聖堂の詩

俳句から読み解く聖書

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聖堂の詩その1068―

2016-02-16 11:15:36 | Weblog
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聖堂の詩その1067―聖書には茶がない

2016-01-26 09:47:24 | Weblog
           茶の花が匂う祇園の建仁寺     紅日2015年2月号

 茶の花は冬の季語。小さくて白い花を咲かせる。目立たない花。日本文化にはお茶ほど根深く浸透しているものはない。「日常茶飯事」は日ごろ茶を飲んだり米のごはんを食べたりするようなありふれた行為や出来事を指摘している。茶が日本社会に根深く浸透していることを示す一成語である。中国から日本に茶が入った歴史は古いが、日本では近代に入ってから茶は重要な輸出品であった。明治政府の経済政策に対して不満を抱く旧藩士が沢山いた。云わば不満分子である旧藩士に静岡県の牧之原台地、磐田ヶ原台地などを与えて茶の栽培を奨励しつつ不満を宥めた。

 茶摘みの童謡が現代日本社会で広く知られているが、その童謡も旧藩士に対する茶の生産と販売輸出促進の目的であった。明治維新政府の富国強兵殖産興業スローガンに基づく童謡であった。日本政府の熱心な販路拡張の結果欧米諸国に爆発的に売れた。現在の欧米人の緑茶消費量は少ない。当時の欧米人の緑茶に対する珍しさが爆発的に売れた原因であると推定される。

 日本政府文化庁が選定した「日本の歌百選」にも選ばれている童謡「茶摘」は輸出奨励策の歌であったとしたが、その歌詞をよく見直せばそれがよくわかる。

   夏も近づく八十八夜
   野にも山にも若葉が茂る
   「あれに見えるは茶摘みじゃないか
   茜襷に菅の笠」

   日和つづきの今日この頃を
   心のどこかに積みつつ歌う
   「摘めよ摘め摘め
   摘まにゃ日本の茶にならぬ」

 最後の下り「摘まにゃ日本の茶にならぬ」ですべて種明かしをしている歌である。この歌を子供たちが日常的に口遊んでいれば、その親や地域の人々は茶摘みに励まなければならないと思うだろう。子供が大人を詩で洗脳する結果となる。子供を通じた労働奨励歌である。明治45年(1912)唱歌の教科書に掲載されたのであるが明治政府も財界も日清戦争や日露戦争の戦費獲得に大いに喜んだことであろう。

 星川清親著「栽培植物の起源と伝播」158頁によれば茶の原産地はチベットから雲南省山岳地帯であるといわれる。BC10世紀であるから古い栽培作物だ。当初は薬用として栽培された嗜好品になったのは三国時代(222から280)である。そして、唐代には日本にも伝えられた。延暦24年(805)には最澄が種を初めて持ち帰って近江に植えた。

 京都では、高雄の高山寺や祇園の建仁寺が茶の木が多いことで知られるが、日本に最初に茶が栽培され始めたのは京都府ではなく滋賀県である。滋賀県は京都府より古代史の史跡ははるかに多い。茶の栽培も早かったのは京都より滋賀であった。

 ただし、日本で製茶業が本格的に始まったのは建久二年(1191)で時代が少し遅れた。日本でも最初は茶は薬用作物として栽培され薬として服用された。寺院、殊に全国各地に散在する薬師寺に茶の木が多いのはそのことが歴史的背景であろう。云うまでもなく、医学の発達しない時代であり、寺院が病院でもあった。全国に薬師寺が散在するのは病人は薬師寺で治癒を願っていたからである。

 聖書に茶が出て来ないはずである。中国チベットや雲南省からヨーロッパに茶が広がったのは近代以降である。聖書と茶とは縁もゆかりもない。その原因は恐らく水質の違いにも大きな原因があったであろう。ヨーロッパにインド経由で茶葉が輸入されたものの、イギリス人はどんな工夫をしても母国の水では茶の香りも色も出ないのである。

 彼らが茶葉を活用出来始めたのは偶然の出来事であると云われている。船倉の隅の水溜りにインドから運んできた茶葉が腐っていた。この腐った茶葉に湯を注ぐと湯の色は赤く染まり芳醇な香りを発したのである。これが紅茶(black tea)の出発点だるといわれる。偶然、船倉の隅で腐っていたからこそ紅茶がイギリスをはじめヨーロッパに広がった。

 英語圏では紅茶がブラックティーと呼ばれるのは腐った茶葉の色が真っ黒だったからである。なお、紅茶は中国語であるそうだ。湯を注ぐと茶葉が緑ではなく、きれいな紅に染まったからである。人好き好きであるが、ブラックティーは何か汚らしい。飲食物とは思えない名称だ。紅茶のほうが美しく感じるのは私の先入観であるかもしれない。イギリスの泥棒同然の植民地政策の中で誕生した茶であり汚らしい名称は仕方がないのかもしれない。

 国境には自然国境と数理的国境とがある。海洋や山脈や河川が国境になる事例を自然国境という。しかし、判然としないのは数理国境である。植民地の宗主国がテーブル上で経線や緯線を見ながら線引きをして生まれた国境であり、当該地域の国民や住民の意思が無視された線引きである。朝鮮半島の南北境界も同じである。

 イギリスやフランスの為政者がテーブルで取り決めた残酷な国境である。そのような決定の仕方のツケが今の中東地方や北アフリカの紛争の原因になっていることは明白だ。イギリスの植民地政策がその遠因となり、今の中東戦争の凄惨な場面が展開していると思えば、紅茶の名称がblack teaでもdirty teaでもよいと思う。

 茶はチベットから中国そして日本などのアジア諸国に広がった。英語文化圏に茶が入ったのはイギリスのインド植民地経営が始まりだった。従って聖書が描かれた古代中東地方には茶は見られなかった。茶は見られなかったが、没薬や甘松や乳香などの薬草は見られた。

 中国や日本の所謂green teaの薬効はその範囲が広い。
①茶の中に含まれているカフェーインは中枢神経を興奮させることによる覚醒作用、強心作用がある。また、熱発生作用による皮下脂肪燃焼作用がある。また、脳動脈収縮作用がある他に利尿作用がある。
②茶の中には他にカテキンがある。この薬効は血圧上昇抑制作用、コレステロール調節作用、血糖値抑制作用、牢か抑制作用、抗がん作用、抗菌作用などがある。
③また、茶に含まれるテアサポニンは小腸を活発化させ消化吸収を助ける。
④茶の中にあるテアニンは抗ストレス作用があり、心をゆったりさせる。

 日向ぼこ茶に立つ湯気の香しき

 縁側で茶の薬効に思いめぐらしながら、こんな作品もできた。茶は嗜好品であるが、幅広い薬効成分を含んでいる。薬師寺や多くの寺院で茶の木を多く見かけるのは当然と言えば当然である。さて、「茶の花が匂う祇園の建仁寺」であるが、建仁寺は臨済宗である。開基は源頼家で開山は栄西。栄西は永治元年(1141)~建保三年(1215)の人で平安時代末期から鎌倉時代初期にかけての僧侶であった。彼が二度目の南宋への留学の際に茶を持ち帰ったといわれている。

 「栽培植物の起源と伝播」にあるように日本に茶葉が活用され始めたのは天平時代(729)であり古いのであるが、その後平安時代には喫茶の風習が廃れつつあった。そういえば「源氏物語」でも「枕草子」でも茶を楽しむ場面を描いた個所は思い出せない。栄西は茶の薬効を再認識して喫茶の風習を広げようとしたことで大きな業績があるのであろう。

 尚、京都府宇治市に源氏物語ミュージアムが設立された。観光施設はあたかも源氏物語と宇治茶と官界があるかの如く宣伝せ客寄せをしているが、宇治で茶の栽培が始まったのは14世おきに入ってからであり、源氏物語の時代には蛆での茶の栽培もなく、源氏物語と茶との関係も皆無である。源氏物語ミュージアムは観光客に大きな誤解を与えかねない観光施設である。

 さて、明庵栄西が鴨川のほとりに何故建仁寺を建立したのであろうか。不思議であるが、答えは椿科のの根深さがあった。茶の木も椿科の植物であるが、この椿が地に深く根を広げる性質がある。おそらく明庵栄西はその樹木の特徴を知っていたのではないだろうか。一本道路を隔てて西隣には「笹もってこい」の歌で知られる今宮神社がある。広大な笹薮の中に建立されたものと推定される。

 笹は、もちろん護岸堤防のネットの役割を果たして、水害から集落や市街地を守ってくれるのであるが、これら今宮神社と建仁寺から目を転じて南西方向の隣には、平家の根城であった六波羅探題が存在している。これらを守護するのは当時の至上命令であったことは言うまでもない。そのような鴨川の護岸目的で建仁寺や今宮神社が建立されたと推定できる。

 中島暢太郎著「鴨川水害史」を参照してもわかるのであるが、水害の多い時代は800年代中ごろから1000年代中頃にかけてと、1400年代初頭から1900年代末期にかけてである。600年代初頭から1000年代初頭までにかけてがこの時期に該当する。


               (聖書で発見された蓮や蓮根からの事項)
<1>聖書には蓮は発見されない
 聖書には一度も「蓮」や「蓮根」が発見されなかった。蓮の花は湿地帯に分布する作物であり、乾燥地帯や半乾燥地帯でははすが発見されるはずがない。ただし、中東地方には1787年に蓮が展示されたという記録は残留している。

<2>茶の木は鴨川のほとりでも栽培された
 僧侶栄西は明から茶の種を持ち帰り日本に広げた一人であるが、彼は平安時代に廃れつつあった茶飲の風習をも広めた。茶は当時薬でもあり庶民からももてはやされた。また、竹藪も鴨川の護岸用植物として珍重された。

<3>茶は明治時代の代表的輸出作物であった。「摘まにゃ、日本の茶にならぬ」とうたわれていた。
           

聖堂の詩その1066―聖書に発見できない蓮と蓮根

2016-01-23 14:08:07 | Weblog
                蓮根掘る親を待つ子は泥遊び        紅日既掲載

 暦の上では春であるが、これから厳寒期を迎えなければならない。そんな厳寒期での蓮根掘りを俳句で描写した。掲句は暖かい親子関係を描いた。子供が泥遊びしながら親の厳しい労働が終わるのを待っている。そんな風景に親の意勤勉さと子供の聡明さを感じた。昔は職場と住居が一体化していた。住職一致である。八百屋さんも魚屋さんも住宅と店舗は一つの屋根の下にあった。農業も同じだ住宅の周りが労働の場である田畑に囲まれていた。家の中の土間は農作業の場であった。

 現代社会はキリスト教文化の影響もあるだろうが、敗戦後歪んだ個人主義思想が広がり、極端な少子高齢化社会となった。大家族が核家族化し家族労働も家庭教育も喪失した。首都圏の世帯のほとんどが独居老人であり、これが東京オリンピックではさらに高齢化に拍車がかかり、高齢者の生活を支える労働者が居なくなるとの危機感が市民の中に広がっているが、止むを得ない事態であろう。地方都市と異なり首都圏の場合その人口が4000万人に達するため、日本人の内三人のうち一人が狭小な首都圏で生活しているため事態は想像を絶する深刻なことになるといわれている。

 蓮根掘りは寒風が吹きさらす厳寒の厳しい労働。蓮根掘るは冬の季語であるが、花としての蓮、蓮華は夏の季語になる。毎年6月ごろになると次々と蓮は咲き続ける。種類にもよるのであろうが毎朝ポン、ポンと音を立てて咲くものもある。耳を澄まさなければ聞こえないのであるが、早朝の静寂の中での咲く音は気落ちが良い。京都嵐山では天竜寺の蓮の群生が大きい。また、京都嵯峨野にも蓮の群生がある。嵐山や嵯峨野は早朝夜明け前に出かけて蓮が弾け咲く音に耳を傾けるのが良いとおもう。早朝に咲く初々しき蓮華はその清浄感からであろう、仏教には欠かすことが出来ない花である。

 私が二十歳頃だった。母親と早朝の高岡城を歩いたことがある。その時、母親は蓮が咲く瞬間は「ポン」と音がすると教えてくれたしてくれた。耳を澄ませば聞こえたような気がした。蓮を詠んだ作家は多い。
   暁闇を弾いて蓮の白さかな        芥川龍之介
   蓮開く音聞く人か朝まだき         正岡子規
   静けき朝音たてて白き蓮華のさくきぬ  石川啄木
 などがあるが、昔の文人は蓮が音を立てて咲くと思っていた。私もそのように思い込んでいたのだが、どうやら蓮は音を立てないで咲くのが真実なのだそうだ。真実とはつまらないこともある。真実とは面白くないこともある。音を立てて咲く蓮のほうが神秘的でしかも趣を感じるものである。聞こえると感じなければ本当の蓮が見えないような気がしないわけではない。

 さて話を聖書に戻すが、聖書には蓮の花も蓮根もどこにも発見できなかった。蓮は湿地帯に育つ植物であり、聖書が描かれる乾燥地域や半乾燥地域では蓮は育たない。仏教寺院でもキリスト教寺院でも最も目に触れるのは、献花や供花である。仏教寺院では蓮が欠かすことが出来ないのであるが仏典にも、「南妙法蓮華経」をはじめとして漢字「蓮」が沢山発見できる。一方、聖書の花は多岐にわたりその種類が多いのが特徴である。念のため、ここで聖書に出てくる植物で樹木を除いて大雑把に列挙すれば以下の如き結果であった。

