そよかぜに乗せて 2005.1.21聞いてくれますか
私の話を
つまらない話で悪いのですが
やっぱり聞いてほしいことがあるのです
そばに来られると恥ずかしいので
そよ風に言葉を載せて届けます
弱音ばかりの言葉になるかもしれません
でも伝えたいのです
私もまた
こんなに小さくても
必死で生きてきたのだから
聞いてもらえたら
どんなにうれしいことか
孤独の運転手 2005.1.22車にどうぞお乗りください
後ろから順番に
十分乗れます
さあ最後の一人は助手席に
でもねそこには悪魔がいるからね
すわっちゃあいけないんだよ
もう何年もそこは空席さ
運転手はいつもだまって
言われた通りに車を走らせるだけ
知らない人
知らんぷり 知らんぷり
だれかがその助手席に乗らなければならない最悪の日
じゃんけんするんだ
負けた者が覚悟を決めてすわる
あとでどんなにこわかったか
だれかに話しているかも
運転手って本当にこわい人なの
みんなそう言ってるよ
何も話さない
いつも怒っている
孤独が好きな運転手さ
音楽祭 2005.1.23みんなと同じように 初めての体験でした
みんなと同じように すばらしい感動を味わうことができました
なんてすばらしい歌声
なんてすばらしい仲間たち
なんてすばらしい先生たち
ここには来られなかったけど、
ステージには立てなかったけど
87人という仲間がいて
お互いの心を 結びつきを 大切にしようとするからこそ
大きな一歩と感動が生まれる
今 ここにいる私は
なんて幸せなんだろう
■アステールプラザで小学校音楽祭がありました。観西は初めての参加です。音楽の先生中心に、学年の先生みんなで取り組んできました。とは言っても、何も力を出していないのは私だけ。かけ声だけ。何もしないのに、こんなすばらしい経験をさせてもらって、本当に感謝しています。
■合唱 アルプスの少女ハイジより「おしえて」 「今 はじまる」
■心に残った合唱曲 己斐上小学校「信じる」
谷川俊太郎 『信じる』
笑うときには おおぐちあけて
おこるときには 本気でおこる
自分にうそがつけない私
そんな私を 私は信じる
信じる事に 理由はいらない
地雷を踏んで 足をなくした
子どもの写真 目をそらさずに
黙って涙を流した あなた
そんなあなたを 私は信じる
信じることで よみがえるいのち
葉末の露が きらめく朝に
何をみつめる 小鹿のひとみ
すべてのものが 日々新しい
そんな世界を 私は信じる
信じることは 生きるみなもと
作詞 谷川俊太郎 作曲 松下 耕
(平成16年度NHK全国学校音楽コンクール中学校の部-課題曲)
お米1粒には7人の神様が 2005.1.23一粒のご飯粒が
気になって 気になって
今はたくさん食べる物があるから
そんなぜいたくでいいのかもしれないが
やっぱり 気になってね
魚は食べられるために生まれてきたわけじゃない
豚だって牛だって
どこかでだれかが
心をこめて野菜を作ってる
もしかしたら
自分が作ったものは
全然食べられなくて
その人は粗末なものしか食べられなくて
その人が作ったものが
ちょっとかじられただけで
捨てられているとしたら
そんなこと言ったって
食べることに苦労したことないと
わからないよね
でもね
食べ物を大事にできる心は
きっとすばらしいと思うよ
だから
たとえ食べきれなくて
捨てるときも
「悪いね」って思ってほしい
お米1粒の中の7人の神様が
見える心であってほしい
■若い頃はよく食べたよ。出されるものは全部たべなくてはいけないみたいな気持ちでね。何とかの大食い、って言われたよな。嫌いなものは「納豆」「なまこ」「げてもの」あとは何とか食べる。いやでも出されれば食べる。そうそう、最近いやなものがあるよ。それは「まいたけ」多分調理方法次第でおいしく食べられると思うんだけど、みそ汁に入っている生ぐさいまいたけはダメ。みそ汁自体が生臭くなって食べられたもんじゃない。肉ばかりでなく、魚を食べなきゃ。身がなくなるまでね。ちょこっとつついて捨ててしまうなんて、釣った人や、魚さえ食べられない人からみたら、本当に王様の贅沢だよ。もしかしたら、食べ物について考えるようになったのは年をとってからかもしれない。いやいや、アレルギー体質を直したくて、けっこういろんなものを食べたかな。豆乳を無理して続けて飲んだこともあるよ。まあ、できるだけ、食べ物は大事にしようよ。
わたしの夢 2005.1.24幼稚園に通っていた頃は
タクシーの運転手にあこがれていました
それはね 手を触れずにドアーを開けることができたから
小学校に入ったら
バスの運転手になりたくなりました
それはね あんなにでっかい車を
まるで自分の体の一部みたいに
ハンドル操作で動かせるから
小学校6年生のとき
竹刀を持った先生に出会いました
おしゃべりしていると頭をたたかれました
でもね 先が細く割ってあるから
音は大きくても 痛くないんだよ
中学2年生の担任の先生はね
新米の女の先生でね
子ども達にバカにされてね
いつも泣いてたんだ
わたしが一生懸命にレクをしようと
