聖堂の詩

俳句から読み解く聖書

聖堂の詩その227―蝶に爆音

2009-04-18 22:02:21 | Weblog
    飛ぶ蝶に爆音落とす軍用機     1994年5月号
 蝶は春の季語。呑気に飛んでいる蝶に爆音が落ちた。それは春昼の一瞬の出来事だった。愛媛県や高知県沖では米軍爆撃機の訓練が良く行われる。山口県呉米軍基地を出発して愛媛県や高知県沖まで飛来する。何故このような場所で米軍が訓練するのか良く分らない。私の想像ではこの地域の地形が朝鮮半島の地形と良く似ているからだと思う。
 日本列島最長の断層線であるが、長野県諏訪湖から熊本県不知火海に抜ける断層線である。それは西日本を二分する中央構造線メディアンラインである。人工衛星から眺めるとまるでナイフで西日本を二分するように見える。それが愛媛県を通っている。愛媛県の石鎚皿が峰連峰から佐田岬にかけて瀬戸内海に切立つ断層山脈である。朝鮮半島では北朝鮮から韓国にかけて太白山脈が日本海に面して切立つ断層山脈が有る。これら二つの地形的酷似性が指摘できる。愛媛県や高知県沖での訓練は朝鮮半島での有事を前提にして居るのではなかろうか。私はそのようなことを想像するのである。
 毎日の様に訓練が続く日も有る石鎚皿ヶ峰連峰では軍用機のパイロットの顔が見えるぐらい山の斜面に急降下する。山の傾斜面ぎりぎりにまで接近する訓練である。その時の爆音は四国山地全体に木魂す様な爆音であり、耳を劈くような戦闘機のジェットエンジンの轟音の直後に爆音を落とす。そのような訓練飛行が一日に何度も繰り返えされる。実戦ならば音だけでなく実弾を投下させることになる。爆音は人間だけでなく蝶にも驚きだ。爆音により蝶の羽ばたき方が一瞬ぐらりと変化する。それを俳句で描いてみた。
 聖書には戦闘機は出て来ない。しかし、聖書には戦争場面を描く個所が沢山出てくる。その中で気になりつつ良く目にするのが戦車である。戦車と言えば我々はキャタピラの戦車を思うのであるが、聖書時代の戦車はそのようなものではなく荷馬車のようなものであった。しかし、戦車はその頃最も強力な武器の一つに挙げられていたであろう。聖書には次のような個所に登場している。
●戦車としての機能を果たさないようにするには馬の腱を切断していた。そのような場面を描く個所は
サムエル記下8-4
●戦車には馬を繋いだ。それを説明している場面は
出エジプト記14-9
●ぺリシテ人がイスラエルと戦う為に用意したのは戦車の数が三万台、騎兵は六千、兵士は浜辺の砂の数だった。ぺリシテ人がイスラエルに向かって作り上げた陣について述べている個所は
サムエル記上13-5
●ヨセフは車を用意させた。父イスラエルに会いに行くためである。とあるがこの車は戦車であっただろう。ヨセフは戦車を用意させたのである。当時は戦車は車でもあり移動用交通手段でもあった。そのような場面は創世記46-29にある。また、使徒行伝8-28に於いても戦車でもあり移動手段としての馬車でも有る場面が描かれている。
●カナン人は鉄の戦車を持っていて強いかもしれないと述べている。鉄の戦車が存在したのである。全面的に鉄ではなかっただろうが一部鉄を使った戦車があったことが想像出来る。
ヨシュア記17-18
●エジプト人の戦車の様子を描く箇所
イザヤ書31-1
●クシュ人とリビア人は戦車を保有していたこと描いた個所
歴代誌下16-8
●「私がお前と馬にのた時」とあるが、これは戦車であろう。複数の人間が馬に乗ることは出来ないわけではないが、戦車が自然である。
列王記下9-25
●ヨセフの子等は「住民が鉄の戦車を持っている」と説明している個所は
ヨシュア記17-16
 戦車は戦場でも使われるが日常の交通手段としても活用されていたことが読み取ることが出来る。戦車は荷馬車でもあり戦場だけでなく日常生活の交通手段として貴重な働きを担った。但し馬車や戦車が使えるのは上流社会の軍人や身分が高い者に限定された。
 馬車の最も古いのは紀元前2500年に遡ることが出来るが、旧約聖書時代は戦車や馬車の利用範囲は極めて狭かった。それは道路が整備されて居なったからである。戦車や馬車は主として集落内部またはその周辺に限定されていた。道路が整備されておらず、泥濘に車輪がはまり込んで使えないのである。その点については既に奈良時代家が有ったとも言われるが、平安時代の牛車と同じである。牛車は都大路の狭い範囲でしか利用することが出来なかった。新約聖書時代に入るとローマが道路整備に力を入れたので戦車や馬車は集落間を結ぶ交通機関として利用できるようになったと言われている。