<穀類>
・豆類、レンズ豆は発見される個所―サムエル書下17-28、エゼキエル書4-9、創世記25-34
<麦類>
・小麦、粟が発見された箇所―出エジプト記9-31、エゼキエル書4-9
<工芸作物>
・亜麻は紫色の花で亜麻が発見され箇所―出エジプト記26-1、ヨシュア記2-6、箴言31-13、エゼキエル書27-7、マルコ伝15-46
・紙、paperの前身パピルスが発見された箇所―出エジプト記2-3、ヨブ記8-11、イザヤ書18-2、イザヤ署35-7
<香料・調味料>
・肉桂が発見された箇所―雅歌4-14
・肉の香辛料クンミが発見された箇所―イザヤ書28-25
・あらゆる料理の調味料イノンドが発見された箇所―マタイ伝23-23
・邪気を払い浄めに使われるヒソプが発見された箇所―出エジプト記12-21、ヨハネ伝19-29
・黒からしとも呼ばれているが、油や香料を絞る目的の作物からしが発見される個所―マタイ伝13-31
<軟膏・医薬品・香水>
・香料としての乳香が発見される個所―出エジプト記30-34、レビ記2-1、15-16、マタイ伝2-11
・医薬品としての没薬が発見される個所―出エジプト記30-23、マタイ伝2-11、マルコ伝15-23、ヨハネ伝19-39
・軟膏として活用された甘松(ナルド)が発見される個所―雅歌4-13、マルコ伝14-3、ヨハネ伝12-3
・アヘンを採取する芥子を聖書ではヨモギとしている。その蓬(よもぎ)が発見される個所―申命記29-17、箴言5-4、エレミヤ書9-14、23-15、アモス書5-7、6-12、ヨハネの黙示録8-11、
<その他の野草>
・聖書に出てくる百合は現在の百合ではなく、ヒヤシンスやニワシロユリと推定されている。その百合が発見される個所―雅歌5-13、6-2、マタイ伝6-28
・聖書に出てくるバラは現在の薔薇ではなくサフランか水仙であると推定されている。そのバラが発見される個所―イザヤ書35-1
・日本では草餅にされるヨモギは次の個所―申命記29-17、箴言5-4、エレミヤ書9-14、23-15、アモス書5-7、6-12、ヨハネ黙示録8-11
・イエスが裁判を受ける時冠っていたいばらは次の個所で発見―マタイ伝7-16
・聖書で毒麦が発見されるのはマタイ伝のみ。その個所は以下―13-25,13-26、13-27、13-29、13-30、13-36、13-38、13-39、13-40.

 聖書の植物のどこを探しても、蓮も蓮華も蓮根も見つからなかった。聖書と蓮とは全く関係がないことが判明した。現代日本の多くの基督教会でも蓮を祭壇の献花や供花にすることは皆無である。香りの強いバラや白百合が多い。香りか強い花はキリスト教会では好まれる傾向がある。ただし、基督教会ではどのような花が献花や供花の対象になるかは時代の流れの中で変化し、定まったものはない。また花は地方によりその種類が多様であり、開花の時期も異なることから地域色や時代色があって当然であろう。

聖堂の詩その1065―琵琶湖畔の氷柱

2016-01-23 14:04:09 | Weblog
蘆原に氷柱が光る琵琶湖畔      紅日2015年4月号

 新春を迎えた。これからは一日一日日中の時間が伸びてくる。そんな新春であるが、地球上で起きていることは何もめでたいことがない。残酷凄惨な事件が元旦から毎日毎日連続している。私はもうこの世に親から生命をいただき70年以上になる。ミッドウエー開戦頃で太平洋戦争敗北空気が迫るころに生まれた。真珠湾攻撃からわずか半年で敗北ムードであった。この70余年の中で今ほど日本社会が不安定なことはなかった。食糧難にあえいだこともあった。友人が栄養失調で亡くなったこともあった。

 戦後は貧しくても何となく将来が見えていた。将来が薄明るく見えるのでひもじさに耐えることができた。今ほど不安定な時代ではなかった。現代日本社会は、正社員が非正規社員になったり、期間雇用労働者が派遣労働者になったり、また労働組合もなく、企業による嫌がらせは日常茶飯事である。明日首切られるかわからない時代である。また政府や財界は近い将来正社員を一人残らず派遣労働や期間雇用労働に切り替えると声高に叫んでいる。

 昔は困ったことがあれば労働組合に相談した。また、つらいことがあっても地域で助け合って何とか乗り越えることが出来た。しかし今は近所ですら「おはようございます」の挨拶も出来ない社会に零落してしまった。社会保障制度は瘦せ細り、明日からリストラで路頭に放り出されるかもしれない。そうなれば尽くす手段は何もない。強盗などの犯罪に走るよりほかはないのであろうか。明日何が起きるかわからない精神的不安が日本社会に充満しているといっても過言ではない。

 もっと深刻なのは宗教対立である。なかんずくユダヤキリスト連合対イスラム教が激しい。フランスのマスコミはムハメッドを誹謗揶揄した挿絵を全フランスと世界にばらまいた。一部過激派やマスコミによる扇動とは言われるものの、ユダヤキリスト教連合とイスラム教徒の対立はことに過激である。人の心を安らかにすべく宗教団体が異教徒を許し置くことができないとして、偶像崇拝者を無人爆撃機で大量虐殺しようとしている現状をマスコミが報じている。中東地方の戦場は燎原の火の如く広がっているのであるが、人類はこの火を消し止めることができないでいる。

 真偽のほどは不明だが、アメリカ財界やサウジアラビア王室はイスラム国に資金援助しているという噂が浮沈している。社会を不安定にすることで巨万の富が転がり込んで悔いる仕組みがあるのだろう。不安定であればあるほど無人爆撃機は飛ぶように売れるといわれている。私たちは冷え冷えとした正月を迎えた。冷え冷えとしているので今号は聖書に出てくる「氷」に関して綴ってみようと思う。聖堂の詩では氷に関してはすでに189号、394号、708号などで扱ったことがある。今回はもう少し角度を変えながら聖書の氷を観察して見ようと思う。  

 まず、聖書の中にどれぐらいの「氷柱」があるか捜しましたが、皆無でした。しかし、氷はいくつか発見できました。最近視力が随分衰えているのですが、私の計算では3回発見できました。それは以下の個所でした。

 ヨブ記では二回
 詩編では一回
 以上の三回でした。

 聖書の舞台は今と比べれば気候が穏やかで、夏の乾燥も現代ほど激しくなかったと推定されています。それでも、気候区の区分をすれば高山気候か、砂漠気候から半砂漠気候です。したがって山岳地帯では結氷があったのは聖書からでも明らかです。わずか三回しか聖書に「氷」は発見できませんが、わずかな氷で古代当時の気候す推定してみたいと思います。

 私は、世界で最も低い土地にある都市トルファンを研修のために二度訪問したことがあります。二度とも猛暑の八月でした。海抜154mに位置していて人口20万余の小都市でした。日中は水銀柱が50度近くに肉薄する時もありましたが、日が沈むと急に涼しくなります。そうするとトルファンの人々が町中に続々と出てきて活気ずきます。日中の森閑とした街とは様変わりです。そして深夜過ぎても市場を中心にして人々の声が聞こえてきます。トルファンの人々は夜活躍していました。

 しかし、これが冬になると急激に気温が下がります。天と地の落差があります。トルファンの最高気温は50度に迫る肌を刺すような酷暑であるが冬はマイナス20度からマイナス30度にまで気温が低下する。夏と冬の温度差は80度前後になることもある。内陸性に気候は寒暖の差が大きい。イスラエルも同じである海洋といえども地中海は陸地に囲まれた内海であり陸地に近い海洋であるためにトルファンまでは極端ではないが知れに近い気候であると考えてよい。内陸性の気候である。

 聖書の中では氷柱(つらら)は皆無であった。そこで、氷を探したがあまり見当たらない。外典を含めて六回しか発見できない。氷の開設に入る前に念のため聖書には正典と外典があることを確かめておきたい。キリスト教はカトリック、プロテスタント、ギリシャ正教の三派系に分類される。三派系といえば暴力のにおいがして恐ろしいのであるが、基督教も成立の新旧により、三派に大きく分けることが出来る。それぞれの宗派には聖典がある。この聖典が正典と外典とに分かれているので話がややこしい。

 多くの教会ではこの正典の読み方と外典の読み方をどのような角度から読めば良いのか全く説明してくれない。一部であるが、正典と外典があることを知らない神父や牧師がいるというのであるから驚きである。学校教育の頽廃堕落は神学校にまで及んでいるのであろう。

 尤も現代日本では神学校で学びたい人は乏しく、全国各地の神学校や大学付属の神学部は風前の灯らしい。神学部などでは、教師独りに生徒が一人という学校はざらにある。生徒がゼロで廃講準備の学部もあるとのこと。

 大雑把な言い方であるが、正統な聖典を正典と言い、新しく発見された聖書は亜流で外典であるとされていることが多い。氷が発見された聖書の巻は、ヨブ記、詩編、知恵の書、シラ書、ダニエル書補遺、エズラ記(ラテン語)がある。これらの内、前の二つヨブ記と詩編は正典であるが、他はすべてが外典である。       

                 (聖書に発見される「氷」の巻別分布表)
●ヨブ記には「氷」は2回発見される。その箇所は以下である。
・6-16には「流れは氷に覆われることがある。雪が解けて流れることもある」とある。
 流れとあるので河川の結氷である。イスラエル河川は多くの河川はWadiであり、一時的に流れることがあっても四季を通じて絶えず流れていない。おそらくこの川は標高2916mヘルモン山の豊かな雪解け水が豊かに流れるヨルダン川であろう。それ以外の川は考えにくい。
 結氷したヨルダン川の氷の下に流れが見える。また、その頃は雪解水も音を立って流れている。そんな春先の結氷と雪解の景色であるが、このような光景が中東地方に見ることが出来るのは標高2916mの頂が万年雪のヘルモン山の周辺でしか見ることが出来ないであろう。
・37-10には「神が息を吹きかければ氷が出来て、水の広がりは凍って固まる」とある。
 「神が吹きかければ」としているが、風が吹けば地上の熱を奪い結氷し易いことを描写している。そのような科学的認識もあった。

●詩篇には「氷」は1回発見される。その箇所は以下である。
・147-17には「氷塊がパンくずの如く投げられる。誰がその寒さに耐えられようか」とある。「氷塊がパンくずの如く投げられる」は理解しがたい表現である。パン屑の如く投げるは細氷(ダイアモンドダスト)であろうか。キリスト教文化圏では古代から食べものを粗末にしていたのであろうか。童話「ヘンデルとグレーテル」でも道を迷うわないように道にパン屑を落としてきたことが描写されている。それほど小麦粉やパン屑が有り余っていたのであろうか。不思議な現象だ。
 日本ではこんな行為は絶対に許されない行為である。日本は長らく米本位制の国であった。家禄制度は江戸時代だけではない。戦後まで国民一人残らず米穀通帳が与えられそれが身分証明書でもあった。それは米の配給だけでなかった。通学定期の購入でも、如何なる行為でも通帳提示が求められた。日本文化では米粒を捨てるまたはご飯粒を投げることは絶対に許されることではない。
 それは道徳上に於いても「勿体無い」という言葉が先に飛び出して許される行為ではないことは言うまでも無い。従って、これは比喩的表現であるもののこの箇所は我々の理解を超える比喩的表現であり情景であり理解の及ばない箇所の一つであろう。日本文化とキリスト教文化の厚い壁を感じる一箇所だ。

●知恵の書には「氷」は2回発見される。その箇所は以下である。
 「知恵の書」は「ソロモンの知恵」とも呼ばれていて、イスラエルの歴史を振り返りつつ、其処には常に知恵があったことを述べている。カトリックやギリシャ正教では旧約聖書に含めている。ユダヤ教やプロテスタントでは外典としての扱いである。
・16-22には「雪と氷は火に耐えて解けなかった。それは雹の降る中で燃え盛る火、雨の中で輝く火が、敵どもの収穫を台無しにあいたことを、知らせる為であった」とある。
・19-21には「炎は、かよわい生き物がその中を歩いても、その肉を焦がすことはなく、氷のように解けやすい天からの食べ物も解かすことはなかった」とある。

●シラ書には「氷」は1回発見される。その箇所は以下である。
 シラ書はカトリックやギリシャ正教では旧約聖書の一部としているが、ユダヤ教もプロテスタントも外典として扱っており正式の聖書には含まれていない。シラ書は集会の書とも呼ばれている。シラは人名。シラ書は人間関係教育や礼儀作法を述べており、律法への忠実の重要性を訴えている。人間関係が難しい時代に著されたのであろう。
・43-20には「寒い北風が吹くと、水の面は堅い氷となる。水のある所何処にでも吹きつければ、水はあたかも胸当てをつけたようになる」とある。
 今から5000年前の縄文時代は温暖社会で別であるが、一般に現代よりも古代のほうが気温が低かったといわれる。北風で水面の熱が奪われて結氷する。また結氷は水の膨張作用であり、「水はあたかも胸当てをつけたようになる」と表現していて、12枚の胸当ての宝飾に違いがあるように、結氷は水の膨張率の違いであることを当時の人々は知っていたと推定できる。

●ダニエル書補遺には1回発見された。
・1には「氷と寒さよ、主を賛美し、代々に称えあがめよ」とある。
 氷や寒さは主を賛美する現象であると考えられていた。農産物の扱い、例えば保存などで氷や寒さが不可欠であるという認識があったのではなかろうか。

●エズラ記(ラテン語)には1回発見された。
・3-19には「貴方の栄光は火と地震と風と氷の四つの門を通り過ぎ、イスラエルに栄光を与えた」とある。
 氷は関門の一つとして考えられた。

            (聖書の中に出て来る当時の人々の氷についての認識)
(1)聖書に氷雪ははない
 日本語には「氷雪」と言う熟語があるが、氷と雪とが気象現象上の凍結物質であるとして並列して認識されている。聖書では「氷雪」という単語は発見されなかった。「氷」が全部で6回しか発見できない。一方雪は24回聖書に発見され。気象現象の凍結物質としては雪より氷よりも遥かに低い頻度で聖書に表れる。結氷は希少性の高い気象現象である。

