聖堂の詩

俳句から読み解く聖書

聖堂の詩その1047―林檎(2)

2015-08-26 13:02:30 | Weblog
              山葵田の水で林檎を洗いたり      紅日1995年10月

 聖書に出て来る林檎をひとつひとつ丁寧に調べた心算であるが、調べているうちに聖書の頁をめくる指先が震えてきた。聖書であるから、聖典であり正典である。これが聖典であるのかという驚きで指先が震えて止まらなかった。醜悪としか受け取れないような人間の性意識と性生活が展開されているのである。中でも、雅歌と創世記はまるで二流猥褻雑誌である。文章が流麗であれば未だ救いもあるが、文章も粗雑で汚い二流猥褻雑誌である。日本語訳の翻訳技術にも問題があるが、本文の内容そのものが過激で醜悪であった。

 そのことを此処に書き綴らなければならないのは少し時間がかかりそうだ。それは聖書をそのまま信じ込んでいる所謂敬虔なクリスチャン、またはキリスト教原理主義者のお顔が見え隠れするからである。聖書の雅歌に於ける猥褻はルターやカルバンの宗教改革時に於いてもそうだったが、昔から話題に上がり議論の的になっていた。この問題を取り上げると必ず騒然となると言われている。

                (聖書で発見される「林檎」の調査で判明した事項)

<1>低頻度の単語
 聖書には単語「林檎」は六箇所にしか発見できなかった。極めて頻度の低い単語であることが判明した。イブとアダムが林檎を食べたと言われているが、聖書創世記にはそのような描写は無い。創世記3-12に「あなたが私と共にいる様にして下さった女が、木からとって与えたので食べました」とあり、林檎とは一言も述べていない。樹種不明の果実である。
 また、クリスマスツリーの青や赤の銀の玉は林檎であると言われるが、これも林檎と言われ始めたのは中世ドイツで開演された某歌劇から始まったのであり、ドイツの土着宗教が起源であり、聖書からの知識では無い。当り前のことであるが、そもそも聖書には単語として聖樹もクリスマスもクリスマスツリーも何処にも見当たらない。

<2>旧約聖書のみの林檎
 聖書に発見される林檎は旧約聖書のみであり、新約聖書には林檎は皆無である。聖書に基づいて言うとすれば林檎はユダヤ教にのみ残る果実である。聖書から言えば林檎はユダヤ教の果実であり、キリスト教の果実ではないと言えないことは無い。旧約聖書には林檎が発見できて、新約聖書に林檎が発見できないのであるから。

<3>ヨーロッパの三つの林檎
 ヨーロッパ諸国には「三つの林檎」があると昔から言われている。それはニュートンの林檎、カフカの変身に出て来る林檎、そしてキリスト教の林檎である。物理学実存主義キリスト教の三林檎だ。ニュートンとカフカはうなづけるが、キリスト教の林檎といわれると頭を傾げたくなる。日本人が聖書を読んでいたら、それはヨーロッパ諸国の認識違いではないかと思いたくなる。キリスト教がドイツに布教されるまでの土着の宗教に於ける林檎の存在が余程大きなものであったと推定される。
 アメリカでは蝉も蝗も飛蝗もゲンゴロウも何もかもlocustだそうだ。蝉はcicadaと言う単語もあるが、locustでも良い。したがって、欧米人の日本の蝉の声は信じがたいそうで蝉の声を聞いて「静かさや岩に染み入る蝉の声」と言う風流は分からない。欧米人には鈴虫も蝉も単なる雑音である。ヨーロッパは国境が複雑であるために言語も曖昧であった背景があるかもしれない。林檎認識が曖昧なのは概念を明瞭に規定しない社会背景があるだろう。それがインドヨーロッパ語族の特徴であるのかもしれない。
 隣の国はそういっているのであるからいちいち論争して互いに反発しなくても良いのではないかという意識が働くのであろう。只ですら戦乱が頻発し、経済が疲弊した地域ヨーロッパである。諍いを回避させる為のヨーロッパ諸国民の知恵かも知れない。それにしても、一神教らしからぬ林檎認識である。

<4>林檎も恋茄子(媚薬・催淫剤)並の植物か
 聖書の中の林檎を調査しているうちに、聖書は猥褻書ではないかと目を疑うような場面が散見されることに気がついた。ことに創世記と雅歌に於いてそれが確かめられた。この部分を歪んで解釈すれば聖職者の性犯罪の多さの理由が聖書に潜んでいるのではないかとの疑念が浮かんでくるであろう。恋なすびは催淫剤のことである。世界には沢山の宗教があり聖典もあるが催淫剤が聖典に出てくるのは聖書やジャイナ教の聖典ぐらいでありきわめて珍しい現象である。聖書を読んでいて、どの箇所が多くの求道者に問題視されやすいのか以下に聖書の順序に従いその一部を列挙しておきたい。
①猥褻極まる姉妹の会話
 創世記30-14には「あなたの子供がとってきた恋なすびを私ください」とある。これは姉妹の間の会話である。あなたの子供の持っている媚薬をよこせと言うのである。我々現代社会人には到底信じがたい姉妹の間の会話である。猥褻的と言うより猟奇的と言った方が適切かもしれない。
②一人の男を姉妹ラケルとレアが性行為に於いて共有する
 創世記30-15では姉妹はさらなる過激な行為を展開している。それは次のように述べている。「姉のレアは言った。『妹よあなたは、私の夫をとっただけで気がすまないのか、私の息子が持っている媚薬恋茄子まで奪いたいのか』と問いただす。
 それに対して次のように妹のラケルは答えたのであった『それではお姉さんの子供の持っている恋茄子の代わりに、私の夫であるあの人がお姉さんと一種に寝るように準備をしましょう』と。自分の夫を姉に一晩愛を交わすように預けようと言うのである。これは只ならぬ事態である。この只ならぬ事態を平然と実施することに我々現代人は驚かざるを得ない。ユダヤ教信徒には同族結婚近親結婚が多いとされるのはこのくだりが影響しているのであろうか。
③男は自分の妻の姉と一夜を共にする
 創世記30-16には次のように述べている。「ヤコブは自分の義理の姉に迎えられる。義理の姉のレアは『あなたは今夜は私の元に来なければなりません。なぜならば私は息子が持っていた恋茄子であなたを雇ったのですから』と義理の姉は説明しその夜はヤコブと共に寝た」とあるのだが、こんな義理の姉との不倫関係が聖書では当り前の流れの如く平然と描写されている。この平然として何もなかったかのごとく扱われていることに我々現代人は驚きを感じる。妹の夫を自分の寝屋に導く大胆な女、そしてその夫も何の抵抗も無く寝屋に入る大胆さ、不逞さを感じずには居れない。これが旧約聖書が説く愛のひとつの形と言うのであろうか。
④百合の群生地の中での出来事
 雅歌4-5には「乳房は二匹の小鹿。百合に囲まれて草を食む双子のカモシカ。あなたの乳房はカモシカの双子である。カモシカが百合の花の中で草を食べているようだ。百合が群生している中での裸の女性描写である。
⑤性行為を促す場面
 雅歌5-3には「私は既に着物を脱いでしまいました。どうしてまた着られましょうか。既に足を洗いました。どうしてまた、足を汚せようか」
 女性が男性に性行為を促す下りである。じょせいの積極性が描写されている。
⑥女体描写
 雅歌7-2には「サンダルの乙女の足は美しい。ふっくらとした腿は匠の手で磨かれた彫り物のようだ。秘められた所は丸い杯で、かぐわしき酒に満ちている。腹は百合に囲まれた小麦の山。乳房は二匹の小鹿、双子のカモシカ」とある。読んでいる者が恥ずかしくなるとうなくだりである。
⑦女性の乳房と息
 雅歌7-7には「あなたの乳房が葡萄の房の如く、あなたの息の匂いが林檎の如く」とある。気品のある描写とはとても思えない。林檎の匂いが女の息に喩えられるとは想像もつかないたとえである。
⑧媚薬恋なすびを家の玄関に並べる破廉恥行為
 雅歌7-14には「恋なすびは香り、見事な実が戸口に並んでいます。新しい実も古い実も恋人よあなたの為に取っておきました」とある。恋なすびは媚薬であり催淫剤でもある。性欲を昂進させて性欲を異様な状態にまで掻き立てようとする。それが恋なすであり、服用を間違えれば性の激しい幻覚の末に死に至ることもある危険な薬物である。それを恋人の為に用意している女性である。そしてその女性は恋なすびを戸口に並べていると言うのであるから、これはもはや異様な状態であり、猟奇的であると言わざるを得ない。これが聖書かと普通の人なら後ずさりしてしまう。
⑨兄と妹の接吻
 雅歌8-1には「あなたはわが母の乳房を吸った、わが兄弟のようになってください。私が外であなたに会うとき、あなたにくちづけしても、誰も私をいやしめないであろう」我々日本人の儒教的精神と感覚からはとても理解しがたい近親相姦の景色である。
⑩妹からの求愛をどのように受け止めるか
 雅歌8-8には「私の妹は未だ幼いので乳房は未だ無いが、この妹が誰かから求愛されれば私はどうすればよいのだろうか」とある。
 雅歌の作者はソロモンであると言われているが、何を考えているのか分からない。性に関する正常な意識が逢ったとはとても思えない。性に意識に関して異様な発達を遂げたとしか思えない。
⑩男が乳房を見る平安
 雅歌8-10には「私は城壁、私の乳房は、櫓のようでありました。それで私は彼の目には、平和を齎す者のようでありました」とある。女性は男性に平和と安堵を齎せ心の安らぎを与えるとしている。此処では乳房は城壁の櫓であると比ゆ的に表現している。誇張のある比ゆでわかりにくいが、女性の肉体は男性に安らぎと平安を与えると言いたいのであろう。