みんなに声をかけても
だれも耳を傾けない
何もしないままレクの時間は終わった
先生はね
「ごめんね」って言った
わたしは目立たなくて 小心者で
みんなを動かす力なんてひとつもなかったけど
そのときは一生懸命がんばって
そのことをわかってくれていたんだ
自分みたいな弱い子を救いたい
ちょっとだけ
そんなことを考えてみたんだ
ウルトラセブンにあこがれたこともあったなあ
自分に何ができるかなんて
そんなに幅があるわけもなく
・・・・
今は こうして
残せるものを探しているよ
■自分がやりたいことを強く深く思うことを見つけてほしい。「やりたい」という信念が何より大事だよ。何となくでは飽きてしまう。好きで打ち込めるものほど人生を明るく楽しくさせてくれるものはない。だから、今のうちにいろいろなことをかじっておいてほしい。少しでも経験しておくと、後でそれがきっかけになることもある。いろいろなものを見て、いろいろなことをやって、いろいろなところに行って、多くの経験をしてほしい。そう願っている。
優しいそよ風 2005.1.25優しい笑顔で
そーっと優しいそよ風を送ったら
自分のほほに優しいそよ風があたった
もっと優しくなって
もっともっとたくさんの人に
この優しいそよ風を送りたい
--そうしたら
--きっとわたしも優しくしてもらえる
あのときの優しいそよ風はどうやって創ったのだろう
考えてみたら どんどん考えても
優しいそよ風が創れなくなった
ああでもないこうでもない
どうしていいのかわからなくなった
自分がいい気持ちになりたいから
なんて思っていたら
優しいそよ風はどうやっても創れない
優しいそよ風は
優しいそよ風を起こした人だけに吹くのです
今のわたしには
優しいそよ風は創れない
■怒りを人にぶつければ、自分の心は暗く冷たく劣等感にさいなまれる。人に優しくしようと努めれば、自分の偽善がもくもくとふくらんで、こんなに自分はすごいんだという顔になる。鏡を見たらいやになる。悲しみは見せたくない。何もない空間は生きている存在感がかき消され孤独の渦に沈んでしまう。怒りや悲しみはいやだ。何もない虚ろな空間なんてもっといやだ。優しくなりたい。心の底から優しくなりたい。優しいそよ風を創ることができるだけで満足できる人になりたい。それだけで幸福をいっぱい感じる人になりたい。しかし、現実はよく見られたい自分があり、お金や物がだれよりもほしい自分がある。自分だけが得をすればいいと思う自分がある。だから、どんなにそよ風を創っても、「ほら、優しいだろう」と問いかける自分がいる。
そーっと優しいそよ風を送ったら
自分のほほに優しいそよ風があたった
もっと優しくなって
もっともっとたくさんの人に
この優しいそよ風を送りたい
--そうしたら
--きっとわたしも優しくしてもらえる
あのときの優しいそよ風はどうやって創ったのだろう
考えてみたら どんどん考えても
優しいそよ風が創れなくなった
ああでもないこうでもない
どうしていいのかわからなくなった
自分がいい気持ちになりたいから
なんて思っていたら
優しいそよ風はどうやっても創れない
優しいそよ風は
優しいそよ風を起こした人だけに吹くのです
今のわたしには
優しいそよ風は創れない
■怒りを人にぶつければ、自分の心は暗く冷たく劣等感にさいなまれる。人に優しくしようと努めれば、自分の偽善がもくもくとふくらんで、こんなに自分はすごいんだという顔になる。鏡を見たらいやになる。悲しみは見せたくない。何もない空間は生きている存在感がかき消され孤独の渦に沈んでしまう。怒りや悲しみはいやだ。何もない虚ろな空間なんてもっといやだ。優しくなりたい。心の底から優しくなりたい。優しいそよ風を創ることができるだけで満足できる人になりたい。それだけで幸福をいっぱい感じる人になりたい。しかし、現実はよく見られたい自分があり、お金や物がだれよりもほしい自分がある。自分だけが得をすればいいと思う自分がある。だから、どんなにそよ風を創っても、「ほら、優しいだろう」と問いかける自分がいる。
うれしいことを見つけよう 2005.1.26ついこんなときは
いやことだけが目立って
不幸をいっぺんに背負っているような気になって
何もかも放り出してしまいたくなる
そんな自分への怒りをあたり一面に吐き出したくなる
こんなときこそ
うれしいことを見つけよう
他の車が車線を譲ってくれたよ
大きな声であいさつしてくれたよ
落としたペンを拾ってくれたよ
自分の話を真剣に聞いてくれたよ
いいこと見つけて知らせることができたよ
わたしの机をきれいにしてくれたよ
わたしの傍でお話をしてくれたよ
海がとってもきれいだったよ
極楽寺に登った楽しかった想い出を
思い出すことができたよ
「それはやめよう」と
やさしく話して諭すことができたよ
やさしくなろうと
少しでも自分から何かをやろうと
意欲がわいてきたよ
うれしいことがいっぱいあったよ
これで少しは何かが変わる
そよ風吹かせることができるよ