(2)雪が一位、氷が六位
 因みに低温気象現象時に生成される氷雪以外の他の物質に関して某日本語訳聖書に出て来る高い頻度順に並べると以下の如くであった。
第一位雪が26回
第二位霰が19回
第三位雹が18回
第四位霜が09回
第五位氷が08回
 であった。霰や雹が以外に高い頻度で出て来ることが判明した。あらゆる低温気象現象で最も頻度が低いのが氷であった。古代の中東地方での結氷は低温気象現象の中も稀に見ることしか出来ないものであったことが伺い窺い知ることが出来る。

(3)凍結の多様性
 水が凍って氷になるとその容積は大きくなり膨張する物理的性質があるが、既に古代からそのような物理的性質を人々は理解していた。それはシラ書43-20において確かめられる。それは、「水のある所何処にでも吹きつければ、水はあたかも胸当てをつけたようになる」としており、胸当てのように水面が膨張することを描写している。

(4)春先の凍結河川
 ヨブ記6-16には「流れは氷に覆われることがある。雪が解けて流れることもある」とある。河川結氷の春先の情景を人々は知っていた。

(5)勿体ないが無い社会
 詩篇147-17には「氷塊がパンくずの如く投げられる」とある。比ゆ的表現であろうが、我々日本人では理解しがたい食べものの扱いである。

(6)パンくずの如き氷とは
 詩篇147-17には「氷塊がパンくずの如く投げられる」とある。これは細氷(ダイアモンドダスト)のことだろうか。パンを細かく千切って投げていたのだろうか。千切るとすれば粉に近い千切りかたであり考えにくい。しかも、細氷(ダイアモンドダスト)は日本でも北海道一部の極寒地のマイナス10度以下の地方であり中東地方では考えにくい気象現象である。

聖堂の詩その1064―新約の地震(2)

2016-01-23 13:58:51 | Weblog
               雪積る大地余震の地鳴りする      紅日2013年3月号

 2016年元旦から岡山県北部で地震があった。気象庁のデータによれば岡山県北部のほかに岩手県沖、福島県沖、沖縄本島近海、北海道日高地方、トカラ列島、長崎県南部などにも自信があった。岡山は震度3、岩手は震度2、他地域はすべて震度1で大きな地震ではない。一日に有感地震が日本列島全体で複数回起きるのは普通で、無感地震を含めると毎日日本列島には地震がある。別に珍しいことではない。

 しかし、昨年は口永良部が大爆発を起こした。他には桜島、霧島、箱根山、蔵王など多くの火山が動き始めている。昨年は火山活動が多かっただけに、地震は不気味である。地震速報が入ると心臓が凍りそうな心地である。

 今朝も福島県沖で地震があったのであるが、福島原発ではすでに放射能汚染水が満水で地下水遮断評決版が傾斜しているそうだ。その上、消費済み核燃料プールが階上に設置されているだけに心配である。プールが転覆すればどうなるか考えると背筋が凍りつきそうになる。そんなことが起きれば、今度こそ首都圏は全滅であろう。元旦の地震の多さの中で、そんなことを案じた。

●マルコ伝には漢字「地震」1回発見された。以下がその位置であった。
・13-8には次のように述べている。「民は民に、国は国に敵対し立ち上がり、方々に地震が起きて、飢饉が起きる。これらは産の苦しみの始まりである」と。
 マタイ伝24-7と重複

●ルカ伝には漢字「地震」1回発見された。以下がその位置であった。
・21-11には次のように述べている。「大きな地震があり、方々に飢饉や疫病が起こり、恐ろしい現象や著しい徴が天に現れる」と。
 地震が原因で飢餓に襲われる事例は、日本の場合地震による水田の水位低下、河川流路変更により灌漑水路に水が届かない等米作への打撃がその原因であった。また、火山性地震の場合は火山噴火の噴煙により太陽光線が遮られ地上の稲が育たないことも飢餓の原因であった。
 中東地方は水田耕作は見られない。農地のすべてが畑作や放牧地で地震が飢餓の直接原因にはなりにくかった。家屋の崩壊建造物の崩壊が人々の生産活動をストップさせ、そのことによる食料調達が困難に陥った。それが飢餓の原因であったと推定される。
 なお、本文には「大きな地震があり、方々に飢饉や疫病が起こり、恐ろしい現象や著しい徴が天に現れる」とあるが、「著しい徴が天に現れる」とあるが、この場合「天の著しい徴」は天界の星ではなく、即ち星座ではなく、火山噴煙ではなかろうか。当時は星座に関する知識が普及しているので、地震が原因の星座の変化はありえない事象である。
おそらくこの火山はカルメル山であると推定できる。シナイ山も火山であるが、エルサレムから400㎞もあり、あまりにも遠い。カルメル山が適当である。カルメル山はエルサレム北方100㎞に位置する火山。冬の偏西風が北または北西風の場合、風下にある高地エルサレムはすっぽりと噴煙の中に入るであろう。「著しい徴が天に現れる」はそのことを示していると推定できる。したがってこの場合の地震はカルメル山の火山性地震ではなかろうか。

●マルコ伝には漢字「地震」1回発見された。以下がその位置であった。
・13-8には次のように述べている。「民は民に、国は国に敵対し立ち上がり、方々に地震が起きて、飢饉が起きる。これらは産の苦しみの始まりである」と。
 マタイ伝24-7と重複

●ルカ伝には漢字「地震」1回発見された。以下がその位置であった。
・21-11には次のように述べている。「大きな地震があり、方々に飢饉や疫病が起こり、恐ろしい現象や著しい徴が天に現れる」と。
 地震が原因で飢餓に襲われる事例は、日本の場合地震による水田の水位低下、河川流路変更により灌漑水路に水が届かない等米作への打撃がその原因であった。また、火山性地震の場合は火山噴火の噴煙により太陽光線が遮られ地上の稲が育たないことも飢餓の原因であった。
 中東地方は水田耕作は見られない。農地のすべてが畑作や放牧地で地震が飢餓の直接原因にはなりにくかった。家屋の崩壊建造物の崩壊が人々の生産活動をストップさせ、そのことによる食料調達が困難に陥った。それが飢餓の原因であったと推定される。
 なお、本文には「大きな地震があり、方々に飢饉や疫病が起こり、恐ろしい現象や著しい徴が天に現れる」とあるが、「著しい徴が天に現れる」とあるが、この場合「天の著しい徴」は天界の星ではなく、即ち星座ではなく、火山噴煙ではなかろうか。当時は星座に関する知識が普及しているので、地震が原因の星座の変化はありえない事象である。
おそらくこの火山はカルメル山であろう。シナイ山も火山であるが、シナイ山はエルサレムから400㎞もあり、あまりにも遠い。カルメル山の可能性の方が高い。カルメル山はエルサレム北方100㎞に位置する火山。地中海に面した火山で偏西風をまともに受ける山。冬の偏西風が北または北西風の場合、風下にある高地エルサレムはすっぽりと噴煙の中に入るであろう。
 「著しい徴が天に現れる」は火山現象を示していると推定できる。したがってこの場合の地震もカルメル山の火山性地震であると推定される。火山性地震の後に噴火が起きてその上で噴煙が流れてきてで著しい徴が天にあらわれた。噴煙で真っ暗になったということではなかろうか。一年中青空の地中海性気候である。そんな青空の国での火山噴煙は人々には驚くべき現象であった。

●使徒行伝には漢字「地震」1回発見された。
・16-16には次のように述べている。「突然、大地震が起こり、牢の土台が揺れた。たちまち牢の戸がみな開き、すべての囚人の鎖も外れてしまった」と。
 パウロはやくざと女との関係を断ち切りました。やくざは女からはいってくる資金源を断たれたことを怒り、パウロを囚人に追い込みました。その牢屋での描写がこの一節です。それはエーゲ海に面したピリピ市です。ピリピの市街地の一隅にある牢獄での出来事でした。突然、大地震が起きたとあります。牢屋は囚人が逃げないように設えた頑丈な建物です。その土台が揺れたというのですからよほどの大地震であったと推定できます。
 この地震も火山が多い地域の近傍なので、火山爆発に伴う地震であったと推定されます。ギリシャにサントリニー諸島があります。その島々はすべて火山島であり、BC197年から始まって、紀元に入っても何度も爆発を繰り返して数多くの火山島を形成しています。それがサントリニー諸島と呼ばれるようになりました。したがってピリピでの地震もそれに伴うものでしょう。
サントリニー諸島は現在ではヨーロッパの避暑地であり観光地になっている。いくつもの島が時代を分けて形成された。最長20mにも及ぶ巨大島の誕生に伴う地震であるだけに巨大地震であったと推定される。ピリピからサントリニーまでの直線距離は450㎞で少し離れているものの、生成された火山の大きさからすればピリピでの大地震は不思議ではない。

●ヨハネの黙示録には漢字「地震」5回発見された。
 (黙示録とは何か)
 黙示録とは英語ではギリシャ語のアポカリュプシスの翻訳。接頭語アポ(離れての意味)を冠するカリュプシス(覆いつくすの意味)である。英語ではRevelationであり暴露するやすっぱ抜くという意味がある。日本の週刊誌がやるようなことだ。そのように言えば黙示録の威厳も形なしであるが、キリスト教文化圏と我々仏教文化圏との落差であるかもしれない。
 ユダヤキリスト教文化圏では今まで誰も言わなかったこと、誰も語らなかったことに価値を見つける。科学はそのような性質がなければ科学ではないとの認識が欧米社会では強烈である。模倣は絶対に許されない世界がユダヤキリスト教文化圏にある。欧米では派遣労働を含めて労働時間の切り売りや労働をゲーム視するのはこの点に由来するのであろう。語り継いだり人に伝えることは欧米では労働ではない。その人の頭の瞬間的閃きやその結果による企業収益だけが労働である。日本は時間を超越した労働の共同作業で文化が形成されるが、ユダヤキリスト教文化は個人の一瞬技や手柄が重視され集団共同作業や伝承を忌み嫌う文化がある。それはユダヤキリスト教文化と仏教文化との大きな落差だ。
 この黙示録が著されたのはそれはローマ帝国の暴君ネロが支配していた時代であり紀元69年ごろであると推定されている。内容は多岐にまたがって複雑であるが、最も主張している点はハルマゲドンであろう。神による最後の審判、天国への導き、地獄への転落が主旨ではなかろうか。日本の仏教でいえば釈迦への道か閻魔への道である。極めて過激思想であり、選択肢の強要はオウム真理の主張と重複している点もある。この黙示録の著者はイエスの弟子ヨハネのしもべであるといわれている。彼は黙示録原稿を書き終えてパチモス島に残した。パトモス島はエーゲ海に浮かぶ小島でトルコのイズミル沖に浮かぶ。そのようなヨハネによる黙示録の中に漢字「地震」は5回発見された。以下がそれぞれの位置である。

・6-12には次のように述べている。「また、見ていると、子羊が第六の封印を開いた。そのとき、大地震が起きて、太陽は毛の粗い布地のように暗くなり、月は全体が血のようになった」と。
 子羊が第六の封印を開いた、その時地震が起きた」とあり、読み方ににもよるが、徐羊が地震を引き起こしたかの如く描写である。地震を自然現象と捉えないで、人や神や動物が地震を起こしたかの如く認識があったのではないだろうか。

・8-5には次のように述べている。「それから、天使が香炉をとり、それを祭壇の火を満たし地上に投げつけると、雷、様々な音、稲妻、地震が起きた」と。
 香炉を投げつけたその瞬間に地震が起きたとある。ここでも香炉を投げつけた天使が地震を起こしたかの如き描写である。

・11-13には次のように述べている。「そのとき、大地震が起きて、都の十分の一が壊れて、この地震のために七千人が死んだ。残った人々は恐れを抱いて天の神の栄光をたたえた」と。
 都の十分の一が破壊され7000人が犠牲者になったとあるが、この地震は黙示録が描かれた直近のイスラエル大地震のことを指摘していると推定される。それは紀元前BC31年8月21日のことであり、当時詳細な震災記録が筆者であるヨハネのしもべの手元に残留していたのであろう。

・11-19には次のように述べている。「そして、天にある神殿が開かれ、その神殿の中にある契約の箱が見えて、稲妻、様々な音、雷、地震が起こり、大粒の雹が降り始めた」と。
 この場所も神殿が開かれて初めて地震が起きたと描写されている。地震は人為的な現象であると考えられていた。この地震も紀元前BC31年8月21日のイスラエル大地震であったと推定される。

・16-18には次のように述べている。「そして、稲妻、様々な音、雷が起こり、また、大きな地震が起きた。それは、人間が地上に現れて以来、未だかつてない大地震であった」と。この地震も紀元前BC31年8月21日のイスラエル大地震であったと推定される。


                  (聖書の中で地震に関して調査し判明した事項)

<1>聖書に出てくる火山
 地震はその原因からは大まかに三つに分類される。第一はプレートの活動による大型地震である。第二は、その活動に伴う活断層が引き起こす活断層の地震がある。そして、第三の活動は火山性の活動である。中東地方にはこれらすべての地震がある。まず、火山性の地震を取り上げてみる。現在の中東地方の代表的火山はアララット山(トルコ)、ネムルト山(トルコ)、ダマーヴァンド山(イラン)、タフータン山(イラン)などが挙げられる。火山には活動期と活動休止期とがある。また周期的に発動する事例が多い。
 聖書には二つの火山が挙げられる。いずれも現在は活動休止期である。第一はエルサレム宮殿北方で地中海に面したカルメル山である。もう一つは列王記19-11に出てくるが、エリアが主とであった山である。当時はホブレと呼んでいたげ、現在はシナイ山と呼んでいる火山である。
 
