13th Avenue日記

一歩ずつ、一歩ずつ・・・・

4月27日

2013-04-27 | 日記

「もし出来る事になったら手伝う」って約束してた

マーケットへの出店。

いろ~んな事があっても結局

道が開かれて、ここに来て5ヶ月で

目標の一つをやり遂げたワーホリの子。

約束通り一緒にお菓子を売りました。

すごい良い顔していました。

こうやってここにきて目標を達成していく姿は

いつも感動します。

又一つ、彼女の中に神様との思い出が増えたんじゃないかな。

みんなで一杯祈って、待って、祈って開かれた道だもんね。

なんだか、みんなも嬉しい。

そんな姿がまた嬉しい。

嬉しいの相乗効果っていうか・・・(笑)

 

 

そしてこのお手伝いを通して

いろ~んな人と出会いました。

こちらに来てまだ1、2週間の日本人の方々が

友達の友達繋がりで来たり、

そのエージェントの方が来たり(笑)

なんだか、これから又

新しい事がおきそうな予感!!

 

 

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4月26日

2013-04-26 | 日記

ただいまバンクーバーは八重桜が満開!

枝が重そうなくらい咲いています。

前回も書きましたが、

今、色々な事に追われています・・・はい。

そんなときでも神様は

「おおお~~~!」な事を毎日見せてくださる

優しい方だとほんと思います。

今日、ばったりバスで一緒になった学生。

私達が仲良くなりたいなぁと願って祈ってきた学生です。

な~んと、本人の口からJBSに行きたいとか

教会にも来たいとかという話が・・・

もうびっくり!

え?そうだったの??みたいな。

益々この意外な展開が楽しみになってきました。

 

そして、方や日本では、

いつも通り東京でのイベントに

東京圏に住んでいる帰国者をインバイト。

そしたら、その一人が「行きたいんですけど・・・」

いやいや、是非行ってください!

結局その子は行って、なんだかとっても楽しかったらしく。

又、行ってくれるといいなぁ・・・

 

交換留学生はどしどし帰国しているのですが、

既に帰った子の一人が早速、英語のバイスタにいったんだそうです!

紹介した子とみーんな繋がったのも感謝だったけど、

ここから、良い仲間になっていってもらえたらなぁと願う。

 

神様の手は短くないって

本気で思う。

神様の愛も優しさも

深く広い・・・

なんだか、放蕩息子を待ってたお父さんの事を思い出した。

ず~っと待って

姿が見えたら走り寄る・・・

なんだかそんな感じがした。

それって愛じゃないかって。

それって大事にするってことじゃないかって。

 

最近、「ちょっと左寄り」の方々との出会いが多いんです。

それもこちらに来たての。

これから一杯ハッピーを共有できたら良いなって思う。

 

毎日はワクワクで出来てるね。

 

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4月24日

2013-04-24 | 日記

おお、毎日更新!

「追いかけられるのと

追いかけるのとどっちが良い?」

ん~~~・・・どっちもあまり好きじゃないかも・・・

ってふと思った。

どっちもあまり良くない気がした。

とはいえ、事務仕事とか学問に関しては

追いかけられているっていうのは

あまり得策じゃないのは確か。

・・・あ、今、追いかけられている感非常に強いんで。

 

そして、最近ぽかが多い。

なんか、詰めが甘いっていうか・・・

それも私の不得意科目なんだけど、

だからと言ってそれで済む訳じゃないし。

 

丁寧になんだよね、丁寧に。

そして、慎重に。

落ち着いて、丁寧に。

 

最近、そんな言葉を自分に言い聞かせることが多い。

それでも、ぽかしてるんだから困る。

 

自分ダメだなぁ・・・って凹むことも

本当に多い。

そんなとき、ふと思う事。

それでも神様は私を愛してくれている。

 

頑張ろう。

 

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4月23日

2013-04-23 | 日記

ニュースレターに書いた通り、

状況が複雑なんですが、

それでも、一週間に一日は

休日を死守しています。

頭も休めないと本当にいつか

ぷつんって音がしたら困るし。

そんな中、今日はちょっと前に

撮影を手伝った映画の上映会がありました。

リージェントのIPATと呼ばれている

アートで卒業する人の卒論の一環です。

彼女が考えていたのはジュビリー。

そこから出来上がった映画だったわけです。

ジュビリーって痛みを伴うし、コミットメントが必要な事。

その中で自由が生み出されていく。

私の休日もある意味そうなのかもしれないなと

ふと思った・・・

 