<5>アダムとイブの食べたのは林檎ではない
 アダムとイブが食べたのは林檎ではない。名称不明の木の実である。創世記3-6には「女が見ると、その木はいかにも美味しそうで、目をひきつけ、賢くなるように唆していた。女は実を食べ、一緒にいる男にも渡した」とある。何処にも林檎とは書いていない。木の実である。後世の人々が聖書から離れて勝手に想像してりんごとしたまでである。

<6>キリスト教文化圏の林檎と日本の林檎
 日本に林檎が入ってきたのは九世紀ごろ平安時代中ごろであると推定されている。文献上の初見は「本草和名」(918)の記載に見える。鎌倉時代にはかなり普及していた。但し、平安時代に入ってきた林檎は中国系林檎で、一世紀ごろシルクロードを経由して中国に根を張った林檎であってヨーロッパの林檎とは質的な違いがあった。日本にヨーロッパ系の林檎が齎されるのは明治四年頃であった。この西洋系林檎が明治初期に入ると同時に平安時代から存続していた和林檎は消滅してしまった。明治の開国で和林檎が洋林檎に入れ替わって仕舞った。
 いずれにしても日本人の林檎に対する意識は古来から清新さであった。太平洋戦争で日本列島が殆ど焼け野原になってしまったが、あの暗い日本を明るくしたのは昭和二十年の並木路子の「林檎のうた」であった。昭和二十年には松竹映画歌劇「そよかぜ」の主題歌であった。
サトウハチロー作詞、万城目正作曲の林檎の歌は下記の歌詞であったが、このうたが戦後の焼け跡に立つ日本人を再起させたと言っても過言ではない。
赤い林檎に唇よせて
黙ってみている青い空
林檎は何にも言わないけれど
林檎の気持ちはよく分かる
林檎可愛いや可愛いや林檎
 この歌を耳にするたびに、私には焼け野が原から立ち上がろうとした苦痛で歪んだ顔の日本人群像が昨日のように鮮やかに見えてくる。あの戦争は戦時中も言論統制や食糧難で厳しかったそうだが、今振り返れば戦後の方が時間が長く決して楽な生活ではなかった。駅頭には進駐軍とパンパンと呼ばれる売春婦が溢れた時代でもあった。地域での諍い一族内部での諍いが多かったのを覚えている。丸木や鉄パイプを振り回す喧嘩が多かった。幼児の栄養失調による死亡も多かった。まだまだ暗い時代を引き摺っていたが新しい時代への飛躍も見られた。
 私の長野県安曇野での作品「山葵田(わさびだ)の水にて林檎洗いたり」も時代は異なるが苦しいながらも歯を食いしばっていた時代の作品であり、それは自分との戦いでもあったが、清新な気持ちが漲っていた頃であった。これに対して、欧米での林檎に対する意識は性が勝っていて時には淫靡な果物として表現されることもあり日本の林檎に対する受け止め方と大きな開きがあることが歴然とした。

<7>何故、創世記や雅歌が正典なのだろうか
 聖書には正典と外典とがある。「正典」は「せいてん」と読む。外典は日本語では「がいてん」の他に「げでん」や「とつふい」と二つの読み方がある。「がいてん」は漢読みであり中国語読みであるそうだ。聖書の旧約聖書、即ちユダヤ教の経典はエルサレム陥落後一世紀末に正典が決定されたが、キリスト教の正典と外典の区分は時代が遅れた。
 キリスト以降であるのに、キリスト教の正典に何故創世記や雅歌が正典として選ばれたのか現代倫理から見れば不思議なことである。倫理や道徳は時代で変転するものである。支配者が交代すれば倫理や道徳も変転する場合が多いものであるが、キリスト教の多くの宗派は創世記や雅歌が正典として維持されていることに不自然さを感じてならない。
 最も不自然だ得ると思うことはキリスト教の世界でこれが議論に上らないことである。触れることがいけないとされることをタブーと言うが、この問題に触れることがタブー視されているのではなかろうか。一方では聖職者や信徒の猥褻事件が後を断たないことである。そんな疑問を抱きつつ聖書の中の林檎に関する調査を終えようと思う。また新しいことに気がつけば、この問題に取組もうと思う。尚、ヨーロッパでは11世頃はありとあらゆる果実がaplleであったそうだ。果実全てが林檎である。中世ドイツの演劇舞台でクリスマスツリーに初めて林檎が飾られたのもそのような言語上の背景があったであろう。創世記のアダムとイブの言動を観察しても媚薬である恋なすびに近い何かを巻慈雨ザルを得ない。林檎の味と形質に性的な何かを感じて選んだのである。それにしても林檎に対する感じ方はキリスト教文化圏の人々と仏教文化圏の人々と落差があることは間違いない。

<8>アップル社の齧り林檎の暗示
 コンピューターのメーカーのロゴマークに齧られた林檎を描いているが、創設者は禁断の林檎を食べてしまったと言う気持ちがあったのではないだろうか。人里鵜のその禁断のうちのひとつは仏教では煩悩と言うが、煩悩の最右翼である貪欲で無為な性欲ではなかろうか。また、原子力爆弾が広島長崎と投下されたが、その後実験では地球上に無数に投下された。
 核爆弾開発者はユダヤ教徒だそうだ。それはアメリカの偉大なノーベル賞受賞者オッペンハイマーである。彼自身も不幸にも実験中の放射能被爆で1967年2月18日に逝去している。京都新聞2015年8月23日付け京大名誉教授佐藤文隆の投稿で京都大学基礎物理学研究所で講演をしたこともあると伝えている。太平洋戦争は英米諸国に日本は綺麗に乗せられたと言われている。アメリカの元国務長官は原発再稼働を条件に低廉な天然ガスを輸すつすることを約束した。アメリカ企業押し付けの原発政策も、安保法案も乗せられているので花井かとの疑念が高まりつつある。広島長崎についで東京でありうとまことしやかに囁かれるようになっている。核開発も禁断の実であり、齧られたりんごなにであろう。また、遺伝子組み換え操作なども齧られた禁断の実林檎では無かったのだろうか。アップル社創業者はそのように言及していないが、私はあのアップル社の齧られた林檎をみてはそのように感じる。
 隣国と常に友好親善関係を結ぶことは大切である。今こそ日本で最も優れた外交官近江高月町出身の江戸時代の儒学者雨森芳州を学ぶべきだ、信義を最も大切にした外交を展開し朝鮮通信士制度を保護確立した。怯えでいきり立った薩摩長州の下級藩士がそれを破壊して戦乱の明治維新に突入した。福沢諭吉の脱亜入欧思想の延長上にある周辺国蔑視による怯えと模倣による隷従の二本立ての外交政策を取ったのである。そのような卑屈な精神で日本は前向きに進むはずが無い。そのような道を辿り今再び同じ轍を踏もうとしている。暗黒軍国政治に今再び踏もうとしている。すでに秘密法や安保法でそのお膳立てが整えられた。日本は東アジアのイスラエル国に仕立て上げられ最悪の事態に追い込まれるだろう。その疑心暗鬼が広島長崎の次歯どこかという声が上る背景だ。

<9>禁断の林檎を齧る日本
 今の日本の政治家はそんな明治維新の回帰しようとしているが、同じ轍を踏み、広島長崎の次はどこかと怯える毎日を送ることになるだろう。戦争とは古今東西「昨日の友は今日の敵」である。そのような事例は山ほどある。日本の与党政治家は隣国との友好親善や国安全保障は核武装なくして考えるのは無理としている。時の流れを観察していると禁断の林檎を広島長崎で齧り東京で齧ることになると不安を抱く人が居るのはもっともである。日本の政治家が軍事や核武装なくして平和は無いと主張するなら、国民は無為な性欲や核兵器や遺伝子組換えと除草剤のTPP農業なくしても友好親善関係を維持できる手立てを考えなければならない。そのほかに日本人は生きる道が無い。
 欧米諸国は何処の国でも隣国の国語を学ぼうとするが、日本は隣国の国語を学ぼうとしない。周辺国との友好関係は先ず文化を知ること言葉を知ることから始めるのであり、隣国の文化を蔑視したり言語を軽視してはならない。況や隣国との関係は核武装や軍事力の威嚇で始めるものではない。古今東西そのような歴史は必ず両国に取り返し似つかない甚大な被害を蒙ることになる。もう、東京で林檎を齧れば福島原子炉爆発崩壊と共に国を支えるべく国民は一人も居なくなる。国家存亡危機ではないのである、国民が居なくなるのである。国家が為政者だけのものものなら、「国家」は何処かへ亡命しているだろう。
 「人類の英知」と言う言葉がある、本当に英知があるのだろうか、この頃そうは思わなくなった。原理主義という拝金主義で生き残りだけを考えた制度である労働者全員を派遣労働者にすること内部留保を最大限に高める,ことが理念として確立し制度化してしまった。そして日本企業の株主は海外の株主に隷従する社長しか社長になれない時代になった。全ての企業は内部留保を優先し、株式配当を優先する企業が当り前になった。
 企業には札束が腐ってはいるが後継者も育てない非人間的機構となってしまった。資本が動かないこれは自由主義経済の最悪事態である。その最悪事態が到来した。それを安易に戦争で「成長」を計り戦争で打開しようとしている。そんな経済に政治が揺さぶられ国民が揺さぶられている現実を見ていて人類は猿以下の知恵しかないのではないかとおもう。自由が何であるか考えようともし無くなった。
 学校社会は現実社会の鏡であると言うが、虐め教室は虐め職場に広がり虐め政治に拡がってしまった。「人類の英知」は微塵も感じない。人々は禁断の林檎を美味いと舌なめずりをしている。禁断の実林檎を齧る人間の姿を見ていて暴力に依拠したがる猿以下の現象に遭遇することがしばしばである。猿ですらサルを殺すことをしないのに人間は武器で人間を殺す。オバマ氏は無人爆撃機で虐殺している。オバマ氏を第二のヒットラーにしては成らないと思うのだが、神はこのような時どんな言葉を我々に与えてくれるのであろうか。アップル社のロゴを見ていてそう思う。