<2>全能の万軍の主が顧みる時に地震が起きる
 イザヤ書29-6「万軍の主によってお前は顧みられる。雷鳴、地震、大音響と共に旋風、嵐、焼き尽す炎のうちに。」と。あらゆる軍隊を統率支配するのは主であった。主は万軍の主」である軍事力を支配し指令し管理しているそれが主であった。聖書にはこの「万軍の主」は248回も数えることができた。
 如何に多くの人々は軍事力へ大きく依存していたかが見えてくる。民族への憎悪や偶像崇拝者の忌避は虐殺で報いた場面が多数あった。キリスト教やユダヤ教は成立以降無数の戦争を繰り返している。この点は仏教にも指摘できる。
 今もなお中東地方で血を血で洗う戦乱を繰り返している。その思想的背景にはこれら宗教特有の軍事力依存がないとは言えないであろう。ドイツナチスと同じように米軍も軍隊は鷲の記章を付けている。因みに聖書には鷲は59回も発見される。
 鷲の記章を付けたブッシュ大統領のバクダッド攻撃合図を従軍テレビカメラが追いかけた。そんなブッシュが「空爆の成功を祈って、アーメン」と唱えたことが今も忘れられない。聖書の中では万軍の主が顧みる時に地震と共に雷鳴、旋風、嵐、炎が起きている。万軍の主の恐怖と全能を描写している。

<3>地震は人為的にまたは動物行動で起こされた
 地震はどうやら人為的または動物行動が引き起こすもの、または深く関連するものと当時は考えられていた。地球のマントル対流に伴うプレート運動による地殻変動や活断層の発生に関する知識は当時は皆無であった。いくつかの場面でそのようなことが言える。
 第一は列王記19-11であり「主の御前に風が起こり、山を裂き風の後に地震が起きた。
 主の行動と地震とが密接にかかわっていることがうかがえる。
 第二にはイザヤ署29-6である。そこには「万軍の主によってお前は顧みられる。雷鳴地震、旋風炎の内にあり」とあってこれも万軍の主と地震とが深く関連付け られる。
 第三にはエゼキエル署「私は情熱で語る。必ずその日に、大地震が起きると」とし神や人間の石で地震が起きると考えていた。
 第四にはマタイ伝24-7には国家間対立や国民対立がj日心をひこ起こすと考えていた。
 第五にはマタイ伝27-54ではイエスキリストが張り付けられている場面である。ここでは百人隊長が地震が起きたりするのはイエスキリストが神の子ではないかと いう疑念を抱き始めている。これも地震は人為的に起きるのではないかと人々は感じていたことを示す一場面である。
 第六は同じくマタイ伝で28-2で描写されている天使の行動である。天使が石の上に座るために地震を引き起こして巨石を転がし、その上に座したとしている。地 震を起こしたのはこの場合天使であるかのごとく描かれている。
 第七は黙示録6-12である。子羊が契約の箱の封印を切ったことにより同時に地震が起きたと描写されている。子羊の行為が地震を引き起こしたとしている。
 第九は黙示録8-5である。ここでは天使が香炉を地上に投げつけたことで地震が起きていると描写している。
 第十はこれも黙示録であるが、11-13には地震を恐れ人々は天の神の栄光を称えたとあり、地震は神が引き起こすものと信じられていた。

聖堂の詩その1063―新約の地震(1)

2015-12-21 20:26:25 | Weblog
                  雪積る大地余震の地鳴りする      紅日2013年3月号

 年末の雑用に忙殺されてパソコンに向かう時間がなかった。仕事は不思議なもので一つの事柄に集中するとその事柄からまた新たな仕事が生まれる。物事に集中すれば一つの事項で完遂するものではない。次々と仕事は派生するものではないだろうか。それが本当の仕事だと思う。日本では派遣労働や期間労働者による労働にすっかり切り替わった。

 日本語に「時給」という単語が定着してしまった。私は仕事をしていていつも感じることがある。それは日本の産業はこの先持続するかどうかの疑念である。労働の時間による切り売りを継続していて、企業に今まで蓄積してきた諸先輩の技術や知識が継承できるのであろうかという疑念である。企業の存続性、継承性が途絶える不安がある。ことに日本の大企業株主の三分の二以上が外国人であればなおさらである。結局日本人だけが産業活動から切り捨てられるのではないかという疑念が膨らんで来る。

 日本社会が終身雇用制度を忌避し労働力の多様化を合言葉に、日本では派遣労働者が一挙に増えた。すでに正社員が半分以下になったとテレビや新聞は伝えている。ボーナスの平均は80万円といわれるが、これは労総者の半分以下になった正社員に限定された平均であり、派遣労働や機関労働者にはボーナスがないという話だ。この厳寒の年末をどのようにして過ごして居られるのかと考えると悲しさがあふれる。さみしい年末になったものである。日本政府と財界の話では近い将来正社員をなくすとのことである。そんなことをすれば年金の支給は直ちにストップすることであろう。超高齢化社会を迎えようとする日本である。

 私は戦前生まれであるが、これほど世の中が暗くて不安定な時代を迎えるのは初めてのことである。昔は正月三ヶ日といえばどこの店も閉まっていてどこの家庭でもおせち料理を作っていた。正月には家族だけでなく親戚が寄り集まる団らんがあった。平成に入ってからだと思うがそんな正月の空気は一気に消滅した。政治家は日本の伝統文化を守れと連呼するが、日本の伝統的な正月文化はとっくに消滅してしまっているといっても過言ではない。

 それに代わったのはクリスマスかもしれない。テレビなどでは聖夜は恋人同士でいなければならないかの如く報じている。また巷は酒臭い酔いどれの群衆に満ちているのが普通の風景となった。聖夜は酒が臭う性夜と化してしまった。キリスト教徒が減少しているといわれて久しい。セックスとアルコール漬しのクリスマスでは常人ですら一歩キリスト教から引ける。況やキリスト教の伝道にもならない。その背景には退廃的刹那的商業主義的聖夜の馬鹿騒ぎが大きな一因であろう。聖書の教えに問題があるのかどうかは断言できないが、それを許容推進するキリスト教会の姿勢にも問題が根深い。

 東京首都圏では一世帯当たりの平均人数が1.8人を割り込むのが近いというのであるから家庭そのものの存在がなくなっている。夫婦二人で2.0である。平均値は一人世帯も多く、二人を割り込んでいる。今後、首都圏に一挙に襲いかかるのは超高齢化であるのは間違いない。私の知人も首都圏に多いがほとんど後期高齢者である。オリンッピクが東京で開催されるそうだが、超高齢者対策が不可欠であるのは必至だ。現在でも独居老人が多数を占める首都圏である。新国立陸上競技場は金銭をめぐる問題とデザインで口角を飛ばした論争ばかりである。超高齢化社会にどう対応するかが完璧に抜け落ちている。超高齢者の観客席の話は耳にしたことがない。

 韓国は朝鮮戦争時にキリスト教徒が一挙に増えた。現在では国民の二割がキリスト教であるといわれる。少子高齢化にも一因あるといわれるが、その韓国経済が現在不調であるといわれる。韓国ソウルは日本の首都圏より高齢化が進んでいる。韓国と日本は世界の少子高齢化の先進国である。日本より韓国のほうが一歩先んじているといわれれる。日本政府も日本企業も他国の実態から学ぶ姿勢が乏しいと思う。超高齢化社会の対応を周辺国から学ぼうとする姿勢が乏しい。東京オリンピックにそれが全く見えない。価値が乏しいイデオロギー論争に両国政府と両国国民が明け暮れて、そのあげくにアメリカの対東アジアの軍事的要請に従い無理やり和解させられる姿が情けない。

 互いに謙虚に学びあう姿勢の中で真の和解が可能であり、軍事的要請による二国の和解はその場限りで短命であることは世界史が教えてくれている。こんな和解の仕方では両国ともに保守層も革新層からも支持を得るのは難しい。オリンピックも周辺国との関係も困難な問題が山積している。日本の謙虚さの欠落が致命的だと思う。鋭い観察力がないにもかかわらず、何もかも世界一でなければ我慢ができない傲慢さはおそらく近い将来大きなしっぺ返しとなる。国民が重荷を背負う原因となる。2016年の年明けは暗くなりそうであるが、暗さに挫けないで実態をよく見つめて前向きに生きたいものである。


                    (新約聖書に於ける漢字「地震」の分布)

●マタイ伝には漢字「地震」4回発見された。以下がその位置であった。

・24-7には次のように述べている。「民は民に、国は国に敵対し立ち上がり、方々に飢餓や地震が起きる」と。
 地震は国民と国民の対決や国家間対決の結果生じるものとして考えられていた。文面から読めばそのように受け取れる。当時は地震は地殻変動により生ずるのではなく、戦乱が原因であると考えられていたのであろう。地震は人為的要因で発生すると考えられていたのであろうか。
 このマタイ伝が著述されたのはAD85年頃までであると推定される。この一節はそれ以前に発生した地震である。地震を直接経験した人物かまたは言い伝えで知っていた人物の著述であろう。記録上、直近の地震はBC31年8月21日のイスラエル大地震が見つけられる。
 著者はそのBC31年の地震を描写しているものと思われる。著者は116年前の地震を描いているのであるが、現代社会では想像できない古い話を目の当たりに描いていると感じる。現代日本人で、地震学専門家を除外して幕末の安政大地震をリアルに描くことができる人が何人あるだろうか。安政大地震は1855年から1858年の三年間にまたがり日本列島全域に襲い掛かった大地震であり、東京も大阪も壊滅状態となった。
 安政大地震による人心の不安が明治維新政府が確立した背景にあるともいわれている。人心の不安が「富国強兵」を唱える明治政府を確立したといわれてみると今の政治と酷似している。そんな巨大地震を現代日本人が再現できるであろうか。イスラエルもヨルダン大地溝帯があり地震が多い国であるものの、古代人は現代人よりもある意味では過去を大切にしていたのではなかろうか。

・27-51には次のように述べている。「そのとき、神殿の垂れ幕が上から下まで真っ二つに裂けて、地震が起こり、岩が裂け」と。
 リアルな地震の描写である。マタイ伝の地震描写は一つの地震を様々な角度から描写されていると推定される。地震が発生して神殿の垂れ幕が上下に真っ二つに裂けたとし明瞭に目に見える描写をしている。神殿の神は人には簡単にはその姿を現さない。だからこそ幕で髪を隠しているのであろうか。偶像崇拝でないのであるから姿が見えないのである。偶像数宇敗の仏教でも秘仏があり人の芽にはめったに触れないあらたかな仏がある。幕が上から下まで避けるというのは大きなショックである。それはちょうど秘仏の扉が破壊されるのと同じ効果であろう。
 幕が裂けたので地震が発生したとしている。地震の原因は幕が裂けたことであったとの理解が見える。幕が裂けその結果、地震が起こり岩が裂けたと理解されていた。なぜ、幕が裂けたのか地震の中の家屋構造から考えてみたい。中東地方は古代も今も建造物は泥煉瓦を積み上げられて造られた。防災を意識して泥には藁をも混ぜて乾燥させ煉瓦を強靭化した。乾燥気候なので泥煉瓦が雨に溶ける心配は乏しい。しかし、煉瓦造りの家は地震のないヨーロッパ大陸諸国では問題がないが、新期造山帯の下に位置する中東地方では、またイスラエルのようにヨルダン大地溝帯があれば地震は日常的である。無感地震を含めれば毎日地震がある。
 日本の家屋は板壁であり中東地方の家屋は泥煉瓦壁である。地震による崩壊の仕方が異なるのは当然である。日本家屋の板壁は板壁そのままが倒れるので、所謂倒壊である。しかし、中東地方の泥煉瓦壁の場合は煉瓦が地震の振動で一つ一つが分離瓦解する。煉瓦壁が瓦解し屋根が家屋の中に落ちる。崩壊の仕方になる。屋根が家屋内に落下する過程で幕が上から下に真っ二つに裂けたものと推定される。日本の家屋の倒壊ではこのような現象は起きにくいであろう。

・27-54には次のように述べている。「百人隊長や一緒にイエスの見張りをしていた人たちは、地震やいろいろの出来事を見て、非常に恐れ、『本当に、この人は神の子だった』と言った」と。
 この地震は紀元前31年の地震ではないであろう。イエスが捕われた後のことである。すなわち磔寸前のことである。イエスを監視する百人隊長や見張り兵は地震に騒ぎ始めた。すでに述べたようにゴルゴダの丘があるエルサレム神殿の東方僅か20㎞足らずのところには巨大なヨルダン地溝帯が南北方向に走行していて、極めて活発な活動を示している断層線が存在している。地震が起きたことはそれほど非日常的な現象ではなく。常に地震は存在している。この場面も筆者はイエスキリストが地震を発生させっと理解している。地震は人為的な原因で起きるものと考えられていた。

・28-2には次のように述べている。「すると、大きな地震が起こった。主の使いが天から降りてきて近寄り、石をわきに転がし、その上に座ったのである」と。
 巨石が地震により飛翔したり転がったりする事例は阪神淡路大地震でも見られた。六甲残は花崗岩の山であるが、風化されて直径数メータもある巨石があの阪神淡路大地震で空に舞い上がったことがある。巨石は数十メートル飛翔して。ケーブルの軌道を塞いでしまった。何十トンもある巨石を除去しケーブル運転を再開するのにケーブル会社は苦労した。

聖堂の詩その1062―旧約聖書の地震

2015-12-11 21:52:28 | Weblog

               雪積る大地余震の地鳴りする      紅日2013年3月号

 今年は水害、地震災害、火山災害が多い年だった。戦中から戦後、そして平成まで長らく生きてきてこれほど災害が多い年はなかったのではなかろうか。それに、心配なのは、水害も地震災害も火山災害もどれもがその災害の規模が大きくなっているようだ。被害が大きくなる原因の一つは国民が防災教区はもちろん、地学や地理学を学んでいないことによる学力低下が加速度しているのは明白だ。