映画の中の自分を見るのも

なかなか面白い体験でした。

写真とかビデオと又違うんですよね。

役者として表現したものを

客観的に見てる訳ですから。

出演してよかったですよ、ほんと。

なんかこれが職業だと思われてた方も居たみたいで

本業を言うとかなり驚かれました(笑)

内容は「redemption (回復)」なんですが、

たった10分なのにしっかりその線が引かれてて、

ぶれなかった分、見てて「なるほど~」ってなるんですよね。

今考えてみたら、出演者の中でアジア人は私だけだった(笑)

アジア人が作った映画なのに・・・今思えば意外。

糸が紡ぎだされる事とそれが編まれて行く事。

それはどういう事なんだろうと

帰ってきてからふと思ったりしています。

撮影中はそれどころじゃなかったけど。

なんか一杯ほめてもらって感謝だった・・・

映画の主人公に最初から最後までずーっと寄り添う役だったんだけど、

その中で主人公が自分の価値を取り戻すプロセスがあるんですが、

ふと、この映画に出る事で、私自身が「自分に自信を持つ」って

事の意味を少し理解できたかなと思います。

 

それにしても、今日、本屋で

すごい勢いで本を買ってしまうところだった・・・

危ない・・・

でも、どの本も結局いつかは買ってしまうと思う・・・

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4月21日

2013-04-21 | 日記

今日はずっと関わってきた学生の洗礼式に行ったのですが、

とにかく感動しました。

メッセージは1コリント3:5−9で

それにも恵まれました・・・

アーメンなんですよね。ほんと。

どんなに人と関わっても

その人を受け入れてくれる教会が無ければ

どうにもこうにも・・・

そして洗礼を受けた学生と教会の関係を見ていて

又感動・・・

なんだか、嫁に出した気分っていうか・・・

そして、今日、教会にいて、

共に神様を賛美、礼拝するってこういう事じゃないかって

ふと思ったんですよね。

ああ、良かった・・・本当に良かった・・・神様ありがとう・・・しか

言葉が出てこないっていうか。

なんだか走馬灯の様に、学生と出会った日、

彼が初めて教会に行ったプロセス、

それから、キャンプに行った事、

そして、アルバナに行った事、

そしてJBSを始めた事・・・

いろ~んな小さな事も大きな事も

色々思い出しては

本当に神様の手がそこにあった事を

深く思わされました。

彼の顔がどんどん輝いていく

そのプロセスを見せていただいた事

本当に感謝でした。

ここから又新しい一歩です。

その大きな一歩の瞬間に多くの兄弟姉妹と共に立ち会えた事

本当に感謝します。

そして、私はこのようなすばらしい人々と共に

主の栄光を永遠に見続けることが出来る事を

本当に感動をもって感謝しています。

ああ、生きててよかった・・・って今日の礼拝や

その後の交わりで思った。

なんて恵みなんだろうって思った。

神様を共に発見することの喜びを

このミニストリーを通して私は毎日毎日

深く深く味わわせていただいています。

神様は本当にすごい。

本当に本当にすごいです。

永遠の中に兄弟姉妹と共にいるという

その恵みのすばらしさを

つくづく思います。

家族って良い・・・

これから永遠によろしく!って言えるのはすごい。

 

私の生活の一瞬一瞬は感動で出来ている気がする。

なんて恵みなんんだろう・・・

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4月16日

2013-04-16 | 日記

久々のオフと思ったら、

喉が痛い・・・ああ、風邪だぁ・・・と残念な気持ちいっぱいです。

これ以上悪くならないように全力で治さないと・・・

何せ風邪を引いている余裕はどこにもなくて・・・

 