聖堂の詩その1046―林檎(1)

2015-08-21 07:46:39 | Weblog
     山葵田の水で林檎を洗いたり      紅日1995年10月

 林檎の花も美しいが、林檎がたわわに実る景色も素晴らしい。長野県ではもう林檎の収穫が始まっているのではなかろうか。この作品は四国松山から長野県旅行の途次であった。安曇野の山葵畑で出来た作品。道路脇で露天商が林檎を売っていた。それを山葵田(わさびだ)の水で洗ってまるかじりした。一山300円で10個ぐらいだったと思う。安くてうまそうなので飛びついて買った。

 夏休み終わりごろ収穫のりんごは私の大好物。早生林檎で硬くて歯が立ちにくいりんごだ。ひと盛り三百円はすでに傷がついて農家は早期に収穫せざるを得なかったからだろう。この極早生の捥ぎたては美味い。歯ざわりが良い。口の中でカリンと金属質の音が出る。青空に響くような噛み砕く音がなんとも心地よい。歯が丈夫でなければこの林檎の醍醐味は味わえない。

        空に響く青林檎齧る音

 私は最近でもこのまだ青い極早生りんごが食べたい為に産地からわざわざ購入している。世間は甘ければそれでよいと言わんばかりに糖度を表示して売っている。是では日本は糖尿病患者が急増するだろう。大型小売店販売のりんごは糖度が高いだけで林檎そのものの味が消滅している。このごろは高くなって産地直送でもひと箱5kgで3000円以上はする。しかしりんごは25個ぐらいは入っているので大型スーパーよりは随分安い。是も生産農家によって違いが有るだろうと思うが、極早生の林檎に関しては青森よりも長野に軍配が上る。

 終戦後インド林檎が美味しかった。昭和25年ごろだったろうか、朝鮮戦争時代だ、あのころの果物は百貨店前や駅前広場のバナナ名叩き売りで買ってきたものや青森から林檎箱で送られてくる青林檎だった。良く覚えているのが甘くて硬い硬いインド林檎だった。あらゆるおやつの中で王様だった。長い戦時中漁師は漁に出ていなくて海には鰊や烏賊がわきあがっていた。日本が二十一世紀に戦争をすれば、そんな戦後は絶対に期待出来ないだろう。海も山も荒れ果てて食料は皆無に違いない。その上、あの頃の人口は7000万、今は1億2000万。二倍近い人口を抱えている。

 終戦直後の話であたそうだが、私が赴任した高校の前にタバコ屋があった。その煙草屋の道を蛸が堂々と歩いていたとの話があった。海に出れば魚も鮑もサザエも手掴みだったそうだ。田舎や海べりはそれで戦後の食糧難を免れたそうだ。海水面がスルメ烏賊で盛り上がったそうだ。あのスルメも良いおやつだったが、林檎箱に詰まった籾殻の中から取り出す青林檎に勝るものは無い。

 乾燥スルメ烏賊は食べるのに二枚必要だった。熨斗烏賊にして延ばしてくれる店に二枚提げてゆき二枚渡すと一枚は長く長く延ばしたスルメを呉れる。一枚は手間賃として没収された。昔のスルメ烏賊は良く伸びた2mぐらいにはなったであろう。長くしてくれるのであるが、一枚取られたような気になってスルメのおやつはたいした喜びではなかった。林檎箱にぎっしり詰まった籾殻の中から探し出す青林檎にそのままかぶりつくのが大好きだった。

 星川清親著「栽培植物の起源と伝播」によれば林檎の原産地はコーカサス地方である。黒海とカスピ海とに挟まれたコーカサス山脈とその周辺が林檎の原産地であるとしている。ヨーグルト消費が世界で一番多い地域が林檎の原産地とが重なっている。コーカサス地方のグルジア国は世界でも著名な長命国であると言うのは、何となくうなづける。なお、日本にりんごがはいったのは平安時代で「本草和名」(918)が文献上の初見である。 

 林檎のカリウムとヨーグルトの乳酸菌がグルジアなどコーカサス地方の人々を長命にしているのであろう。消化器や循環器系統の内臓が強いことが健康と長命を維持するのではなかろうか。乳酸菌は日本食のオリジナルである。乳酸菌なくして日本食は存在し得ない。

スーパーに最近では乳酸菌飲料が所狭しと並べているが、乳酸菌に関しては日本人なら日本食を食べていればそれで良いと言われている。沢庵をはじめとした漬物や味噌汁や納豆を食べていれば乳酸菌はひとりでに充分に補充されるのである。一方、日本食ではミネラルの一種であるカリウムの摂取は林檎以外ではなかなか困難であり、意識的な摂取が必要であると言われている。

 果物の中でも最も栄養が豊かで体に良いとされる林檎である。病人は林檎を食べていればひとりでに治癒されると言われるほどだ。そんな林檎が、聖書の三大果物、葡萄、無花果、柘榴に入っていないのは不思議であるが、その林檎を聖書ではどのように扱っているのであろうか、興味深い点である。今号では、聖書に発見される林檎全てを列挙して調査してみた。林檎は旧約聖書のみに発見されて新約聖書には無かった。合計、六ヶ所に発見された。巻別では
箴言:一箇所、
雅歌:四箇所、
ヨエル書:一箇所
の合計六箇所で、雅歌に集中していた。詳細は以下である。

            (聖書に発見される「りんご」の分布)

●箴言には「りんご」が一箇所発見された。その箇所は以下であった。

・25-11には「時宣にかなって語られる言葉は銀細工につけられた金の林檎」とある。
価値あるものを指摘する為に金細工で造られた金の林檎を引き合いに出し比ゆ的に表現している。時宜()とはタイミングが良いこと。適当な時期であることの意味で、「時宜を得た発言」や「時宜にかなった企画」等という言い方をする。また、時宜は漢字で時儀と書くこともある。聖書のこの部分は、タイミングよく語られる言葉は、価値があるとしている。それは神の言葉でもある。林檎は聖書の三大果実にはなっていないものの、林檎は貴重な果物であったことはこの箇所からも推定出来る。また、適切な時の適切な助言が尊重されていたことが読み取れる。逆に饒舌は排除されていたことも推定出来る。
 しかし、最近の日本の林檎は異様な感じがしないわけではない。林檎は蜜柑と同様に日本列島に最も普及している栽培果実である。品種改良が他の果実よりも容易で、農家で簡単に新品種を栽培できることがその背景にあるのだろうが、次々と新品種が生まれている。
 新品種の蜜柑も林檎も過激に甘いのには閉口する。何とかならないものかと思う。糖度が高ければそれで良いという安易な考えであり、それは恐らく日本人の食生活の劣化が反映しているのであろう。それは食品の大量生産による劣化であり、味覚の均質化貧弱化でもある。近い将来糖尿病患者が激増するであろう。林檎にはGolden Deliciousゴールデンデリシャスと言う名称の銘柄がある。恐らく、この命名は聖書の雅歌や箴言から引用されたものであろう。
 日本人は米からパンへ移行し味噌汁や漬物等の乳酸菌食品を食べなくなった。同時に乳酸菌を摂取するのをやめた。その上、雅歌や箴言にも見られる如く、糖度さえ高ければそれで良いというキリスト教文化が日本人の糖尿病患者を激増させている。そんな現実が戦後一貫して日本の食生活に継続している。
 基督教の布教もよいが、人間が生きる為の基本である日本人独自の食生活の劣化が急速に進んでいることも確かである。食はその地域の歴史や地理や風土に立脚しなければならない。グローバル化や欧米化でそれが無視されている。日本の食が根底から崩壊していることに気がついていない。この事実を無視してTPP加盟賛成を主張する人々が多いのには戸惑うものである。

●雅歌には「りんご」が四箇所発見された。その箇所は以下であった。

・2-3には「若者たちの中にいる私の恋しい人は森の中に立つ林檎の木。私はその木陰を慕って座り、甘い実を口に含みました」とある。
 「森に立つ林檎の木」とある。翻訳が正しければ林檎の木は高い木であったことが推定出来る。高いから「立つ」と翻訳できるのであり、低ければ「立つ」とは翻訳できないであろう。潅木の中の林檎の木であったのだろうか。林檎の木はバラ科リンゴ属であり、樹高は2mから5m程度でありそれほど高い樹木ではない。
 世界最古の野生リンゴはトルコに発見されている。炭素C14分析では凡そ紀元前6000年と推定されている。しかし、世界でリンゴの栽培が始まったのは16世紀から17世紀頃であり、雅歌に描かれる森の中に立つリンゴの木は野生である。野生のリンゴの木は樹高が高かったと推定出来る。
 又、「若者たちの中にいる私の恋しい人」とあり、恋人である女性の身長も高かったと推定出来る。古代日本では身長の高い女性は「大女」とされ、美人の中には含まれていなかった。女性に対する審美眼が古代中東地方と日本の古代とは違いがあったようだ。中東地方の男性達は長身の女性が好みであったと推定出来る。また、女性の影に男性が座る等と言うことは日本の古代社会には想像出来ないことであり、中東地方での女系社会の残留が垣間見えないでもない。