 「多様性」という言葉には要注意だ。労働形態の多様性に対応するために結局労働者の三分の二は非正規社員や派遣労働者に転落させられた。政府が言っていた「労働形態の多様性の対応のために労働者の半分以上が派遣労働者に追い込み。貧困層に転落してしまった。政府が派遣労働者に巧妙に追い込んだ結果である。多様性と憩ことがはこれほど巧妙に相手をだます言葉はないのではなかろうか。

 文部省のカリキュラムも同じである。生徒の興味の多様性に応じ社会科、今は地歴と倫社を指摘するそうだが。社会科の科目を盛りだくさん作った。こんなに科目を増やしてどうするのだろうかと思っていたのであるが、案の定「多様化」は大嘘であった。

 各高校に塵を教える教師が配置されないのである。そして歴史は人物史ばかりで、半年ぐらいかけて豊臣秀吉を言教えるという粗末なものであった。ひどい事例は高校で日本史は豊臣秀吉と徳川家康の人物史しか習わなかったというものもあった。人々の生活の発達が何も見えなくしてしまった。こんな日本史なら受講の値打ちはない。

 理科も同じである。卒業後社会人になっても大学に入学しても理科は自然科学の重要分野である。それが抜け落ちているのである。自然科学の基本が認識されないまま卒業している実態がある。地学を学びたくても地学を教える教員がいない高等学校が山ほどある。大学進学で点数がとりやすいかどうかで生徒は科目選択wくぉするので地学希望が少ない。

 地学学習希望生徒が少ないので教員がいない。お粗末な話である。地球環境の激変は日本列島が世界で最も顕著に表れているのpであるが、その自然環境の化学認識をしないで大学生になったり社会人になったりしているのが大半である。国民の自然環境の認識は幼稚園以下であるといえるであろう。

 日本列島は世界で最も火山活動が活発な国である。しかし、大学で火山研究や地震研究がどれほど進められているであろうか。火山学者の人数は日本全体で百名もいないのではないかと言われているほどである。だからいつまでたっても各地の防災対策が確立しないのであろう。だからこそ火山活動や地震活動に伴う犠牲者の数が突出している。

 地理や地学を学ばないから原発事故が何度も繰り返される。また、原発を海外に輸出しようとする。この国の危険性がまだまだ膨張すると思うが、少しでも安全で生活できるコクドに生活しようとするなら少なくとも今の高校のカリキュラムを抜本的に改変すべきではなかろうか。国民生活の安全性と将来性に視点を置いたカリキュラムが必要ではなかろうか。

 時代錯誤も甚だしい、そして格闘技などテロリストのまねごとのような教科は排除すべきである。一つ間違えば凶器を持たせるようなことを高校生にさせるべきではない。自分を磨き鍛錬するための科学はいくらでもある。もっと大切な科目がある。

 日本は火山国なのに、日本は地震国なのに、日本の自然科学の教育活動も研究活動も不活発である。誰が賞を決定するのか何のために制度が存在するのかわからないが、ノーベル賞を二つ貰って連日テレビでどんちゃん騒ぎしている程度の国であるから仕方がない。我が国の国民はなぜもう少し真面目に冷静になれないのであろうか。不思議である。

 日本の自然科学分野発達の原始性の指摘はこれくらいにしておいて、聖書に出てくる地震の話に戻りたい。聖書には地震の出てくる回数がどちらかといえば多い方だ。敬虔なクリスチャンでも敬虔なユダヤ教徒でも聖書に出てくる地震回数をご存知だと思う。聖書全体で漢字「地震」は18回発見された。

 地球上で地震が多い地域は地殻が薄い地域である。地殻が熱い地域では50㎞以上もあるが、薄い地域ではその厚さは10数キロメータしかない。海溝など十数キロ掘削すればマグマ圏に入ってしまう。新生代に形成された新しくて急峻な山脈や海溝分布地域が新規造山タイであり、火山活動も活発な地域である。

 世界には地震が多く火山も多い地域は環太平洋造山帯とアルプスヒマラヤ造山帯の二つの系統がある。聖書が描かれた地域はこれら二つの造山帯が接合している地域の該当している。地震が多くても決して不思議ではない。

 聖書の中に「地震」は18回発見できた。「地が揺れる」や山が吹き飛ぶ」など地震を推定できるフレーズもあるが、ここではそこまで取り上げると複雑になるので明確化のために単語「地震」のみを取り上げて聖書の地震を追及したいと考えている。

 巻別では以下の結果が出た。
列王記上   ―2回
イザヤ署   ―1回
エゼキエル署 ―1回
アモス書   ―1回
ゼカリア署  ―1回
マタイ伝   ―4回
マルコ伝   ―1回
ルカ伝    ―1回
使徒行伝   ―1回
ヨハネ黙示録 ―5回
 旧約聖書よりも新約聖書のほうは地震が多く描写されていた。しかし、これは新約聖書時代は旧約聖書時代より地震が多いとは断言できない。記録数の違いであるに過ぎない。



                   (聖書に発見される漢字「地震」の分布)
 巻別に以下に表示した
●列王記上には漢字「地震」2回発見された。以下がその位置であった。
・19-11には次のように述べている。「主の御前に風が起こり、山を裂き風の後に地震が起こった。しかし、地震の中に主はおられなかった」と。
 エリア(BC875~848)は特別預言者であった。ユダヤキリスト教の三大人物といえばモーセ・エリア・キリストの三人です。その三人の一人がエリアなので彼は特別預言者と言われています。エリアはユダヤ国に広がるバアル信仰の撲滅、バアル信仰者のせん滅殺戮作戦に立ち上がった。地中海に面したカルメル山でバアル預言者に勝利したものの、王国を支配する女王に追われることとなった。カルメル山では勝利したものの、追討師に追われる身でエリアは戦いに憔悴した男であった。そんなエリアの前に御使いが出現し、」彼を荒れ野の中にあるホレブに導いた。その、ホレブでエリアは主に合う。この場面はその個所を描写している。
 山を裂き嵐の後に地震が来た。この山はホレブ山を指摘している。ホレブは真の上山の意味がある。それはシナイ半島中央に起立するシナイ山を指摘している。モーセが登頂したシナイ山には火山活動の痕跡は発見されていないので、この場合はアラビア半島に散在するシナイ山であったのではないか。なお、新約聖書に登場する旧約聖書の人物はモーセとエリア以外にはいない。エリアは偶像崇拝者バアルに屈服しなかった勇者であると褒めたたえている。偶像委崇拝者は絶対に生かしては置けない殺戮すべく神の敵であった。

・19-12には次のように述べている。「地震の後に火が起こった。しかし、火の中にも主はおられなかった。火の後に、静かにささやく声が聞こえた」と。
 ホレブ山の地震が終わると火が起きた。しかし、主は日の中にはおられなかった。火が消えたのちに静かにささやかれたとある。多くの人々は神ヤーベは火の中に在るものと信じていた。それはカスピ海のほとりバク―油田に発生したと伝えられる世界最古の宗教である拝火教(ゾロアスター教)の影響ではなかろうか。 

●イザヤ署には漢字「地震」1回発見された。以下がその位置であった。
・29-6には次のように述べている。「万軍の主によってお前は顧みられる。雷鳴、地震、大音響と共に旋風、嵐、焼き尽す炎のうちに。」と。
 万軍の主がお前を顧みるのは、雷鳴や地震や嵐や火炎の中に於いてであるということであろう。万軍の主は膨大な力を漲らせる神である。文字通り神はあらゆる軍隊の総指導者でもある。
 大きな力を漲らせているのでこのように形容したのであろうが、何か物騒な言葉づかいではなかろうか。聖書に一度や二度ぐらいの程度なら見逃すのであるが、戦争指導者としての神である「万軍の主」は何と驚くなかれ聖書に248回も発見されるのである。聖書を読む者の脳裏に戦争を刷り込むのではなかろうか。戦争とは対立する両社が常に正義を主張するのが普通であるが、正義の戦争なら、偶像崇拝者なら相手を殺害しても構わないということになる。無意識に脳裏に刷り込まれているからこそ11世紀から12世紀にかけての十字軍戦争があった。
 また、21世紀に入ってからも、アメリカのブッシュ大統領はバクダッド空撃時に「神の御名によりバクダッド空爆を開始する。アーメン」と叫んだ。日本政府も真珠湾攻撃を遂行したのであるが、戦争は正義のためにあると思い込んでいると考えてよいのではなかろうか。
 「万軍の主」を現代語に翻訳すれば「戦の親玉」と翻訳できないことはない。実際、異民族や偶像崇拝者たちを尽く虐殺しているのは「万軍の主」である。キリスト教やユダヤ教では神に平和を願うのではなく戦争を願っているといえないことはない。それはキリスト教から分派したイスラム教にも言える。
 テレビや新聞でイスラム国は究極のテロリストであるといわれている。一部ではアメリカ財界やアラブ諸国の王族がテロリストに資金援助しているという報道もあり、この種戦争報道は常に眉唾物で信用できない。アメリカ社会では国内でテロ事件が勃発するたびに拳銃や機関銃の販売台数が鰻登りに上昇している現実を見ればどちらがテロリストであるのか判別が難しい側面がある。アメリカ社会全体がテロリスト化しているといえないことはない。
 日本も「グローバル化」の掛け声と同時に、アメリカナイズが進んでいるが、政治家が連日「規制緩和、規制緩和」と連呼しているところを見れば日本も一般市民が銃を携帯する社会が近いのではなかろうか。なんでもありの規制緩和社会が近づいているのは確かだ。
 それにしても神が暴力をふるう虐殺を肯定奨励するとは、空恐ろしいことでありカルト教団といえないことはない。唯物論者が宗教は麻薬であると切り捨てたのは、この辺にも原因があったのであろう。そうした、やられればやり返す、という暴力肯定が体現されているのがアメリカ銃社会であろう。私個人の話で恐縮だが、このような聖書にカルト教団的性質を感じてキリスト教会からも遠ざかってしまった。
 聖書のこのくだりでは神が顧みるのは地震や嵐などの自然恐怖現象の中でしか顧みることはないといいたいのであろうか。日本では恐ろしいものの順序に「地震雷火事親父」と言われたのであるが、古代中東地方では「雷、地震、嵐」の順序である。

●エゼキエル書には漢字「地震」1回発見された。以下がその位置であった。
・38-19には次のように述べている。「私は熱情と怒りの火を持って語る。必ずその日に、イスラエルの地には大地震が起きると」と。
 当時の人々は火に対して抱く感情は「情熱と怒り」であったようである。熱さを表す事象である。私は火のごとく熱い気持ちでイスラエルの大地震を予言したいと述べている。
イスラエルもイスラエルの山間部にあるエルサレム神殿にしばしば大地震が起きる。大地震ごとに人々はハルマゲドンだと叫び、この世のおしまいだと叫んでいたのは明らかです。しかし現実にはハルマゲドンも終末期でもなかった。人々はがれきの中で集落や農村地域の再興に努めた。人類はそんな繰り返しの歴史であった。
 イスラエルはそもそもアルプスヒマラヤ造山帯の真っただ中に大地震が繰り返されるのは当たり前のことです。それを社会を混乱に陥れるために「ハルマゲドンが来る、ハルマゲドンが来る」などと連呼し人々を怯えさせ、人々の怯えを利用して支配しようとする魂胆を常に捨てることをしなかった。エルサレムの東方およそ20㎞にヨルダン大地溝帯があります。これは断層作用で生まれた溝状の地形です。南北方向では1000㎞以上にも及ぶ大断層線です。日本の中央構造線(メディアンライン)に匹敵する巨大断層線であり、ヨルダン地溝帯断層活動でエルサレム神殿に地震が多かったのは当然であります。
 これを「ハルマゲドン、ハルマゲドン」と連呼し人心を惑わした。日本でも平安時代に末法思想が蔓延しました。富士山の爆発(879)が竹取物語に記録されています。また、平安時代には東北三陸海岸の巨大津波の来襲がありました。貞観地震(869)です。古文書にも存在します。現在でも三陸海岸の山麓部に石碑が沢山今も発見されます。碑は古人が未来の人々に対して津波が到達した位置を示しているのです。
 現代日本人がこのことを常に認識していれば、あんな場所に福島原発を建設するはずがありません。巨大津波の発生はわかっていたことです。そんな事例の原発が日本になんと多いことでしょう。東大の自称原発関連科学者は何の役にも立っていない。彼らは金銭で歪められた「科学」という手品で社会を破壊しただけでした。そんな結果が出てしまいました。
 もし住民も三陸海岸の津波石碑の重要性を深く認識していれば海岸沿いに集落を建設するはずがない。自然に対する人間の驕り、科学認識の軽薄化が災害を拡大している典型的な事例です。エルサレムだけでなく日本にも同じことが起たのです。それは自然軽視であり、人間の軽薄さの極みであるといえるでしょう。過去はもちろん、将来共にエルサレム神殿に巨大地震が起きないことのほうが不思議です。
 現代社会で最も用心すべきはそんな人心の不安の蔓延です。人心の不安を利用して「ハルマゲドンを連呼し、巧妙に立ち回り富を独占したがる勢力でしょう。そして社会を独り占めにする支配欲望ではないでしょうか。日本の近隣諸国にも欧米にもそのような人物が多いです。新自由主義と称して、株式市場と間接税と称する悪辣な税制により世界中の富を一か所に集中させているともいわれています。地球温暖化もどこまでが真実なのか疑う必要が無きにしも非ずです。