5月の出張で話すトピックと6月のカンファレンスの準備、

そして10月のカンファレンスのトピックなどなどを

並べて考えている中で、

どこまで行っても、私の中心トピックは「きく(listen)」なんだなって思う。

まあ、それでリージェントに来た訳で・・・

で、どんなミニストリーも

いや、どんな関係もこの

「きく(listen)」っていうのをどうやっているのかで

たどり着く方向が変わると思うんですよね。

社会問題も然り。

ちゃんと聞けない、対話ができないなら

そういう実しか成りようがないと思うんですよね。

数字によって成功したかしないかを判断する考え方の人が

何かを聞くならそういう聞き方になるし

当然そういう答え方になる。

前からしつこくここでも書いていますが、

やっぱり私はマスプロダクションはダメなんじゃないかって思うわけです。

数が多いからすごいっていうのは

ある意味、資本主義的発想で

そこが「すごい」か「すごくない」かの線引きなら

そこに成る実はどんな実なのかな・・・と。

イエス様はそういうアプローチだったんだろうか・・・

だったら、大工の息子として生まれるんだろうか・・・

オンリーワンって言いながら

マスプロダクションを追いかけられないと思うんですよね。

オンリーワンには時間がかかる。

それは多分そういう経験のない人には

なかなか難しい発想なのかもしれないけど。

「忍耐が寛容を生み出す」って本当だと思うんですよね。

プログラムが悪いわけじゃない。

でも、それを使う人が「聞く」訓練をされているのかが問題かなと。

イエス様は数で競ったのかとかね。

偉くなりたい人は人に使えなさいってそういうことなのかなぁと。

プロセスが大事じゃないなら、

イエス様が地上に来る必要があったのかなぁ・・・と思う。

プロセスが大事じゃないならなんで聖書があるのか。

1+1=2の世界観じゃないんじゃないかって思う。

 

成長って言葉は資本主義の中で異常に歪められてしまったと

最近つくづく思う。

もし、成長という言葉が資本主義的発想でしかもう考えられないほど

私たちは解釈力をなくしてしまい

聴覚が鈍ってしまっているなら

非常に使いづらい言葉になってしまったと思う。

成熟と成長は切っても切り離せなかったはず。

大人と成人は同義語だったはず。

いつか取り戻せるのかな・・・

 

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4月11日

2013-04-11 | 日記

久しぶりに毎日 ブログ更新とか狙ってたのに、

ラップトップが困ったことになって

その野望も中断されました。

結局、新しいラップトップを購入。

まあ、よくここまで持ったね・・・ってくらい酷使されてた訳で、

感謝は出ても、文句は出ません。

だって、$500で買ったラップトップですもん。

6年後には文句もブンブン言いたくなりますよね。

 

で、最近なぜか、色々片付けたいんですよね。

ラップトップケースも結局買わず、

家にあった布で作りました。

なんか、今もっている色々な資材を使ってしまいたいんです。

別の言い方をすれば、創作意欲がわいてるのかもしれませんが。

新しいラップトップも買ったし、

これで、アカデミック側のものも整理整頓して

片付けたいと願っています。

つまり、データ化を始めようということなんです。

時間はかかるけど、でも、

ちょうど勉強熱も出ているので、

ちょうど良いかなと・・・

実際片付けられるまでこの思いが続きますように・・・

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4月3日

2013-04-03 | 日記

なんだか、この、超追われている感はなんだろう・・・と思ったら、

ipadの外付けキーボードがないっていうことに発端があるようです・・・

新しいのを買ったのに

なかなか届かない・・・カナダポストめ!!!

 

いろいろ21章をやっていて、思わされることがあるのですが、

やっぱり今回は「信じる」ってことを中心に話そうかなと思ったりしています。

「信じる」事と「受肉」の関係の辺り。

デール博士の講義で

「真実(truth)とリアリティは現代人が求めているものだ」という

一言があったのですが、その部分ですよね。

3回目に復活した主に出会っても、確信がいまいちもてなかった弟子たち。

その辺りなのかなって思うんですよね。

同時にデール博士は人間がやること(ミニストリー)は

神様にとっては大事なことなんだってこと。

it mattersです。

そうじゃなかったら、3回もわざわざ現れないだろうし・・・

何度も何度も博士が言ってた事で

もうめっちゃ賛成なことは

「十字架の横は神様の恵み。これはすべての人間に届くほど広い。

十字架の縦は神の真実。これは天国から地獄まで届く」

この交わったところにイエス様はかかられたわけですよね。

ブリッジビルダーのあるべき姿を思わされるんですよね。

私たちは本来そういうあり方なんじゃないのかなと。

どっちかじゃない。

それは両方ないとだめなんだって事。

それはbeing と doingも然り。

存在のあり方によってその方法は変わるってことですよね。

同時に方法によってそのあり方が変えられる場合もある。

 

「私は漁に行く」って言ったペテロ。

もう自分はだめだって思ってたのかな・・・

 