・2-5には「葡萄のお菓子で私を養い、林檎で力づけて下さい。私は恋に悩んでいますから」とある。
 葡萄はカロリーの高い果実であり、「葡萄のお菓子で私を養い」は栄養学的には正しいのではなかろうか。また、林檎で力づけてください」は林檎はミネラルのカリウム成分が高いので、その点でも栄養学的には正しい記述ではなかろうか。

・7-9には「なつめやしの木に登り、甘い実の房を掴んでみたい。私の願いは葡萄の房のような貴方の乳房、林檎の香りのような貴方の息」とある。
 余り美しい表現であると思えない。現代人はこの部分をそのように受け取るのではなかろうか。「葡萄の房のような乳房」は現代社会では通用しない美ではないだろうか。また「林檎の香りのような貴女の息」も判りにくい喩えであり表現である。現今の林檎は品種改良が進んで糖度が異常に高くなっている。店頭では糖度の高さを競うようにして「糖度13」や「糖度14」等と表記して販売しているが、過激な甘さは匂いを滅消させる。女性の息に林檎の匂いがすると感じる現代人はいないであろう。

・8-5には「林檎の木の下で私は貴女を呼びさましましょう。貴女の母も此処で貴女を身ごもりました。貴女を産んだ方も此処で貴女を身ごもりました」とある。
兄と妹であることを告げていると同時に恋人であり妹への呼びかけであろうか。何か不気味な感じがするくだりである。

●ヨエル書には「りんご」が一箇所発見された。その箇所は以下であった。

・1-12には「葡萄の木は枯れて、無花果の木は衰え、柘榴も、ナツメヤシも、林檎も野の木は全て実をつけることは無く人々の楽しみは枯れつくした」とある。
 「葡萄の木は枯れて、無花果の木は衰え、柘榴も、ナツメヤシも、林檎も野の木は全て実をつけることは無く」とあり、葡萄も無花果も柘榴もナツメヤシも林檎も全て「野の木が実をつけることが無く」としているので、此処に列挙された全ての果物は野生であった。「野の木は全て」であるから野生であり栽培作物ではなかった。栽培作物ではなく、畑で収穫するのではなく、野に自生している果実を採集していた。野に自生する作物の採集は当時の人々の大きな楽しみであったと推定出来る。

聖堂の詩その1045―十字架が見える無花果(聖書の中の十字架)

2015-08-16 12:23:23 | Weblog
             十の字に割れて無花果熟れゐたり         紅日1990年12月号

 八百屋に無花果が出始めた。秋になった。紫色に熟れた無花果に秋を感じる。はちきれて十の字に割れた無花果を口に含むと秋の香りが口中一杯に広がる。熟れてはちきれる無花果の姿は秋に漲るエネルギーの徴。十の字の割れ目は無花果の内部からの叫びにも見える。そんな無花果を食べると不思議と大きなエネルギーを貰ったような錯覚に陥る。

 聖書の三大果実、葡萄、無花果、柘榴の中で、葡萄は日本人は古代からなじみが深い。確か明日香地方で発掘された飛鳥時代の山田寺の瓦には葡萄が描かれていたと記憶している。明治維新政府が廃仏毀釈運動を扇動して山田寺を破壊してしまった。目的は明治維新政府が神道を国教にする為だった。キリスト教を模倣して、偶像崇拝を忌避して当時存在した仏像の半分を破壊したと言われている。

 最近は大日本帝国への回帰、即ち明治維新へと回帰しようとする動きもあるが、明治維新政府は残忍な政権であった。イスラム原理主義者がバーミャン仏教遺跡を破壊したが、明治政府も同じことをしている。明治維新政府が破壊した山田寺の跡から葡萄が描かれた瓦が発掘された。葡萄は日本でも随分古くからあった食べ物のようである。しかし、日本では何故か無花果や柘榴はなじみが薄い。


 星川清親著「栽培植物の起源と伝播」によれば無花果はその原産地はアラビア半島南部であるが、日本列島に入ったのは17世紀になってからであり、寛永年間(1624~1643)に長崎に種が渡って来たとある(大和本草)。また、柘榴は原産地はアフガニスタンでバビロンの庭」でも栽培されたと言われていて古代の果物のひとつだ。日本へ伝わったのは平安時代末期から鎌倉時代であり、「和名類聚抄」には「佐久呂」と表記しえいるとあった。

 聖書の三大果実、葡萄、無花果、柘榴の中で日本に一番遅れて入って来たのが無花果であり、日本と一番縁が薄いのが無花果であるが、秋になると無花果は自己主張して目立つ果物である。日本と縁が薄い無花果ではあるものの、目立つ原因はは、紫に熟れたあの姿に十字の割れ目が見えるからであろう。

 敬虔なクリスチャンには、それは真白な十字架に見えるかもしれない。日本の長い歴史の中ではキリスト教も無花果も極めて歴史の浅いものであり、まだまだ異文化の香りがしないでもない。明治維新政府はそのキリスト教文化を無理に日本文化に導入しようとした。喉が渇いて水をがぶ飲みするかのごとく、明治維新政府は文明開化を展開した。仏教を廃して国家神道に移行しようとした廃仏毀釈運動もその一環であった。

 廃仏毀釈運動はあまりにも過激で民衆からの不満も高まり、明治維新政府は国家神道路線から神仏混交路線に急遽切り替えた。神社の中に仏像を祀ったり、寺の中に神棚があったりするのはそのためである。神仏混交と言えば小泉八雲ラフカディォハーンを思い出すが、彼を明治政府が招聘したのもそのような時代背景の中であった。彼を住まわせた松江は切支丹弾圧のメッカ津和野に近いことも明治政府が宗教に於いて背伸びしていたことを物語っている。明治政府の中枢部は、日本の宗教はキリスト教を模倣しているのではない、日本の神道であると内外に示したかったのであろう。

 秋の代表的果実である無花果は日本文化と縁が薄い、キリスト教伝来以降であり、日本文化と十字架ともその交わりは浅いと言わねばならない。キリスト教文化と言えば、我々日本人にとって真っ先に思い浮かぶのは科学技術であり文明である。しかし、この文明が人類の余命を蝕んでいるのではないかと言う疑念が世界に高まっているのは確実である。

 第一に挙げられるのは地球温暖化現象である。イギリスの始まった産業革命が大量の石炭を燃焼した。また、内燃機関の発明はアメリカの自動車航空機の発達を促し大量の石油を消費するようになった。いずれも地球温暖化を促す文明の発達による結果である。

 更なる脅威ともいえる文明の発達はコンピュータの発達進歩によるIT社会である。アメリカは無人爆撃機で中東地方を攻撃している。アメリカ政府は既に千回出撃したと誇っている。しかし、我々東アジアの人間から見れば戦争のゲーム化、核兵器と同じような人間大量虐殺のゲーム化は沈黙せざるを得ない。残念ながら日本の自衛隊も無人爆撃機開発は視野に入れているというのであるから、原子力発電所は絶対安全であると断言することも含めて、キリスト教文化圏の科学に対して疑念が生じないのが不思議である。

 次々と文明が開発する機器、就中科学兵器の開発は目を見張るばかりである。キリスト教文化の根底が何処にあるのだろうかという疑念が生じかねない現代世界の様相を呈し始めた。世界には全く新たな秩序が誕生することを我々は期待しなければならないのだろうか。そんな思いを抱きながら聖書の「十字架」を通観して判明したことや感じたことを以下に纏めてみた。

 (聖書に発見できる単語「十字架」に関して判明したことや感じた事項)

<1>十字架は中頻度語
 聖書全体で単語「十字架」は78回発見された。聖書に発見される回数が、一桁が低頻度、二桁が中頻度、三桁が高頻度とすれば、十字架は中頻度語であった。

<2>十字架は新約聖書のみ
 十字架は聖書に78回発見できる中頻度語である。それが発見出来るのは新約聖書だけである。イエスキリスト誕生以降の物語が新約聖書であり、「十字架」と言う単語が新約聖書のみに発見できるのは当然である。勿論、旧約聖書には発見できない。新約聖書では比較的目立つ単語である。

<3>単語十字架は十字架刑の意味が最多
 聖書に78箇所に漢字十字架が発見されたが、78箇所の内48箇所が「十字架につける」であった。十字架の半数以上が「十字架につける」である。「十字架につける」とは十字架刑に処すると言う意味であり、半数以上が十字架刑の意味であった。

<4>民主主義のあり方を考えたくなる「十字架につけろ」の命令
 四福音書は「十字架につける」では無く「十字架につけろ」として命令も混じっていた。48回中7回が命令形の「つけろ」であった。当時、民衆は刑執行に対して大きな権限を持っていた。権限を持っていたのは刑執行に対して、責任者が責任逃れする目的もあったであろう。いずれにしろ民衆の計思考に関しての大きな権限があたことが民衆の怒号「十字架につけろ」と言う強い命令から推定出来る。尚、四福音書の「十字架につけろ」の発見箇所は以下であった。
マタイ伝:27-22,27-23
マルコ伝:15-13,15-14
ルカ伝:23-21
ヨハネ伝:19-6,19-15
 刑の執行に於いて民衆に大きな執行権限が与えられていたことが。「十字架につけろ」と言う罵声から見えてくる。民衆の声や多数決の力がこれほど罪が深いものは無い。また、民主政治での議論を深めることの大切さは充分理解しなければならないことであるが、誤った思い込みや多数決の危険性が浮き彫りになる場面でもある。キリスト教会内部でも同じであろう。
主教や司祭が必ずしも正しいとは限らない、大切なのは内部から浮かび上がる疑念をそのままにしないでとことん議論を深めることではないだろうか。それが神の意志であって法王や主教や司祭の一言や顔色ではないことは明白だ。それが、四福音書が一番訴えたい点のひとつであろう。同じ過ち鵜を繰り返してはならないということだろう。一人一人が愚かな万民に飲み込まれないことの大切さだ。刑場のこの場面はそんなことを感じさせる下りであった。

