛」は岩を粉砕して良い土地にして

そこに「木」として存在することを可能にしてくれる。

なぜかなら「神は愛」だから。

 

「神業」とか「神がかり」って本当だと思う。

私は毎日「神業」の奇跡の中で生きている。

それを知ってすごいって毎日感動することは

「良い土地」になり続けるキーかもしれないよね。

そしてそれは同時に水辺のほとりに立つ木であり続けることと

共通しているんじゃないか?

 

「在る」という世界観を持つことは大事なことだと思うんだよね。

 

そしてそれはどこに「在る」のかによって、

結果がものすごく変わる。

どうせなら、どうせ木なら

花が咲いて実がなってと思わない?

 

詩篇1


5月8日

2012-05-08 | 日記

40代も後半に入り、兜の緒を引き締める気持ちの私。

この夏は執筆活動もしっかりやらないと後でなくことになりそうだし・・・

さて、今日のお題(?)は「気分」

日曜の礼拝で結構このことを考えさせられたんだよね・・・

 

theraputic ageとかage of feelingと呼ばれて長い昨今ですが、

これ、日本も含めた「西側」ではずいぶん根付いちゃってる感じは否めない。

でも以前から書いているとおり、すでにジョージ・マクドナルドは

彼の「軽いお姫様」でそのことを書いている・・・凄いなぁ・・・

「気分」でなんでも決断するっていうか、

自分のあり方、方向性、どこにいてどうするのかを

「気分」で決めるっていう妙な哲学ってなんだろう・・・といつも不思議に思う。

私が人事なら絶対取らないタイプかも・・・って思う・・・

だって、いちいち「気分」で動かれたら会社は困る・・・

ってか、すでに、「気分」が土台で動いている社会は停滞しているんじゃないのかね?と・・・

つまり、貧困問題とかいろいろいっているけど、

でも、自分は「気分」で動くなら、

その問題、自分も引き起こしている原因作ってない???って思うわけ。

 

「変化」は「気分」で動かないことから始まるのかも・・・とか。

それはライフスタイルのシフトだからねぇ・・・

「好き」「嫌い」を土台に決断をしないとかさ。

この「好き」「嫌い」も「気分」の一環だし・・・

 

「自由」は「気まま」とはイコールじゃない。

だから「自由気まま」っていう言葉があるわけで。

この言葉、「自由」ということばの質感を

「気まま」という言葉で表現しているわけで、

実際、これを真剣にやると、the Avengerのソーの弟が言ってた

「自分で自分を自由にしようとすることによって

人間は自由という名の奴隷になり、自由を得ることができなくなる」という

論理に思いっきりはまっちゃうわけで・・・

つまり、浮遊している状態というのは一番不自由で

実は浮遊の奴隷になっている状態であるといえるということになる。

「浮遊」しているのに「自由」だと主張されると

凄く「自由」がかわいそうになる・・・

 

「気分」が自分を支配しているなら、

それはすでに自分は「気分」の奴隷になっているわけで、

そこから、何か発展性のあるものは生まれないと思うわけ。

だって、常に思いっきりシフトして思いっきり不安定なものを

土台にして自分の毎日を、つまり人生を築いているんだから。

 

ろうそくをふらふら動くものの上に乗せると

あっという間に火が消えてしまうじゃない?

それじゃあ、輝けないんじゃないのかなぁ・・・

 

この写真の椿は揺るがない木につながっているから

自由に咲くことができた。

そこじゃないのかなぁ・・・

そして、その木はしっかり地面に根付いている。

だから、その木らしく成長する自由を得てるんだと思うんだけど・・・

 

社会がどうのこうのという話をするときは、

じゃあ、その社会を作っている自分はどうあるかを

考えざるを得ないんじゃないかなと思うわけ。

それは自分に対しても同じ思いなんだよね。

 

適当とか良い加減というのは本来

「ちょうど良い」をしっているという意味で

どうでも良いとか軽薄という意味ではないわけでね・・・

 

じっかりと地面に足をつけて歩くから

美しさを味わうことができるんじゃないか?

そんなことを思うわけです・・・

 

ピリピ2:16


5月5日

2012-05-05 | 日記

後数日で誕生日だし、ちょっと疲労がひどいし・・・ということで

友達とフンパツして3DのThe Avengerを観にいきました。

いやいや、予想通りすかっとする映画だったんですが、

こここでも非常にわかりやすかったのは、善と悪。

そして、この「悪」として参上するマイテイー・ソーの弟の論理は

ま・さ・にprincipality and power!!超わかりやすい!!

でも、ここでキーなのは、このprinicipality and powerの問題の根源です。

この弟、ソーに対するジェラシーでいっぱい!