最近、「こんな自分なのに」って言葉をよく聞くんです。

イエス様は「こんな自分」良いって言ってる。

そして「こんな自分」だから購ってくださった。

もし「こんな自分」だってことを知らなかったら、

永遠のきらきら輝く恵みも愛も自由も得ることすらできないわけで。

「こんな自分」は「こういう自分」に神様の手の中で

「成人」していけるってことじゃないか。

「こんな自分」を「高価で尊い」って言う作者がいる。

 

「今の日本社会には存在価値を求めるという病巣がある」という記事を

最近読みました。就職活動がうまくいかなくて自殺する人が

この5年間で3.3倍に増えたそうです。

今日、誰かが言ってました「なんだか尾崎豊の歌からずっと出られないみたいなんです」

ほぼ毎週「自分が何がしたいのかわからない」という相談を受けます。

そして自分のことを「自分馬鹿だから」って言葉もほんとうにしょっちゅう聴く。

なんなんだろう・・・

「自分馬鹿だから」って言われると

私、本当に辛くて哀しくなるんですよね・・・涙がこぼれそうになる。

こんなに大事な存在なのに、なんで自分で自分のことそんな風に言っちゃうんだろうなぁって。

 

この箇所は私のその想いに何を語ってくれるのでしょうか~!

つづく(笑)

 

 

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4月2日

2013-04-02 | 日記

何かをいいたい熱が出てるのか(笑)

一連のイースターの出来事で何か自分の中に

触れられたものがあったみたいです(笑)

 

ヨハネ21を見出したのですが、

いや~、ここ、いろんなことが繋がってくるんだなぁって

改めてびっくりやら、うふふやら。

そして、この、3回もイエス様が現れないといけなかった理由って

なんなんだろうなぁ・・・と思ったり。

だって、みんな最初の2回も居たわけで、

いなかったトマスがいまだにdoubting Thomasとか言われちゃっているけど、

じゃあ、この人たちはどうする?みたいな・・・

そして、とことん関係を大事にするんだな、イエス様って思ったり。

ペテロのこの唐突な「私は漁に行く」って発言も「はい?」って感じだけど、

結構よくしゃべってるはずのペテロがずーっとイエス様が復活してから

ここまでしゃべってない。

この前に彼が言った言葉はイエス様の弟子じゃないって否定した言葉。

で、墓を見に行ったときも何も言わない。

弟子たちに現れて「聖霊を受けなさい」って言われたときも何も言わない。

イエス様がトマスと一緒にいるときに現れたとときも何も言わない。

で、そのながーい沈黙の後言った言葉が

「私は漁に行く」

 

どんな気持ちで言ったのかなって思うんですよね。

絶対何が何でもついていきます!って張り切ってたのに、

思いっきりそれを否定して、裏切ってしまった・・・

イエス様がよみがえったときもなんだか複雑な気持ちだったのかな・・・

舟の上で岸から声をかけている人がイエス様だってわかったとたん、

彼が最初にしたことは、上着をまとって湖に飛び込むこと・・・なぜなら裸だったから。

ふと、エデンの園のアダムとエバを思い出すんですよね。

罪を犯して神様が来たのを知って、

裸だったから木の葉で覆いを作って隠れた・・・

隠したかった、隠れたかった、

裸の自分は見せられなかったほど

情けなかったのかな・・・

だって、イエス様が足を洗ってくださったときは

じゃあ、全部あらってくださいって言っちゃってたのに。

「私は漁に行く」って言った後のペテロはやっぱり無言なんですよね。

イエス様がいろいろ言っても何も言わない。

三回目に現れたイエス様にやっぱり何も言えないペテロ。

でも、今回はイエス様がそんなペテロに話しかけるわけですよね。

その言葉は「ヨハネの子シモン。あなたは、この人たち以上に、

私を愛しますか」

そしてその問いかけにペテロはやっとイエス様に答えるわけですよね。

「はい、主よ。私があなたを愛することは、あなたがご存知です。」

どんな気持ちだったんだろう・・・

 

自分の一番尊敬して、大切で、愛する人を裏切ってしまった。

それはそうじゃないからじゃなくて、ただ自分を守りたい自分に負けたから。

そんな体験って誰でも大なり小なりあるんじゃないかって思う。

相手は自分を許してくれるんだろうか・・・

そんな不安に駆られて、あんなに近しかった人のそばに寄れない気持ち。

ごめんなさいが言葉に出ないくらい心が責められる気持ち。

 