<5>十字架を担う、それは聖書に3回発見された。
●マタイ伝では「担う」は2箇所で発見される。その箇所は
・10-38「自分の十字架を担い私に従わない者は私に相応しくない」とある。イエスのことのガリラヤ地方での言葉の十字架の意味は重い。「十字架を担う」は一度しかないがその意味は、深い。その重さを常に意識して生きることが信仰であると述べ伝えている。

・16-24では「弟子たちに言われた。私について来たい者は、自分を捨てて、自分の十字架を背負って、私に従いなさい」とある。自分を捨てて十字架を背負え」とイエスは教えている。「自分を捨てる」ことはこれほど難しいものは無い。日本では封建社会に於いて君主に仕えるる武士は君主の為に切腹をすることが主要業務であった。そして天皇に仕えるためも滅私奉公であった。軍人は天皇を現人神とし国民を赤子にして幼児や少年を特攻隊にした。沖縄では惨酷な護郷隊に仕上げた。
 中野陸軍学校(スパイ学校)卒業生は少年を振り下ろす軍刀で脅し、ヒロポンを打ち特攻機に登場させた。これも自分を捨てることである。又最近では企業の内部留保と株主の配当の為にリストラされる企業戦士も自らを捨てる厚意としてあがめられているのが一般的である。聖書は現代社会の中でこの部分がもっとも難解な部分である。市民革命の洗礼を受けた民主主義政治の基本原理のひとつである基本的人権の尊重と照らせば日本人には、それは日本人に基本的人権意識の歴史の浅さ認識の浅さもあるが、天皇や国や企業の為なら自分を捨てることが出来る。戦後日本人は恥ずかしながら、エコノミックアニマルと揶揄されたりセックスアニマルと揶揄れたりした。欧米人の目から見ればそのように見えるのであろう。実際一部の政治家の中には戦時中の言動は全て捏造であると主張する人々も多いのである。したがって、多くの日本人はイエスキリストのために自分を捨てにくい。幕末の近代化は、徳川幕藩体制内の内部抗争であり薩長藩のクーデターでしかなかった封建体制を温存した近代化が日本の滅私を大きく特徴付けた。日本の近代化は長州藩士が実施した近代化は国家神道化を目指したことと陸蒸気を走らせただけだった。近代化は欧米の物質文明だけだった。日本は市民革命をを通過しなかった東アジア特有の近代化であり、基本的人権の希薄な近代化が聖書のこの箇所、自己を捨てることとの難しさのひとつだ。日本人に理解が困難な箇所であろう。「自らを捨てて十字架を背負う」は多神教や神仏混交の国の日本人に最も理解が困難な箇所である。

・27-32「キレネ人が田舎から出て来て通りがかったので、兵士達はイエスの十字架を無理に担がせた」とある。
 イエスをピラト総督皇帝から刑場連行中の場面である。キレネ人は北アフリカの一地方の部族で田舎ものとして軽視される異国人であった。それをイエスを連行中のユダヤ人兵士が面白がってイエスの十字架を担がせたイエスに屈辱を与えたのである。この場合の担がせるは屈辱を与える為の担がせるである。

●マルコ伝では「担う」は1箇所で発見されるそれは以下である
・15-21に「キレネ人が田舎から出て来て通りがかったので、兵士達はイエスの十字架を無理に担がせた」とある。
 イエスをピラト総督皇帝から刑場連行中の場面である。キレネ人は北アフリカの一地方の部族で田舎ものとして軽視される異国人であった。それをイエスを連行中のユダヤ人兵士が面白がってイエスの十字架を担がせたイエスに屈辱を与えたのである。この場合の担がせるは屈辱を与える為の担がせるである。

<6>十字架を背負うは四回発見された。その位置は下記である。
●マルコ伝には1箇所の「十字架を背負う」がある。それは以下である。
・8-34には「群集と弟子達と共に呼び寄せて言われた『私の後ろに従いたいものは、自分を捨てて、自分の十字架を背負って、私に従いなさい』とある。またもや「自分を捨てて十字架を背負いなさい」の教えである。我々。戦前生まれにすれば、軍部が鈴木大拙や西田幾太郎などの哲学者を擁護し「絶対矛盾の自己同一」の言葉を学生諸君に徹底したことの話はしばしば話題に持ち上がった。

●ルカ伝には3箇所の「十字架の背負う」がある。それは以下であった。
・9-23には「イエスは皆に言われた。『私について来たい者は、自分を捨てて、日々、自分の十字架を背負って、私に従いなさい』」とある。
 此処にも自分を捨てなさい」がある。これで三目。自分を捨てることの大切さが唱えられている。

・14-27には「自分の十字架を背負っているものでなければ、誰であれ私の弟子ではありえない」とある。
 自分の十字架を背負うものだけが弟子であると教えている。此処で自分を捨てることは四回目である。

・23-26には「田舎から来たキレネ人を捕まえて十字架を背負わせ、イエスの後ろから運ばせた」とある。
 マタイ伝27-32との重なりであるが、マタイ伝は無理に担がせたであるがルカ伝は背負わせたであり意味はおなじである。
 
<7>十字架は多数決が絶対的正義ではないことを人類に教えている
 ユダヤ教の民衆はイエスを磔の刑に処し、自らが救い主であるなら自らを助けてみよ等として、嘲りの限りを尽くした。そして、口に酸いぶどう酒をスポンジで含ませながらわき腹を槍で突き刺して殺した。民衆の罵声怒号がイエスを殺した。多数決で殺害した。このことは民主主義政治とは何かを我々現代人に大して。深い示唆を与えてくれる。確かに民主政治は議論を尽くすのが大切で少数意見を無視しないのが肝心要である、しかしそれでも話が纏らない時はやむをえないので採決が下される。その採決といえども決して正しいものではないと言うことを聖書の十字架は我々人類に示している。あくまで議論と了解を突き詰めて決して軽薄な多数決に任せてはならない。多数決の暴力は絶対にいけない。着りんは時間の長さではないと教えている。多数決は民主政治の最終手段であるという教訓を人類に示している。

<8>十字架は人類に取り返しの出来ない殺人と死刑を禁じた
 ユダヤ教徒ではあるものの民衆に対して、イエスを十字架につけたことは人類に何を教えたのか。それは人間イエスキリストが、相手が異教徒であろうと絶対に人をあやめてはならないことではなかったのだろうか。あやめれば取り返しがつかないことを教えた。十戒に「人を殺すな」とあるが、それよりも強く諌めた。

 それは処刑であろうと戦争であろうと、人を殺害することは取り返しがつかない言動であることを十字架は深く強く人間に訴えた。異教徒の殺害、戦争時の敵の殺害、死刑等を一切禁止したのが十字架であったのではなかろうか。なぜならばそれは取り返しがつかない言動であるからだ。

 そのことをキリスト教会もキリスト教会の信徒も完全に忘れて仕舞っている。そのように私の目に見えて仕方が無い。そんなキリスト教会でまともな祈りが出来るはずがない。キリスト教会は富裕層と妥協しつつイスラム原理主義者を醸成している。

 建前はテロを敵視しているが、実はそれは核兵器を正当化しつつ且つ無人爆撃機を歓迎しつつ防衛産業が急速に瀬繁忙を極めている。キリスト教界はその防衛軍事産業の株主富裕層にすり擦寄ってテロ活動を醸成しているのがキリスト教会であるといわれ始めている。キリスト教界は戦争が激しくなればなるほど富裕層に冨が蓄積されその富に迎合しようとしている、所謂、聖書とあいまってっ髪の力で強引に資本力で経済森羅yk世界を構築している。過激イスラム原理主義の台頭もあるが、一方でそれを支援する保守系キリスト教会が確実に増加している。そのような話が無尽蔵にある。
 
 世界にはまともなキリスト教の姿が乏しい。教会で集団で祈るなら、ひとりの祈りをささげるほうがまともな信仰に近いと私は思う。いずれにしても戦乱や動乱に布教活動を活発化する教団の今の姿には一歩引けてしまうのが常人の神経であろう。

<9>十字架は日本文化との大きな距離を感じる
 自分を捨てる点に関しては日本の宗教とキリスト教とは共通性が見つけられるが、捨てた後の距離が途轍も大きなものがある。それは捨てる意味の違いが原因でもあるが十字架は異文化として大きくのしかかってくる。宗教の源流の違いであろう。日本人は無花果を見ることで十字架を思い浮かべるがキリスト教文化圏の人々はそのような思いつきは無いであろう。作品「十の字に割れて無花果熟れいたり」で思ったことである。

 秋が来た無花果も熟れた、季節も良くなった教会にでも行って祈りをささげようか思えるキリスト教会が日本になくなったのは残念なことだ。キリスト教会で花壇はよく手入れしてある。しかし、見栄えばかりだ。中身が何もない。一歩は居るとその内情は目も背けたくなるのは何故だろう。一歩中に入ると直に分かることは猥褻問題や金銭問題にうずもれていることだ。