●アモス書には漢字「地震」1回発見された。以下がその位置であった。
・1-1には次のように述べている。「テコアの牧舎の一人であったアモスの言葉。それは、ユダの王ウジヤとイスラエルの王ヨアシュの子ヤロブアムの時代、あの地震の二年前に、イスラエルについて示されたもの」と。
 アモスは遊牧から牧畜社会への移行時代の預言者で、アモスは預言者であるがもともとテコア地方の牧舎であった。テコア地方はエルサレム南方18㎞にあり、エルサレムから祖徒歩で四時間前後。ベツレヘムのさらに南方で死海が見える寒村である。イスラエルのヨシュア王の子ヤロブアムの時代は紀元前787年から748年です。なお、当該地震に関しては聖書にはほかにも発見される。下記に述べるゼカリア書14-5この二か所からは地震があった年代は判断できないとされている。
 因みにエルサレム神殿とその東方にあるヨルダン地溝帯の高低差を明確にしておきたい。エルサレム神殿は標高740m、死海海水面はマイナス418m、そして死海の最深部は433m。エルサレム神殿から死海湖底までの垂直差は740m+418m+433m=1591mである。その標高差は日本列島の四国山系に匹敵する高さであり地震活動が活発であることは一目瞭然である。死海湖底から仰ぐエルサレム神殿は瀬戸内海の中央構造線断層崖下の海岸集落から仰ぐ石鎚山とほぼ同じである。

●ゼカリア書には漢字「地震」1回発見された。以下がその位置であった。
・14-5には次のように述べている。「あなた方はわが山の谷を通って逃げよ。山あいの谷はアツァルまで達している。ユダの王ウジアの時代に地震を避けて逃れたように逃げるが良い。わが主なる神は、聖なる御使いたちと共に貴方のもとに来られる」と。
 アモス書にも地震が描写されているが、アモス書の地震とゼカリア書の地震が同じであるとすれば、この地震はユダの王ウジアの時代の地震である。ユダヤ国の王ウジアは紀元前783年から紀元前742年にまたがる長期政権であった。アモス書に出てくる地震もゼカリア書に出てくる地震も同一であるとすればウジア王の時代、即ち紀元前783年から紀元前742年の間に起きた地震である。
 この地震でもう一つ注目すべき点がある。それは大地震が発生した場合、震災から逃れる避難経路があったことだ。経験上人々の知識として安全な通路が知られていたことである。その事実はエルサレムの地震の多さを物語る。地震頻度が高いから、その避難経路が人々に知られていた「山あいの谷はアツァルに通じる」とある。谷道を降りてアツァルに通じる道が最も安全であった。アツァル地名は現在も残っている。それは、エルサレム神殿の東方オリーブ山からギデオンの谷にに流れ込む河川名称である。したがってアツァル川からギデオン川に下る谷道が安全であったと推定される。


 地震に関する説明が長くなってしまった。旧約聖書に発見される単語「地震」はゼカリア書までであった。新約聖書に出てくる「地震」に関しては次号で調査結果を述べたいと思う。明日十二月二十二日は冬至。明日は一日で最も日が短い。明後日から一日の日中時間が次第に長くなる。春が近い。厳寒日があるものの、日差しに春が見えてくる。

聖堂の詩その1061―深紅と真紅

2015-12-11 21:47:10 | Weblog
                      寒茜池が真紅の金閣寺   紅日2003年11月号

 寒茜は冬の季語。寒茜の「茜」は万葉集の額田王の作品で「あかねさす紫野行き標野ゆき野守は水見ずや君が袖降る」の「あかね」である。俳句では、寒茜は寒夕焼とも言い夏とは違う冬の透明感が深い夕焼を差している。この寒茜は太平洋側に位置する地域は見やすいが日本海側は寒茜がない事はないが見えるチャンスの確率は太平洋側と比べて低くなる。日本海側の冬は雨や雪の非ばかりだからである。

 額田王は滋賀県竜王町一帯を支配していた豪族であったと言われる。竜王町はどちらかと言えば太平洋側の気候に入る。この作品「あかねさす紫野行き標野行き、、、」も滋賀県竜王町での作品であると言われている。滋賀県竜王町に紫野や標野の地名が残留していないか地名辞典や古地図や文献も虱潰しで探したがない。竜王町をも歩き回って探したが発見できなかった。滋賀県にも爆撃が在ったが、近江平野は比較的爆撃が少ない。新たに古文書が発見されるかもしれない。目立つ地名なので誰かが場所を特定する時が来るだろ。この歌は一方で不倫の詩であるとも言われている。こんな不倫の詩が戦時中から戦後にかけて小学校国語教科書に堂々と掲載されていた。文部省は不倫の詩であることを知らなかったのであろうか。

 文部省検定済み教科書には間違いだらけであるが、間違いを指摘する先生が少ないのは残念なことである。他所の教科で外野席から言うのもおこがましいと思うので沈黙を守っていたものの、数学や理科の教科書は目を覆うばかりの間違いであった。教科書であろうと何であろうと人間が書いた文書には聖書を含めて完璧は有り得ない。私のような田舎の一教員ですら教科書の執筆者のリアス式海岸の認識が誤っていることを発見したぐらいであるから、他は押して知るべきである。リアス式海岸に関する教科書の認識違いが新聞に大きく掲載され、多くの学校で大騒ぎになった。

 文部省の職員の方々は間違いを避けようと避けようとするから「等」や「諸」や「諸国」を執拗に使おうとする。「等」や「諸」や「諸国」を多用し、文章の焦点をずらしたり、ボケさせたりすることが出来る。そして、なんとでも言い訳が出来る体制をとっているようだ。それにしても余りにも等や諸や諸国が教科書に多いので出版会社の編集部に苦情を申し込んだことがしばしば在った。迷惑するのは生徒である。文部官僚のための教科書発行ではない。出版社からはのらりくらりした返事が帰ってくるだけで改善が見られない。

 昔も今も変わらないだろう。昔の方がましかもしれない。情けない文部行政である。一番迷惑をこうむるのは教科書を読んで自学する生徒や予習する生徒である。文部官僚は痛くも痒くもない。おかしな話は教科書の間違箇所が指摘され、間違いが在ったことを国民に対して一切の訂正謝罪がないことだ。私は地理の教科書は札束を目の前に山積みにされても絶対に執筆をしないと決心したものであった。教科書の執筆はお目出会い名誉職大好き人間に任せておくより仕方が無い。

 あんな傲慢な検定制度がない。しかも、教科書検定官は驚くなかれ、証券会社の営業マンや自動車会社の社長が目を通すとの噂もある。噂の真偽は定かではないが、成程と思う節が多い。その上、文部省は誰が検定したのか氏名を絶対に言わない。地理学の「ち」も分らない連中が検定官だそうだ。何も検定をしない名誉職としての教科書検定官。話は違うが、東大や京大は例外であるが、大学には文学部や法学部や経済学部がなくなるのだそうだが、日本の学校教育は高等教育から幼児教育までが音を立てて崩れるのを感じる昨今だ。話がそれてしまった。作品「寒茜池が真紅の金閣寺」での金閣寺の話に戻したい。

 インドヨーロッパ語族でもそうだと思うが、日本語も赤によく似た単語には緋や紅や朱があり赤に対しての色彩感覚が敏感であることが推定出来る。人類は生物の中で唯一火をコントロールできる動物。だからこそ人類史において赤に対して鋭い感覚を抱いてきたのではなかろうか。赤に対する感覚が研ぎ澄まされてきた。

 此処では聖書に発見される赤ではなく、赤に近い真紅や深紅に関して調査を深めようと思う。因みに聖書に発見される赤は回でした。地球上で火を制御できる生物は人類だけですが、その割りに聖書に出てくる赤の頻度が低いです。そして、聖書には「真紅」は2回、「深紅」は4回発見された。真紅も深紅も低頻度語であった。この点を聖書に出てくる色彩語すべての中でもう一度確かめておこうと思う。その為に「聖堂の詩その487―古代人の色彩感覚」から引用し、もう一度此処に掲示しておき確かめて置きたいと思う。
(聖書記載色彩語頻度表)
金―545回
銀―322回
青―237回
白―109回
紫―056回
黒―052回
緋―042回
黄―041回
赤―040回
紅―035回
緑―012回
碧―006回
深紅―4回
真紅―2回
純白―1回

               (聖書の中に発見される単語「深紅」の分布)
聖書には単語「深紅」が四回発見される。その位置は下記であった。
●申命記には深紅が一回発見される。その位置は下記であった。
・32-14には「彼らは、牛の凝乳、羊の乳、雄牛の脂身、バシャンの雄牛と雄山羊、極上の小麦を与えられ深紅のぶどう酒、泡立つ酒を飲んだ」とある。
 真紅と深紅とはほぼ同じ意味であり、真紅と書いたり深紅と書いたりします。どちらでも構わないようです。聖書翻訳者が真紅と翻訳したり、深紅と翻訳したのだと思います。翻訳者の意に任されているのだと思います。また、真紅や深紅は韓紅とも呼ばれています。古代日本で輸入されていた紅花を指摘しているようです。外国から齎された紅花であり色彩であったからでしょう。山形県で生産利用が多いのですが、紅花は高価な植物で紅花染めは庶民から遠い存在でした。一切の混合物がない紅花だけで染めた場合の色彩は深紅ということも在ります。聖書のこの箇所は「深紅のぶどう酒」です。現代社会で一般市販されているぶどう酒は黒っぽい紅です。古代のぶどう酒は現代のぶどう酒に比べて色が薄く赤に近い色であったと推定できます。ぶどう酒は葡萄汁を発酵させて出来ます。何の混じりけも在りません。尚、ぶどう酒の色の違いは酒樽の木質の違いや発酵の度合いや葡萄の種類が違うことにより発生するといわれています。

●歴代誌下には漢字「深紅」は三箇所に発見される。その位置は下記。
・2-6には「深紅の織物」とある。紅花はエジプトが原産地で中東地方にも広がり、日本へはシルクロードを通過して四世紀か五世紀には輸入され栽培も始まったといられている。古代日本では紅花は「呉藍」や「韓紅」と呼ばれていて、いずれも海外から移入された植物であることを示している。古代は今の千葉県で生産されていたが、近世に入り松尾芭蕉が活躍した頃には今の山形県最上地方や埼玉県で第倍された。芭蕉は紅花の作品をいくつか残している。
 紅花の用途は染料が最も多い。染料以外ではその用途の幅が広い。血液循環を促す生薬として活用され養命酒にもその成分が含まれている。紅花の搾油から天麩羅油やマーガリンの原料としても使われる。
 また、紅花は口紅の原料でもあり、松尾芭蕉は山形県尾花沢で「行く末は誰が肌ふれむ紅の花」の作品を残している。眼前の紅花はどんな女性の肌を美しく彩るのだろうか謳っている。眼前の余りにも美しい紅花が世俗の女の口元を赤く染めるとはとても思えないという意も含まれているであろう。山形県の最上川流域の紅花畑は一見の価値がある。満開の紅花は真夏の最上川流域一帯を黄紅色に染め上げている景観は見事である。
・2-13には「深紅の織物」とある。
・3-14には「深紅の織物」とある。

               (聖書の中に発見される単語「深紅」の分布)
 聖書の中には漢字「真紅」は二箇所しか発見できなかった。発見された位置は下記。
●エステル記に二箇所発見されただけである。その位置は下記だった。
・8-15には「真紅の亜麻布」とある。
 日本語辞書には深紅と真紅とはその意味は同じであるとされている。聖書ではエステル記だけに真紅が発見されるが。深紅と真紅とは使い分けているのかもしれない。翻訳者の意図を知らなければ、真紅と深紅との違いは明白にはならないだろう。
・8b-15には「真紅の亜麻布」とある。



              (聖書に出てくる真紅や深紅に関して分かった事項)
<1>真紅も深紅も低頻度語
 聖書には赤が40回も出てくるが、真紅は2回、深紅は4回しか発見できなかった。極めて頻度が低い単語であり、両者とも希少性の高い単語であった。

<2>真紅も深紅も旧約聖書
 真紅も深紅も旧約聖書に発見されたが、新約聖書には皆無であった。新約聖書の翻訳者は「深紅」や真紅」などと言わないでは赤で統一しているのであろう。翻訳者の翻訳時のの精神の問題であろう。キリスト誕生以来、赤系統の色彩が激変したとは考えにくい。

<3>深紅と真紅の使い分け
 国語辞典では「深紅」と「真紅」との違いはあまりないとしているが、旧約聖書はそうではないようだ。
①深紅は旧約聖書では申命記の32-14、歴代誌下では2-6,2-13,3-14の四か所に発見された。それぞれは深紅の葡萄酒、深紅の織物、深紅の織物、深紅の織物の四点であった。旧約聖書では葡萄酒と織物が深紅であったとしている。
②真紅は旧約聖書では二か所にしか発見できない。それはエステル記の8-15、8b-15の二か所である。それぞれに「真紅の亜麻布」となっていた。
 織物は深紅であり、亜麻布が真紅に染められていたというのであるが、これは日本語への翻訳者の意思が大きく作用していいるのではなかろうか。翻訳者は深紅と真紅との識別ができたのかどうかが問題である。

<4>火炎の色彩ではない深紅や真紅
 作品「寒茜池が真紅の金閣寺」は金閣寺が炎上している風景が見えるが、私はそんなことを全く意識していなかった。昭和25年(1950 )には京都で大火災が二件もあった。七月二日未明の金閣寺火災、十一月十八日京都駅火災であった。それぞれ近くで火災を見た。空を火炎で染めて空恐ろしい風景であった。
 三島由紀夫の長編小説がその後飛ぶように売れたのであるが、全く読む気がしなかった。一人のやじ馬が小説にしたにすぎないと思い込んでいた。過激なことを陰で喜ぶ異常心理を訝しく思った。火災は条件反射のごとく、私は目を背ける癖がある。テレビのニュースも同じだ。火災を排除してしまうトラウマが終戦後私の中で醸成されたのかもしれない。
 わたくしは贅をつくした金の金閣寺より物がない時代に白川の砂を有効利用して庭園が建物を引き立てる太陽光に照らし出される銀閣寺のほうが重厚さがあり芸術的にも優れていると思う。しかし世間は今も「金閣、金閣」と点呼している。金閣寺は外国人観光客があったウ的に多いのであるが、そういえば、聖書に出てくる色彩で一番多いのは金であった。金は聖書に545回も登場していた。拝金主義思想、新自由主義経済思想の源流は聖書にあるのかもしれない。
 国宝や世界遺産はテロリストの標的を作るようなものであり、政府は矢継ぎ早に国宝や世界遺産を大量生産している。政府はテロ撲滅を叫びながら、なぜ世界遺産や国宝を大量生産す居るのであろうか、納得出来ない現象である。意外にも政府はテロリストを呼び込んでいるのかもしれない。混乱を巧妙に利用して人心を押さえつけるのであろうか。私の作品「寒茜池が真紅の金閣寺」は火災のことを全く意識しない作品であった。そして聖書には真紅はエステル記に二度しか登場しない。
 聖書にはエステル記には二度しか発見できない。それ御害は聖書のどこを探しても真紅は見当たらない。聖書と真紅とは縁もゆかりもない色彩ではないだろうか。
             