とにかく勝ちたい、俺が王様になりたい!!の一身で

地球にやってきちゃう。

そして、その表現の仕方もかなりわかりやすくて、

人の恐怖心を駆り立てるパフォーマンスをして、

自分にひざまずかせる・・・実にわかりやすい・・・

 

でも、彼の言っていることにはかなり一理あるんですよね。

「人間は自由という名の奴隷になっている。

自分で自由になろうとすればするだけ人はその奴隷になっていく。

だから、心の奥底で誰かに支配してほしいと思っている。」

かなり的を当ててると思うわけ。

そのスピーチの途中でおっちゃんが

「でも、お前のような支配者にはひざまずかない!」って立ち上がる~!

おっちゃん、かっちょえ~~!

(そこから何が起きたかはあえて言いませんが~・・・観てね)

 

そこなんですよね。誰に従うか。

そのしたがった相手はどういう存在なのか。

ジェラシーと自己顕示力の塊の支配者に従ったって

絶対本質的な自由はないさ~。

大体、力のパフォーマンスで相手をひざまずかせるっていう

シチュエーション自体が自由じゃない(笑)

まあ、彼の定義は「人間は本来自由をほしがっていない」だから

それはそれで理にかなってるんだけど。

ってか、彼が提示しているライフスタイルは

「流れに沿う」つまり

「いわれたとおりにする」

よくある「みんなで渡れば怖くない」

もしくは「みんなと同じ格好をしてないと浮く」

そして、「とにかく同調しないとたたかれる」

あら・・・どこかで聞いたことありません?

だから、「出る杭は打たれる」という日本人には超わかりやすい状況が

展開するわけですよ。

でもね、最後はやっぱり自己犠牲には勝てないんだな・・・

 

自分で自分を自由にできなくて

「自由」という言葉の奴隷になって、

がんじがらめになっている人間が、

人が心の奥底で支配されたいと思っているのは

本物の愛と自由をあたえることができる王じゃないでしょうか?

 

この映画のもうひとつよかったところは

ヒーローが集まるからこそ起こる葛藤かな。

つまり、ヒーローは人間であるわけで完璧じゃないってこと。

つまり、本来の「力」を持っている存在のあり方を考えるわけ。

そして、「力」を持っている人の葛藤もあるわけで(ハルクとか・・・)

「俺様」的なヒロイズムから「俺達」になっていくまでの

経緯がわかりやすく、でも、真摯に書かれてるかなって思う。

そして、ヒーローは普通の人として日常に戻っていくっていうのが

また良いんだよね。

 

原発が今全部とまって、これから、日本が問われているのは

本気でライフスタイル(価値観)をシフトできるかじゃないのかなって思う。

ここから、「新しい」ライフスタイル、価値観を発信できたらと思うし、

そういう人が一人でも多く日本に帰っていってほしいとさらに強く思う、

バースデイイブの私でした。


5月2日

2012-05-02 | 日記

5月になりましたね~!

5月は1年を振り返る月のひとつです。

まあ、事務仕事が溜まってて、振り返らずを得ないんですけど(苦笑)

 

最近、「how to(ハウツー)」を聞かれるんです。

ハウツーってなんやねん?とそのたび思う・・・

そんなもんあるわけないじゃん・・・とも思う。

例えば、同じ事務仕事だって、やり方がわかってそれをどうやったら

自分は性格に早くできるかは他の人のやり方と同じとは限らない。

参考にはなっても、それが「答え」かどうかは分からない・・・

 

ハウツーの意味は「数」じゃないですかね?

人は確かに数えることができる。

でも、その数えた人は違う存在じゃないか・・・と。

だから、同じ方法でどうやって同じ深さの付き合いができると思うわけ?

ってか、方法論で友達になれるわけでもない。

方法論が誰かを救うわけでもない。

救うのは神様だから。

そして、人をそれぞれ別々の存在として造られた神様が

なんでどうして、「救い」ということを

一把一からげの「方法論」で救わないといけないのか?

それって、神様の創造に対してけんかを吹っかけてているようなもんじゃないの?

 

神様は丁寧だと思う。

神様は丁寧に私達を造られて、

丁寧に導いておられる。

じゃあ、私がその作品を丁寧にするのは当然のコトじゃないか?

 

私は本当にそう思う・・・・

だから、ハウツーはない!

でも、基本姿勢はある。

それは、神様の作品を神様の作品としてみること。

そして、その作品に働かれている創造主の指の動きを邪魔しないこと。

同時に、その指が私を招くとき、その招かれたように

その指にそって触れること。

 

教えるんじゃなくて

一緒に考えるじゃないのかなぁ・・・って思うし。

 

互いに愛し合うってそういうことなんじゃないかなって思うんだけどね。