そんな状況を仲間はみんな知ってて、

それごと受け止めている感覚。

みんなも何が起きるのかわからないし。

大体、前回イエス様は「見ないと復活は信じない!」って言ったトマスに

ちょっとチャレンジとかされちゃったし・・・

じゃあ、こんな思いっきり裏切ったペテロに何を言うんだろうっていう

微妙な緊張感とかあったのかなぁ・・・

 

「子どもたちよ、食べるものがありませんね」

「はい。ありません。」という

簡単な導入の会話がとっても深く思えてきたんです。

食べるものがなかったら、生きていけないわけですよね。

命がなくなってしまう。

そして、そんな彼らにどうしたら「食べるもの」を得ることができるか

岸から教えるイエス様。

そしてそれに従うと、もう持ちきれないほどの「食べるもの(魚)」を

得ることができる・・・

 

もともとはプロの漁師だったペテロ。

もう、俺はだめだ、漁師にもどる・・・って思ったのか・・・

でも、そのプロの仕事でもうまくいかないわけですよね。

凹み度マックスだったんじゃないだろうか・・・

 

そんな時ってある気がする。

罪悪感にとらわれてすべてが空回りしていく

みたいな。

 

なんでイエス様は3回現れないといけなかったんだろう・・・

どうして、最初にペテロにイエス様は話しかけなかったんだろう・・・

また続けて明日も考えようと思います。

 

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4月1日

2013-04-01 | 日記

珍しく毎日投稿(笑)

「とうこう」って入力したら最初に出てきたのが「登校」だった・・・

毎日登校・・・そんな気分。

 

で、前から書こうと思ってた、デール・ブルーナ博士の講義の話・・・

今度の日曜に教会でしゃべるんですが、

イースターの次の日曜・・・ということで、ヨハネ21を思わされていたんですね。

昨日書いた続きっぽいんですが、「受肉」の大切さと

私たちの存在の意味って繋がってるんじゃないかと思うし。

で、デール・ブルーナのこの間の特別講義を思い出したんです。

この写真をみて、私のいたずら書きと思った方、ざんね~ん!

デール・ブルーナ直筆のヨハネの福音書のあらすじです(笑)

マジで楽しい講義でした・・・笑った~~!

で、ほんと、絵が上手い!!

JIがよく言う、

「神学を5歳の子供に説明できないなら神学者ではない」っていうの納得!

だって、ブルーナって、日曜学校の先生をしてるんですよ!!

すごくない?ここから育つ子供!!

 

で、彼の講義によりますと、この「受肉」っていうのを

神は真剣に大切に思っているってこと。

人の存在を神は大切に思っているんだってことなんですよね。

ヨハネの福音書はその部分を非常に大切にしているとの事。

確かに最初の最初からその部分を主張するわけです。

じゃあ、それはなぜなのか・・・

神のrelationality、「関係性」つまりは関係を大切にすることに

発端を帰している事にならないかと。

つまりは三位一体であることと「人は一人でいるのはよくない」と

そもそも人間は肉体を持って造られることと関係していくわけですよね。

デール・ブルーナはリアリティにヨハネはこだわってるんじゃないかって言うんです。

ふわふわ~とした空想とか妄想じゃなくて

現実なんだってこと。

頭の中の出来事ではなくて現実に起きた出来事なんだってことに

こだわってるんじゃないかと。

よくヨハネの福音書は詩的だって言われるけど、

実はリアリティにこだわってるって言うんです。

私、賛成!!

すごい!!って思ったことのひとつは

Human responsibility(人間の責任)ってところで

responsibility(責任)っていうのは

二つの部分で出来上がっていると。

responce(応答)+ability(能力)

このresponce(応答)は人間の力でできるもの

でも、ability(能力)は人間が作り出せないもので(すでに持っているものだから)

人間の力ではどうにもならないこと、つまりabilityは神の領域だと。

この二つが組み合わさって「責任」を持ち果たすことができると。

これをしっかり理解していないと

まるで自分の力ですべてができるような錯覚に陥るんじゃないかと。

そして、その「責任」とは・・・となってくる。

人間の責任と神の恵みのバランスが必要だというわけです。

私、賛成!!

 

ヨハネ21は非常に人間くさい。

「食べる」ために「漁をする」って話で。

ずーっとストーリー自体が「食事」というプロセスを通ってる。

何が発見できるのか、非常に楽しみな準備になりそうです。

 

 

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