そして、キリスト教会であるのも関わらず幼稚園の真上に崖崩れ危険区域があったり、河川沿いで堤防決壊時水深五メーターも冠水する場所に教会が存在する。ハザードマップを照らし合わせなくとも一目で危険な箇所に幼稚園がある。しかも園児矢乳幼児に避難訓練をしていない、避難訓練する意欲も無い。よくもこんなキリスト教会立付属幼稚園に助成金を出すものである、国や自治体もどうかしている。乳幼児園児に犠牲を押し付けた税金の垂れ流しである。

 キリスト教会はことに悪質である。矮星壷駆使が最高裁で有罪判決を受けても、信徒で構成している幼稚園理事会は政府補助を受けているし理知学校退職金財団法人から欧文の退職金が拠出されているだけでなく、幼稚園独自の感謝金を上乗せして退職させている。ほれは最早カルト反社会的集団だ。私立学校退職財団の「原資は労働者からの供出だけでない、国民の税金が注がれているのである。

 こんなことが平気で出来る人間が教会で何の祈りをしているのであろうか、彼らは十字架を背負っているとはとても思えない、彼らは十字架を担いでいるとはとても思えない。詐欺や泥棒集団と実質的に何も変わらない。こんな事象は日本のキリスト教界では氷山の一角だ。牧師の手当たり次第の幼児に対する猥褻行為の処分も何も出来ていない。

 牧師の猥褻行為で一生涯心的外傷後ストレス症候群(CPTSD)所謂トラウマを背負って生きなければならない。結婚もしにくい、結婚後も困難な精神的葛藤に苦しめられる。そんな人々が何人も居るのである。最古9鵜裁判所の判決組その後の調査で判明した。このことを何と考えているのであろうか。多くの女性問題が無視されている。主教や本人はまるで他人ごとのような涼しい顔で毎日を過している。これはキリスト教会ではない。。

聖堂の詩その1044―十字架が見える無花果(使徒行伝と書簡集より)

2015-08-14 14:28:14 | Weblog
              十の字に割れて無花果熟れゐたり         紅日1990年12月号

 終戦記念日になった。あの戦争で親戚の人が亡くなったり傷痍軍人として還って来た人も居た。終戦直後で飢餓状態の中の生還は目出度いやら不幸やらで複雑な気持ちで迎えられた。何処の家庭でも戦争から帰ったことでひと騒動があったようだ。生活難の中で食料が無い中で還ってくるのであるから、しかも失業者となるのであるから一族は大歓迎するわけではない。もろ手を挙げて喜んだわけではなかったようだ。

 歓迎されない帰還兵は複雑な気持ちであったに違いない。是なら戦場で死んでいたほうが良かったとどれほど多くの帰還兵が考えたであろうか。実際、日本ではヒロポン中毒患者が終戦後激増した。特攻隊は覚醒剤ヒロポンを腕にたっぷりと打ち込まれてゼロ戦で離陸するのであるが、そこで覚えたヒロポンを多くの元特攻隊員が楽しんだのである。命を守って自宅に帰宅したが邪魔者扱いでしかない。憂さ晴らしにヒロポンでも楽しもうかと言うことだったようだ。詳しく知らないがそのようなことである。戦争とは罪深いものである。

 帰国した傷痍軍人をどのように養えばよいのか、失業者をどのように食べさせれば良いのか、親族間で責任のなすりあいが始まった。親族の間の諍いが町内では絶え間なかった。戦争に負けて南方や満州等から次々引き揚げてきたのであるが、食料が底をついたところに還ってくるのでたまったものではない。スイトンと呼ばれた料理があった。メリケン粉をこねて茹で上げただけの代用食だった。アメリカから入ってきた小麦粉なのでアメリカン粉であり、メリケン粉だ。

 スイトンは後から聞いた言葉でわれわれは「代用食」と呼んでいた。代用食即ちスイトンだった。微かな塩味と空地に生えている草を放ったタベモノであり、これほど簡単な料理は世界中捜しても無い。給食は無く弁当だった。薩摩芋を蒸かしで新聞紙に包んで持って行かされた。薩摩芋ではない時は乾パンだった。飲み物は無いので学校の水道蛇口に口つけてごくごくと飲んだ。栄養状態は劣悪で小学校時代に栄養失調で二人死亡した。

 今日は、夕方総理大臣が敗戦70年を記念して演説をすると言われている。どんな演説であるか分らないが、分らないだけに何を言い出すか不安である。取り返しがつかないとてつもないことを発言するかもしれない。そんな不安を抱えている国民が多いのではなかろうか。

 案の定周辺国の神経を逆なでする70周年記念演説だった。日本が誤った戦争に至った歴史認識に大きな字数を咲いたようであるが、大きな間違いがいくつかあった。ヨーロッパ諸国の植民地支配が盛んで、その流れに乗せられたかの如く述べているが、日本は日独伊同盟を結んで太平洋戦争にととを何も述べていない。ヨーロッパ諸国と軍事同盟を結びつつ太平洋戦争に突入したことは日本が世界の植民地支配を主体的に主導したと受け取ることも出来る。日本だけが孤立したのではなかった。一部ヨーロッパ諸国と孤立したのである。ヨーロッパの植民地主義を悪者にしてそのことは何も触れていない。

 また、周辺国のみならず沖縄県民を愚弄する演説ではなかったのだろうか。日本本土を守る為に沖縄は盾として利用されたのであるが、そのことは一言も触れていない。沖縄に対する謝罪が何処にも発見できないのである。普天間基地を辺野古に移設することで沖縄は大騒動になっているのに、沖縄への関心が極めて希薄である。他国での出来事と言わんばかりに扱いが軽いのには驚いた。

 戦争ほど愚かしく、戦争ほど残酷なものは無い。戦争を始める時は必ず「平和の為」と為政者は国民に向かって声高に連呼する。為政者は「戦争する」とは口が避けても言わないのが古今東西の真理である。十字架は偶像にはならないそうだ。また、カトリックではマリア像も偶像にはならない。どう見ても偶像にしか見えないが、偶像ではないと言下に否定されると、どうしようもない。しかし、人は愚かで惨酷な動物で戦争をしてしまう動物である。それが原罪であろうか。人間とは戦争をしてしまう動物であると、われわれは認識しなければならないのだろうか。だとすれば何と情けないことであろうか。

 十字架を背負えば何をしても許される。戦争をはじめ殺人、窃盗などありとあらゆる犯罪が許される。そのように思っている人が戦争に積極的なのかもしれない。罪が十字架により全て清められるとすればそのようなことになる。そう言えば日本の政治家の中には昔に比べてクリスチャンが随分増えたが憲法解釈で戦争をしてもよいという意見の政治家が目立つのはそれが原因かもしれない。十字架と新自由主義とが融合すれば、それは無政府主義ではなかろうか。テロを増殖しているのは彼ら自身ではなかろうか。

 さて、前号では四福音書に発見できる「十字架」を取り上げた。今号は四福音書以外の使徒行伝、書簡集、ヨハネによる福音書に出て来る単語「十字架」を全て取り上げて、列挙してみた。

      (使徒行伝・書簡集・ヨハネの黙示録に発見される単語「十字架」の分布)

●使徒行伝には3回の単語「十字架」が発見された。その位置は下記であった。
・2-23には「貴方達は律法を知らない者たちの手を借りて十字架につけてしまった」とある。

・2-36には「あなた方が十字架につけて殺したイエス」とある。

・4-10には「あなた方が十字架につけて殺した」とある。

●ローマ人への手紙には1回の単語「十字架」が発見された。その位置は下記であった。
・6-6には「古い自分がキリストと共に十字架につけられたのは罪に支配された体が滅ぼされ罪の奴隷にならないためである」とある。

●コリント人への手紙Ⅰには6回の単語「十字架」が発見された。その位置は下記。
・1-13には「十字架につけられた」とある。

・1-17には「福音を告げるためであり、キリストの十字架が空しいものにならないように」とある。

・1-18には「十字架の言葉は滅びの者には無意味である」とある。

・1-23には「十字架につけられたキリストを述べ伝える」とある。

・2-2には「十字架につけられたキリスト」とある。

・2-8には「若し理解していれば栄光の主を十字架につけなかった」とある。

●コリント人への手紙Ⅱには1回の単語「十字架」が発見された。その位置は下記。
・13-4には「キリストは弱さゆえに十字架につけられたが、神の力で生きている」とある。

●ガラテヤ人への手紙には6回の単語「十字架」が発見された。その位置は下記であった。
・2-19には「私はキリストと共に十字架につけられている」とある。

・3-1には「イエスキリストが十字架につけられた姿ではっきり示された」とある。

・5-11には「今尚迫害を受けているのは何故ですか、そのようなことを述べ伝えれば、十字架の躓きもなくなっていたでしょう」とある。

・5-24には「肉欲や欲情や欲望もろともに十字架につけてしまった」とある。
 聖書のこの箇所がキリスト者に禁欲が推奨された背景であろう。

・6-12には「十字架ゆえに迫害されたくないばかりに、あなた方に無理やり割礼を受けさせようとしている」とある。
 当時は割礼が一般的であり日常的であった。

・6-14には「イエスキリストの十字架の他に誇るものがあってはならない」とある。
 最近は芸能人の胸に金色の十字架が随分増えた。女性芸能人だけでなく男性芸能人にも増えている。彼女達は十字架を誇りに思っているのだろう。

●エフェソ人への手紙には1回の単語「十字架」が発見された。その位置は下記であった。
・2-16には「十字架を通じて、両者をひとつの神として和解させ」とある。
 十字架による三位一体を解いている。

●フィリピ人への手紙には2回の単語「十字架」が発見された。その位置は下記であった。
・2-8には「へりくだって、死に至るまで、それでも十字架の死に至るまで従順でした」とある。
 イエスの人間としての謙虚さを解いている