        

聖堂の詩その1060―聖書の中の雀の値打ち

2015-11-01 13:23:25 | Weblog
                 木枯に雀の群が蛇行する     紅日2015年1月号
 今年は、比叡山では2015年10月25日に木枯し一号が吹いた。早朝、木枯の音で目が覚めた。玄関を出ると風が強くて震え上がった。青空で轟々と音を建てて木枯が吹いている。木枯が冬の到来を告げた。今年の秋から冬にかけては変則的な天気が続く。秋の晴天日が続いてありがたかったが、10月としては記録的な少雨だったそうだ。そんなことをNHKの「お天気姉さん」が報じていた。

 妙な言葉が次々日本社会に生まれてくるものだ。NHKは女性の天気予報士を「お天気姉さん」自称しているそうだ。年下のひとが「姉さん」というのはなんら不自然ではないが、年上の人間が「お姉さん」は妙な気分がする。呼称だけではない。その、お姉さん方は肩書きが通産省国家試験に合格した気象予報士であるものの、発声や発音の訓練を全く受けていないのではなかろうか。日本は少子高齢化社会に既に突入していて視聴者の半数以上が難聴者であると言う現実が在る。テレビの音を大きくしても発声発音が妙であれば天気予報を誤認識してしまう危険性が充分ある。

 テレビに出て来る天気予報士がどんな職業についていたとしても問題ではない。噂では大人のビデオに出演していた、またはヌードモデルであるとの話も耳にするがそれは全く関係ないと思う。どんな職業についていたとしても、裸の写真を世間にさらしていても、それはなんら差し支えない。しかし、発音発声があいまいだと問題は大きい。なぜなら日本人の命に関わることであるからだ。天気予報を誤認識したまま小舟を沖に出す老漁師もいるだろう。天気予報を誤認識したまま野良仕事を終える老農夫も居るだろう。

 穏やかな海だと思い込んで出漁して嵐に遭遇すればどうなるのか。遭難して命を失う場合もある。明日も晴天であると思い込みながら用水路の堰を開けたまま野良仕事を終えて夜中に豪雨が来ればどうなるのか。村の田畑が冠水するだけではなく家が流れて命を失うことも充分ありうる。そんな馬鹿なことは無いだろうと思う人が多いかもしれないが、気象現象の激変は21世紀に入ってからというものは日常茶飯事。

 自然の激変を甘く見るべきではない。何もかも大丈夫だと思い込んでいるからこそ津波や豪雨に遭遇し命を失う事例がどれほど多いか計り知れない。自然を甘く見ているから命を落としているのが現実ではないか。それは寺田虎彦の言葉を持ち出すまでもない。

 私は、テレビの天気予報に関しては危険性を感じてならない。お天気お姉さんたちは「帰り道には雨が降るかも知れません。折りたたみの傘をお忘れなく」などと注意を促すが余計なお世話だと思う。雨なら雨で明確に告げるべきであり、一般の傘であろうと折りたたみの傘であろうとこっちの勝手だ。また、「帰り道には急に気温が下がりますのでディガン等を羽織って出かけてください」等と警告を発するが、是も「夕方には気温が急に下がります」だけでよい。短く明確明瞭に報じるべきである。カーディガンを着用しようがセーターを着用しようがこちらの勝手であり、余計なお世話だ。

 現今のテレビに出て来る天気予報士は日本国民の一人一人の命や人々の産業活動の安全性に全く意識を払っていない。予報士は日本人の産業活動とその安全性が全く眼中にない。そもそも、何のために気象庁や気象台が通産省が管轄しているのかその意味がわかっていない。分っていたとしても意識していないと言うのが正確であろう。

 NHKのお天気お姉さんの中にはウオルトディズーに出て来るドナルドダックと全く同じ声で報じる人が居られる。ウオルトディズニーノ漫画に出て来るドナルドダックの声優さんかと思っていた。確かお名前はTさんだったと思うが、当初は可愛らしい声で良いのではないかと思っていたが、よくよく考えると報道機関として危険極まる事態ではないのだろうか。私は是を何処に訴えても無駄であると思うので放置している。もう、十年位前のことだった。天気予報で危険な内容があってNHKに電話で申し込んでも、暖簾に手押しだったので諦めたことが何度も在る。報道機関の日本の産業活動の無視であると諦めている。

 それが、高価な視聴料を徴収しているNHKの実態。最近では諦めて観天望気で自らが天気を予想したり、インターネットで気圧配置図を読んだりして天気を自らが予想している。テレビ局の天気予報はお遊びになっているので私は当てにしない。確実に自分を守る方法は観天望気やインターネットの気圧配置だけだ。我家では洗濯物を干す前にはできるだけ気圧配置図を確認することにしている。お天気お姉さんは当てにならないからである。

 さて、掲句「木枯に雀の群が蛇行する」に見えるように、すずめが風に向かって蛇行する時は天気の変わり目が多い。等圧線の密度が高いので風が強い。それは天気の変わり目でもある。どんなに真っ青な空であっても、雀が風に向かって蛇行していれば、明日の天気は曇か雨だ。虫や鳥は天気に左右されながら必死の思いで生きている。必死であるだけに彼らの天気の変化に応じた行動を観察すべきだ。テレビのお天気お姉さんより当てになるかもしれない。

 燕の飛び方、蜘蛛の糸の張り方を観察することはその地方の局地的な大切な天気予報の判断になる。昔は全国各地の気象台では地中温度の地温計測をもし作物の様子を按配した。これ作柄が大きく左右するのである。それを今は気象台の行政改革で計測していないのが残念だ。亜麻梅雨の中の農作業作物の微妙な扱いを教えてくれるものがなくなった。それを虫の行動や鳥の行動で天気が予想で作物の管理手入れをしなければならないのだ。

 観天望気があるなら観鳥望気や観虫望気が在っても不思議ではない。雀の行動は天気予測の一材料だ。聖書では、その雀をどのように扱っているだろうか、古代中東地方の人々と日本人とは雀に対する認識に大きな違いが有るだろう。本号に於いてはその違いを追及調査してみた。調査に取り掛かったのであるが、聖書によって雀と鳥の認識が異なることが判明した。

 ある聖書は、雀を鳥と翻訳して、もうひとつの聖書は鳥を雀と翻訳しているのである。鳥と雀とは大きな違いがある。それをどちらかの聖書が混同している。鳥には雀も含まれるが鴉も鷹も鳥である。しかし、雀は雀であり雀以外に表現の仕様が無い。なお、聖書には雀とだけありスペイン雀や砂漠雀などとして雀の種類を区分していない。聖書では単なる雀である。

 話が複雑なので、此処では二つの聖書をそれぞれ取り上げてみる。そして、翻訳の違いが何故起きたのか考える飼料としたい。ひとつは全てを雀としていて鳥とは翻訳していない聖書である。是を聖書Aとする。もうひとつは雀もあるが鳥もある聖書でこれを聖書Bとした。

<聖書Aの中に発見される雀の分布>
 聖書Aには「雀」が8回発見された。しかし、単語「鳥」は発見されない。雀が発見された位置は以下である。
●レビ記14-4には「重い皮膚病が治っているならば、祭司は清めの儀式をするためにその人に命じて生きている清い雀二羽と杉の枝、緋糸、ヒソプの枝を用意させる」とある。
●詩篇84-3には「雀が住処を得るように、燕が雛を養う巣を得るように私に祭壇の傍らに住処を与えてください」とある
●詩篇102-7には「私が眠らないで屋根の上にいる一羽の雀のように」と描写している。
●箴言26-2には「いわれの無い呪は飛び回る雀のようなものであり、飛び回る燕のようなものである」とある。
●マタイ伝10-29には「二羽の雀が一アサリオンで売られている」とある。
●マタイ伝10-31には「恐れることは無い貴方は多くの雀よりも勝ったものである」とある。
●ルカ伝12-6には「五羽の雀が二アサリオンで売られている」とある。
●ルカ伝12-7には「貴方がたの毛の先まで皆数えている。恐れることは無い貴方がたは多くの雀より勝っている」とある。

<聖書Bの中に発見される雀と鳥の分布>
 聖書Aの中には雀と翻訳しているのに、聖書Bではその一部を鳥に置き換えて翻訳している。それを明らかにするために上記聖書Aの八箇所の文節箇所をそのまま此処に取り上げた。その位置と内容は下記である。
●レビ記14-4には「祭司は清めの儀式をするためにその人に命じて生きている清い鳥二羽と杉の枝、緋糸、ヒソプの枝を用意させる」とある。
●詩篇84-4には「あなたの祭壇に鳥は住処を作り燕は巣をかけて雛を置いています。万軍の主、私の神よ」とある
●詩篇102-7には「荒野のみみずく廃墟のふくろうのようになった」と描写している。
●箴言26-2には「鳥は渡ってゆくもの、燕は飛び去るもの。理由の無い呪いが襲うことは無い」とある。
●マタイ伝10-29には「二羽の雀が一アサリオンで売られている」とある。
●マタイ伝10-31には「恐れることは無い貴方は多くの雀よりも勝ったものである」とある。
●ルカ伝12-6には「五羽の雀が二アサリオンで売られている」とある。
●ルカ伝12-7には「貴方がたの毛の先まで皆数えている。恐れることは無い貴方がたは多くの雀より勝っている」とある。

                      ―雀に関する聖書Aと聖書Bとの違い―
 聖書にはその宗派によって日本語訳が異なる。東北地方には東北方言で翻訳された聖書が在るとのこと、岩手県気仙沼方言で記された聖書。どのように翻訳しようとそれは表現の自由であり信仰の自由であるので、翻訳を批判する気持ちは私には皆無である。

 それにしても、此処まで翻訳が異なれば聖書の原典であるヘブライ語やギリシャ語がまともに理解されて翻訳されたのかどうかは疑念を抱かざるを得ない。奇妙な日本語翻訳をどのようにキリスト教徒は信じているのか不思議に思うことがある。

 現在の世界の戦場や紛争地帯を見晴らせば一目瞭然であるが、其処には必ず鋭い宗教対立が発見できる。宗教間対立や宗派間対立は暴力を伴うのが常である。エルサレムの聖域に於いても宗教間や宗派間の殺戮行為が繰り返され「流血の聖域」となってしまっている。

 日本国内だけでなく海外に於いても、偶像崇拝は我慢できない、偶像崇拝は許せない等として仏像を焼き払ったり、マリア像を破壊したりする等の事件はどれほど多いか計り知れない。また、自爆テロも盛んである。そんな激化する宗教対立からは一歩退くのが賢明だ。

 宗教は元来、心の安らぎを求めるものであるが現代社会はそうではない。個人的な信仰は問題が無いが、一旦徒党を組めば殺人事件、猥褻事件、詐欺事件等何がはじまるか分からないのがいまの宗教活動の現実といえないだろうか。

 恐怖を感じる集団が無いとはいえない。しかし、如何に恐れを感じていても、聖典としての翻訳聖書の違いは指摘せざるを得ない。聖典であるだけにその違いは明確にしておかねばならない。以下聖書Aと聖書Bの相違点を指摘しておきたい。聖書の発行所を明らかにすれば紛争の種となることを恐れるので此処では聖書A、聖書Bとしておいた。以下の相違点が発見された。

<1>雀に関して二通りの聖書
 日本語訳聖書は宗派によって違いがある。複数の宗派が同一の聖書を利用している場合もがるが、多くの場合宗派により聖書の翻訳を異にしている。たとえば雀を取り県だけでも明らかであり、ひとつの聖書には八回雀が登場するが、もうひとつの聖書では雀は四回しか登場しない。雀は市礼であるがー事例であるが、二聖書の翻訳文の距離は途方も無く大きいことがある。
 牧師や信徒の中には聖書は信仰生活の核である。聖書を読まなければ信仰は存在しないとまで断言する人を今まで多くの場面で見聞きしたのであるが、聖書の翻訳の違いは予想以上に大きい。牧師や信徒が信仰生活の核であると断言するのならば信徒誰一人残らずヘブライ語やギリシャ語を使いこなせなければならないだろう。

<2>清い雀と清い鳥
 レビ記14-4には頼病が治癒してしまった場合の祭司患者に対する清めの手順を述べている。当時は頼病が治るものと考えられていた。聖書Aでは清い雀二羽」を用意したが、聖書Bでは同じ箇所が「清い鳥二羽」とあり。雀と鳥の大きな違いが発見される。鳥には鷹やカラスやフクロウ等沢山の種類があるが。雀は雀であり大きな違いがある。また、清い雀」や「清い鳥」とあるが、どのような状態において清いのか不明であり。鳥の清さも雀の清さも読者には全く見えない。