■人にはバイオリズムがあり、約3週間の周期で気分がと運気が変化する。そう思う。調子がいいときは何をしてもうまくいくし、自信がもてるし、ハイな気持ちで何かにチャレンジできる。ついこの間そんな気分だった。でも3日前の出来事で一変した。どん底に落とされたような気持ちになり、何をやってもうまくいきそうになく、自信がなくなった。浮いたり沈んだりするリズム。待っていれば変化するんだけど、どん底の気持ちのまま過ごしたくない。何とかして少しでも前進する姿勢を作りたい。それはどうしたらいいか、楽しい場面を想像すること。意識的に心が明るくなる場面を見つけること。否定的な見方を肯定的な見方に変えること。そうすればきっと前に進めるはず。
一人で見上げる空 2005.1.27-どうぞこのベンチにおかけなさい
さぞかしお疲れのことでしょう
さあ さあ どうぞ
なんて優しい人なんだろう
どんな楽しいお話ができるかな
わたしがベンチにすわると
その人は立ち去っていなくなった
わたしは一人で空を眺めた
-どうぞこの車にお乗りなさいな
さぞかし雨に当たられて冷たかったことでしょう
さあ さあ どうぞ
なんて優しい人なんだろう
どんな楽しいお話ができるかな
わたしが車に乗ると
その人は車を置いてどこかに行ってしまった
わたしは車の中で一人雨空を眺めた
-どうぞこのパンをお食べなさいな
さぞかしお腹がすいたことでしょう
さあ さあ どうぞ
なんて優しい人なんだろう
どんな楽しいお話ができるかな
その人はパンをベンチに置いて
遠く離れたテーブルで
大勢の人と食事をした
わたしはベンチで一人 パンをかじった
楽しそうな笑い声を聞きながら
わたしは一人で空を見上げ何かを見つけた
■これが私の運命なのか。それとも意固地になっているだけなのか。たとえいっしょにいても、話したいことはいっぱいあるのに、楽しい話をする術を知らず、どのように話していいかもわからないのだろう。もっと行動力を持って追いかけて、自分の世界に連れ込むことも、今ではむずかしい。大きな壁が立ちはだかっている。空を見上げるのは、多くは哀しみに胸がいっぱいになるとき。そいうとき空のどこかに神を求めているにちがいない。自分ではどうしようもなくなり、どこかに助けを求めているのだろう。
希望 2005.1.28吹奏楽はいいね
わたしも何か楽器ができたらどんなに人生が変わったか
歌も満足にうたえない コンプレックスだらけのミュージック
ギターが弾けたらいいよね
きっと口ずさむ歌が増えると思うよ
ピアノの音色もいいなあ
わたしはそばでメロディーを聴いているだけでいい
ささやかな希望
でもあなたは
ピンポンを選ぶのでしょうね
かってのわたしがそうであったように
ぜんそくだったわたしは
進学したらスポーツをして体を鍛えると決心していた
わたしにもできるスポーツ それがピンポン
やせっぽちのわたしには
ハードなスポーツはできっこない
音楽にはまるっきり関心がなかったから
考えもしなかった
実は今でも何か才能がないか
手探りしているんだよ
不器用でこれまで何をしても満足に上達したことないのにね
ちょっとかじってすぐに有頂天になって
しばらくすると自分の浅はかさに落胆
音楽ができたらなあ
絵が描けたらなあ
希望だけは持っている
あなたはあなたの希望を強く深く抱き
あなたは自分の道をしっかり決めて
そして最後まで突き進んでほしい
それが何であっても
闇 2005.1.30呼び止められたように
耳を澄ませていると
階下から怒鳴り声が響いてきた
自分の鼓動が聞こえるほどに
声を探っていくと
罵声が心臓をつきさした
その怨霊は
わたしの肩に首を載せ
心を支配する
怒りに従順になれ
何も言ってはならない
明かりを灯すと
闇が現れ
わたしをどん底に落とす
■こわい思い出。今でも囚われていて、頭の中をよぎる。子ども時代の出来事は大人になってからも心の中を引っかき回す。これがトラウマというものなのか。もうこれ以上触れてはいけない。これ以上話してはいけない。そんな声が背後から。いつか出口が見つかるか。入り口があれば、きっと出口がある。そう信じて生きる。負けてはだめだ。はい上がれ。
耳を澄ませていると
階下から怒鳴り声が響いてきた
自分の鼓動が聞こえるほどに
声を探っていくと
罵声が心臓をつきさした
その怨霊は
わたしの肩に首を載せ
心を支配する
怒りに従順になれ
何も言ってはならない
明かりを灯すと
闇が現れ
わたしをどん底に落とす
■こわい思い出。今でも囚われていて、頭の中をよぎる。子ども時代の出来事は大人になってからも心の中を引っかき回す。これがトラウマというものなのか。もうこれ以上触れてはいけない。これ以上話してはいけない。そんな声が背後から。いつか出口が見つかるか。入り口があれば、きっと出口がある。そう信じて生きる。負けてはだめだ。はい上がれ。


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こちらは、これからゆっくり楽しんで読んでまいります。良質のブログに時間をこえて出会えるのは喜びです。