・3-18には「キリストの十字架に敵対し歩んでいるものが多い」とある。

●コロサイ人への手紙には2回の単語「十字架」が発見された。その位置は下記であった。
・1-20には「その十字架の血によって平和を打ちたて、天地万物を御子によって和解した」とある。

・20-14には「規則によって私達を訴えて不利に陥れた証書を破棄し、これを十字架に釘付けにして取り除いてくださいました」とある。

●ヘブライ人への手紙には2回の単語「十字架」が発見された。その位置は下記であった。
・6-6には「神の子を自分の手で改めて十字架につけて、侮辱するものだからです」とある。

・12-2には「十字架の死を耐え忍び、神の玉座の右にお座りになる」とある。
 三位一体を説明している。

●ペテロの手紙Ⅰには1回の単語「十字架」が発見された。その位置は下記であった。
・2-24には「十字架にかかって、自らその身に私達の罪を担ってくださった」とある。
 自分を犠牲にすることの美しさでもあろう。滅私に美につながりやすい。日本社会ではこのようなくだりが、自分を捨てることの美、即ち日本的な滅私の美に傾斜しやすい。それは、特攻隊を組織しやすい風土である。

●ヨハネの黙示録には1回の単語「十字架」が発見された。その位置は下記であった。
・11-8には「しして、十字架にかかって、自らその身に私達の罪を担ってくださいました」とある。
 イエスキリストが十字架に貼り付けられて身代わりになっていただいた。古代日本にもこのような風習があった。それは雛流しの原型である形代である。形代とは神霊が依り憑くべく依り代の一種のことである。人間の霊魂を宿す場合は、人形を用いる。これにより人間から悪霊を追放しようとする。
 源氏物語の須磨浦の帳の中に出て来る形代がそれである。絶望の光源氏の悪霊を形代で沖に流し去ろうとする場面がある。現在でも下鴨神社で行われる三月三日の雛流しは恒例の行事になっているが。幼児から悪霊を取り払いたい親の願いが伝統行事として定着恒例化した。洋の東西を問わず身代わりになるものを求めて自らを清浄化しようとする願望がある。

聖堂の詩その1043―十字架が見える無花果(福音書より)

2015-08-03 19:02:31 | Weblog
             十の字に割れて無花果熟れゐたり         紅日1990年12月号

 無花果はイチジクと読む。当て字である。花が無くても熟れる果物であるとして、こんな当て字が生まれたのであろう。しかし、イチジクの実の中に実際は花が咲いているそうだ。聖書に出て来る三大果実には葡萄(ぶどう)、無花果(いちじく)、柘榴(ざくろ)がある。聖書に出て来る回数の多い順序では。第一位が葡萄が301回、第二位が無花果で65回、第三位が柘榴で28回であった。葡萄が圧倒的に他を圧している。聖書には葡萄が満ち溢れていて聖書からぶどう酒が香る心地がする。現代では葡萄は中東地方だけでなく、キリスト教文化圏の温帯地方までもその産地が拡大した。ドイツやフランスでも葡萄を生産している。

 日本では山梨県など山間部にまで栽培されている。一昨年のことだが、京都丹波の山中でブドウ畑やワイナリーがあったのには驚いた。私はぶどう酒は好きではない。嫌いであり、ぶどう酒が嫌いで基督教会が嫌いになった原因であったかもしれない。聖堂の中に立ち込める葡萄酒の甘酸っぱさは気分が悪い。あんな甘ったるい飲み物がどこがいいのか皆目分らない。この世にぶどう酒を飲ませないアルコールを飲ませないキリスト教の教会があれば良いのにと思う。

 そう言えば私の友人に日本酒が大嫌いな人物が居た。日本酒の匂いだけで吐き出していた。彼も私と同じように日本の神社は大嫌いであった。宗教は麻薬ではないかもしれないが酔いどれを育てるところであろうか。宗教はどのような宗教でも、麻薬や酒で誰にでも訪れる死の恐怖を回避しようとしているのかもしれない。酒で自分を誤魔化して、死を直視しようとしない、宗教の全てがそうでないかもしれないが、そのような要素も含まれるだろう。だから宗教と酒とは不可分なのだろうか。さて、無花果の生産地域は葡萄ほどの拡大は見られない。無花果は半乾燥地域に今も集中している。無花果の国別生産順位は下記の如くであった。

第一位トルコ    27万トン
第二位エジプト   17万トン
第三位アルジェリア 11万トン
第四位モロッコ   10万トン
第五位イラン    8万トン
 出展:FAOSTAT(2012年)

 葡萄に比べて無花果は世界ではローカルな作物に現代もとどまっていると言えるだろう。葡萄は食べるのが手間がかかるが、無花果は葡萄に比べて食べ易い。しかし、無花果の世界への広がりは薄弱である。栽培条件が限定されているだけではないであろう。葡萄は生食用葡萄もあるが殆どが葡萄酒用であり醸造用原料としての葡萄栽培であることがその原因であろう。無花果酒は無いことはないが、世界に広がりを見なかった。また、葡萄が世界的な広がりを見せたのはキリスト教の影響が少なからずある。

 世界の無花果は葡萄の目覚しい拡大に比べて取り残された恰好になってしまったが、無花果の熟した姿には、聖書を彷彿とする徴が発見できる。それは熟れた時の十字の割れ目である。まるで十字架を描くが如き無花果の割れ目である。こんな所で無花果は聖書の三大果実であると自己主張しているのかと思うと無花果の姿がいじらしい。

 無花果が熟れた時十の字に割れる。それは十字架を暗示しているようにも見えるが、聖書には単語「十字架」をどのように扱っているであろうか、それを今回は調査してみようと思う。聖書に発見できる全ての単語「十字架」を取り上げてみたいと思う。旧約聖書はイエスキリスト以前の物語である。したがって、勿論単語「十字架」は旧約聖書には発見されない。新約聖書にしかない。しかしながら新約聖書に発見される単語「十字架」は多く、78箇所にも及んでいた。その分量が多いので、十字架の場所や人々の十字架の扱い方等に焦点を絞りながらか簡略に記することにした。複雑になるので便宜上四福音書での「十字架」と使徒行伝・書簡集・ヨハネの黙示録に発見される「十字架」とを二分して取組みたい。今号では四福音書の十字架を扱う。次号で使徒行伝・書簡集・ヨハネの黙示録に発見される「十字架」とを二分して取組みたい。


                      (四福音書に発見される単語「十字架」の分布)
 
●マタイ伝には16回の単語「十字架」が発見された。その位置は下記であった。
・10-38には「私の十字架を担って私に従わない者は私に相応しくない」とある。
 「十字架を担う」とある。マタイ伝10章のこの場面はイエスがガリラヤでの布教活動を描いている。イエスは生前から十字架を意識していたのは勿論であり、ユダヤ脅迫の中での布教活動であり、イエスは十字架刑を覚悟していたのであろうか。「私の十字架を担う」は言うのは原罪からの救済を意味している。
・16-24には「イエスは弟子達に言った『私についてきたい者は、自分を捨てて、自分の十字架を背負いなさい』」とある。
 「十字架を背負う」とある。戦時中の日本での流行り言葉のひとつに「滅私奉公」があるが、聖書の場合は「滅私奉伸」とでもいえようか。自分を捨てるのはキリスト教も仏教も共通している。
 自民党国会議員の武藤貴也氏は国会周辺のデモ隊を「エゴイストである」と指弾し「憲法三原理による戦後教育の結果である」と戦後教育をも批判した。私の想像であるが、彼の気持ちとしては「滅私奉公」が理想的若者人間像なのであろうか。もっとも彼は33歳でまだ少年のあどけなさを残した風貌だった。明治天皇回帰願望は政治家の中で高まっていることは間違いない。天皇を父なる元首とし国民はその赤子であった時代への回帰願望の膨張である。
 日本の軍部の「滅私奉公」は宗教からの引用であろう。自分を捨てる人間は潔く気高い人間性を持っていると考えられていたのであろう。「自分を捨てる」とはどのような意味か深く考えなければ、危険な行為である。「一億玉砕」のマインドコントロールにかけれれ欧米人を鬼畜とする考えにも導かれるであろう。竹槍で手当たり次第の欧米人を殺害することであろう。「滅私」はどのようにでも利用できる人間にでもできることになる。悪意ある人間に自らを売り渡すことも可能だ。聖書の場合は「滅私」ではなく、それに近いが「自分を捨て」とあるので、十字架を背負いイエスキリストに自らをゆだねることである。

・20-19には「十字架につける」とある。

・23-34には「十字架につけ、ある者は会堂で鞭打ち、町から町へ追い回す」とある。

・26-2には「人の子は、十字架につけられる為に引きわたされる」とある。

・27-22には「十字架につけろ」とある。
 イエスは十字架につけられた場所はゴルゴタの丘。ゴルゴタとはラテン語で骸骨の意味。それは、現在はエルサレム城壁の内側で聖墳墓教会がある。その教会はアミグダロンの池の北100mにある。しかし、イエスが処刑された時は城壁の外側であったと推定されている。城壁が外側に増設され城壁の内側になった。もうひとつのイエスが処刑された場所がある。それはダマスカス門北東230mの位置。ダマスコス門は北城壁に設えてある。