<3>雀か鳥かどちらかが祭壇を住処としていた。
 聖書A詩篇84-3には「あなたの祭壇に雀が住処を得る」とある。聖書Bには、詩篇84-4には「あなたの祭壇に鳥は住処を作り」とある。詩編の同じ文節であるが、詩編84-3には雀と鳥の違いがある。
 祭壇に巣を作ると言うことは雀も鳥も人間を恐れていなかった鳥類であたことが窺える。日本の雀の住処は昔も今も日本伝統家屋の瓦と瓦の隙間である。昨今は住宅が高層ビル化していて杭打ちがインチキではないかという不安を毎日抱かなければならなくなってしまった。また日本伝統家屋が惜しげもなくは解され高層ビルばかりになった、都市部で雀が見えなくなったが、寂しい事である。それは、日本から瓦葺きの屋根が無くなり雀の住処を奪った結果である。
 聖書には雀や鳥が祭壇を住処にしていた古代中東地方は、雀であろうと鳥類全般であろうとのは、現代より人間に対しての警戒心が薄かったとも言える。

<4>小さくて可愛い雀と猛禽類のみみずやフクロウとまったく異なる
 しかし,聖書Aではこれを混同した言葉やご認識で描写していてこの翻訳文は日本人に伝わらない。聖書Aでは詩篇102-7には「私が眠らないで屋根の上にいる一羽の雀のように」と描写している。屋根の上を行き来しているかわいらしい一羽の雀を指摘している。  
 一方、聖書Bの詩篇102-7には「荒野のみみずく廃墟のふくろうのようになった」と描写している。これは雀と全くとなるではないか。可愛げがない猛禽類である。大きな違いがある。聖書Aの翻訳と聖書Bとの翻訳には大きな乖離があり、比較して読むと何が何やら分からない。景色が全く見えないので想像の仕様もない状況に陥ってしまう

<5>呪いは飛び回る雀、
 聖書Aには箴言26-2には「いわれの無い呪は飛び回る雀のようなものであり、飛び回る燕のようなものである」とある。
 一方、聖書Bには箴言26-2には「鳥は渡ってゆくもの、燕は飛び去るもの。理由の無い呪いが襲うことは無い」とある。
 この二つの文書は意味が異なる。分からないでもないが頭の中には大きな無理が生じていて翻訳の稚拙性の疑念が残ってしまう。

<7>聖書Aでは新約聖書には雀であるのが八回発見された。旧約も新薬も雀で貫いた、一方、聖書Bでは。旧約聖書は雀と言わないで、鳥といったり、みみずくなどとして翻訳していて、聖書Aと聖書Bに於ける旧約聖書で雀も鳥に対すて大きな違いがある。
 聖書ABは新約に於けるエルサレムの雀売りの場面では共通しているが。旧約では異なる。雀とすべきところを雀としないで鳥としたり、みみずく、やふくろうとしている。

聖堂の詩その1059―朝日と朝の光と曙と(3)

2015-10-23 11:30:24 | Weblog
              朝日差す初冠雪の石鎚山     紅日1998年1月号

 宗教が戦争を拡大する元凶ではないか。10世紀から12世紀にかけての200年にも及ぶ十字軍遠征だけでなく、宗教が戦争の原因であり、戦争を扇動するひとつの大きな力であることは日本の日中戦争や太平洋戦争に於ける靖国神社の役割を見ても明らかである。人類史にとって宗教は負の側面であると指摘されても仕方がない点がある。

 それは聖書の戦争容認または戦争奨励場面を見ても明らかだ。主は平和を求める神ではなく相手を殲滅させ生き残る為の主であることが聖書の随所に発見できる。ユダヤ教やキリスト教は「生き残り教」と言えるほど敵を殲滅させることに力を注いでいる。

 その宗教の実態が、現実社会にわれわれが明白に見えることである。私は2015年10月23日の全国紙を読んでいて震撼とした。京都では時代祭や鞍馬の火祭が終わった直後であり、穏やかな京都であっただけにその驚きは小さなものではない。其処には、イスラエル首相の発言が紹介されていた。

 イスラエルのネタニアフ首相が第二次世界大戦中のナチスドイツのユダヤ人虐殺、ホロコーストはイスラム教徒指導者がヒットラーに進言した為と発言しているというのである。さらにはネタニアフ師はユダヤ人が集まる会議で「ヒットラーはユダヤ人を追い出しただけで、彼は虐殺を考えていなかった」とヒットラー弁護を展開したので周りを驚かせた。

 かりに、ネタニアフ氏の発言内容が正しいとしても、今何故そのような発言をしなければならないのかわからない。現時点でのこの種の発言はイスラエルとパレスチナとの衝突を皿に拡大し戦火を拡大し終結事件を増やすだけである。ネタニアフ氏はとても政治家とは思えない、とても宗教家とは思えない。

 イスラエル国はイギリスが用意したシオニズム運動により生まれた、ユダヤ教の国であるが、ユダヤ教は世界の戦乱を拡散しようとしている宗派なのか、そんな印象を世界に深めてしまった、同時に世界中の人々が宗教の陰惨な側面をも感じたにちがいない。

 聖書の中の朝日を調べていたのであるが、聖書の中の朝日や朝に光に調査していて、希望を発見できなかった。聖書の朝日の中には、NHKドラマ「朝が来る」に見えるような、希望や夢を発見することが出来なかった。

 それは聖書の後ろに潜む敵を最後まで追尾する凄惨さが見え隠れしているからであろうか。生き残りのためには何をしても良い、主がすべてを許すと言う背景があるからかもしれない。ネタニアフ氏の恐怖の発言に接してそのようにしか感じることが出来ない。

                 (聖書の中にある「朝日」、「朝の光」、「曙」の調査で判明した事項)
聖書に出てくる「朝日」を調べる心算であったが、朝日と同じまたはそれに近い意味の単語で「朝に光」と「曙」をも調査した。尚、聖書には「曙光」は発見されなかった。尚、それぞれの単語の聖書に発見される回数は以下であった。
朝日が1回
朝の光が4回
曙が13回

<1>朝日は低頻度語
 聖書に発見される朝日は一度だけであった。列王記下に一度だけ発見される単語であり、聖書では極めて珍しい単語である。また「朝日」と良く似た単語、「朝の光」も「曙」も聖書に出てくる頻度が低く、極めて珍しい単語であった。朝の光」が4回、「曙」が13回しか発見されない単語であり、いずれも希少性の高い単語であった。

<2>新約聖書には朝日が発見されない。
 朝日、朝の光、曙は全て旧約聖書に発見されている。朝日、朝の光、曙の総計18回全てが旧約聖書に発見されて、新約聖書には発見されない。分布上の大きな特徴にひとつとして取り上げることが出来る。

<3>光は高頻度語であるが、朝日は低頻度語であった
 聖書に発見される光は総計542回発見された。旧約聖書では322回、新約聖書では220回発見された。聖書に於いて光は高頻度語であるが、朝日やそれに意味が近い単語の頻度はきわめて低いことが判明した。古代中東地方の人々は、光に対する関心は高かったものの、朝日に対する関心が低かったと推定出来る。朝日への無関心さの原因は何処にあるのだろうか。

<4>古代中東地方の朝日に関する関心の薄さ
 日本では朝日は日本人の意識の中で大きな位置を示している。殊に、元旦の初日の出を拝む日本の習慣は古くからあり、日の出に拝むのは長らく習慣として伝えられている。日本の宗教は太陽神ではないが、元旦の日の出に対して畏敬の念があったのであろう。朝日は商品名称にもなりやすく、雑誌や新聞の名称にも多いのは、初日の出に対する礼拝がその起源にあると推定される。
 一方、聖書は朝日を大きく取り扱っていない。上記の如く聖書に出てくる朝日や朝の光や曙の頻度が極めて低く、聖書には希にしか発見できない単語である。それは、日本に比べてユダヤ文化圏やキリスト教文化圏に於いては朝日に対する無関心さでもあると推定される。

<5>朝日は時計代わり
 古代中東地方には腕時計は無い。誰もが何処ででも共通認識できる時刻として鶏の声や日没や朝日が使われていた。士師記19-26に「男達は朝まで側女を弄んだ」とあるように、マルコ伝13-35に見られるように、朝日は時刻を示す一現象として取り上げられたが、日本のように起床時の明るい朝を感激的に捉える場面は聖書には乏しかった。

<6>朝日と夕日
 聖書には朝日が一回しか発見されません。それは列王記下7-9の一度しか発見されませんでした。「この日は良い知らせの日だ。私達が黙って朝日が昇るのを待っていれば罰を受ける。さあ、、王家の人々に知らせよう」とありました。
 朝日に退治する言葉「夕日」も聖書には一度しか発見されませんでした。それはエレミヤ書6-4に一度発見されるだけでした。日本人と異なり古代中東地方の人々には朝日に対しても夕日に対しても余関心がなかったといえるでしょう。そのエレミヤ書6-4には「シオンに対して戦闘を開始せよ。立て、昼の間に攻めあげろ。大変だ、日が傾き、夕日の影が伸びてきた」とありました。聖書は本当に血なまぐさい戦争場面が多いです。此処も戦争です。当時は戦争が大好きな人が多かったのでしょう。ゲームが大好きだったのでしょう。または戦争をなんとも思わない時代だったのでしょう。聖書原理主義者やそれに近い人々は現代社会でもその「戦争大好き」を引きづっているのかもしれません。しかし、その為に中東地方等世界各地で戦争の種を撒き散らしてもらっては人類には迷惑な話しです。
 尚、この場合の「夕日」に関して注目すべきは「日が傾き、夕日の影が伸びてきた」です。俳句の世界では、または日本語の日常会話では「影伸びる」と言ったり「日脚伸ぶ」は季節を冬に限定する場合です。聖書のこの場合は日が傾くことにより日影が伸びているのであり、冬ではありません。したがって此処からは季節が読み取れません。この点が日本と古代中東地方との落差のひとつではないかと思います。

<7>朝の光に人々は植物育成のエネルギーを感じていた
 サムエル記下23-4で朝の光に関してはと宇品特別な思いを抱いていた。植物を育てるエネルギーを認識し感じていた。この下りからすれば当時の人々は雨の後の朝日を浴びて新芽が萌える様に力を感じていたと思う。古代中東地方の人々は光に植物を育てるエネルギーを感じていたと推定出来る。

<8>古代中東地方の人々は朝日を待望していたこともあった。
 ヨブ記3-3には「その日は夕べの星も光を失い、待ち望んでも光は射さず曙の瞬きを見ることも無い」とある。
 古代中東地方には、星の明かりや光や曙を待望する気持ちもあった。但しそれは光全般への期待と待望である。朝日を取り立てて期待していたとは考えにくい。

<9>遂に意味不明であった曙の胎
 ヨブ記110-3には「聖なる方の輝きを帯びてあなたの力が現れ、曙の胎から若さの露があなたに降りるとき」とある。
 「曙の胎」の意味がわかりにくい。曙は日昇による朝焼けのことであるが、「曙の胎」の意味がわかりにくい。筆者は何を言いたいのであろうか。翻訳者は誤翻訳ではないのか。
光の始まり」と翻訳すべきではないのであろうか。電球を蔵する置物の人形じゃあるまいし、女性の胎内に光源が存在するとは考えにくいし、古代中東地方の人々もそのようなことを考えなかったであろう。

<10>古代中東地方の人々の光速誤認
 ヨブ記139-9には「曙の翼を駆って海の彼方に行き着こうとも」とある。
 「曙の翼を駆って」は意味が分かりにくい。曙の光が鳥の翼に乗ってくると言うのであろうか。だとすれば大きな誤解である。古代中東地方の人々は光の速さがどれほどのものであるのか分かっていない。一秒で地球七回転する光の速さ、太陽光が地球に到達するのにその時間が七分もかかることを知らない。だから曙の放つ光が鳥の羽に乗せて運ばれると考えていたのであろう。

<11>クシャミの様な曙
ヨブ記41-10には「彼がクシャミをすれば、両眼は曙の瞬きのように光を放ち始める」とある。
 仏典にも比喩があるものの、聖書ほど比喩の多い経典は世界には無いのではなかろうか。しかし、この比喩の多さが信徒の誤った認識や誤った聖書を増殖しているようだ。主がクシャミをすれば両眼が瞬くとは全く景色が見えない。クシャミがすれば瞳が瞬くなら見えそうだが、両眼が瞬くであるから怪奇小説を読んでいる心地である。誤訳ではなかろうか。

<12>曙への恐怖心
雅歌6-10には「曙のように姿を現す乙女は誰か。満月のように美しく、太陽のように輝き旗を揚げた軍勢のように恐ろしい」とある。
 曙ように姿を現す乙女はたとえが飛躍していて分かりにくいのであるが、曙を美しいと感じていたことは確かである。しかし、同時に曙に恐怖感をも抱いていた。曙は旗を立てた軍勢が襲い掛かるようだとしている。これは曙に対する只ならぬ恐怖感である。それとも戦争や軍隊の襲来は日常化していたのであろうか。仮に日常化襲来が日常化していたとしても聖書の戦場描写を見れば常人なら軍勢の襲来は恐怖ではなかろうか。
 また、ヨエル書2-2には「強大で多数の民が山々に広がる曙の光のように襲って来る」とある。この場合に於いても、朝日や曙は恐怖の対象でもあった。古代中東地方の人々は朝日は希望ではなく未来でもなく、誰が襲い掛かってくるかわからない恐怖の対象であった。朝の恐怖は現代日本社会の児童生徒の学校のようなものである。誰が何時虐めの牙を剥くか分からない生き残り社会であり、それは親や教師に実いえない恐怖の社会である。
 古代中東地方の人々の朝の恐怖は現代日本社会の児童生徒の恐怖と良く似ているのではないだろうか。

<13>光の中では価値が無い明星や曙
 イザヤ書14-12には「お前は天から落ちた。明けの明星、曙の子よ。お前は地に投げ落とされた」とある。
 古代中東地方では光の中にも高い価値と低い価値とが在ったようだ。明星や曙は低価値の光である。投げ落とされた価値の無い光であると認識されていた。