・27-23には「十字架につけろ」とある。

・27-26には「バラバを釈放し、イエスを鞭打ち十字架につけた」とある。

・27-31には「十字架につけるために引いて行った」とある。

・27-32には「イエスに十字架を無理に担がせた」とある。

・27-35には「十字架につけると、籤を引いて服を分け合った」とある。
 イエスが貼り付けられるとイエスの着用していた服を籤で分け合った。

・27-38には「イエスと一緒に二人の強盗が、ひとりは右にもう一人は左に十字架につけられた」とある。
 イエスは強盗と共に処刑された。

・27-40には「神の子なら、自分を救ってみろ、十字架から降りて来い」とある。
 十字架上のイエスをからかっている場面。

・27-42には「イスラエルの王である。今すぐ十字架から降りるが良い」とある。

・27-44には「十字架につけられた強盗たちもイエスを罵った」とある。

・28-5には「十字架につけられたイエスを探している」とある。
 この場面はイエスが復活した洞窟であり墓地でもある。この洞窟であり墓地はエルサレム城壁の中にある聖墳墓教会の地下に存在しているとされているが、聖書を読んでいると、ゴルゴタの丘の聖墳墓教会の地下にあると思えない。イエスの亡骸を捜してマグダラのマリアなどが駆けつける風景はイエスが磔に合った十字架とはその位置が異なるように読める。
 その上、日本の天照大神が隠れていた天の岩戸洞穴と同じようにイエスキリストの石灰岩洞穴もその入り口は巨石で塞がれていたとある。聖墳墓教会の地下は巨石で洞窟を塞ぐなどと言う、環境ではない。僅か2000年しか経過していない。地形の変化や人為的改変を考慮しても無理がある。聖書は分らぬことが多い。誰もが、そのようなことに興味を抱かないで読み飛ばしているのだろうか。不思議な世界である。


●マルコ伝には13回の単語「十字架」が発見された。その位置は下記であった。
・8-34には「自分を捨てて、自分の十字架を背負って私に従いなさい」とある。
 此処でもマタイ伝16-24と同じように「自分を捨てなさい」とある。自分をなくして自分を捨てることが大切であると何度も主張している。

・15-13には「群衆は『十字架につけろ』と叫んだ」とある。
 この場面の場所はエルサレム宮殿にあるゴルコタの丘。

・15-14には「群集は『十字架につけろ』と叫んだ」とある。
 群集がピラトの疑念を振り切ってイエスを十字架に貼り付けた。群集の愚かさを描写している。

・15-15には「ピラトはイエスを鞭打ってから、十字架につけるために引き渡した」とある。
 ピラトは群集の罵声に押し切られて止むを得ずイエスを鞭打ち引き渡した。

・15-20には「元の服を着せて、十字架につけるため外に引き出した」とある。

・15-21には「イエスに十字架を無理に担がせた」とある。
 十字架は担いだりすることが出来るものであった。可動の十字架である。

・15-24には「兵士達はイエスを十字架につけた」とある。
 イエスを緒k節十字架に貼り付けたのは兵士であった。

・15-25には「イエスを十字架につけたのは午前九時であった」とある。
 イエスが処刑されたのは朝の九時であった。

・15-27には「イエスと一緒に二人の強盗も十字架につけられた」とある。

・15-30には「十字架から降りて自分を救ってみろと罵った」とある。

・15-32には「一緒に十字架につけられた者達もイエスを罵った」とある。

・15-46には「ヨセフはイエスを十字架からおろして布に巻き、岩を掘って作った墓の中に収めた。墓の入り口に岩を置いた」とある。

・16-6には「あなた方は十字架につけられたナザレのイエスを探しているが」とある。


●ルカ伝には10回の単語「十字架」が発見された。その位置は下記であった。
・9-23には「自分を捨てて、日々、自分の十字架を背負い私に従いなさい」とある。
 イエスキリストの言葉である。「自分を捨てて」はこれで三度目になる。自分を捨てることへの拘りが強いことが窺える。自分捨てて、イスラム教の神アッラーに従えばテロリストに成りかねない。爆弾を体に巻きつけて「アッラー」を叫んでこの世を去る。自分を捨てて天皇陛下に従った特攻隊は「天皇陛下万歳」と叫んでこの世を去った。自分を捨てるとは自分の命をム含めて捨てることであろう。
 現代社会ほど、自分を捨てることの意味を深く考えなければ成らない時代は無いであろう。現代社会は自己犠牲を美化する事例が多い。そんな中で、自分を捨てることの意味を掘り下げて考える必要がありそうだ。キリスト教でもそうだが、自分を捨てなさい」を聖職者がしばしば口にする。オウム真理も解脱と言う言葉をしばしば使っていた。暴力を肯定しかねない言動に直結する危険性を持つ。
 人々がお互いに助け合うことは人間の自然な行為である。人間社会を観察すれば、この社会は互助が無ければ成立しない。互助が即ち自分を捨てることと思い込んで居る人が多い。大きな誤解が広がる現代社会であるからこそ「自分を捨てる」ことの危険性を認識する必要があるのだろう。

・14-27には「自分の十字架を背負うものでなければ私の弟子ではない」とある。
 これもイエスキリストの言葉。

・23-21には「十字架につけろ」とある。
 イエスに浴びせられる民衆の声。

・23-23には「イエスを十字架につけるようあくまでも大声で要求した」とある。
 捌きが終わりいよいよ、イエスがゴルダコの丘に連行されようとしている。これも民衆がイエスに浴びせた声。

・23-26には「民衆は田舎から出て来たキレネ人シモンに十字架を背負わせ、イエスの後ろから運ばせた」とある。
 ゴルゴタの丘への途中である。キレネ人シモンはマタイ伝27、マルコ伝15、ルカ伝23で登場する。キレネは現代の北ア不リアでシモンはイスラエルに巡礼に来ていたと推定されている。イエスを連行する兵士により十字架を担がされた。

・23-33には「ゴルゴタの丘に到着すると民衆はイエスを十字架に貼り付けた」とある。
 当時は刑の執行は民衆が直接手を下し実行していたようである。

・23-39には「十字架にかけられた犯罪者のひとりがイエスに罵った『お前はメシアではないのか。自分と我々を救ってみろ』」とある。
 イエスと犯罪者二人の合計三人が十字架に貼り付けられ、その三人の諍いが描写されている。メシアなら助けてみろと罵っている。現代社会では事業経営者の流行の言葉は「生き残り」である。犯罪者の最後の生き残りをかけた足掻きである。

・23-53には「遺体を十字架から降ろして亜麻布で包んだ。まだ誰もほおむられたことがない岩に穴を掘った墓穴に納められた」とある。
 岩全体に対してまだ誰も葬られたことが無いところに穴を掘ったとある。これは鍾乳洞ではない可能性も考えられる。中東地方は石灰岩または石灰岩質の地質が広がっている。中東地方は鍾乳洞の分布密度が高く、原始時代では住居となったり墓地となったりした。鍾乳洞は逃げ込める安全な場所であった。古代に入ってからは住居ではないが隠遁地や避難地として活用された。または墓地として活用された。イエスキリストは鍾乳洞に葬られたと述べている聖書解説書が多いが、聖書からはそのように読めない。「まだ誰もほおむられたことがない岩に穴を掘った」とあるので鍾乳洞内部を描写しているとは考えにくい。

・24-7には「人の子は罪人に渡され十字架につけられ三日目に復活すると言われている」とある。

・24-20には「祭司長たちや議員達は死刑にする為に引き渡して十字架に貼り付けた」とある。

●ヨハネ伝には13回の単語「十字架」が発見された。その位置は下記であった。
・19-6には「祭司長たちや下役達はイエスを見ると「十字架につけろ」と叫んだ」とある。
 場所はピラトの総督官邸の前。

・19-10には「ピラトは言った『十字架につける権限がこの私にあることを知らないのか』」とある。
 ピラトはイエスに何処から来たのかと問いかけたがイエスは答えなかった。この場面はピラトの、そのことに対する苛立ちである。

・19-15には「彼らは叫んだ『殺せ、殺せ。十字架につけろ』ピラトが貴方達の王を私が十字架につけるのか」とある。
 ピラトは王を処刑にすることに対して職務責任を逃れようとする。

・19-16には「そこでピラトは、十字架につけるために、イエスを彼らに引き渡した」とある。

・19-17には「イエスは自らの十字架を背負い、所謂ゴルコタの丘へ向かわされた」とある。
 総督官邸前からゴルゴタの丘までは近い。距離にすれば500mもない。その丘の上までをイエスは十字架を担がされた。
・19-18には「彼らはイエスを真ん中の十字架につけた」とある。
 イエスを真ん中にして両側の左右の十字架に強盗犯人をはりつけた。

・19-19には「ピラトは罪状を書き十字架の上にかけた。その書状には『ナザレのイエス、ユダヤ人の王』と書かれていた」とある。
 処刑執行時、十字架には罪状が記された書類を貼り付けるのが慣わしであったようだ。

・19-20には「イエスが十字架につけられた場所は都に近いので多くのユダヤ人がその罪状を読んだ」とある。
 都」という翻訳は無理があるのではないか。此処がエルサレムであることが分かっているので、人々が生活している地域に近いと言う意味であろう。都は首都の意味であり集落全域を指摘する単語である。だったら都としないで「十字架につけられた場所は町から近いので」と翻訳すべきであろう。

・19-23には「兵士達はイエスを十字架につけてから」とある。
 十字架につける作業は兵士が実施した。

・19-25には「イエスの十字架の傍には、その母と母の姉妹、クロパの妻とマグダらのマ
リアとが立っていた。」とある。
 クロパの妻はイエスの母マリアの姉。即ちイエスの叔母に当たる。イエスは母と叔母とマグダらのマリアの三人に、三人の女性に見守られながら十字架につけられた。

・19-31には「安息日に遺体を十字架に残しておかないために、足を折って下ろすようにピラトに願い出た。」とある。

・19-32には「イエスと一緒に十字架につけられた男」とある。

・19-41には「イエスが十字架につけられた所には園があり」とある。